<5月1*日>
今日は、元ヨガインストラクター青年、ガーネシュがパンジャブ州のパティアラの
NS(国立体育)大学・ヨガ科の開催する短期コース(45日間)を受講するために、
現地へと発つ日。
このひと月間、高血圧気味のインド人夫に週3回のヨガレッスンを特別に授けても
らっていたせいもあって、センターの教室で習っていたころよりずっと親しくなっ
ていた私は、早速駅まで見送りに駆けつけた。
すでにアシュラムのメンバーなど5、6人が駆けつけており、ガーネシュのヨガメイ
トであるビティカ先生(写真)も、ミーティングがあって行けないと言っていたにも
かかわらず、列車が遅れた(インドの常)ことが幸いしてぎりぎり間に合った。
普段は厳しいインストラクターの彼女の素顔は涙もろくて、香港から一時帰国したグ
ル(同国でヨガ教師として活躍中で、近々日本にも派遣される予定とか)を見送る
ときも泣き出してしまったほどだが、餞別にチョコバーを渡しながら、もう目はう
るうる。
実は彼女もパティアラに行く予定だったのだが、招へいの手紙が来ず、断念せざるを
えなかったのだ。
同じ7歳のときから師についてヨガを習った幼なじみでもある二人は、いい意味で
のライバル同士でもあり(技術は女のビティカの方がやや上)、やれ、競技会だと
いってはともにあちこち駆けずり回っている間柄。今回もコンビで行くはずだった
のが、結局単身となってしまいガネーシュもちとさびしそう。
それはさておき、ガネーシュが不在中は、アシュラムメイトのサダが代わりに我が亭
主殿にレッスンを授けてくれることになった。
<5月1*日>
息子の12年生の最終テストの結果が明らかになる。ネットで発表されるという便利な
時代で、点数をプリントアウトしたものを見せられて、私はうきうき。 日ごろクラス
で真ん中あたりをうろうろしていただけにまったく期待してなかったのだが、大学入
学を左右する大事な試験ということでさすがにがんばったらしく、クラスで4番の好
成績。ワーイ
うちの子だって、やればできるんだと見直した思い。この点数なら、バンガロールの
大学入学もたやすいかもしれないと、うれしくなってくる。
後日、ダージリンへ卒業証書と成績表を引き上げに発った息子は、ネットで発表さ
れた先般行われたプーナのエンジニア大学の受験結果について知らせてきたが、案
の定×だった。46名の定員のところ、インド全土の試験センターに6000名以上押し
かけたたといわれていたから、こりゃだめだわいとはなからあきらめていたので、
深い落胆はなかったが。ということで、今後の的はインドのシリコンバレーとして
名高いIT都市、バンガロール一本に絞られることになったようだ。
<5月1*日>
事態は急転回、ビティカ先生が突然、パティアラに発つことになった。すでに現地に
たどりついたガネーシュから電話があり、なぜ彼女は来ないんだと大学関係者から問
いつめられたらしい。選考過程では一番だったにもかかわらず、どうやら手違いで手
紙が届かなかったようだ。
だいぶ前から辞職勧告されていた私はすでにその覚悟が出来ていたこともあり、さほ
どショックは受けなかったが、あまりにも突然に決まった旅立ちであった。
翌夜行で発つという彼女の見送りにまたしても駅に駆けつける羽目に。が、うっかり
コーチナンバーを聞くのを忘れたため、不運にも当人を見つけることができず、時間
切れでついにホームをすべり出した列車を落胆の呈で見守るしかなかった。
もしかしてまだプリーにいるんじゃないかとのかすかな期待を胸に、翌日センターに
行くと、意に反してやはり不在だった。
この8ヶ月半週6日という強行レッスンによほどのことがなければ休まず通い続けたの
は、ひとえに信頼できる彼女の指導あってのこと。
慣れ親しんだ号令がかけられることのない空虚感にひしひしとさびしさを覚えなが
ら、一人で黙々とレッスンを済ませた。
新しいインストラクターはセラピー専門の30代の男性、ビショルチャと、体操指導の
若い青年、マノジ。
事後、二年近くわずらっているアレルギーの症状について相談したが、ビティカにア
ドバイスされた以上のものはなく、やや失望。技術ひとつとっても、この田舎町・プ
リーでは、グルを除いて彼女以上のインストラクターが現れるとはとうてい思えず、
しおしおと帰途に着く。
<5月2*>
今日は、オディッシーのダンスメートによるヒンドゥ教寺院でのランチ交歓会。
バザールのバス停からさらに東に行った郊外のこじんまりとした美しい寺院で、牛、
鹿、猿、あひるなどの動物が飼われており、敷地内には大きなひすい色の池があり、
奥に小さな公園もあるという、少女メートたちにはかっこうのピクニックスポット。
スミター先生はファンクション時とはデザインの違った、杏色の花柄の華やかなサ
リー姿で、映えた。実は私もサリーで盛装してと思ったのだが、どうも今ひとつ着付
けがうまくいかず、間際になってインドの民族服パンツスーツに変更したのだ。
20年近く当地に暮らしているにもかかわらず、サリーをまとうことがほとんどなかっ
た私には、優雅に着こなせるようになるまでまだまだ時間を要しそう。
今日の会合には家族同伴で来ている者が多く、総勢40名近くが円座になって、テンプ
ル菜食を葉っぱのお皿で堪能した。
メニューはライス、ドライダル(黄色い豆のスープを煮詰めたもの)、アルポットロ
(野菜カレー)、コターといわれるマンゴーをとろとろに煮下したもの、デザート
としてキールというごはんをミルクで甘く煮詰めたナッツ入りのスウイートと、好みの
分量だけ配られる。
初めて味わったコターがとてもおいしくて食が進んだ。
テンプルで特別に作られる食事はどこもおいしく、当地のシンボル、ジャガンナート
寺院のそれはあまりにも有名。
ハリネズミのような不思議な動物がすぐ近くにつながれており、葉っぱのお皿のご馳
走に顔を突っ込みそうになり ひと騒動。背後のあひるも催促するように、があがあが
あとやかましい。のどかな動物たちに囲まれての楽しいランチ会だった。
ヨガセンターでも以前、別の寺院でランチパーティーを催したことがあり、テンプ
ルフードを会食にピクニック紛いの集いが催されるのは現地の慣習でもあるらし
い。
普段は胃弱で刺激の強い本場カレーは敬遠している私も、テンプル菜食ならスパイ
スもマイルドでおいしいので、こんな集会ならいつでも大歓迎
今日は、元ヨガインストラクター青年、ガーネシュがパンジャブ州のパティアラの
NS(国立体育)大学・ヨガ科の開催する短期コース(45日間)を受講するために、
現地へと発つ日。
このひと月間、高血圧気味のインド人夫に週3回のヨガレッスンを特別に授けても
らっていたせいもあって、センターの教室で習っていたころよりずっと親しくなっ
ていた私は、早速駅まで見送りに駆けつけた。
すでにアシュラムのメンバーなど5、6人が駆けつけており、ガーネシュのヨガメイ
トであるビティカ先生(写真)も、ミーティングがあって行けないと言っていたにも
かかわらず、列車が遅れた(インドの常)ことが幸いしてぎりぎり間に合った。
普段は厳しいインストラクターの彼女の素顔は涙もろくて、香港から一時帰国したグ
ル(同国でヨガ教師として活躍中で、近々日本にも派遣される予定とか)を見送る
ときも泣き出してしまったほどだが、餞別にチョコバーを渡しながら、もう目はう
るうる。
実は彼女もパティアラに行く予定だったのだが、招へいの手紙が来ず、断念せざるを
えなかったのだ。
同じ7歳のときから師についてヨガを習った幼なじみでもある二人は、いい意味で
のライバル同士でもあり(技術は女のビティカの方がやや上)、やれ、競技会だと
いってはともにあちこち駆けずり回っている間柄。今回もコンビで行くはずだった
のが、結局単身となってしまいガネーシュもちとさびしそう。
それはさておき、ガネーシュが不在中は、アシュラムメイトのサダが代わりに我が亭
主殿にレッスンを授けてくれることになった。
<5月1*日>
息子の12年生の最終テストの結果が明らかになる。ネットで発表されるという便利な
時代で、点数をプリントアウトしたものを見せられて、私はうきうき。 日ごろクラス
で真ん中あたりをうろうろしていただけにまったく期待してなかったのだが、大学入
学を左右する大事な試験ということでさすがにがんばったらしく、クラスで4番の好
成績。ワーイ
うちの子だって、やればできるんだと見直した思い。この点数なら、バンガロールの
大学入学もたやすいかもしれないと、うれしくなってくる。
後日、ダージリンへ卒業証書と成績表を引き上げに発った息子は、ネットで発表さ
れた先般行われたプーナのエンジニア大学の受験結果について知らせてきたが、案
の定×だった。46名の定員のところ、インド全土の試験センターに6000名以上押し
かけたたといわれていたから、こりゃだめだわいとはなからあきらめていたので、
深い落胆はなかったが。ということで、今後の的はインドのシリコンバレーとして
名高いIT都市、バンガロール一本に絞られることになったようだ。
<5月1*日>
事態は急転回、ビティカ先生が突然、パティアラに発つことになった。すでに現地に
たどりついたガネーシュから電話があり、なぜ彼女は来ないんだと大学関係者から問
いつめられたらしい。選考過程では一番だったにもかかわらず、どうやら手違いで手
紙が届かなかったようだ。
だいぶ前から辞職勧告されていた私はすでにその覚悟が出来ていたこともあり、さほ
どショックは受けなかったが、あまりにも突然に決まった旅立ちであった。
翌夜行で発つという彼女の見送りにまたしても駅に駆けつける羽目に。が、うっかり
コーチナンバーを聞くのを忘れたため、不運にも当人を見つけることができず、時間
切れでついにホームをすべり出した列車を落胆の呈で見守るしかなかった。
もしかしてまだプリーにいるんじゃないかとのかすかな期待を胸に、翌日センターに
行くと、意に反してやはり不在だった。
この8ヶ月半週6日という強行レッスンによほどのことがなければ休まず通い続けたの
は、ひとえに信頼できる彼女の指導あってのこと。
慣れ親しんだ号令がかけられることのない空虚感にひしひしとさびしさを覚えなが
ら、一人で黙々とレッスンを済ませた。
新しいインストラクターはセラピー専門の30代の男性、ビショルチャと、体操指導の
若い青年、マノジ。
事後、二年近くわずらっているアレルギーの症状について相談したが、ビティカにア
ドバイスされた以上のものはなく、やや失望。技術ひとつとっても、この田舎町・プ
リーでは、グルを除いて彼女以上のインストラクターが現れるとはとうてい思えず、
しおしおと帰途に着く。
<5月2*>
今日は、オディッシーのダンスメートによるヒンドゥ教寺院でのランチ交歓会。
バザールのバス停からさらに東に行った郊外のこじんまりとした美しい寺院で、牛、
鹿、猿、あひるなどの動物が飼われており、敷地内には大きなひすい色の池があり、
奥に小さな公園もあるという、少女メートたちにはかっこうのピクニックスポット。
スミター先生はファンクション時とはデザインの違った、杏色の花柄の華やかなサ
リー姿で、映えた。実は私もサリーで盛装してと思ったのだが、どうも今ひとつ着付
けがうまくいかず、間際になってインドの民族服パンツスーツに変更したのだ。
20年近く当地に暮らしているにもかかわらず、サリーをまとうことがほとんどなかっ
た私には、優雅に着こなせるようになるまでまだまだ時間を要しそう。
今日の会合には家族同伴で来ている者が多く、総勢40名近くが円座になって、テンプ
ル菜食を葉っぱのお皿で堪能した。
メニューはライス、ドライダル(黄色い豆のスープを煮詰めたもの)、アルポットロ
(野菜カレー)、コターといわれるマンゴーをとろとろに煮下したもの、デザート
としてキールというごはんをミルクで甘く煮詰めたナッツ入りのスウイートと、好みの
分量だけ配られる。
初めて味わったコターがとてもおいしくて食が進んだ。
テンプルで特別に作られる食事はどこもおいしく、当地のシンボル、ジャガンナート
寺院のそれはあまりにも有名。
ハリネズミのような不思議な動物がすぐ近くにつながれており、葉っぱのお皿のご馳
走に顔を突っ込みそうになり ひと騒動。背後のあひるも催促するように、があがあが
あとやかましい。のどかな動物たちに囲まれての楽しいランチ会だった。
ヨガセンターでも以前、別の寺院でランチパーティーを催したことがあり、テンプ
ルフードを会食にピクニック紛いの集いが催されるのは現地の慣習でもあるらし
い。
普段は胃弱で刺激の強い本場カレーは敬遠している私も、テンプル菜食ならスパイ
スもマイルドでおいしいので、こんな集会ならいつでも大歓迎