福井市足羽川の2.2キロと日本一長い桜並木
4月13日、京都と奈良の桜を堪能した後、午後6時半の特急雷鳥で郷里福井に向かった。東口の
エコノ福井駅前に前もって予約してあったので直行、このホテルは午後八時以降にチェックインすると、一泊3500円とお得になるのだ。こぎれいなビジネスホテルで、朝食・ネットフリー、コーヒー&ティー、お茶も飲み放題、格安の割りに快適なホテルである。
翌朝はバイキング和食でしっかり腹ごしらえした後、ホテルから徒歩数分の福井城址のお堀端に出て、桜並木を見物、堀水を囲むように植わった桜は満開に咲き誇り、可憐なピンクの花がびっしりついた枝を水面にふれなんばかりにしなだらさせていた。浅い翡翠色のたまり水に落花が散り敷いて、桜色のまだら模様を作っているのが麗しかった。ぐるりと回りこんで、通りを渡り、福井神社に参拝、境内の桜の大木も満開に咲き誇っていた。
4月初旬に上梓した単行本
「車の荒木鬼」(モハンティ三智江、ブイツーソリューション刊、1260円)の取材が入っていたので、午後一時、駅前の日刊県民福井本社ビルに向かった。編集委員という私よりやや年配の記者さんは思いがけず、高校の先輩で、リラックスしてインタビューを受けることができた。写真を撮られるときだけ、さすがに緊張したが、歓談の後辞する。四時からも、福井一の発行部数四十万部を誇る福井新聞の取材申し込みが入っていたので、駅前のミスタードーナツ前で弟に車で拾ってもらい、わが荒木家の同族会社、中新田町の福井モータースへと向かった。今度の本の主人公は、福井モータース創業者、わが亡父荒木重男なので、本社に来てもらってインタビューを受けることにしたのだ。二十代後半の若い記者さんで、二時間半余りもかけて丁寧に取材された。写真も澄ました顔より、自然に話している風がいいというので、ご指示にのっとってしゃべりポーズ、何度も撮られた。気持ちのいい青年で、お話が弾んだ。
同夜、高校時代のクラスメートKと3年ぶりに再会、忙しい中時間を作ってくれたのだ。きょうやというおそばやさんで、福井名物おろしそばとてんぷらをご馳走になる。私だけ、おいしい福井の地酒(黒龍)まで飲んでしまった。食後、夜桜ドライヴ。駅周辺を一周してもらう。車窓越しに見た足羽山の夜桜もきれいだったが、お堀端の堤の上に咲き誇っていた白い桜が、車を降りてじかに見ただけに、大ぶりの花弁を隙なくびっしりつけて、見上げるとぼんぼりのような花がなだれ落ちてきそうな見事さで、息を呑んだ。京都二条城の夜桜に優らずとも劣らずの見事さだった。
翌日は、また弟に迎えに来てもらって、足羽山の中腹にある荒木家先祖の墓参り、仏花を供え、インドの線香を焚いて、福井の銘酒一本義で洗った墓石の前にビニール袋入り本をささげて合掌、帰途は車窓から見える山桜を愛でながら、老母のもとへ向かった。81歳と高齢だが、しわもあまりなく、腰も曲がっておらず、かくしゃくたるもの。それに今でもとてもおしゃれ。インドの手土産、ショールを渡すと、とても喜んでくれた。
今夜は文殊山のふもとの旧家、叔父宅に一泊させてもらうことになっていた。叔父(福井モータース前経理・総務部長取締役、現在非常勤)は、素封家、藤田の母屋に婿入り養子したのである(かの直木賞作家の藤田宜永氏は分家だ)。車で送ってもらう夕刻まで時間があるので、この間を利用しての桜観光、弟特選の丸岡城に行ってもらった。ついでに、ここでおろしそば&ソースカツどんセットの遅い昼食もとった。弟は仕事があるので、いったん社に戻り、私一人で観光。柴田勝豊(勝家の甥)が天正四年(西暦1576年)、北ノ庄城(福井)の支城として築城した丸岡城は初めて観たが、よかった。桜は小ぶりだが、お城とのコンビが絶妙だ。別名霞ヶ城とあるごとく、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しく、屋根が珍しい石瓦でふかれ、現存するお城中最古の天守閣といわれている。領主の居館としての機能をもった望楼式天守で、日本のさくら名所百選にも認定された400本のソメイヨシノが古城に綾な彩りを添えていた。
現今の形は、昭和23年の福井震災で倒壊後復元されたものだが、石垣はそのまま用いられ、国の重要文化財に指定されているだけあって、一見の価値はあるものだ。大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた二重三層の古式の外観は、いかにも最古の天守閣に似つかわしい。300円入場料を払って、てっぺんまでのぼった。階段が急で、垂れている縄に捕まって恐る恐るのぼったが、窓から見下ろす桜は優雅に枝を伸ばして晴れ渡った蒼穹を薄紅いの花叢で彩っていた。全国のお城の写真が鴨居にぐるりと立てかけてあるのも興味深かった。平地の庭園内にある博物館にも寄ったが、よろいや刀などの武器が展示されており、興をそそった。
六時前弟が下の食堂兼みやげ物屋に来てくれて、叔父宅まで送ってくれた。由緒ある旧家は戦災に遭わなかっただけに、蔵や、古めかしい造りがいまだに残っており、家内は骨董品まがいの家具や書画、花瓶などの宝庫だ。純金尽くしの大仏壇も見事。ここだけ改造したというピアノのあるモダンな応接間に通されて、藤田家当主、私よりいくつか年上だが外見が若々しい奥様にウエルカムフードとしていちごに練りミルクをかけたものをご馳走になった。いちごだけはインドで手に入らないだけに、舌鼓を打って平らげた。ソファー正面のガラス戸からは、咲き残った桜が見渡せて、風流だった。その夜は奥さんと娘さんの手料理をご馳走になった後、主に私の本の話題を中心に夜中の一時まで話し込んだ。うちの息子より一歳年下のお坊ちゃんも勤務先から戻ってきて、挨拶の顔見せをしてくれた。
翌朝は法事に、寮町にある菩提寺、勝縁寺へ向かった。亡父の32回忌だが、ちょうど会社の60周年記念と併せて、33回忌を待たずに、早めに執り行うことにしたのだ。拙著
「車の荒木鬼」出版も、この行事に間に合わせてのことだった。
厳かな本堂で本を仏前にささげてのお経を唱えてもらい、一人ずつ焼香した。姉弟四人がそろったのは、何十年ぶりだろう。とどこおりなく式が済んだ後は、外に出て菩提寺を背景に記念撮影、会席に福井モータース近くのきく寿司へ車に分乗して向かった。
刺身や焼き魚、煮物、最後に大桶のにぎりに舌鼓を打ちながら、無事法事を終えた後の親族同士の話が弾んだ。話題は拙著のことに及び、過日福井のメイン二紙から取材を受けたことを告げると、みな誇らしげだった。
翌日は観光。自分が生まれ育った土地を周遊するというのも不思議なもんだが、桜の名所を観て回った。足羽河畔の桜並木は、日本一長いことで有名なのだ。「桜の名所100選」にも選ばれた日本一のスケールと言われる約600本・のべ2.2kmもの桜並木があり、ピンク色の壮大なトンネルくぐりが楽しめる。
NHKの大河ドラマ「江(ごう)ー姫たちの戦国」の、お江ゆかりの北の床城址・柴田神社も参拝した。お江の義父にあたる柴田勝家を祀った神社で、いかにも猛将といった感じの豪壮な勝家像のほかに、妻お市の方と江や茶々、初の三姉妹の母娘像が微笑ましかった。往時の半石半木の奇橋、ここから三つ目の足羽川にかかる九十九橋の原型のモデルもあった。そこから、佐佳枝廼社(さかえのやしろ)、神明神社にもお参り、棒のようになった足を引きずって、エコノ福井駅前に預かってもらった荷物をピックアップ、福井から一時間ちょっとの金沢へと快速列車で向かった。いよいよお気に入りの金沢だ。北陸の小京都の桜はいかにと心がはやったが、日の落ちた時刻に電車に乗り込むころには小雨が降り出していた。
<5に続く>