インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

ビティカ先生との予期せぬ別れ

2006-05-25 18:24:05 | ヨガ・スピリチュアル
<5月1*日>
今日は、元ヨガインストラクター青年、ガーネシュがパンジャブ州のパティアラの
NS(国立体育)大学・ヨガ科の開催する短期コース(45日間)を受講するために、
現地へと発つ日。
このひと月間、高血圧気味のインド人夫に週3回のヨガレッスンを特別に授けても
らっていたせいもあって、センターの教室で習っていたころよりずっと親しくなっ
ていた私は、早速駅まで見送りに駆けつけた。
                      
                          

すでにアシュラムのメンバーなど5、6人が駆けつけており、ガーネシュのヨガメイ
トであるビティカ先生(写真)も、ミーティングがあって行けないと言っていたにも
かかわらず、列車が遅れた(インドの常)ことが幸いしてぎりぎり間に合った。

普段は厳しいインストラクターの彼女の素顔は涙もろくて、香港から一時帰国したグ
ル(同国でヨガ教師として活躍中で、近々日本にも派遣される予定とか)を見送る
ときも泣き出してしまったほどだが、餞別にチョコバーを渡しながら、もう目はう
るうる。
                  

実は彼女もパティアラに行く予定だったのだが、招へいの手紙が来ず、断念せざるを
えなかったのだ。
同じ7歳のときから師についてヨガを習った幼なじみでもある二人は、いい意味で
のライバル同士でもあり(技術は女のビティカの方がやや上)、やれ、競技会だと
いってはともにあちこち駆けずり回っている間柄。今回もコンビで行くはずだった
のが、結局単身となってしまいガネーシュもちとさびしそう。

                               

それはさておき、ガネーシュが不在中は、アシュラムメイトのサダが代わりに我が亭
主殿にレッスンを授けてくれることになった。


<5月1*日>
息子の12年生の最終テストの結果が明らかになる。ネットで発表されるという便利な
時代で、点数をプリントアウトしたものを見せられて、私はうきうき。 日ごろクラス
で真ん中あたりをうろうろしていただけにまったく期待してなかったのだが、大学入
学を左右する大事な試験ということでさすがにがんばったらしく、クラスで4番の好
成績。ワーイ

うちの子だって、やればできるんだと見直した思い。この点数なら、バンガロールの
大学入学もたやすいかもしれないと、うれしくなってくる。
後日、ダージリンへ卒業証書と成績表を引き上げに発った息子は、ネットで発表さ
れた先般行われたプーナのエンジニア大学の受験結果について知らせてきたが、案
の定×だった。46名の定員のところ、インド全土の試験センターに6000名以上押し
かけたたといわれていたから、こりゃだめだわいとはなからあきらめていたので、
深い落胆はなかったが。ということで、今後の的はインドのシリコンバレーとして
名高いIT都市、バンガロール一本に絞られることになったようだ。


<5月1*日>
事態は急転回、ビティカ先生が突然、パティアラに発つことになった。すでに現地に
たどりついたガネーシュから電話があり、なぜ彼女は来ないんだと大学関係者から問
いつめられたらしい。選考過程では一番だったにもかかわらず、どうやら手違いで手
紙が届かなかったようだ。

だいぶ前から辞職勧告されていた私はすでにその覚悟が出来ていたこともあり、さほ
どショックは受けなかったが、あまりにも突然に決まった旅立ちであった。
               
                          

翌夜行で発つという彼女の見送りにまたしても駅に駆けつける羽目に。が、うっかり
コーチナンバーを聞くのを忘れたため、不運にも当人を見つけることができず、時間
切れでついにホームをすべり出した列車を落胆の呈で見守るしかなかった。

もしかしてまだプリーにいるんじゃないかとのかすかな期待を胸に、翌日センターに
行くと、意に反してやはり不在だった。
この8ヶ月半週6日という強行レッスンによほどのことがなければ休まず通い続けたの
は、ひとえに信頼できる彼女の指導あってのこと。
慣れ親しんだ号令がかけられることのない空虚感にひしひしとさびしさを覚えなが
ら、一人で黙々とレッスンを済ませた。

新しいインストラクターはセラピー専門の30代の男性、ビショルチャと、体操指導の
若い青年、マノジ。
事後、二年近くわずらっているアレルギーの症状について相談したが、ビティカにア
ドバイスされた以上のものはなく、やや失望。技術ひとつとっても、この田舎町・プ
リーでは、グルを除いて彼女以上のインストラクターが現れるとはとうてい思えず、
しおしおと帰途に着く。
                            


<5月2*>
今日は、オディッシーのダンスメートによるヒンドゥ教寺院でのランチ交歓会。
バザールのバス停からさらに東に行った郊外のこじんまりとした美しい寺院で、牛、
鹿、猿、あひるなどの動物が飼われており、敷地内には大きなひすい色の池があり、
奥に小さな公園もあるという、少女メートたちにはかっこうのピクニックスポット。

スミター先生はファンクション時とはデザインの違った、杏色の花柄の華やかなサ
リー姿で、映えた。実は私もサリーで盛装してと思ったのだが、どうも今ひとつ着付
けがうまくいかず、間際になってインドの民族服パンツスーツに変更したのだ。
20年近く当地に暮らしているにもかかわらず、サリーをまとうことがほとんどなかっ
た私には、優雅に着こなせるようになるまでまだまだ時間を要しそう。

今日の会合には家族同伴で来ている者が多く、総勢40名近くが円座になって、テンプ
ル菜食を葉っぱのお皿で堪能した。

メニューはライス、ドライダル(黄色い豆のスープを煮詰めたもの)、アルポットロ
(野菜カレー)、コターといわれるマンゴーをとろとろに煮下したもの、デザート
としてキールというごはんをミルクで甘く煮詰めたナッツ入りのスウイートと、好みの
分量だけ配られる。
初めて味わったコターがとてもおいしくて食が進んだ。

テンプルで特別に作られる食事はどこもおいしく、当地のシンボル、ジャガンナート
寺院のそれはあまりにも有名。

ハリネズミのような不思議な動物がすぐ近くにつながれており、葉っぱのお皿のご馳
走に顔を突っ込みそうになり ひと騒動。背後のあひるも催促するように、があがあが
あとやかましい。のどかな動物たちに囲まれての楽しいランチ会だった。

                      

ヨガセンターでも以前、別の寺院でランチパーティーを催したことがあり、テンプ
ルフードを会食にピクニック紛いの集いが催されるのは現地の慣習でもあるらし
い。

普段は胃弱で刺激の強い本場カレーは敬遠している私も、テンプル菜食ならスパイ
スもマイルドでおいしいので、こんな集会ならいつでも大歓迎

コメント (12)
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わくわくメヘンディ体験

2006-05-11 20:50:48 | 生活・慣習
<5月*日>
今日はヨガレッスンのあとで、ビティカ先生にメヘンディを左掌に描いてもらった。
メヘンディとは、女性が結婚をはじめとするめでたい催し時、両手足・下腕にヘン
ナの染色剤で描かれる美しい文様のこと。ヘンナとは植物の名前で、古来髪を染め
る材料として用いられてきたことで有名。
インドに20年近く暮らしながらメヘンディは初体験という私は、年甲斐もなくわくわ
く。
                     

ビティカは円錐形の容器からチューブ状にしぼりだしたえび茶色の流動状のもの
を、器用に私の掌をキャンバスに美しい文様をなぞっていく。サリーのデザインにも
よく見かけるクラシックな勾玉状のものが染め上げられたあとは、指の一本一本に
も、葉っぱ状のデザインが描かれ、掌の次は甲で、人差し指から手首にかけて繊細な
フリルのような文様を一筆描きにされた。一部始終を興味しんしんに見守っていた私
は古典的な模様の麗しさにうっとり。
                         

神様や特別なゲストを迎える際地面や床に描く曼荼羅模様、チタ(ヒンディ語では
ルポナ
)の美しさといい、ほんとインド女性は一端のアーティスト。乾くまで20分といわ
れたが、家に戻るころにはドライになっており、固まって盛り上がったヘンナをごしごし
水洗いすると、あれあれ不思議、オレンジ色の文様がくっきりと浮き彫りになって
現れ、大感激
翌朝には色は濃いブラウンへと変色しており、そのあまりの美しさに感嘆の息がもれ
た。夫や息子はいうまでもなく、だれかれとなく見せて自慢。

夕方教室に行くと、昨日いっしょにメヘンディを描いてもらったジムトレーナーの
ギータの掌には、モダンなハート型のデザインがくっきり浮き出ていた。見せ合っ
て、改めて、ビティカのアーティストとしての腕前を絶賛。

<5月*日>
日中は蒸し暑かったのに、12時近い真夜中になって、突如強風が吹き荒れ、雷雨に
見舞われ、お定まりの停電。
この5月の嵐は、「カーラー・バイシャーキー」と呼ばれ、今の時季に特有のもの。
ちょうど暑い盛りなので、気温が下がり、願ってもないが、ストームは以後三晩も吹
き荒れ、さすがにびっくり。
                       

長年ベンガル湾沿いの聖地に暮らして気づいたのは、季節の変わり目には必ず強風が
吹き荒れ、雨に見舞われるということ。海がそばで比較的マイルドなプリーの気候は
大別すると、3~5月の夏季(乾季)、6~9月の雨季、10月の短い秋、11~2月の冬
季、3月の短い春に分かれる。
冬季といっても、日本の春から初夏にかけての暑くも寒くもない好天で、旅行者に
とってもベストシーズン。ベンガル湾が一番美しく見える時節で、日ごろの荒波が穏
やかに引き潮気味となって、波打ち際が水の下から広範囲に現れて、平らになめされ
た砂地に落日がくっきり映し出され、見事。

海好きの私にとって徒歩数分の近さにベンガル湾があるのは願ってもないが、反面、
海洋性気候の常で低気圧が発達し、サイクロンに襲われることもたびたび。湿気がす
ごいことはいうまでもなく、鉄製のものはすぐ錆びてしまう。

それにしても、このたびの小嵐は、例年末ごろに訪れるお湿り一番の前兆にしては
少し早すぎるという感じだけど

<5月*日>
インドに暮らしながら、私の日常食はカレーでなく、日本食紛い。大根が出回る冬季
の間は、じゃがいも、にんじん、いんげんと混ぜて日本しょうゆで煮詰めた煮物を
自炊、ひと鍋分の作り置きが季節的に不可能になった現夏季は、コロッケ、ほうれ
んそうのお浸し、おかかごはん、サラダの菜食中心のシンプルメニュー。

ほうれんそうは、日本のものとちがって葉がこぶりで、野菜売りのおばさんはほかの
葉を混ぜてごまかすので、洗うとき取り除けるのが大変。とくに香りの強いものが混
じっていると、せっかくのお浸しが台無しになってしまう。ごはんやダル豆もそう
なのだが、ときどき砂利が入っているので、噛んでるとき歯にあたったりすると不
快この上ない。

サラダには、ヨガキャンプで出されたムングという小さなもやしに似た豆(英語名グ
ラム/エジプト豆)がおいしかったので、以後トマト・きゅうり・オニオンの酢サラ
ダに混ぜている。ムングはヘルシーフードで健康にとてもよいらしい。

胃が元々丈夫でなく、ノンスパイス、減塩・油と食事制限している私には願ってもな
い素材。

さて、下記に我が三食、定番メニューを掲げてみると。

                         

朝食/軽いヨガ体操と呼吸法を済ませた後の朝一番の飲み物は、ティースプーン1の
蜂蜜を舐めながらライムジュースを一気に一杯。
メインは、
バナナ・マンゴー入りのドヒ(ヨーグルト)
もしくは、
バターなしのシンプルなトーストしただけのバーガーに似た丸パン(当地ではバンが
通称)
ほかに、ナッツとレーズンを1~2粒、アユール・ヴェーダー(インド古来の自然療
法)製のヘルシー食品・各種ハーブ入り黒ジャム状の・チャヤワンプラシュ小さじ
大盛り一杯、トゥルシー(めぼうき、インドでは聖なる植物で、薫り高くはっかの味が
する。自然の抗生物質の役目を果たす)の葉を自前で煎じたもの小さじ一杯

昼食/コロッケ(インドではカツレツといってスナックとしてポピュラ
ー)、ほうれんそうのお浸し、おかかごはん、ムング入り野菜サラダ(冬季は煮
物、ほうれんそうのお浸し、シンプルなマヨネーズ付きのきゅうりとトマトのサラ
ダ)時たまおにぎり・味噌汁に変えることもあり、菜食中心とはいいつつも、小魚
の揚げたものや、小エビとトマトの炒め物が食卓に載ることもある

夕食/冷麺(麺は現地製で代用、つゆは日本しょうゆとだしの素、砂糖を混ぜて水で
薄め、にんにく、小玉ねぎ、しょうがの刻んだのを薬味代わりに混ぜる)
もしくは、
チーズトースト(冬季は味噌おじや)
食後のデザートとして、すいかかマンゴー、バナナ(冬季はりんごかオレンジ)

といたってシンプルな粗食。

基本は、野菜とフルーツをたくさんとることと、水分を大量に摂取すること。日本に
いるときは、あまり水を飲まなかったのだが、亜熱帯地では必須。体内や血液を浄化
してくれる効果もあるし、脱水症状を起こしやすい夏季はとくに最低2リットルはと
る必要がある。

                              
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