インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

帰国ルポ9/秋葉原もうで(東京編Ⅱ)

2008-08-29 23:02:01 | 
吉祥寺、荻窪などをショッピングがてら回った数日後、いよいよ恒例の
秋葉原もうでに繰り出すことになった。私自身はうんざりなのだが、夫
や息子は時計や電化製品の掘り出し物求めて意気揚々の出陣、またして
も親族・友人用土産にカシオの腕時計を六個買わされる。いい加減やめ
てくれないかと嘆息混じりの私を尻目に、夫の時計漁りは納まらない。

            

ひとつには日本製腕時計は値段の割りに見栄えがよく、土産に持ち帰る
と喜ばれるということがある。日本製といっても、最近はみんな中国で
作られたムーヴメントだが。が、たまーに路頭の店で、格安製品を売っ
ていることがあり、一個360円というスポーツウオッチを見つけたこと
もあった。傷物だが、ほとんど目立たず、しゃれたデザインで自分用に
長年重宝したものである。とにかく千円出せば、よりどりみどり。元の
値札が高い商品を漁って買えば、ずいぶんお買い得。

                 

過去何十回と繰り出している秋葉原電気街(写真、おなじみ石丸電気の
看板に注目)、これまで、ミュージックプレーヤー、ワープロ、ファッ
クス、カメラ、スーツケース、キャリーバッグと散財してきた。例の通
り魔殺人事件があってから客数が減ったと聞いていたが、そんなことは
なく、相変わらず外人が目立つ、とくに中国人はリッチで金に糸目をつ
けず買うので、いまや店の方でも同国人スタッフを置いて抜かりなく対
処しているくらいなのである。
下見にすでに一度訪れていたので、二回目ですべて済ませてしまおう
と、もうこれで絶対ここには来ないからねと、夫に釘をさす。どうやら
時間内に予定の買い物を済ませたときはさすがにほっとした。最後に、
駅構内の上階にある秋葉原デパートに寄ろうと思ったら、改造工事中で
拍子抜け。ここには割りと安い品がそろっており、100円ショップもあ
るので重宝していたのだが(とにかく日本、とくに東京は二年来ないと
様変わりが激しい)。

                            

翌日は、その昔うちのホテル(ラブ&ライフ)の常連だったU子さんに
招かれていたので、午後お住まいのある阿佐ヶ谷駅で降りて電話、かわ
いいお子さん連れでほどなく迎えに来てくださった。なんと、15年ぶり
くらいの再会である。当時男性旅行者に人気のあった彼女はショート
カットのボーイッシュなつわものバックパッカーだったが、今では立派
に二児の母。髪も長めにされて、少しお痩せになってすっかり女らしく
なられた。

         

夫はあつかましくビールをご馳走になり、私は冷えた麦茶をいただきな
がら、思い出話に花が咲く。幼いお子さん二人には免税店のチョコを土
産に買ってきたのだが、早速食べてくれて、口元をチョコだらけにして
いるのに笑みを誘われる。プリーの名物、ジャガンナート神の置物も
買ってきたのだが、もちろん覚えておられ、懐かしいと言って大変に喜
んでくださった。

さて、U子さんとは長い付き合いなのだが、実は日本でお会いするのは
これが初めて。ご縁があるというか、文通&メール交際がこんにちまで
途絶えずに続いてきたのである。お若いながら達筆かつ文才のある方で、
私のお気に入りのお客さんでもあった。日本に戻られてからは、折々に
日本語の本や日本食品をご厚意で送っていただくなど大変お世話になっ
てきた。一度お目にかかって御礼をと思っていただけに、このたび果た
せて感無量。短時間の歓談だったが、とても楽しいひとときを過ごさせ
ていただいた。息子も幼いお子さん方の遊び相手になってあげるなど、
くつろいだ様子だった。
駅まで送ってくださったU子さんと、次回は、ぜひ一緒に飲みましょう
と約して、お名残り惜しい気持ちながらお別れした。

                       

帰途、阿佐ヶ谷まで来たついでに、中野まで出て、息子のスポーツシュー
ズを物色することにする。吉祥寺や荻窪で探したが、気に入りのものが
見つからなかったのである。いろいろ好みがうるさくて、あちこち引っ
張りまわされる。やっと納得いくものが見つかったようで、やれやれ。
シンプルな白のシューズで私から見ればどうということのないデザイン
だが、前日荻窪の西友で買ったUS製のジャケットと同じ会社とのこ
と、吉祥寺で買ったおしゃれなサングラスに秋葉原で買ったスポーティー
ウオッチ、息子のオニューの品がどんどん増えていく。私にしてみれ
ば、十代最後の記念旅行で一足早い誕生日(9月17日成人になる)くらい
のつもりでいるし、いろんな方から息子さんにとお小遣いももらったの
で、なるたけ本人の希望に沿うようにとつい大甘になってしまった。

               

<つづく>
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帰国ルポ8/息子のビザ取得(東京編Ⅰ)

2008-08-28 23:47:33 | 
7月15日の早朝、新宿に戻った。ひいきの外人宿・アップルハウス
チェックインは10時からなので、待合室で紙コップのコーヒーを飲みな
がらコンビニの菓子パンを朝食代わりにかじって時間つぶし、夫と息子
は上階の駅構内で洗顔・トイレも済ませてしまう。
東小金井に着いて電話、いつものように車で迎えに来てもらう。今回は
15日間の短期なので、前回と違う宿泊施設に案内される。オフィスに近
い奥の雑木林の中の、その名もグリーンハウス。アップルハウスは東京
各所に施設を有しているが、オフィス在中の東小金井には七軒あり、私
たちはすでにそのうちの五軒トライしてしまったことになる。

               

長いこと閉ざされていたらしいフロアリングの六畳間には異臭がこもっ
ていたが、有料ACほか、TV&冷蔵庫つき、シングルベッドも一台あ
り、今回は日割り計算になるので(一日3680円)布団は無料といううれ
しいおまけつき、住めば都なり。共同キッチン、シャワー室、トイレ、
リビングルーム、コインランドリー室と完備で、不自由はなかった。

シャワーを浴びた後、駅前の99円ショップで買ったお弁当やサンドイッ
チで手軽にランチを済ませ、まずは近場の吉祥寺まで繰り出すことにす
る。息子は五年前に一度訪れているものの、記憶にないようだったが、
若者向けの店がひしめいているので、物色に夢中になる。井の頭公園
(写真)で鯉にえさをやったりブックオフを覗いたりした夕刻後、二年
ぶりに東京一安いという触れ込みの居酒屋、一休に顔を出す。当然のこ
とながらメンバーズカードは切れており一人300円で新しく作り直しても
らう。最初はお金がかかるが、カードがあるとないでは大違い、月曜と、
9のつく日は酒とつまみが半額になり、平日でも7時までだったら、お酒
が半額になったり、つまみが20-30%引きになる特典つきなのである。

                       

息子はすっかり居酒屋の雰囲気にも慣れた様子で、もっぱら水を飲みな
がら、焼きそば、コロッケ、焼き鳥などに舌鼓を打っている。ほんとお
酒も種類が多いし、つまみもバラエティに富んでいるので、下手にレス
トランに入るよりずっと安上がりで、満足感がある。村さ来に比べても
安めで、東京一安いとのキャッチフレーズにたがわず、その日のお値段
は4000円ちょっとだった(600円のカード代込みなので、次回からはもっ
と安くなるということ)。

翌日はインド大使館に息子のマルチビザをとりに行った。いつものよう
に九段下で降りてお堀を左手に見下ろしながら坂道を昇っていく。しば
らく行って左に曲がったところがインド大使館のはずだったが、なんと
改装工事中との張り紙があり、麹町が当座の仮施設に変わっていた。住
所をメモって、現地に。ったく、二年帰らないと、大使館まで元の位置
にないということだよなあとぼやきながら、人づてに聞いて目的地に。
確かにここがインド大使館だったが、ビザの申請は茗荷谷と言われ、唖
然。たらい回しもいいとこだと怒ってる暇はない、申請時間は午前中
だったと記憶していたため、とにかく大あわてで現地に向かった。着い
たのは11時半でなんとか間に合って一息。番号札を持った人たちが並列
した椅子で待機していたが、前もって書類を準備していたため、期間中
は何度でもインドから出入国できるXビザが当日夕刻下りる手はずに
なった。

       

受け取りまでまだだいぶ間があったので、時間つぶしのつもりで秋葉原
に向かう。まずは下見くらいのつもりで行ったのだが、着くころには小
雨が振り出してきて、思うようにチェックできず仕舞い。本屋で長いこ
と雨宿りした後とんぼ帰り、無事息子のビザを引き上げ、ひと安心。こ
れで当分は、何事につけのろく非能率なインドでの面倒なビザ手続きか
ら解放されることになる。行き、大変な思いをしたことを考えると、一
日で取れて本当によかったと胸をなでおろす私だった。

                         

<つづく>


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帰国ルポ7/嵐山散策(京都)

2008-08-28 00:43:35 | 
福井から特急で行くと、京都まで一時間半であっというまに着いてしま
った。息子は無論、訪日歴十数度の夫も初めて。三十年近く来ないうち
に駅も様変わりし見違えるようにモダンになっており、ちょっと面食
らった。構内から出ると、矢のように突き刺さる日差し、むんむん蒸し
暑い盆地の夏に直撃された。いやあ、予想していたこととはいえ、これ
ほどまでとは。二日間目一杯観光するぞーっと張り切っていた意欲が、
あまりの暑さに失せていく。

                 

まず14日の東京行きの夜行バスのチケットを買った後、ネットで予約し
ておいた安宿、小世界旅社にバスで向かった。地図によると、駅から近
そうに思えたが、結構距離があり、25分後北大路で下車、電話で教えて
もらったお好み焼き屋さんの裏を目指して歩く。あった、あった、古い平
屋の町家を改造したいかにも京都らしいたたずまいだったが、中はかな
り狭かった。これでドミトリー1ベッド、2000円。部屋を取ると、8000
円以上になるので、男女別のドミトリーに家族分散して泊まることにし
たのだが、二つのドミは廊下を隔てて隣り合わせ、引き戸を開けるとす
ぐ行き来でき、便利だった。男性用は二段ベッドが三セット、女性用は
二セットで、お客さんも男性用は二人、女性用は一人いるのみだった。
廊下を下りた石桟敷に小さなキッチンがあり、小型冷蔵庫の麦茶はフ
リー、玄関を入った土間のはしごを上がっていくと天井裏の狭いスペー
スにパソコンが一台あり、フリーで使えるようになっていた。共同のユ
ニットバスはかなり狭く、近くの銭湯に行く旅行者も多かった。すでに
夕刻になっていたので、その日は近辺を散策したのみで、おしまい。

                         

翌日は、金閣寺―竜安寺の石庭へ向かった。何十年かぶりで再訪してみ
ると、金閣寺はわりとちゃちで、石庭にいたってはまったくなんという
こともない代物、昔はきれいと思った記憶があるのになあ(渦巻き型で
なく、まっすぐの縞模様だったせいかも)。息子も夫も、がっかり。た
だ、縁側に座っていると、日中の暑さが避けられるので、休憩にはもっ
てこいだった。韓国人観光客が多いせいか、どこに行ってもハングル語
の表示が掲げられている。昔は考えられなかったことである(そういえ
ば、金沢の兼六園でも多数の中国人観光客を見かけた。女友だちのブ
ティックでは高価なブランド物を土産に買ってくれるリッチな中国人が
お得意様とか)。

          

日中の歩きがしんどいのでお寺巡りはこれでパスして、都電で嵐山に向
かうことにする。いやあ、昔は素朴だった記憶があるが、モダンに開発
され、一変してしまったのにはびっくり。渡月橋(写真)も立派になっ
ており桂川べりにはたくさんの観光客が群れていた。川下の方ではズボ
ンのすそをまくってせせらぎに足を浸し向こう岸に渡っていく若い男女
カップル、家族連れを多数目撃し、息子も渡りたいといって、川原に下
りていった。
水面下に飛び石が置かれており、それを伝って渡っていくのだが、流れ
の速いところややや深めのところ、石も滑るのでそろそろ気をつけなが
ら行かねばならない。なんとか親子三人無事渡りきって向こう岸にたど
り着いたが、暑い盛りでもあり、ひとときの涼感に浸れ、ピクニック気
分を堪能、夫も息子も、楽しかったようだ。

                    

橋の上で観光客を乗せて威勢よく走る人力車に物珍しげに見とれる。イ
ンドのおんぼろ人力車に比べると、京都の観光用お車はさすがに風流で
美しい。最後はみやげ物屋めぐり。若者向けのしゃれたブティックまで
あり、千円均一の店でデイパックを見つけた息子はおねだり。安いわり
にはデザインがしゃれていたので、買ってやることにした。

                           

帰途四条河原町まで出て一杯やろうと思い、都電に乗ったが、着いたと
ころは二条河原町。ここから繁華街に出る道筋がわからないので、帰り
のバスの最終時刻をチェックした後、裏路地で偶然見つけた村さ来で飲
むことに(今回は村さ来づいてたという感じ)。新宿に比べると、京都
ならではの旧家風店内は広くて、なかなか風情があった。19歳の未成年
ながら、息子は父に薦められ、初めて日本酒に挑戦、ガラスの盃で飲む
冷酒はわりとおいしかったようで、甘いとの感想。くいっと一気にやる
様に、日本酒好きだった故父、息子にとってはおじいちゃんが重なる。
医者の長弟も、日本酒に目がないから、血を引いているのかなあと。酒
豪の片鱗をかいま見た思いで、母の私はぎょっとするやらちょっと複雑
な心境。インド人父に比べると、煙草ぎらいで無論お酒もだめと勝手に
思い込んでいたのだが、いつのまにか大人になっていたようだ。二杯目
を飲んだところで、さらに注ごうとする夫をストップさせた。

           

翌日は近くの大徳寺を散策した後、四条河原町に。思いがけず祇園祭前
で山車が出ており、めっけもの。本番は見れずとも、雰囲気だけは少し
浸れたような気がした。通りをまっすぐ鴨川まで歩いて祇園へ。裏路地
の疎水に柳がなびく風流さは、私もよく知ってる昔ながらの京都で、あ
あ、まだこんな部分も残されているんだなと胸ときめいた。やっぱり京
都はいいなあとしみじみ。最後に、南座の前からバスに乗って清水寺へ
向かった。閉館ぎりぎりで間に合い、境内から比叡の森を見下ろす。夫
は坂道がきつくてのぼってこれず、間に合わなかった。それにしても、
昔は階段を伝って一段一段のぼったような記憶があるし、もっとでか
かったような気がしたのだが。ほんと清水の舞台から飛び降りるという
形容を、肌で実感したものだ。息子にはビッグテンプルと言っていたが
ゆえに、それほどでもなかったなと、ちょっと拍子抜け。

                                  

帰途のバスで八坂神社の赤い鳥居を通過、降りて見たいと思ったけど、
一日中歩いて疲れ果てている夫は素っ気無い。そのうちにどんどん後方
に遠ざかってしまった。ああ、それにしても、時間切れで、銀閣寺から
の遊歩コース、哲学の小路にも行けなかったなとちょっと残念、まあ、
二日で京都を全部見ようというのが無理なんだけど。思いを残しなが
ら、宿に戻って預かってもらった荷物を引き上げ、駅に向かったが、市
の省エネ政策で薄暗く、七時前に土産物屋がいっせいに閉まっていたの
には参った。一軒だけ空いてたミニコンビニで生八橋を買ったが、省エ
ネが大事ということはわかっていても、観光客には不便でしょうがな
かった。出発まで時間があるので、闇にライトアップして純白に輝く京
都タワーにのぼろうと思ったら、こちらも入り口が閉まっていた。

                         

<つづく>
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帰国ルポ6/日本の祖母と対面(福井)

2008-08-27 00:18:37 | 
早朝5時に早起きして、金沢在住の友人Mが出席しているモーニングセ
ミナーなるものに飛び入り参加。出席者はサラリーマン、自営業者、
起業家、大学教授と多彩。ホテルの一室を借り切って行われる会合は毎
回講師を呼んでの為になる講話、事後の朝食バイキング(500円)と、各
階で活躍しているいろんな方々との交流が楽しく学ぶことが多いとは、
M談(若々しく素敵な会長さんはなんと、25年前インドを訪問した経験
があり、これが私の原点とおっしゃる)。学生来の旧友であるMはデ
パートのブランド物ブティック店長を二十年以上勤め、豪勢なマンショ
ンも自力で購入したというシングル・キャリアウーマン。昨夜小料理屋
で贅沢な鮎ごはんや新鮮な海の幸を肴にビールを飲んで久々に交流を温
めたが、時間があればもう少しゆっくり話したかった。今日の午後には
もう、郷里の福井に入らなければならないのである。

                           

いつか金沢に住めたらなと夢見ている私は、ネットでチェック済みだっ
たワンルームマンションにも二軒仲介業者の車で案内してもらい、家族
そろって見学した後、快速列車で福井へ。駅が再開発で一新され、見違
えるようにきれいになっていたのにはびっくり。勝手がわからず、しば
らくうろうろ。
市役所で健康保険をとった後、弟に連絡、車で迎えに来てもらう。父方
と母方の先祖の墓参りを済ませた後、親族巡り、最後に同族会社(亡父
が創業、後継者の弟は次期社長)に立ち寄ったあと、文京の実家へ。息
子は祖母である母とは初対面で緊張していたが、お小遣いをもらってに
んまり(子連れだといいこともあるもんで、
いろんな方から息子さんにとの名目でお小遣いを頂き、こちとらは旅費
の足しになるなと、ひたすらにありがたかった)。
とりあえず、今回の旅の主目的である、八十近い高齢の母と対面させる
ことがかない、感無量。息子は以前から、日本のおばあちゃんに会いた
がっていたので、彼の願望もかなえてやることができ、よかったと思っ
た。母に無断でインド人との国際結婚に踏み切ってしまった親不孝の娘
メもこれで少しは罪の償いができたかなと、使命?を果たせ、ほっと肩
の荷が降りる思いだった。

             

翌日は車で四十分ほど行った、文殊山のふもとの帆谷村にある叔父の旧
家(写真)に家族で厄介になった。知るひとぞ知る、叔父がその昔婿入
り養子した藤田家は素封家で、このあたりは戦災にあわなかったため昔
ながらの由緒ある家々が残っているのである。中は応接間などモダンに
改造してあるが、旧態依然とした日本間には、骨董ものの秀逸な書画、
由緒ある掛け軸、壷・皿等の陶器類、調度品、極めつけは金ぴかの大仏
壇で、家自体が宝の山、思わずため息が漏れ出た。子供のころ何度も遊
びにいった記憶があるのだが、長じてからは機会がなくとんとご無沙汰
していたのを、弟にあのように古い家を見る機会はそうそうないから、
息子に見学させるつもりで行ったらと薦められ、快く一夜の宿を提供し
てくれるという叔父の厚意に甘えたのである(ちなみに、かの直木賞作
家の藤田宜永はこの分家で、応接間のピアノの上には、サイン色紙が
あった)。

                       

翌朝は、実に35年ぶりに高校時代のクラスメート、Kと再会。当時の写
真や、その後の級友の動向がわかるアドレス名簿を持ってきてもらい、
いろいろ説明を受ける。なかには、二十代の若さで亡くなった女子生徒
もおり、さすがに痛ましさを禁じえなかった。とにかく、Kとはこうし
て生きながらえて再会できただけでも感謝感謝。帰国に先立つこと突然
の連絡をいただいたときには、うろ覚えにしか思い出せなかったのだ
が、当時の級友全員がそろった写真を差し出されて、あ、これがK君で
しょと、すぐ指摘できた。大柄な男子生徒でわりとよく話した覚えがあ
るのだが、Kはちょっと照れながらきっと席が近かったからでしょと答
えた。彼も無論わたしのことを覚えており、指差したところには、セー
ラ服姿の幼い女高生が写っていた。

      

ひととおり級友たちの近況を聞いた後は、車で母校までご案内いただ
く。当時を懐かしげに思い出しながら中を一巡り、おりしも試験中で、
廊下にはカンニング防止のためか、かばんや教科書類が累々と横たわっ
ていた。
門前で記念撮影した後、午後二時の特急で京都に行く予定になっていた
ため、駅まで送ってもらう。お別れの挨拶は、最近手術したというKだ
けに、「お互い長生きしましょうね」。ほんと何名かはすでになくなっ
ていることを考えると、わが身のここ数年の不調も思い、自然と出た言
葉だった。
息子と夫は、叔父の車に送られて一足先に着いていた。コンビニでビー
ルやスナック菓子類を買い込んだ後、特急しらさぎに意気揚々と乗り込
んだ。

<つづく>
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帰国ルポ5/東茶屋街見学(金沢)

2008-08-25 21:49:00 | 
金沢には翌朝六時に着いた。早朝なので駅で洗顔・トイレ、菓子パンの
朝食を済ませ、ころあいを見計らってネットで予約してあったウイーク
リー&ビジネスホテル浅の川
に確認の電話を入れた。予想外にオーナー
自らが車で迎えに来てくれることになって恐縮、初老のごま塩頭の男性
は穏やかな笑顔とともに迎えてくれた。橋場にあるホテルは、昔のア
パートを改造したらしい三階建ての小さなビルだった。今はお客さんが
少ないとかで、特別に四人用の広い部屋をあてがわれる。畳敷きのバス
&トイレ完備、冷房、TV付きの部屋は清潔だった。これで三人で八千
円を少し切るくらい。さすがに東京の外人宿のようなわけにはいかず、
二倍強だが、宿代の高い金沢では、これでも最安値なのである(とにか
く格安宿をネットで見つけるには大変苦労した経緯がある)。

                        

奥さんも愛想よく出迎えてくれ、7月8、9日と二泊代前払いした後で、
「あとでお父さんに東茶屋街を案内してもろたらええよ」と言われた。
なにやら置屋の再建に関わったとかで賞をいただいたとのこと、中を見
る機会はめったにないのでぜひにとお願いした。

シャワーを浴びた後、早速観光。オーナーが自転車で先に立って案内し
てくれる。私たち夫婦はすでに東茶屋街は見学済みだったが、置屋の中
は見ておらず、息子は全くの初めて。紅柄格子の旧家が軒を並べる通り
に入って、目指す建物へ。オーナーが鍵を開けてくれ、土間に足を踏み
入れた。かなり狭いが、いかにも当時をしのばせる古めかしい造りで、
冷蔵庫代わりにしていた地下の収納庫など物珍しげに見入る。急勾配の
小さな階段を上がると、掛け軸のかかった床の間のある畳敷きの日本
間には布団が敷かれ、宿泊できるようになっていた(バス&トイレはモ
ダンなユニット式で、一人五千円強)。廊下側が紅柄格子で、京都とは
また違って、漆を使うというこの赤みがかった桃色は金沢に独特のもの
と言われる。思わず、息子にデジカメで撮影するよう促した。昔、これ
そっくりの置屋さんで、芸妓さんたちが歌や舞で富裕な商人や文人をも
てなしたと思うと、少し不思議な気になる。一段高くなった奥の桟敷は
遊芸を披露したものと思われる。
ひととおり案内してもらったあとは、オーナーにお礼を言ってお引取り
願い、三人だけで付近を見学することにした。石畳の両側に立ち並ぶ置
屋のいくつかは、レストランや喫茶店、土産物屋になっており、物色。
卯辰山にのぼる坂道にある寺院群を参拝し、上から戦災を免れた旧家群
の黒いらかの波をめでた後、昼食休憩。

                   

コンビニで買い込んだお弁当やサンドイッチを浅野川の土手でいただ
く。おりしも、昨夜降った雨のせいで、川は茶色にごっていた。前は透
明なせせらぎだったと記憶していたので、少し失望(翌日には川の色は
生来の輝きを取り戻していたが)。食後、歩きが苦手な夫と息子をせ
かし、兼六園へと向かう。この三大名園に数えられる大庭園は桜や紅
葉、雪の季節に来ると、すばらしいのだが、初夏の今は青々と茂った樹
木のみで、何度も来ている私には今ひとつ。息子は池の鯉にビスケット
のくずをまいて楽しんでいた。最後に、金沢城址を見学しようと思った
ら、六時半ですでに閉館していた。公園よりお城の方に興味があったら
しい息子はがっかり。とりあえず、広大な敷地に入って記念撮影。庭園
後回しで、こっちを先にすべきだったかとちょっと後悔。お城独特のや
ぐらと純白の長い土塀、黒い柱が美しい対照を見せ、加賀百万石前田家
の居城だったかつての威厳と栄光を物語っていた。

                             

翌日は、二百余年前にオランダ人が設計したという尾山神社を参拝、通
りから見てもひときわ目立つ洋風の独特の造りで、池のある美しい庭園
も足を休めるに格好。さらに前方を進み、繁華街・香林坊でショッピン
グした後、犀川まで歩いて川原に下りてコンビニランチ、川幅が狭くた
おやかに流れる浅野川が女川と称されるのに比して、男川といわれる、
室生犀星が愛したこの川も、いまではモダンに開発された街中の川と
いう感じで、やや風趣度に欠ける。ランチ後、西茶屋街の寺院群を見
学、忍者寺にも行ったが、英語の説明がないというので見学はパス。そ
れにしても、今日はよく歩いたもんだ、さすがに三人ともくたくた、帰
路はバス。
夜は、金沢で内科医をしている弟のおごりで、夕食を共にすることに
なった。息子は日本の叔父上との初対面にやや緊張した様子だったが、
日本海ならではの新鮮ででっかい海老フライにはおおいに満足したよう
だった。

       

<つづく>
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帰国ルポ4/タイ経由日本へ

2008-08-25 00:02:31 | 
リムジンバス(一人150バーツ)で常宿のカオサンロードを少し外れた
ところにあるKCゲストハウスに向かった。いつものように途上渋滞で
着いたのは、夕刻。二年ぶりに宿の女将さん、息子&娘さん家族とご対
面、大きくなった息子にびっくりされる。共同シャワーのツインが三人
で300バーツ(二人だと250)。五年前に旧館を取り壊して新築したホテ
ルは女手が行き届いて清潔で気持ちいい。新築前は私たちの常宿は向か
いのPSゲストハウスだったのだが、やや安めといっても老朽化してい
ることと、部屋が狭いことから(スーツケースの開け閉め不可)、鞍替
えしたのである。以来ひいきにしているというわけ。一階にセヴンイレ
ブンも入っているので、便利。
一階の屋外レストランで夕食を済ませた後、徒歩で行けるチャオプラヤ
河畔まで散歩、壮麗なカーブを描くブリッジのイリュミネーションがき
らびやかで、息子は歓声をあげて撮影。今日は祭日なのか、ゆったり流
れる黒い河面を進む船は色とりどりにライトアップして、いつまで見て
いても飽きない美しい夜景であった。

                       

翌日は日曜だったが、事前連絡済みの日本人経営の代理店、A&Rトラ
ベル
さんが日曜でも発券できるというので、朝食後カオサンロードに向
かった。ノースウエスト航空の成田行き直行便のお値段は往復で17500
バーツ。エアインディアとタイ航空の合同便が折柄の原油高騰で20000
バーツ超えることを考えると、アメリカの航空会社とは思えないほど安
い。今のところこれが超安値とのことで、すぐに翌7月7日のチケット
を購入。メールで仮予約しておいたため、スムーズに運んだ。タイ在住
歴7年(奥さんはタイ美人)というオーナーのアキオさんには大変お世
話になった。

       

出発は夜11時半と遅いので、チャオプラヤ河を運行するフェリー(写真)
に乗ることにする。前回(五年前)、このフェリーに乗ってなかった
息子は大喜び、ちょうど雨季で褐色に増量した大河を船は豪快に水しぶ
きを蹴散らしながら進む。両岸にはタイ独特の寺院や、ペニンシュラ、
ヒルトンなどの五つ星高級ホテルの高層ビルがそびえて壮観。息子は撮
影に夢中になっている。
終点まで行ってまた戻ろうと思っていたら、運行時間はすでに終わって
いた。しょうがないので、乗り方を聞いてバスで帰った。

               

夜の八時過ぎ、タクシーでバンコック新空港へ。
初めて乗るノースウエスト便、さすが米航空会社だけあって、やたらセ
キュリティが厳しい。いまやリキッド類はどこも持ち込み禁止だが、免
税店での購入まで制限されているのには参った(機内で買わせようとの
魂胆)。みんな手ぶらで待合室に向かう。

                        

機内サービスも今ひとつ。何せ、アルコール類はすべて有料というのだ
から、しけってる。ビールくらい飲ませてよと夜遅い便で疲れているこ
ちとらとしては文句も言いたくなる。大判振る舞いだったジェットエア
とは大違いでがっかり、左党の夫もブツブツ。まあ、原油高騰の厳しい
状勢下、しょうがないのだろうが、いかにもアメリカらしい合理性であ
る。内装も清潔とはいうものの、前の座席とのゆとりはなく、窮屈だっ
た。というわけで、初めて乗ったアメリカの飛行機には見事期待を裏切
られたという感じで、まあ、安いからしょうがないけど、サービスと
いったら、ときどきスチュワーデスが水差しを持って回るだけであった
(あとで聞いた話だが、ノースワーストのもじり名で悪名高い航空会社
だそうで、うーむと納得した次第)。

                            

目前ディスプレーで洋画を二本楽しんでいるうちに、翌朝無事成田到着。
六時間ちょっとの旅程、後ろの座席だったせいか、よく揺れて飛行機恐
怖症の私はひやひや、ジェットエアは安定してたのになあと細かく振動
する機体におろおろ、息子も若干乗り物酔いしたくらいだった。リムジ
ンで箱崎まで出てタクシーで友人の門前仲町のマンションへ。いつも、
トランクを預けさせてもらっているのだ。携帯も留守電で、マンション
にも不在だったので、合鍵で勝手に上がりこんで、今夜のバスで金沢に
向かうための荷造りをせっせと始めた。

重い荷物を下げてうろうろ、人に聞きながら始発地の新宿新南口に着い
たのが午後七時半。チケットがとれるか心配だったが、十一時半の遅い
時間帯のがとれて一息。荷物をロッカーに預けようとしたら、おりしも
サミットの最中で使用不可となっていた。えーっという感じで、新宿歌
舞伎町にある安居酒屋・一休で到着祝いをするつもりでいた私と夫は
がっかり。ここから東口まではかなり距離があり、荷物持参ではしんど
いので、近くに安居酒屋はないかと探しに行く。幸いにも、徒歩で五分
と離れていない裏路地に、おなじみの村さ来があった。荷物を持って地
下へ降りていく。19歳の息子は初めて入った日本の居酒屋に好奇の目を
きょろきょろ。飲み物は日本酒党の夫は冷酒、私は一杯めは生ビール、
19歳の息子はジュースでそろって乾杯。

                              

白ワイン、レモンチューハイとちゃんぽんでほろ酔い加減になり、旅の
疲れが心地よく癒されていく。息子は次から次へと運ばれてくるおつま
みに、おいしいと舌鼓を打っている。明日はいよいよ、金沢、私の好き
な街だが、息子も気に入ってくれるだろうか。バスの出発時刻が迫って
きた。

<つづく>
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帰国ルポ3/ハイテク空の旅

2008-08-23 21:20:01 | 
初めて乗ったジェットエア(写真)のサービスはさすがに申し分なかっ
た。二時間ちょっとの機中、お酒は飲み放題、レミーマータンはじめと
する高級酒も大判振る舞いで、値段に見合うだけのことはあった。

                        

しかも、新しい内装は快適で、座席と座席の間にもわりとスペースが
あって、ゆったりできる。驚いたのは、目前のディスプレー。ワンタッ
チで飛行情報や映画、音楽などが楽しめる。以前スチュワーデスが通路
に立って自ら行っていた酸素マスクやエアベストの着用法などの安全デ
モンストレーションもアニメになっており、イメージキャラクターがか
わいらしくて見とれた。
それにしても、たった二年のうちに、空の旅もずいぶんとハイテクに
なったものである。とにかくこれまで格安チケットばかりを買ってきた
身には、民間航空機のゴージャスさにはびっくりするやら驚かされるや
ら、たまにはこんな贅沢も悪くないなと、王様気分であった。

                               

そういえば、チケットの体裁も以前とはずいぶん変わってしまったも
のである。カルカッタのエージェンシーでA4判の紙切れ三枚を渡され
たときはハー?という感じで。いわゆるeチケット、というやつで、こ
んな紙でいいのかとつい心配になったものだ。今までの細長い券だと、
ウエストバッグにも納めやすいのだが、丸めて入れたりして取り扱いに
困った。

          

白ワインを飲みながらのおいしい機内食が終わった後は、ワインをお代
わりしてフリーのピーナッツをつまみに洋画「マディソン郡の橋」を鑑
賞。赤ワイン党の夫はレミーマータンとちゃんぽんでがぶ飲み、すっか
り酩酊した風情。

               

快適な二時間余はあっというまに過ぎ、飛行機は無事バンコック新空港
に到着した。
この新しい空港は前回も利用したのだが、やたらだだっ広くて勝手がわ
からず、手押し車を押して「ビザ・オン・アライバル」の表示求めてひ
たすら通路を進む。

                     

いつもインド人旅行者がごった返しているはずのカウンターはがら空き
だった。帰りの期日が8月13日となっていたため、15日以内という係員
と揉めたが、酔っ払ってろれつの回らない夫に代わって私がしゃしゃり
出、紙の一点を指差し、ほらここに7月13日とあるでしょと、強調し
た。ほんとかと念を押されたが、もちろんといけしゃあしゃあと私、あ
とはものの数分でとれた。カルカッタのエージェンシーで私もついうっ
かり間違えて抗議したこの期日、コンファームドデイトとのことで、下
の欄に8月13日とあるのが実はフライト期日なのである。とっさの機転
が役立ったわけで、とってつけたように、そういえば、7月13日だっ
たっけと、ついうっかり間違えた風を装って訂正する酔っ払い夫に、い
いからあんたは黙っててとこづいて引っ張っていった(いずれにしろ、
インド国籍パスポートはこんなとき本当に不便、ほとんどの国とビザ協
定を結んでいないこともあって、どこに行くにもビザが要るのである)。
すっかり酔いの回ってる夫は、神妙に順番を待っていた同国人男性の肩
をグッドラックとでもいわんばかりに揶揄じみた嘲笑とともにぽんと叩
くと、千鳥足で出口に向かった(あとで夫に聞いたら、この間のことは
ほとんど覚えてなかったそうで、ほんと私が機転を回さなければ危うく
ビザはとれないところであった)。

                           

<つづく>

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帰国ルポ2/地獄の関門通過(カルカッタ)

2008-08-23 21:18:05 | 
さて、翌朝いよいよ出発、タクシーでダムダムエアポート(写真)へと
向かった。
車中の一時間、何も言わずとも、夫と私の間に漂うそこはかとない緊張
感、二人ともが今回はイミグレを通過できるだろうかとひそかに憂慮し
ていたのだ。何せ、前回は私のノーオブジェクション・サーティフィ
ケートの有効期限切れを理由にパスならず、改めてカルカッタの外国人
事務所で取り直したいきさつがあったのだ。翌日、今度こそと意気込ん
で発った私たちを待ち構えていたのはあにはからんや同じ運命、今度は
夫の方が引っかかってしまった。タイにおける不就労認可のスタンプが
ないとの理由で、またしても飛行機に乗せてもらえず仕舞い。度重なる
悪運にほとんど絶望的になっていた三日目、ようやくパスかなったとい
う苦い経緯があったのだ。

                     

何も知らない傍らの息子は、ワクワクとこれからの旅に期待躍らせてい
る。

     

ジェットエアのカウンターに向かい、チェックイン手続きを済ませる。
折柄の原油高騰で旅行者が急減しているせいか、がら空き。さすが、民
間航空機だけあって、「グッモーニング、マ-ム」とブルーのキャップ
・制服に身を包んだ若いスタッフまでもがいっせいににこやかに挨拶す
る念の入れよう、まことインドじゃないみたいな、政府お抱えの無愛想
なインディアンエアとは大違い。さすが高いだけのことはあるわいと
びっくりするやら新鮮に思うやら、いい気持ちで中に入っていく。

                            

さあ、いよいよ地獄の関門だ。
日本人である私と息子は夫と離れて、別のカウンターへ向かわされた。
何か起こったとき私一人じゃ対処するのに不安だがしょうがない。案の
定、息子の書類が引っかかった。不安げに見守る私はつい、母が高齢な
ので孫息子をどうしても会わせたいとオフィサーの同情を引く手段に訴
えた。善良そうに見える彼は「ドントゥ・ワーリー、アイ・ウィル・パ
ス・ユー」と漏らし、この一言で私は今回は通してもらえそうだとのな
にがしかの確信を得た。左隣のカウンターに進んだ夫が脇から口出しし
説明し始める。とにかく、このことを予想して、十日あまりもロスして
完璧に書類作成したのである、ホームミニストリーからの認可をもらっ
ているのだから、イミグレだってとやかく言えるはずないのだ。が、前
回二日連続飛行機に乗せてもらえなかった経緯があるので、いやがおう
にも緊張してしまう。オフィサーは一通り夫からの説明を聞いた後、別
のカウンターに座っている同僚に書類を持っていった。

            

位が上と思われるこのオフィサー、厳かにチェックした後で、「バッツ
・ユー・ハフ・トゥー・テイク・ヒズ・ビザ・アゲイン・イン・ジャパ
ン」とのたもうた。喜び勇んで、「シュア」と私。というわけで、案ず
るより産むが易し、今回はいいオフィサーに恵まれたようで、予想外に
短時間で通してもらえた。恒例のバクシーシーは夫の係りともど二人
分、一人頭百ルピーとしっかりとられたが、過去二千ルピーとられたこ
とのある私たちにはお安いものだった。

<つづく>
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帰国ルポ1/とんだ前騒動

2008-08-22 23:54:16 | 私・家族・我が安宿
今回の子連れ帰国は、息子のビザ関係の書類が間際まで降りるかどうか
わからず、大変やきもきさせられた。
日本国籍を所持する息子はインドで勉学中のこともあって、この五年間
母国に帰る機会はなかったため、ビザ延長は現地でするしかなかったの
だが、これが、南インドのカレッジに通っているとの理由でなかなか降
りなかったのだ。バンガロールでとれとのにべもない外国人登録事務所
に何とか頼み込んでやっと降りるめどがついたのが、息子が五年ぶりの
日本行きを楽しみに帰郷した直前。

                       

父に伴われて州都のオフィスまで出向き、出してもらえる確約が取れた
ときはほっとしたが、約束の期日を過ぎても書類がプリー支所に送られ
てくることはなかった。そうするうちにも、日にちだけがどんどんむな
しく過ぎていった。私は、リビングの床に置き放したトランクに半分だ
け詰めた衣類を見ながら、いらいら。正規の休暇は三十日と短いので、
二週間自主休講させることにしたのだが、その貴重な日数がいやおうな
い待機でつぶされていく(いずれにしろ、ひと月で帰国日程をこなすこ
とは到底無理なので、二週間自主休講させるつもりでいたが、あまりに
長く休むと単位取得に差しさわりがあるというので、苦肉の策としてメ
ディカルサーティフィケーションをとって備えた。病気が理由の長い欠
席ということにしたのである。遊ぶことになると、頭がよく回る夫が思
いついたアイディアだった)。

               

今回はもう家族で帰るのは無理かとほとんどあきらめかけたころ、やっ
と書類が回ってきた。ビザが届いた後は、ノーオブジェクション・サー
ティフィケートといって、出国に反対しない旨の証明書をとらねばなら
ないのだが、警察監督官(SP)が山車祭りを間近に控え超多忙とのこ
とで、すぐにサインしてくれるや否や、はらはらのし通し。

                             

やっと手元に待ち焦がれた紙が来たのが、7月2日だった。一国の猶予
もならないので、翌日即刻発つことになった。悪いときには悪いことが
重なるもので、オリッサ州は大洪水に見舞われ、鉄路が遮断され、列車
は全部キャンセル状態、飛行機もとれず、やむをえず夜行バスでカル
カッタへ。

        

山車祭で超混雑する直前に、どうにか当地を脱出できたわけで、ここに
いたるまでの親の苦労たるや、私など、荷造り疲れも手伝ってもう疲労
困憊だった。
ほかの国々ではどうなってるのか知らないが、インドの官僚機構はほん
とやっかいで、とにかくのろいし、書類はなかなか降ろしてくれない
わ、自国に帰るのにこんなに苦労しなければならないなんて、ほんと理
不尽で、しかも、申請代は超高値、ワイロもふんだくられて、こんちく
しょうメと悪態つきたくなるくらい(これに懲りて、私自身は前回帰国
したとき、日本で五年のマルチビザをとっていたため、母の自分に限っ
ていえば出国にまったく問題なかったのだが)。

                       

さて、初めて乗ったカルカッタ行き夜行バス(当地の西海岸から出発)
は、冷房つきのデラックス版だけあって、予想外に快適だった。ただ
し、お値段のほうも、二等寝台の二倍以上の700ルピー。昔はインドで
はバスはおんぼろと相場が決まっていたが、最近は新車も走るように
なり、わりと新しめの内装でリクライニングシートも効いている(さす
がにトイレはないが)。ミネラルウオーターのボトルに、ビスケットそ
の他のスナック類まで付いて至れり尽くせり。午後十時半、夕食休憩で
下車、終了後、さて座席を倒して寝ようかと就寝体制に入ったところ、
突如大音響のミュージック。インドの常、である。インド人は音楽好き
だからしょうがないとあきらめてじっと我慢の子、ところがこれがいつ
までたっても止まない。もう12時近くなってるのに、誰か苦情を申し立
てる者はいないのか。

            

朝になってわかったことだが、息子が何度も不平を漏らしにいったと
か。にもかかわらず、音楽好きのドライバーがいっこうに止めず、平然
と鳴らしつづけていたようだ、まこと乗務員にあるまじき迷惑行為であ
る(まあ、インドは常識が通用しない世界なのだが)。おかげで、私も
息子も寝不足。快適と最初は喜んだ夜行バス、一転して地獄になってし
まった(ああ、それにしてもなんたる寛容なインド人たちよ、私はその
実乗客の半分はガンガン鳴る音楽を楽しんでいたのではないかと疑って
いるのだが)。

        

午後6時半に出発したバスは12時間後、予定通り、カルカッタのエスプ
ラネードに到着。途上の道が洪水の影響で遮断されており、20時間以上
かかるとのうわさも流れていたので懸念していたが、無事着いて一息。

                      

サダルストリートの常宿、ホテルマリアが満室で隣のパラゴンに久々に
チェックイン、朝食&シャワー後、トリガンジにある日本国総領事館に
夫同伴で向かう。今回はあらかじめ、外務省のネットでダウンロードし
ておいた書類を送付済みだったので、当日即座に出してもらえスムーズ
この上なかった(インドのお役所と大違い)。

                 

翌日のバンコック行き航空券も、すでに、おなじみのエージェンシー、
スタートラベルで買ってもらっていたため、予定より十日遅れたもの
の、やっと旅立ちの体制が整った。折しも、原油高騰で民間航空会社・
ジェットエアウエイのチケットのお値段は14000ルピーと超高値。

                            

去年の一番安いころは7000ルピーだったというから、ゆうに二倍であ
る。この高い航空券を三枚分買わなければならないのだから、痛い。
エアインディアエックスプレスが一番安いとのことだったが、週三便し
か出ておらず、日程が合わなかった。とにかく息子の休みが短いのだか
ら、一日でも惜しい、涙を呑んで、高いチケットを買うしかなかったの
だ。

    

それにしても、今回は家族で帰りたさに息子の長めの休暇をひたすら待
ちわびている二年間に、周りの状況ががらりと変わってしまい、おおい
に面食らわされた。原油高騰下いつも利用していた格安ビーマン航空は
廃便となっており、新規参入の民間航空機を利用するしかなかったので
ある。やはり、理想的には年に一度帰っておきたいものだなと、しみじ
み思い入ったことだった。

<つづく>


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戻ってきました!

2008-08-19 00:58:33 | 私・家族・我が安宿
永らくご無沙汰いたしました。

バンコック経由で日本に入り、金沢・福井(郷里)、京都と周遊した
後、東京に二週間滞在、帰途タイの島や山を満喫した四十日後に、居住
地のプリーに無事戻ってまいりました。
二日後息子を大学のあるバンガロールへと送り出し、やれやれと一息つ
いているところです。

今回の旅では、三十年ぶりに再訪した京都がダントツでした。ディズ
ニーシーパークもミッキー&ミニーマウスの盆踊りが超盛り上がってよ
かったし、あと、タイではチェンマイがのんびりできてよかったです。

息子の一番はナンユアン島、シュノーケリングをやりすぎて、耳が痛く
なってしまったほど。水面下に泳ぐカラフルな魚たちが肉眼でも見える
くらいの海の透明度。ケーキのくずを撒くと寄り集まってくるんです。
えさと間違えて肉を噛んだりするので、こっちはあいたた、でもかわい
い! こらこら噛むんじゃないよ、なんて。

とにかくご報告することがたくさんありすぎて、どれからお話ししたも
のやら。折を見て、少しずつ披露していきますね。
旅好きのあなたは乞うご期待!
四十日間の中身の濃い楽しいトラベル情報満載です。

PS/更新されるのを楽しみにしてますとの読者の方々のメール、うれ
しかったです。長い間、お待たせしてしまって申し訳ありませんでし
た。
まだ時差ボケで頭はボワンとしてるけど、そろそろフル回転、前のペー
スに戻さなくてはと思っています。

今後とも引き続き拙ブログ、ご愛読のほどくれぐれもよろしくお願い申
し上げます。

ちなみに私は、昨日から今日にかけて、二十通も礼状を書いておりまし
た(ああ、疲れた!)。
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