インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

ベンガル湾季節便り/ガンジスのたどり着く海

2008-01-26 22:32:26 | 季節・自然
<1月26日>
昨夜、豪雨が降ったせいで、今日は肌寒く、夕刻浜に出るも、入り日は
雲に隠れて見えなかった。冷たい潮風が吹きすぎる波打ち際を、ハリド
ワルで買った大盤のショールを巻きつけながら歩く。錆びがかった鶯色
の海はもやい、波がやや荒めだったが、沖は凪同然で漁村寄りの東側の
海には舟もたくさん出ていた。
灰色の雲が覆う海上を渡り鳥が幾羽も、低旋回しながら舞っている。ふ
と、ハリドワルのガンジス河の上空を舞っていたかもめそっくりの鳥の
ことを思い出す。もしかして、あの鳥がはるばる河沿いにここまで下っ
てきたのかもしれないなと思う。ガンジスが最終的にたどり着く先はこ
のベンガル海、水の色は山間の清流にかなうべくもないが、晴れた日に
は、冬季だけに透明感が増し、リシケシやハリドワルの聖河に近い色に
なるのだ。青みがかった河に比べると、やや緑がかっているが。

                    

昨夜突然ザーッと降りだした大雨は、恒例の季節の変わり目の印で、ま
もなく冬季が終わろうとしているのである。旅から戻った当初は暖かく
感ぜられたのが、昨日の雨ですっかり冬日に逆戻りしてしまったが、そ
れも数日のこと、二月に突入すれば、空気が生温くなってくる。

外国人旅行者シーズンの今は、波打ち際を裸足で歩く欧米人の姿もちら
ほら。みな、風を避けるようにスカーフやショールをまとっている。浜
には、ヒンドゥの神様をかたどった砂の彫刻が刻まれ、人々の目を引き
寄せていた。

          



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ローカル日誌/ガネーシュ、シンガポールへ

2008-01-25 23:29:59 | ヨガ・スピリチュアル
<1月23日>
今日は前ヨガインストラクター、ガネーシュの発つ日。
シンガポール一のヨガスタジオを誇る「True Yoga」で一昨年末から講
師として勤務中だった彼は一年余ぶりに帰郷、さる5日には弟さんを
伴って我が家を訪ねてくれひととき再会を喜び合ったが、同日夜私は家
族とデリー経由ハリドワル・リシケシの年始旅行へと発ち、戻って以降
も息子を送り出すのにあわただしく、その後ゆっくり会っている暇がな
かったのが残念だった。できれば、私の前女性インストラクターで、ガ
ネーシュの旧いヨガメートでもあるビティカを交えて歓談したかったの
だが。
          

久々に再会したガネーシュの初印象はハードワークのなせる技かいくら
かやせたようで、さすが海外帰り、以前に比べ挙動がスマートになった
ということだった。カントリーボーイからスマートな都会派へ転身、肌
色も元々白めだったが、さらに白くなったように思われた。シンガポー
ルでの一年以上に及ぶ勤務体験で英会話が上達したのはいうまでもな
く、中国語も片言で話せるようになったという。実は彼のグル、ラメ
シュワラ師もすでに香港でインストラクターとして勤務中なのだが、や
はり戻ってきたばかりの当初は、弟子間でガーネシュ同様の如実な変化
が話題になったものだった。帰国中のアシュラムでの早朝レッスンも英
語でなされたため、弟子間に戸惑いが走ったものだ(残念ながら、ガー
ネシュはこの休暇中、さぞかし上達したにちがいない指導テクニック
を、アシュラムで披露してくれることはなかった)。

                 

家族や懐かしい友人、ヨガメートたちと再会し、海外勤務疲れを癒し、
さぞかしリラックスしたにちがいない短期休暇はあっというまに終わり
を告げ、シンガポールへと戻らねばならぬ日がやってきた。
午後九時四十五分発のプリースペシャル・エックスプレスと聞いていた
ので、ハリドワールで買った土産をパッキングした私は、三十分前駅に
向かった。
シンガポールからうめぼしなどの日本食品を土産に持ち帰ってくれたガ
ネーシュへのささやかなお返しのつもりで、同地で聖なるシンボル、オ
ウムをかたどった真ちゅうの装飾品を買い求めたのだ。慣れない環境で
お国が恋しくなったときや、何か問題が起きたときのラッキーシンボ
ル、お守りのようなものになってくれればと思った次第。ついでにカー
ドも添えた。

      

駅に着いて、同列車の入る五番のプラットホームを探したが、列車自体
もまだ到着しておらず、肝心の本人もまだ来ていないようだった。すれ
違いになったら困るなと案じたが、ほどなく、家族同伴でこちらに向
かってくるご本人と鉢合わせ、首尾よくお土産を手渡すことが出来た。
さすがに出発前というので、浮かない顔、ご同伴のお父様や、一面識の
あった弟さんも、当然といえば当然だが、別れを目前にして元気がな
い。家族での水いらずの最後の場面を部外者の私が邪魔しては悪いの
で、二言三言交わしただけで、早々にその場を後にした。

               

すぐにまた早朝から夜遅くまでのハードレッスンが始まるのだろうが、
愛弟子の一人にはシンガポール在住の日本女性、Lingさんもいることだ
し、彼は向こうでは女性メンバーになかなかの人気者らしいので、みな
のサポートを得てきっと乗り切ってくれることだろう。
がんばれ! ガーネシュ、陰ながら応援してるヨ。

                             


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ローカル日誌/息子を送り出した後、古典舞踏鑑賞

2008-01-20 20:48:41 | 私・家族・我が安宿
<1月18日>
短期のハリドワル・リシケシの聖地旅行から戻って三日目の朝、息子、
サミールはあわただしく当地プリーを後にした。

                     

今回は親子でのヨガレッスンは無論、久々に家族そろっての年始旅行も
できたので、彼にとっては中身の濃い休暇になったと思う。
息子を送り出してほっと一息ついたとはいうものの、やはり一抹の寂し
さは免れず、やや気抜け状態だった私は、自分を鼓舞する意味でも、夜
の七時ごろ、ちょうどバザールのグンディチャ寺院近くの野外劇場で催
されていたソング&ダンスフェスティバルに行くことにした。
昨年も見た観光省主催のお祭りだが、現地に着くと、ちょうどローカル
ソングのまっ最中で、延々と続くので、中途で退座してライトアップさ
れた寺院に向かった。つい侵入してしまったが、異教徒立ち入り禁止の
ためチケット売り場で止められる。

そろそろ退屈なソングが終わる頃かと野外劇場に戻ってみたが、依然続
いていた。このまま歌だけで終わってしまうのではと、古典舞踏ファン
の私としてはひそかに憂えたが、やっと長い出し物は終わった。男性ば
かりのメンバーがずらりと並んでカントリーソングを歌うだけの色気も
何もない催しにあくびが漏れそうになったが、歌っているご本人たちに
してみれば熱演、会場のソングファンは悦に入った顔で拍子をとりなが
ら聞きほれていた(不謹慎な観客でごめんなさい)。
やっと、当州古来の優雅な舞踏、オディッシーの、ソロのダンスドラ
マ。恰幅のいい年配ダンサーは鮮やかなオレンジ色の舞装束で、シャク
ティ(コズミックエネルギー)を体現する踊りを力強く重々しく舞う。

                           

次の出し物もオディッシーで、もう最終演目だった。
鮮やかなサフランオレンジの舞装束をまとったベテランメインダンサー
によるソロから入り、途中で麗しいマゼンタ色の衣装をまとった少女た
ちが加入、華を添える。メインの舞い手は、先のダンサーに比べると、
踊りが軽快できびきびしており、豊かな表情がなんともあだっぽくなま
めかしい。なかなか官能的な踊りでつい見とれる。私も場数を踏むうち
に、鑑賞力が少し上がったかなという感じで、ムドラ(両指先が結ぶ印
)や舞いの体型を明瞭に見るには、丸いスポットライトの背後にくっき
り浮かび上がる影絵を見ると、よりいいことがわかった。まるで、イン
ドネシアの影絵踊りを観ているみたい。きらびやかな衣装に目潰しを食
わされることなく、踊り子の技能、印や体型の美しさがくっきりわか
る。照明係りは誰なのか、田舎の、席もがら空きのお祭りにしては、な
かなかの腕前だった。
                

群舞で十名近い踊り子たちが一塊になって作る花が咲き誇るような体型
ほか、幾何学体型も美しく、舞台にかじりついたジャーナリスト陣はデ
ジカメのシャッターを矢継ぎ早に切っていた。
デジカメを持参しなかった私は、ああこの体型は撮っておきたかったと
少し悔やまれたが、撮影に夢中になると鑑賞がおろそかになるので、そ
の分じっくり堪能できたという利点があった。
まことフィナーレを飾るにふさわしい熱演で、息子が行ってしまい気抜
け同然だった私の気分を引き立ててくれた。
12月初旬に観た有名なコナラークダンス祭が期待はずれだっただけに、
これで十分元をとったような気にさせられた。何も車で遠出しなくて
も、近場でこんな見事な出し物が観られるんだなと、かったるい気分を
奮い起こしてあえて外出して本当によかったと思った。

                                 



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旅日誌/ビートルズゆかりの聖地再訪

2008-01-20 00:46:48 | 
<1月10~13日>
かもめそっくりの声で鳴く鳥が幾羽も上空を舞う朝の爽やかなガンジス
河を散歩した後、路頭の10ルピーグッズショップで土産を買い込む(し
めて190ルピーと、安さのあまりつい19品も買ってしまった)。途上、
布地やさんで、目が覚めるように美しいコバルトブルーのショールも目
にしたので自分と姪用に二枚求める(各140、150ルピー、ついでに100ル
ピーのシンプルな白も土産用に)。
いざ対面座席の大型オートリキシャに乗って(片道200ルピー)、ハリド
ワルから24キロさかのぼったリシケシに出発。途上、シバ神の巨大な銅
像のある広場や(メインガートから見えて気になっていたのだが、ちょ
うどいい案配に通過したので停車させ立ち寄ったのだ)、リシケシ側に
近い、花園の美しい白大理石張りの寺院もちゃっかり観光。

                 

お昼過ぎ、ワールド・ヨガキャピタルと称される世界的に有名なヨガの
ふるさとにたどり着く。前回はヨガニケタン・アシュラムの、バルコ
ニーから河を見下ろす、絶好のロケーションの部屋に泊まったのだが、
なんとツイン600ルピーと値上がりしており、二軒隣の「オムカラナン
ダン・ガンガー・サダム」ホテルに、お湯シャワー&トイレ室付きの
ツインを300に値切って泊まることにした。
ホテルは新築まもないようで、清潔だった。地階の部屋でバルコニーは
ないが、窓からガンジス河が望め、部屋を出てすぐの河に面した整備さ
れた裏庭には椅子とテーブルが置かれ、くつろぐにもってこい。ハリド
ワルに比べると、水量の少ない、峡谷を流れるガンジス河は穏やかで、
左手にシンボルの壮麗なつり橋(ラム・ジュラ)、背後に青い山並みが
連なっており、以前と変わらぬ神秘的で静謐な雰囲気。ハリドワルのガ
ンジスは街中の大河だが、ここは山間の清流という感じで、よりガンジ
スの源流に近くなったことを思わせる。
思ったほど寒くなく、午後の河は、乳青色にまどろんでいた。                     
              
ランチは小さなフェリーで向こう岸に渡り、超有名レストラン、「チョ
ティワラ」(童子の意でハリドワールにもブランチがある)で菜食ター
リー。以前同様、二軒並びの大店の前には、広告塔の、童子を装った、
弁髪とサフラン色の腰巻をまとい厚化粧したコミカルな男性がましまし
ており、父子をその前に立たせた私はすかさず記念撮影。
二階のゆったりできる座席コーナーに上がり、親二人は通常ターリー、
45、息子はスペシャル75ルピーをオーダー、前回やはりここに来てまず
かった記憶がありながら、つい有名店の名に惹かれてまたしても同じあ
やまちを犯してしまった。通常ターリーは値段に比して中身が貧しく、
スペシャルは前日ハリドワルで食べたしつこい定食とほとんどメニュー
が変わらず、息子は不満顔。唯一焼きたてのチャパティだけはギーが
載っており、ふかふかでおいしかったけど。

                        

食後、付近を散歩、以前見た覚えのある丘の上のアシュラムまで。渡し
舟がオフシーズンで回数が少なく、ラム・ジュラつり橋を伝って戻るこ
とになった。高所恐怖症の私はひやひや。前回は舟のみで一度も渡った
ことはなかったのだ。しょうがないので、下を見ないようにして夫の腕
につかまってそろそろと渡る。いくらモダンな鋼鉄製とはいい、バイク
などが駆け過ぎるとき、ジュラの名が意味するごとく、「揺れ」るので
ひやり。どうにか渡り終えて一息。戻ると、もう夕刻。ガンガーアラー
ティがここでも始まったので、ホテルの脇のオムカラナンダン・ゲート
に出て、向こう岸の寺院が火に彩られる様子を鑑賞、ハリドワルに比べ
ると、静謐で落ち着いた雰囲気。火舟もこちら側は数そうながされるの
み。前回来たときは、この河を崇める儀式はそう大々的に催されてな
かったような記憶があるのだが、7年ののちにリシケシもすっかり観光
化、インド人団体客の姿もやけに目立ち、新設ホテルも。ハリドワルに
倣って、物売りが観光客目当てにディーポ葉舟を売り出し、広まったも
ののようだ。
ディナーは近くの「マドラスカフェ」で。以前25ルピーだったターリー
が60ルピーに値上げされ、全品とも高めになっており、びっくり(宿泊
先でもルームサービスの食事があり、ターリーはやはり60ルピーだった
)。が、ナンとカレーはまあまあおしかったようで、父子は満足したよ
うだった。
           

翌日はオートリキシャで2キロ先にあるもうひとつのつり橋、ラクシュ
マン・ジュラへ(片道50ルピー)。前回は息子の寄宿舎試験ついでに一
日寄っただけなので、ほとんど観光らしいことはしておらず、ここは初
めて。またしても苦手なつり橋を渡らされる羽目に陥り、冷や汗物でど
うにか渡りきった後、対岸の14階建ての寺院を参観。小部屋に多彩なヒ
ンドゥの神々が祀られており、天井から垂れているベルを鳴らしながら
お参りする。場所によっては土産物屋になっていたり、シャッターが閉
鎖されたままになっている小部屋も。8階まで昇ったところで親二人は
ストップ。息子がさらに塔のようになった6階分駆け上がるのを下から
見下ろしていた。バルコニーからの眺望は抜群で、壮麗なカーブを描く
つり橋や、その真下の峡谷の間を縫って蛇行するガンジス、背後に迫る
青い連山、息もつかせぬパノラマビュー。

                    

観光地化されているラマ・ジュラ付近に比べると、この界隈は外国人好
みで狭い坂道の両側に素朴な店が軒を並べ、バザールの雰囲気もよく、
ヨガセンターも一軒目撃した。外人旅行者向けのレストラン、「ジャー
マンベーカリー」を見つけたので、休憩に入る。私と夫はスモール・
ポットコーヒー、息子はチョコレートケーキをオーダー。ケーキはボ
リュームたっぷりで息子は満足げ。しめて55ルピー。さて、オートで戻
ることになったが、土地勘がないため遠回りしてオートスタンドに行く
ことになってしまい、夕刻受ける予定だったシバナンダ・アシュラムの
無料ヨガレッスンに大幅遅刻。すでに太陽礼拝体操中で、剃髪のチベッ
ト人らしい女性インストラクターに冷たく退けられたが、見るだけと
言ってなんとかなかに入り込み、控え室にヨガマットが山積みになって
いたので、一枚抜き取って、「キャナアイ・ジョイン?」と断って、ほ
かの二人の女性参加者と共にスーリヤナマスカールを始めた。実は昨年
4月体調を崩してから本格アサナはずっと中止していたので、なんと8ヶ
月ぶりのことだった。できるかなと少し心配だったが、やり始めてみる
とできるもんで、シルサアアサナ(頭立ポーズ)を除いて、ほとんどの
アサナを最後までやり尽くしてしまった。

                           

実は宿泊ホテルでも、かの米で有名なアインアンガーヨガのレッスンを
授けていたのだが、一回250ルピーと高額なので、敬遠したのである。
米在住のB・K・Sアイアンガーはかなり高齢で、600体位の本で有名、小
道具を用いてゆっくりやるアサナに特徴がある。一度くらいトライして
みてもよかったのだが、どうも商業優先のホテルの姿勢に好感を覚えな
かった。一階にはギフトショップまであり、スピリチュアルな文句がプ
リントされたTシャツが300ルピーで売られていた。が、一日分の宿代
が飛んでしまうにもかかわらず、さすがアイアンガー人気で朝夕のレッ
スンに常時10人ほどの参加者があった(ホテルはおおもうけ)。
        
シバナンダ・アシュラムでの女性専用レッスンは(男性は朝)、チベッ
ト人インストラクターの指示するぼそぼそ小声の英語がよく聞き取れ
ず、内容は今ひとつだったが、要は8ヶ月ぶりに再開できたことに意義が
あるのであって、それと、上階のヨガホールがすばらしかった。
全面ガラス戸の先に開けるバルコニーの真下は、宵闇の下りた紺青のガ
ンジス河、ウッドフロアの清潔なホールは生徒三名にはもったいなさす
ぎるほど広く、プラスチック製のヨガマットも貸してくれる。漠然とわ
が安宿でも、フリーのヨガレッスンを提供できないかと考えているのだ
が、このようにすばらしい環境はとうてい望み得ない。ヨガを大勢でや
るには、広いスペースが必要で、それが今現在私を悩ませている問題で
もあるのだが。             
               

リシケシはその昔、ビートルズが修行に訪れた聖地としても名高いが、
くだんのTM(超越)瞑想アシュラムはすでに閉鎖され、廃墟同然と化し
ていた。ヨガとロッジをドッキングしたアシュラムホテルがたくさんあ
るので、本格修行を目指す人にはお薦めだが、ヨガの商業化も目立つの
で、自分の目で確かめて良心的な施設を選ぶことが肝心。やはり、最低
でも一週間はほしいところで、息子の休みの関係で二泊しかできなかっ
た私はたった一回しかレッスンを受けられず、スピリチュアル書を売っ
ている本屋さんもゆっくりのぞいている暇がなかった(シバナンダ・ア
シュラムには付設のライブラリーや、近代的なヨガ教授法を確立させた
ことで有名な故シバナンダ・グル自筆のヨガ書<ヒンディ・英語>をそ
ろえた本屋もある)。
                        
               
最後の夜は、インデージュ社の赤ワイン、リビエラ(デリーで370ルピー
で入手)で乾杯、赤党の夫は、グラスが進んだ。ディナーはまたしても
マドラスカフェ。前日の昼、チョーメン(焼きそば)をオーダーしたと
ころ、からくて食えた代物じゃなかったので、ノースパイスときつく言
い渡す。ライムとしょうが風味のおかしな味付けになっていたが、なん
とか許容の範囲。旅先ではまともな食事にありつけることはまれなのだ
から、我慢我慢。

翌々日は、ハリドワル発の列車が午後6時過ぎだったので、午前中町に
出て、メインのトリベニガートに(オートで4、50ルピー)。前回行け
なかったのだが、石の河原の広いガートは、ちょっとしたピクニックス
ポット。透明な青みがかった緑のせせらぎが美しく、ハリドワルの早流
に比べると、穏やかで沐浴には最適。巡礼旅行者がガンジス河に身を浸
し、幾度となく穢れの肉体を水中に潜らせているほか、河辺では小壷に
満たした聖水を高みから降り注ぎ、また満たし降り注ぐという河を崇め
るプジャの儀式を執り行っている初老の男性もいた。
息子はジーンズの裾を捲し上げると、水中に足を浸し、ピクニック気分
を楽しんでいた。私も河辺まで行って、水底の石をいくつか拾い上げ、
記念に持ち帰ることにした。
この後、徒歩で行けるバーラトテンプルに、路地の両側に店の建ち並ぶ
バザールを抜けて向かった。ランチは、そこからさらに歩いていったメ
インロード沿いの「スレシュ」大衆食堂でとった。やっと当たりを見つ
けたという感じで、50ルピーのターリーは超おいしかった。夫と息子は
単品オーダー、どれもおいしかったようで満足顔。ターリーにはチャパ
ティのお代わりがいくらでもついてくるので、オーダーし、二人に分け
てあげた。
                 

前回同様、サドゥ(乞食行者)にたんとお布施をしたのでごりやくがあ
ることを祈りつつ、4時過ぎ、リシケシを後にし、オートでハリドワル
に戻った。
デリーに着いたのは、午後11時過ぎ。帰りはシャタブディ特急を三倍近
い運賃を払って奮発したにもかかわらず、前回に比べ食事もサービスも
お粗末、子連れの観光客が多い車内は騒然とし、しかものろのろ運転、
行きは急行であんなに早かったのにと唖然。席はリクライニングが効い
た柔らかい革椅子といいけど、高額の運賃に見合わぬサービスぶりで
がっかり。
           

デリーでは、新市街・コンノートプレースにあるパリカバザールで
ショッピング後、映画を観るつもりでいたが、息子が行きに会った寄宿
舎時代のクラスメートとまた会う手はずになりお流れ、昼寝を決め込む
夫を残し、私は常宿ホテル「スタービュー」(メインバザールの奥手、
シャワー&トイレ・TV付きでツイン400、この界隈にある安宿のなか
ではわりとこぎれいでお薦め)近くの小さなスピリチュアル・ブック
ショップで菜食・ジュース関係の本を二冊、シタールのCDも買った
(しめて390ルピー)。行きに路頭の本屋で見つけて道中読破した、美
しいハードカバー書「ザ・シークレット」(値切って460ルピー)は、
この旅のまた別の収穫でもあったことを最後に付け加えておこう(全世
界的にベストセラーの同書はインドでもトップ、息子はすでに友人に
DVDを見せられていた)。

                               

※1ルピー=約2.5円
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旅日誌/ガンジス河の火の祭礼

2008-01-19 21:16:01 | 
<1月8~9日>
デリーからの午後三時二十五分発の急行列車で、五時間と経たぬうちに
ハリドワール(ハルドワル)に到着。
着くのは十時ごろかなとのんびり構えてペーパーバックに夢中になって
いた私と息子は、夫に促されて、あわてて身支度を整え降りた。駅舎は
高地らしい両サイドに三角屋根塔のある瀟洒なもので、オートリキシャ
をつかまえてロンリープラネットに推薦されていた安ホテルへと向か
う。が、建物が古く室内に匂いがこもっていたので、車夫推薦のガンジ
ス河に近いホテルに行くことに決める。その名もホテル・アドゥトゥヤ
は、シャワー&トイレ室・TV付き比較的こぎれいなツインがを300ルピー
(割引料金)だった。
               

インドの町の食堂は閉まるのが早いので、早速ディナーに。前の細い道
沿いの食堂を二、三のぞいたが、いずれも非菜食。聖地で肉食厳禁のは
ずが、観光客の需要に合わせてのことらしい。反対側に百メートルほど
足を伸ばした先に、比較的大きな菜食ホールを見つけたので入ってター
リー(カレー定食)をオーダー、ノンヴェジ党の息子には物足りなかっ
たようだが、私にはちょっと塩辛かったけど、まあまあ。
ホテルに戻って、デリーから持ち込んだ白ワインやジンで乾杯、聖地で
飲酒というのも少し気が引けたが、かつては菜食のみで禁酒だったここ
も、時代の流れには勝てないようで、下の路上を行く酔っ払いどものだ
み声が。息子は、親二人が不謹慎な飲酒に耽溺するのを尻目に、デリー
で買ったハリーポッターの新作に就寝まで読みふけっていた。

                           

翌朝は、いざガンジス河の日の出を見んと意気込んで、私は五時半起
床、眠りこけている夫をたたき起こし、熟睡している息子を残して、ま
だ暗い中、ガンジス河畔に出た。前の道を数十メートル行って路地を折
れた先に、河はあった。
両側に点々と街灯の点る大きな橋を渡り、青黒い河面を見下ろす。ここ
から二十キロほど上ったリシケシ(七年前に訪問)のガンジスに比べる
と、まっすぐで幅広の河は急流を集めてとうとうと流れる。
橋を渡りきって、整備された河岸まで降りる。コンクリート敷きの道は
次の橋まで続いていた。寝不足の上昨夜の酔いの名残りでぼわんとして
いた体も、聖地の清涼な河風に吹かれるうちに、爽快に目覚めてくる。
突き当たりの石段を上った橋のたもとに、チャイ(インド庶民の愛飲す
る甘ったるいミルクティー)の露店が出ていたので、二つオーダー。ど
うやら、私たちが一番客のようで、親父さんはやおらミルクを沸かして
準備を始めた。ふーふーと冷ましつつすする、熱々のしょうが入りマサ
ラチャイは、夜の明けきらぬ早朝の河風に当たりすっかり冷え切ってい
た体を温めてくれた。が、六時過ぎになるも、いっこうに日が明ける兆
しはない、それもそのはず、ヒマラヤの高地のため、ここでは日の出時
刻が、わが居住地プリーより、一時間以上も遅いのであった。

             

橋を渡って河岸に降りると、観光客向けの小店が軒を並べていた、その
うちの一軒で、つぼ型のプラスチック製ボトルを5ルピーで買って、透
明感のある浄らかなガンジス河水を詰める。聖なる水は、お土産として
持ち帰ると、インドの人にとても喜ばれるのだ。さらに進むと、整備さ
れた河岸道路に面していくつもの中級ホテルが並んでいた。河に面して
いるこれら大きめのホテルは、路地裏の安宿に比べると、ロケーション
のよさから高いにちがいなかった。もうひとつの小さな橋に行き当た
り、河岸に降りた地点がメインガート、ハリ・キ・パイル(ヴィシュヌ
の足の意)だった。ハルドワールという地名はハル(シバ神)の門戸と
いう意味だが、ハリドワールとも称され、この場合は、ハリ(ヴィシュ
ヌ神)の門戸という意味に変わるのだ。ヴィシュヌ派にちなんだ命名ら
しい。標高356メートルの高地はちょうど、ガンジスの源流へとさかのぼ
る平野と山地の境目の入り口付近に位置し、神々の国へと入る門という
意味でもあろうか。
河の中に小さな島が作られ、島と岸の間がメインの沐浴場になってい
た。ガートは広場のような造りになっており、マハトマ・ガンジーの遺
灰が流されたことを記念するビルラ時計塔がシンボル、河面には石段が
降りて沐浴しやすくなっている。向こう岸には、ヒンドゥ寺院が円錐形
の屋根をいくつものぞかせていた。オフシーズンという時節柄観光客は
少なかったが、ここまで足を伸ばしてようやくうっすら明け初めた太陽
を礼拝するように、彼岸の寺院から鐘の音がけたたましく鳴り響き、巡
礼旅行者数名が、肌寒いなか、腰巻だけの裸体になって冷たい聖河に身
を浸し、沐浴拝を行っていた。ガンガーは女神としても崇められてもお
り、篤信家には崇拝の対象なのだ。
惜しむらくは、東側と思われる方角の山の端から荘厳な日の出は顔を見
せず、山際がほんのりピンクに染まった程度だった。
ホテルからかなり足を伸ばしてしまった私たちは、にぎわうガートを後
に、元来た道をゆっくり戻りだした。

                     

朝食はメインロード沿いの軽食レストランで、夫と息子はギーの載った
インド製パンケーキ・パラタ&カレーのセット。私は甘ったるいミルク
コーヒーとともに、グロッサリーで買った丸パンをかじった。三人湯バ
ケツシャワーを浴びてるうちに午後はばたばたと過ぎてしまい、はやラ
ンチタイム。ガイドブックに推薦されていた裏路地を一本出たメイン
ロードの「ホシヤール・プリ」という食堂で、80ルピーと高価なター
リーをオーダーしたが、しつこすぎて、私たちの口には合わなかった。
いわゆる典型的北インドのカレー定食で、油こってりカレー粉ふんだん
なのである。
日本人の血が半分混じっている息子は油も少なめ、マサラ(カレー粉)
も少量の淡白カレーがお好み、夫も高血圧の持病を抱えているため、
油っこい食事は厳禁。何種類ものおかずがつくのだが、もったいないこ
とにはほとんど残してしまった。減塩の私には、塩辛もすぎた。

          

失望に終わったランチ後は観光。地上からも俯瞰できる山頂のマンサデ
ビ寺院に行くつもりでいたが、生憎ケーブルカーは整備点検中という。
アシュラム&寺院めぐりか、チャンディデビ寺院までのケーブルカーツ
アーのどちらかを薦められたが、山頂まで上って地上の眺めを見下ろす
方が楽しめるように思われたので、後者に決めた。
150ルピーと高い車代だったが、寺院入り口までものの十分としないうち
に着いてしまった。ぼられたかと内心怒り狂ったが、実はここからケー
ブルカーに乗って頂上までたどり着き、寺院めぐりをすると、優に二時
間以上を要するため、待ち料金が大幅に加算されているのである(オー
ト貸切りでいかないことには、帰りの足が観光客にはない)。
ケーブルカーは窓なしのオープン状態、高所恐怖症の私はひやりとした
が、十五分程度で上にたどり着き、ほっ。周囲の冬の枯れ山や、真下に
蛇行するガンジス河など、眺めは抜群だった。頂上には女神を祀った二
寺院があり、土足を脱いで拝観、路頭で売っていた礼拝(プジャ)用の
花や椰子も買って、息子の手で神様にお供えした。参道から見下ろす眺
望がすばらしく、息子のデジカメのシャッターを切る手は止まなかっ
た。ピクニックに来たようなつもりで、おおいに堪能した。

                             

帰途、「ガンガーアラーティ」といわれる、日の入り時の河面に火を点
した葉っぱの小舟(ディーポ)を流す儀式を見るため、メインガート近
くで下ろしてもらう。タイミングよく、儀式はいまにも始まろうとして
いた。朝に比べると、沢山の観光客がガートの石段にびっしり隙もなく
腰を下ろして、向こう岸の寺院で毎夕刻繰り広げられる神聖な儀式の一
部始終を目撃せんと待ち構えていた。薄暮の河面にはすでに幾そうもの
小舟が流され、壮観。ただし、流れが速いので、あっというまに急流に
呑まれてしまう。サフラン色のマリーゴールドや赤い薔薇を盛った葉を
綴じて作った舟には線香が二本突き立てられており、マッチ付きで売ら
れていた。小さいものでも、20ルピーと高め。値切ったが安くならな
かったので、断念。ガートには観光客目当ての物売りや寄付請いが群れ
ており、騒々しい雰囲気だった。

そうするうちに、向かいの寺院から灯明を掲げた何人もの僧が現れて、
河に向かって右回しに回しながらプジャの儀式を催し始めた。さながら
火祭りの様相で、青黒い河面にサフランオレンジの炎の帯がゆらゆら流
れ、美しさのあまり見とれる。鳴り渡る鐘の音混じりの祈りの唱歌が神
聖な雰囲気を盛りたてる。腰巻だけになった裸体の篤信家たち数名が、
薄ら寒いなか河中に入り、幾度となく穢れの肉体を潜らせ、聖河を崇め
る様に、異教徒の私ですら、心打たれ、見とれるばかりであった。
 
                    

※1ルピー=約2.5円
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カシミール民話/七足の怪物

2008-01-04 01:49:46 | 現地語&民話
昔、一人の王様がいました。王は大軍を所有していました。連隊と騎兵
に要する費用は十分に経済的なもので、そのため王自身誇りに思ってい
ました。ある日、王の胸におのれの軍力がたしかなものであるかどうか
との憂慮が兆し、調べることにしました。総長は町の外れの広大なフ
ィールドに全軍一括にとりまとめるため、行動命令を与えました。指定
された日数、王は国防省の方陣の間を見て周りました。各部署とも訪問
し、胸が誇らしさでいっぱいになりました。馬にまたがっての視察の
際、一匹の七つの足を持った動物が連隊に入り込み、動き回るのを目撃
しました。それを見た王さまの驚きはかぎりないものでした。彼はその
動物を殺すことに決めました。しかしながら、七足の動物は突然逃げ去
りました。王はあわてて馬にまたがり、できるだけすばやく疾駆させ、
後を追いました。二キロ走った後で、動物が止まり、一匹の巨大な怪物
に変身しました。王は驚き、立ち止まりました。怪物は王を殺して、食
べてしまいました。

                 

大臣たちは八日間王を探し回りましたが、どんな痕跡も見つけることが
出来ませんでした。それで、王の息子を、代わりに王位に正式就任させ
ました。
何日かして、新王の胸に、父王の死に関する事柄を知りたいとの特別な
関心が生まれました。真実を知りたいあまり、思案深げになりました。
大臣たちに、知っていることはなんであろうと教えるよう頼みました。
大臣たちがすべての事柄を告げた後、新王が言いました。
「もしそれが真実なら、私の心境は穏やかでない。怪物を殺さないこと
には、安堵の息をつくことはできない」
とこのようにのたまい、七足の怪物を探し求め、馬にまたがりました。
しばらく行った途上で、前と同じ七足の動物に行き当たりました。それ
は外観を変えて一匹の巨大な怪物に変身すると、王に向かって膨れ上が
りました。王は命乞いのどんな手段も見いだせず、神様に守護を求めま
した。神は祈りを聞き届けて、怪物に立ち向かう戦略を教えるために、
天使を送りました。
天使は王に言いました。
「やつはものすごく強豪の怪物です。もし体から一滴でも血が絞り出さ
れ地に落ちたなら、もう一匹の怪物がそこから突然生じ、あなたを殺し
てしまうでしょう。でも、恐れることはありません」
と、王に二個の矢じりを与えながら付け加えました。
「この矢で怪物の両目を突けば、地に落ち死に果てるでしょう」
とこのように申して、消えました。

                     

天使から勇気をもらった王は、怪物求めて進みました。熱戦が始まりま
した。何時間か戦い続けた後、王は矢を放ち怪物の両眼を突きました。
怪物は倒れ、死にいたりました。怪物が死んだのを見て、王の喜びは尽
きることを知りませんでした。彼は自分のつるぎの助力を借りて、首を
切断、矢の尖った先端に吊るして宮殿に持ち帰りました。王の宮殿はそ
れはそれは巨大なものでした。なんと12000室もの部屋がありました。
王はそのうちのひとつの空き部屋に首を置いて、錠をかけました。鍵を
母妃に渡し、言いました。
「いつなんどき、だれであろうと、部屋の戸を開けてはなりません」
あの部屋に何を隠したのか、そのことについては母に一切申しませんで
した。息子の値打ち物の富が隠されているのを見たくて、母の胸はじり
じりしました。それで、ある朝、何が入っているか見たさのあまり、つ
いにドアを開けてしまいました。しかし、何も見つけることは出来ませ
んでした。なぜって、息子は首を部屋の奥の隅の方に投げ隠しておいた
ためです。ドアを開け放しておいた後、誰のものとも知れぬ笑いが突然
湧き上がりました。次に、
「母妃よ、あなたの息子に気をつけなさい」
との声が聞こえました。さらに続けて言うことには、
「なぜなら、彼は怪物だからです。やつは私とあなたの夫を殺したのと
同様に、あなたをも殺すでしょう。もし、命が惜しかったら、宮殿から
遠ざけなさい」
王妃はその言葉を聞いて尋ねました。
「おまえはだれ。どうして、そんなことを言うの」
首は答えました。
「あなたは大変健康を害しているようですね、雌虎のミルクを飲めば病
気はよくなるでしょう。が、ミルクは息子が持ってこなければなりませ
ん」
                         

数日後、息子の王は朝、思案げな顔でジャングルにふらつき向かってい
ました。そのジャングルには、どうもうな虎の夫婦が棲んでいました。
突然、王はジャングルで一匹の雌虎が、二匹の子とともに、日差しの下
で飛び跳ねているのを目撃しました。王はあわてて木の上に登り、雌虎
の乳のおでき目指して矢を放ちました。雌虎の乳に出来たおできは、何
日も大変な痛みを与えてきたのです。矢が当たって、おできが吹き飛ん
だので、雌虎は痛みから解放されほっとしました。彼女は木の上から見
下ろしている情け深い王が地に下りたのを見て、言いました。
「こんなにお情けをかけてもらったお礼に、何かお望みの助けが必要で
したら、なんなりとお申し付けください」
王は言いました。
「なあに、たいしたことではない。体を壊している母の健康を回復する
ために、少しだけおまえのミルクをくれないか」
雌虎はすぐに与え、王はなべ一杯に満たされたミルクのほか、純体毛も
与えられました。虎は言いました。
「もし、いつなんどき災難が降りかかっても、この毛を日差しの下にさ
らせば、恩恵がもたらされるでしょう」

           

王は宮殿に戻りました。虎のミルクを目にした母は、おのれの息子が間
違いなく怪物であると確信しました。王の不在時、母は首のある部屋に
行ってすべてを話しました。首は、
「もし王が怪物でなかったら、どうしてどうもうな虎に近づいてミルク
を持ってこれようか。だから、今すぐ殺す必要がある」
とのたまって、母妃を納得させました。
母妃はどうすべきかわからなかったので、首が策略を与えました。
「後刻、王がご機嫌伺いにやってきたら、体調がいかにも悪いふりをし
て倒れこみなさい。雌虎のミルクは何の効用もなかったと告げて、遠く
離れた一番高い丘に一人の王女が住んでおり、もし彼女が来て私にふれ
てくれれば、完全に健康を回復するでしょうと、言いなさい。その丘は
大変に危険に満ちた場所で、王がそこに行けば、間違いなく死に直面す
るでしょう」
夜、王は母妃のそばに来て、
「体調はいかがですか」と尋ねました。
母妃は首が指示した言葉どおり、王女について伝えました。王は同情心
に駆られ、
「王女は必ずおそばにお連れします。州外に出てでも見つけます」
と誓約しました。

                 

翌日の朝、王は丘のとりでの視察に出かけました。いっしょに、雌虎の
例の毛も沢山持って行きました。太陽が出ているとき、王は日差しの下
に置き、まもなく、雌虎とその子二匹が駆け現れました。雌虎は尋ねま
した。
「なんのお役に立てましょうか」
王はすべてを話しました。遠く離れた高地のとりでから王女を連れてく
る必要があることを伝えました。雌虎は答えました。
「そこは大変危険に満ちた場所です。大勢の人がトライしましたが、誰
一人として到着できませんでした」
王は答えました。
「母は死にかけているのだ、そこに行かねばなるまい」
と申して進みました。雌虎は王の悲しみに耐えることが出来ず、そばに
行って告げました。
「私の背にまたがってください、そこにお連れしましょう」
いざ出発と相成り、とりでのそばにたどり着きました。

                      

雌虎が言いました。
「とりでに着くと、三つの巨大なドアを通過します。最後に、王女のそ
ばまでたどり着いたものは誰であろうと、連れ帰ることにいたしましょ
う。一番目のドアは大きな鉄の戸です。おので打ち壊してください、ド
アは開きます。三番目のドアには、偽牛がいます。牛の周りを怪物が動
き回っています。偽牛のそばに虎の乳毛を落としてください、そうしな
ければ、怪物があなたを殺してしまいます。三番目のドアのうちには、
まさにその王女がいます。もし最初にあなたを目にすれば、彼女は喜ぶ
でしょう。で、接見後、お連れ帰りてください、怪物を殺す機会はまた
別にもうけましょう」
王はこれらすべてを聞いて、大変怖くなり、雌虎に助力を請いました。
虎は、快く受け入れました。王は虎の奇跡のパワーによって、鉄のドア
の中に入れました。王はおので打ち破り、損傷を食らったドアは真っ二
つに割れ、ドア番は、王が開けたと思って入室を許可しました。虎の子
の二匹のうちの一匹が言いました。
「二番目のドアには偽牛がいるので、乳毛の助けを借りれば、怪物は邪
魔できないでしょう。事態を注意してよく見てください。そして、二番
目のドアを通過し、進んでください」 
もうひとりの子虎が言いました。
「虎の奇跡のパワーによって、王女の目には、王が非常に美しい太陽と
映ることでしょう。三番目のドアは、入室のため放たれるはずです」
みなが各自の仕事に打ち込んでいました。王は王女の美しさの虜とな
り、おのれの妻にしたいと願いました。
万事首尾よく運び、雌虎と二匹の子は森に帰りました。

            

数日後、王は王女を宮殿に連れ帰りました。王は母にすべての顛末を語
りました。あの丘には大変な危険に満ちています。もし雌虎と二匹の子
の助けがなかったら、どうしてそこにたどり着くことが出来たでしょ
う。最初に怪物の首を切断したこと、神の使いのエンジェルが助けてく
れたこと、でなかったら、彼もまた父王のような最後を遂げていたこと
でしょう。
すべての事柄について語り尽くしました。母妃は一部始終を耳にして驚
きました。ついドアを開けてしまった際、首が語ったことについても、
告げました。首の指示どおりにして、息子をどんな危険に立ち向かわせ
たか、今となってはとくと悟りました。
神さまと、雌虎と二匹の子に篤い御礼を申した後、母は息子を抱擁し、
号泣しました。まもなく、王と王女は結婚し、末永く幸福に暮らしたと
のことです。

                             



※出典/カシュミーロ・ロコター
(カシミール地方の民話<オリヤ語>) 
著者/フルロラー・ナーヨコ

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ローカル日誌/ケーキ三昧の新年

2008-01-02 23:32:13 | 私・家族・我が安宿
<1月1日>
今年も年明けは三階の私邸のベランダでケーキカット、ワインを嗜みな
がら華麗な花火が夜空に打ち上げられるのを愛でつつ、新年を迎えた。
息子が、かんしゃく玉を破裂させてはフィーバーする路上や大輪の花の
咲き誇る夜空をデジカメのビデオで撮ったが、去年に比べると、今年は
やや盛り上がり度に欠けるような気もした。隣国パキスタンのベナジー
ル元女性首相の暗殺が影響していたわけでもなかろうが、ハッピー・
ニュー・イヤーの掛け声もあまりあがらず、やや拍子抜け。

が、こちとら、リッチなバター風味のナッツやレーズン、ドライフルー
ツのたっぷり詰まったパウンドケーキを肴に久々の赤ワインを頂き、に
んまり。私はワインはどちらかといえば、白党なのだが、夫が赤嗜好な
ので、ラストデーくらいはと譲ったのだが、ヴィンバレットというイン
ド製銘柄の赤は消毒臭くて今ひとつ、が、大みそかに免じて目をつぶ
る。誕生月でもある12月は気分がハイになっているので、多少のまずさ
は気にならず、慣れるにつれまあまあ赤も活けるじゃないかと鷹揚に。

日本とインドは三時間半時差があるので、すでに午後八時半過ぎ、日本
の友人・家族にはニューイヤーメールを打っておいた。シンガポール在
住の前ヨガインストラクターにも二時間ほど前、sms。

                

深夜二時に就寝し、三時間半仮眠したあと、ベンガル湾の初日の出を撮
るぞーっと、寝不足でしょぼしょぼの目をこすりつつ意気込んで浜に出
たが、東の水平線上は厚い灰色のもやが覆い、太陽はついに顔を見せず
仕舞いだった。しょうがないので、うすくれないに染まる海のみ撮影。
早起きが苦手の私は、長いこと日の出を目にしておらず、2008年の
ファーストデーくらいはと思ったのにい、残念。
海から昇る真紅の太陽は壮麗で、ベンガル湾の日の出は、落日に劣らな
いくらい美しいのである。夕日に比べると、赤みが強く、海から上がる
だけに、その華麗さは格別。

                       

今年の正月はちょっと買いすぎたかというくらい、ケーキ尽くしで、親
戚からもひと箱、ハート型のストロベリークリームケーキを頂いてし
まった。無論、一年間がんばってくれたホテルスタッフにもおすそ分
け。息子は、85ルピーのリッチフルーツパウンドケーキが一番おいし
かったようだが、私にはレモンタルトの円形クリームケーキ(110ル
ピー)が最高、酸味と薫り高いレモン風味がクリームのしつこさを消し
てくれ、生クリームは息子同様苦手の私でも、どんどん活ける。昨年は
モンギニス・ケーキ店になかったヒット商品、あっさり甘さひかえめの
やわらかーいカステラケーキに目が細まった。

                            




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