インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

2008年十大ニュース

2008-12-30 01:23:14 | 政治・社会・経済
★2008年十大ニュース

▽国内十大ニュース
1.ムンバイテロ
2.チャンドラヤン1号衛星ロケット、月面着陸成功
3.米印通商核協定調印
4.北京オリンピック・エアライフル部門でビンダルさん金メダル
5.25万円の最安値車ナノ工場、西ベンガル州から撤退し、グジャラー
ト州へ移転
6.新人インド人作家・アラヴィンド・アディガさん、
「The White Tyger」で英ブッカー賞受賞
7.ケララ出身シスター・アルフォンソ、ベネディクト・ローマ法王に
よって聖化さる
8.株、昨年の20000ポイント超過のピーク時の半分以下と暴落
9.各地で、テロ頻発
10.ミスワールド美人コンテストで、パルヴァティ・オマナクッタンさ
ん、第一位に入賞

▽当オリッサ州内五大ニュース
1.カンダマル原住民地域で、サラスワティ・ヒンドゥ大僧正が殺戮さ
れたことに端を発する、キリスト教徒迫害事件
2.各地でナクサライト・極左ゲリラ、テロ殺戮行為展開
3.当地プリー町会議員、マヘシュワル・モハンティさん、セクハラ騒
動で州議会議長辞任
4.ムンバイテロで当地プリー恒例のビーチ祭キャンセルさる
5.北隣の西ベンガル州で鳥インフルエンザ発生、州境は警戒体制

▽わが家&わが安宿五大ニュース
1.7-8月と親子三人でタイ経由帰国旅行を満喫
2.ハリドワール・リシケシ、聖地への新年旅行
3.ホテル大繁盛
4.元マネージャー、バギ(現在雑貨屋店主。歴代マネージャーの中で
はフレンドリーかつ片言の日本語も話せベスト)の紹介で新コック&マ
ネージャー、二スタッフ補充、慢性の人手不足解消
5.シー&パームレストラン再開、シーズンで繁盛

*   *   *

この一年間、ご愛読ありがとうございました。

                    

振り返ってみるに、2008年は、健康面では痛い思いもしましたが、それ
だけに学びの多い一年だったような気がします。
ハイライトは、息子を日本の母に対面させたこと。初めて日本のおばあ
ちゃんと対面した息子は、お小遣いまでもらって大喜び。母も八十近い
高齢のため、このたび孫との面会かなって、娘の私も感無量でした。
今回の帰国旅行は超過密スケジュールでしたが、大変充実した楽しいも
のになりました。再会した京都もよかったし、タイではナンギュアン島
やチェンマイでエンジョイしました。三十年ぶりに元クラスメートや、
元同僚との再会もありましたし、わが安宿ラヴ&ライフの元常連さんと
も懐かしい再会を果たせました。

                 

年初のインド国内聖地旅行もよかったです。
帰国中は中止していたヨガも再開しました。神経痛に効くというサラバ
サナ、ばったのポーズを朝晩四回、せっせと行っています。毎朝一時間
半のアサナ&呼吸法は、私のエネルギー源。まさしくヨガさまさま。
来年も、皆様ご愛読のほどくれぐれもよろしくお願い申し上げます。

                          

お体に気をつけて、よいお年をお迎えくださいませ。
2009年の皆様のご多幸、陰ながらお祈り申し上げます。

                                

2008年年末にあたって/著者
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現地日誌/息子発つ

2008-12-28 23:11:32 | 私・家族・我が安宿
<12月28日>
今朝午前五時四十五分の州都ブバネシュワール発の早朝列車で、息子サ
ミールがカレッジのあるバンガロールへと発った。
三十日からの、IT企業をめぐる研修ツアーに参加するため、休みを四日
繰り上げての出発。
というわけで、恒例の家族での年越しはままならず、夫婦のみの寂しい
幕開けとなりそう。

           

今朝は見送りのため、午前三時起床。といっても、私の就寝時刻はいつ
も午前二時から三時の間なので、起きて時間までヘルス関連の雑誌を読
みふけっていただけだが。

十一時に就寝した息子はさすがに眠たそうだった。
従兄と一緒にフィーンガータッチタイプの新しい携帯(米資モトローラ
社)も買って、準備万端。二十歳にもなれば、荷造りは無論自分で全部
やれ、私が手伝うこともなかった。

                  

四時十分前、ホテルのオフィス前に止まっていた車に乗り込んだ。州都
まで送っていくのは、いつものように父親のみなので、母の私とはここ
でお別れ。寄宿舎時代のように涙ぐむことはないが、互いに一抹の寂し
さは拭いきれない。
これで六月まで帰ってこないのだなと思うと、本当に名残惜しい。
今回の冬休みはたったの十八日間と、なんとあわただしく短かったこと
かと思う。が、その分、先の七月の帰国時は、親子で充実した時間をも
てたのだから、よしとしなければと言い聞かせる。
大事な研修とあっては致し方ない。

                        

パソコンやデジカメの疑問点も出発前に問いただしておいたし(メカ音
痴の私は息子に頼りっぱなし)、買い物にも何度も付き合った。
私の誕生日には、ひそかにケーキを用意してくれるなど、温かく祝って
もらえたし、いい息子を持った私は幸せ者。

                                

午前九時には戻ってきた夫だったが、やはりどこか気抜けしたような面
持ちは隠せなかった。もういっしょに顔つき合わせてカレーを仲良く食
べるメートもいない。父子は現地語で会話を交わすだけに、ツーカーの
仲なのだ。

            

私は息子の荷物にひそかに、クリスマスケーキの残りをラッピングして
忍ばせた。

     
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現地日誌/息子の結婚?

2008-12-26 01:17:23 | 私・家族・我が安宿
<12月24日>
今日はクリスマスイヴ。
夕刻、息子サミールと西の浜のケーキ屋さん、「モンギニス」まで買出
しに行ったが、きらびやかな金銀のレイ、サンタクロースなどで飾られ
た店内はさすがに混雑していた。店の外でもパウンドケーキ類を山積み
して売っていったので、スペシャル・ヴェジタブル(無卵)ケーキを
110ルピー(約220円)をうちと、日ごろお世話になっている義姉宅へ、
各一個ずつ買い求めた。ついでに一個30ルピーのパイ菓子包みも二ケ。
中に入って、チョコクリームケーキも三切れ、円形クリームケーキはパ
ス。クリームケーキの方が華やかだが、お味の方が今ひとつ。シンプル
なパウンドケーキの方がずっとおいしいのだ。

                               

北東インドのティーで有名な避暑地・ダージリンの寄宿舎に4年通った
息子は、アングロインディアンがオーナーという英コロニー来のケーキ
&カフェショップ・グレナリの天下一品の味に慣れているだけに、ク
リームがまずくて食えないという。
私も息子の寄宿舎には父兄としてよく訪問したので、グレナリのケーキ
のおいしさは承知済み。それでも、3年位前まではしゃれたケーキ屋さ
んがなかった当地プリーだけに、モンギニスの存在は貴重。
オリッサベーカリーというローカルパン屋さんもケーキ類を販売している
が、カステラはぼろぼろ、クリームのまずさといい、粗悪な代物で、洗
練されたモンギニスとはダンチ。やっとまともなケーキ屋さんが一軒で
きただけでも、大変な進歩。

                      

というわけで、たんまり400ルピー以上も買って、ナイロンの袋にびっ
しり詰めてもらい、いそいそと帰宅した。
いつものように、私は三階のベランダを会場としてセッテイング。
籐の吊り椅子をまん前の張り出し円形バルコニーにセットした後は、ブ
ルーの民芸調カーペットを大理石の床に敷いて、籐椅子やクッション
類、テーブルの設置、ほぼ用意ができて、いよいよパーティー開始。
ホテルが満室で夫が超多忙、八時過ぎとやや遅くなってしまったが、南
東オーストラリア産・ハーディーズ社の白ワインを空けて、親子三人で
乾杯。
メリークリスマス!   


息子も先の9月にめでたく成人式を迎えたので、お酒解禁、夫は彼のワ
イングラスにもなみなみと注いだ。
ナッツやレーズン、ドライフルーツのたっぷり入った円形パウンドケー
キもカット、かわいらしいピンクのお皿に盛る。
息子は初めて味わった白ワインの味を、「甘くないアップルジュース」
と感想を漏らした。が、日本酒と違って、今ひとつお気に召さなかった
ようだ。先の7月の帰国時居酒屋に入ったとき、おちょこにほんのちょっ
ぴり試飲させた日本酒が思いのほか美味だったようで、スイート、グッ
ドとの感想を漏らし、もっとほしいような顔をしたため夫がさらに継ぎ
そうになり、とっさに私が制しさせたいきさつがあったのだ。

                             

ほろよい加減になった私はさりげなく、話題を息子のガールフレンドに
移した。実は、夫が、毎日GFから携帯に電話がかかってくるので、まさ
か結婚したいなどと言い出すんではなかろうかと気を揉んでいたのだ。
仕事多忙を口実に夫は席を外していた。

                      

彼女はシッキム州・ガングトック出身。息子が通った寄宿舎から、車で
3時間ちょっとの距離。シンプル、ビューティフルな女の子とのこと。
毎日電話をかけてくるなんて、彼女、まさか本気で結婚考えてるんじゃ
ないでしょうねと問いただすと、言下に否定された。まだ若いし、二人
とも結婚なんて考えてないという。ほっと一安心。とにかく、まだ三年
生も半期残っているし、その後はマスターコース、大学院が二年、勉学
優先を口をすっぱくして強調する。無論、息子もそのことはよく自分で
も心得ていた。経済的に確立していない以上、結婚はできないと。

                                

夫の早飲み込みだったようでひとまず安心。が、息子はともかくも、女
の子の方の感情はわからないので、あまり深い関係にならぬよう、また
常に彼女の気持ちに気を配るようにと、言い含めておいた。

ベランダから見える当チャクラティルサロード・ホテル街は、きらびや
かなクリスマスのイリュミネーションに輝いていた。
デジカメで記念撮影もしたし、なかなかいいイヴになったなと、満足顔
の私、三階の広いベランダはこういうときもってこいで、ムード満点。
ろうそくの揺らめく炎だけの明り取りで、じっくり話し込むにはベスト
の環境。タイの免税店で8ドルという安値で買い求めたオーストラリア
産ワインも予想以上においしくて感激。赤もおいしかったし、ハー
ディーズは大当たり。

                 

息子の故郷での日々も余すところ3日、明日はクリスマスなので、ジー
ンズショップや駅のキオスク(本屋代わり)、グリーティングカードな
どの買出しに行く予定。ディスカウントのうまい従兄のバブーを伴っ
て、おニューの携帯も物色したいと、息子。何かと物入りだが、おかげ
さまでホテルも満室、繁盛させてもらっている。年末年始のシーズンは
いつも大混雑なのだ。今年はムンバイで大きなテロ事件があり、外人客
のキャンセルが懸念されていたが、当ホテルに関する限りは今のところ
悪影響は見られない。ありがたいことだ。ちなみに、恒例のビーチ祭り
がキャンセルされた理由も、テロにあったらしいと今になって判明し
た。
ムンバイテロの犠牲者の冥福を祈って、ムンバイではクリスマスパー
ティーも下火だという。なにせ、ソニア与党・国民会議派総裁やバジパ
イ前首相も誕生パーティーを自粛したほどなのだ。

           

息子と一緒に年越しできないのはさびしいが、残された3日間をフルに
満喫したいと思う。

     
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現地日誌/テロ被害ホテル再開

2008-12-24 00:58:11 | 私・家族・我が安宿
<12月23日>
21日、ムンバイテロの被害両ホテル、タージマハルパレス・ホテルとオ
ベロイトライデント・ホテルが事件から一月とたたぬ異例の速さで、再
オープンした。

         

といっても、タージは比較的ダメージの少なかったヘリテッジ・ビル
ディング脇の高層タワーホテルのみで、オベロイトライデント・ホテル
も、同様に被害の少なかった併合のトライデント部門のみ。

いずれにしろ、流血惨事まもないホテルには客も泊まりたがらないので
はと勝手に憶測していたのだが、セレブリティが支援と連帯感の表れと
称して続々。ただし、警備は超厳重。車はVIP以外は表面玄関に横付け
されることは許されないとか。元コマンド隊を警備員として雇う案もで
ているそうだ。

華やかなイリュミネーションに彩られたタージホテルに一挙に活気がよ
みがえった感じ。幼い息子二人と妻を奪われる悲劇も省みず、ゲスト救
出に功労のあった勇敢なタージ総支配人のけなげな笑顔がゲストの涙を
誘った。一方のトライデント・ホテルでは被害者の冥福を祈って、メモ
リアルサービスも行われた。

                

テロに屈しない精神で、あっぱれ!

  

そうした吉報と裏腹に、印パ関係はなにやらきな臭くなってきた。イン
ド側のプレッシャーに、パキスタン側はのれんに腕押し姿勢で誠実さを
見せず、逃げの一途、さすがのインド側も我慢の緒が切れた感じなの
だ。最近プラナブ外相は強硬姿勢で、武力の行使も辞さないことを匂わ
せているほど。ソニア与党・国民会議派総裁も、外相のほのめかしを踏
襲するような発言をしている。パキスタンでのクリケット戦も中止され
た。

    

第5次印パ戦争にならぬことをひとえに祈るのみ。

                          

明日はクリスマスイヴ。
バンガロールの大学でITを学ぶ二十歳の息子サミールは研修ツアーが
あって、今月28日には発たねばならぬので、息子と過ごす今年最後のク
リスマスを倍楽しいものにしたいと意気込んでいる。

     

西の浜のしゃれたケーキ屋さん、モンギニスにいっしょに買出しに行く
予定。息子はクリームタイプが苦手なので、パウンドケーキにするつも
りだが、ここのはナッツやレーズン、ドライフルーツがたっぷり入って
美味。

     

オーストラリア産の白ワインも一本、冷蔵庫に忍ばせてある(ウフフ)。
新規に雇ったコックの腕前がなかなかで、自前のチャイニーズなどもエ
ンジョイできそう。

           

今からワクワク楽しみにしている。

                       
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現地日誌/息子休暇で戻る

2008-12-19 01:04:02 | 私・家族・我が安宿
<12月18日>
息子サミールがバンガロールのカレッジから戻って、十日近くが過ぎた。
当然のごとくいっしょに新年を迎えるつもりでいたら、30日から大学主
催の研修ツアーがあるとかで、なんと28日には発たねばならないことに
なった。あまりにも短い休暇に唖然、が、このツアーは企業などを巡る
就職を左右する大事なものとあっては、あきらめるしかない。

                              

今年三年生の息子はこれが最終年だが、すぐに就職するわけではなく、
二年間大学院で修士課程を学ぶことになっているのだが、一応企業を訪
問する研修ツアーは受けておいたほうがよさそうだ。

幸いにもクリスマスはいっしょに過ごせるので、恒例のケーキカットで祝
おうと今から楽しみにしている。先の帰国時タイの免税店で買ったオー
ストラリア産の白ワインも一本、冷蔵庫にしのばせてあることだし。
先11日は私の誕生日だったが、西の浜のケーキ屋さんで内緒でパウン
ドケーキをオーダーしていてくれ、母を喜ばせる親孝行ぶりを示した息
子。「ハッピー・バースデー!」とのわが子からの祝福はどんなプレゼ
ントやケーキにも優るものだった。

                     

今日は久々に浜に出たが、うす曇りの日で、海はもやっていた。ただし、
冬季特有の引き潮の穏やかな海で、沖にはいく艘もの漁船が出ていた。
すぐ目の前を手漕ぎ舟も一艘。
日が沈んだ後の名残りが燃えるような茜色に染まり、壮麗だった。
夕闇が降りると、海は藤色に輝いた。
彼方のホテル街の灯がちかちか揺らめくようにきらめきだした。

                                



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イベント情報/コナールク・ダンス祭

2008-12-16 01:05:16 | 私・家族・我が安宿
先般十二月五日から五日間開催された恒例のコナールク・ダンス祭り
に、車を飛ばして行って来た。

                 

当地プリーからは三十五キロと一時間とかからない距離で、舗装された
マリーンドライブを車は快適に走る。長い木のトンネルを潜り抜ける
と、右手には広い砂浜、その向こうには、手付かずのベンガル海が見え
てくる。開演一時間前の午後五時に行き止まりの浜までたどり着いた
が、残念ながら曇りがちの今日はすでに日は薄もやの下に飲まれてし
まっていた。壮麗な夕日を肴に一杯はかなわなかったけど、浜に座って
開演前の景気づけ、先の帰国時タイの免税店で買ったオーストラリア産
赤ワインを空けて夫と乾杯。150年の歴史のあるハーディズ社のマーロッ
トというレッドワインはまろやかでこくがあり、美味。前回買ったチリ
産ワインはからくて舌にぴりっとくるきつさだったので、喉越しのよさ
に杯が進んだ。

         

さて、ここ数年毎年通っているダンス・フェスティバルは今回で二十回
目。外人旅行者にもすっかりおなじみになった、当オリッサ州観光省主
催のお祭りで、ダンス愛好者には見逃せない。
当州古来の優雅な伝統舞踏・オディッシーを中心に、インド各地からの
ダンサーが出演、華麗な舞いの腕を競い合うのだ。

                          

野外劇場のあるオーディトリアムに着いたときには、すでに催しが始
まっていたが、日曜だけあって、屋外の階段席はほぼ満員だった。なん
とか空きを見つけて割り込んだが、地元民やローカル旅行者中心の観衆
の熱気がむんむん伝わってきた。今年はムンバイでテロ騒動があったた
め、やむをえず期日を遅らせる不測の事態も生じた上、外人観光客の
キャンセルも相次ぎ、さすがに欧米人の姿は少なかったが、わずかなが
ら肌白・金髪も目立った。白人客はもっぱら、地元報道陣並みに、舞台
の袖でデジカメ撮影に夢中になっていた。

最初はニューデリーからのカタックダンス舞踏団。カタックというの
で、南インド・コーチン名物の男性舞踏、歌舞伎の隈取りに似た化粧を
施し、腰の周りを大きく膨らませたロングドレスで独特の動きを行う
「カタカリ」と一瞬錯覚したが、似ても似つかぬものだった。黒の長い
丈のドレスの女性舞踏家たちはまるで、スペインのフラメンコを模した
ようなモダンダンスを繰り広げ、鮮やかな赤の裾模様が激しく床を踏み
しめるリズミカルなタップの動きにつれて、舞台に鮮烈に閃いて演出効
果抜群。
踊りはいうまでもないが、女性舞い手のまとうカラフルな衣装を見るの
も観客の楽しみのひとつ。

               

お次はおまちかねの地元州都ブバネシュワールからのオディッシー舞踏
団。男女三人ずつコンビになっての美しい踊りで、女性の緋色の舞い装
束と、男性の純白の腰巻きの対照が鮮やか(写真)。オディッシーの特
徴は独特のリズミカルなステップと、両手の指を結んで作る複雑な印
(ムドラ)にあり、実は著者もオディッシーをかじったことがあるのだ
が、ステップのあまりのむずかしさに三日坊主に終わってしまったいき
さつがある。ムドラの練習はとても楽しかったのだが、難しいステップ
と印の結びを合わせるのがまた一苦労。常々思っていることだが、どう
いう因縁でだか、ヨガの印やアサナ(体位)に通ずるところもあり、ヨ
ガそっくりの舞いポーズもあるのだ。神に奉納する意味を持った厳かな
寺院舞踏で、題目は神話に由来し、バックグラウンドミュージックも、
祈りの奉歌ということからも、何か通ずるところがあるのかもしれな
い。歌詞にはマントラといって、瞑想などでおなじみの「オウム」など
の祈祷の真言もふんだんに盛られている。
舞台の端には、当州の名物三位一体神、ジャガンナート・バラバドラー
・スバドラーのカラフルな偶像も祀られていた。

                            

13世紀に建てられたスーリヤテンプル、太陽神殿の壮大な石造遺跡が月
光を浴びて浮かび上がるムード満点の背景の野外舞台で、赤と白の衣装
がスポットライトを浴びて飛び交い、思わず見とれる華麗さ。たっぷり
堪能させてもらった後は、クリシュナ・ラーダ神の愛のダンスドラマ。
ダンスドラマはどちらかといえば、退屈で、ヒンドゥ神話に通じたイン
ド観衆でないと、内容もよくわからない。

                     

次に期待したが、もう最終の出し物だった。熱演に夢中になっているう
ちに、九時を過ぎ、閉幕時刻を予定より三十分上回っていることに気づ
いた。
残念ながら、男性ばかり五人の舞踏で、華やかさに欠けたが、宇宙エネ
ルギー・シャクティを体現した踊りは力強く巧緻なものだった。が、オ
ディッシーはなんといっても女性ダンサーに限る。男性の方が技術は上
のことも多いのだが、華麗な色とりどりの舞い装束、まげに結った髪を
取り巻く白い花飾りといい、女性ならではの華がある。とはいえ、男性
のみの最後の舞踏も、本日のラストを飾るにふさわしい大熱演だったこ
とを付け加えておこう。

               

園内の色とりどりの豆電飾のきらめく植栽、まるで一足早いクリスマス
ツリーを思わせるなかを潜り抜けて、外へ出た。露天テント小屋で恒例
のように、ダージリンティーを販売していたので、木箱詰めの有機栽培
オーガニックティーを土産に買って帰った。

                              



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ベンガル湾季節便り/ゴールデン・フルムーン

2008-12-13 02:02:23 | 季節・自然
<12月13日>
今日は午後五時過ぎ、日が沈んでから浜に出たが、おりよくフルムーン
で、西の下空に大きな満月が浮かんでいた。まだ日の名残りがあるうち
は淡くおぼろだったが、次第に夕闇が濃くなるにつれて、金色のしたた
るようなまん丸の月になって、その壮麗さは見とれるばかりだった。

                                   

満潮の、冬季らしい穏やかな凪を思わせる海面には、手漕ぎ舟が何そ
うも出ていた。海の色は透明感のある青みがかった緑色で、さわやか。
波打ち際近くの東の浜辺から、にぎにぎしいシンバルの音と歌声が聞こ
えてくる。何かの宗教儀式のように思えたので、近くまで足を伸ばす
と、当オリッサ州名物がすりのサリーをまとった若い白人女性がチニと
いわれる小さなシンバルを叩きながら、「ハレクリシュナ、ハレクリ
シュナ」と祈りの唱歌を張り上げ、陶酔したように踊り狂っていた。
赤、黄、オレンジ、緑のサリーが浜に閃き、白人信者の踊りに好奇心む
き出しに野次馬がたくさん集っていた。

        

イスコン協会で、おそらく踊っている女性群はロシア女性ではないかと
思われた。クリシュナ神を信仰するこの新興宗教は、ロシア人信者がと
ても多く、わが安宿ラブ&ライフにも、宿泊することもあるのだ。男性
は剃髪にサフラン聖衣、女性はサリーをまとっているので、すぐ信者と
わかる。

そのうち熱狂的に躍っていた女性の一人が、くるくる旋回したともな
く、砂の上に倒れ込んでしまった。陶酔のあまりの失神だろうか。同じ信
者と思われる年配インド女性に抱え起こされ、両者でクリシュナ神を讃
えるマントラ(真言)の唱え合い、信仰の熱狂とはすごいものだなと改
めて感じ入った。

             

淡いオレンジ色の暮色に染まる海を愛でた後、ゆっくりきびすを翻す。
浜を後にする私の背後から付いてくる大きなこんじきの満月、美しい凪
の海にふさわしい天下一品のフルムーンだった。

                           
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銀座新聞連載テロレポート

2008-12-06 00:46:56 | 印度の玉手箱(銀座新聞連載)
*銀座新聞ニュースに著者のテロレポートが掲載され
ましたので、チェックくださいますように。

内容はブログで発表したものとほとんど変わりませんが、見出しや、詳
しい注釈、写真&キャプションなど、編集されてよりわかりやすい記事
になっております。
また、日本の新聞には見られぬヘッドラインと、コラムの連動方式に
なっているのも新しい試みです(ちなみに、インドの英字紙も、一面に
冒頭文だけ載せて、続きは中面という編集スタイルが一般的)。

*   *   *

★ムンバイテロ・現地ルポ

<ヘッドライン>
http://www.ginzanews.com/headline/4199/

http://www.ginzanews.com/headline/4202/

<コラム>
http://www.ginzanews.com/report/961/

http://www.ginzanews.com/report/962/

http://www.ginzanews.com/report/963/

http://www.ginzanews.com/report/964/

http://www.ginzanews.com/report/966/
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われらは断じてテロに屈せず!

2008-12-05 23:45:10 | 政治・社会・経済
英字新聞に、このたびテロのワースト惨禍を被った被害ホテル、
タージマハル・パレスホテル」が全面広告を出したので、ご紹介しよう。

*   *   *

私は、人類の歴史が永遠に、笑いや涙、勇気、臆病、
善悪の連なりを繰り広げる中、持ちこたえてきた。

私は今後もあまねく存リ続けるだろう。

先週の「タージ」への攻撃は、インディアンスピリットに対する襲撃で
もあった。しかし、母国のように、われわれは断じて屈しない。
火煙が吹き消された今は、胸のうちには別種の新たな炎が燃えている。
タージのすべての輝かしい栄光を蘇らせんがために。

われわれは最も暗い時間を共に生き抜いてきた男女、ホテルゲスト、
タージスタッフ、警備隊、異例の勇気や、他者を助けるという無私の精
神を発揮した人々に心から敬意を捧げる。大勢の人々が自己犠牲になった。

まもなく、われらがホテルは再開するであろう。母国インドそのもののよ
うに、タージは今後何年も、誇りを持って存り続ける。


タージ
タージマハル・パレス&タワ-
インド・ムンバイ

タタ企業

(The Telegraph, 4. Dec. 2008、著者邦訳)


********************

I HAVE HELD MY GROUND AS HUMAN HISTORY HAS UNFOLDED IN
ITS TIMELESS PROCESSION OF LAUGHTER AND TEARS, COURAGE
AND COWARDICE, GOOD AND EVIL.
I WILL PREVAIL.

The attack on the Taj last week was an assault on the spirit of
India. But, like our country, we will never give in.

Now that the smoke has cleared, a different fire is burning within
us: to resurrect the Taj in all its brilliance.

We pay homage to the men and women who were with us through our
darkest hour- guests at the hotel, the staff of the Taj, security
forces, people who displayed extraordinary courage, selflessly
helping others. Many sacrificed their lives.

We will reopen soon. Like India, The Taj will stand tall for years
to come.


Taj

The Taj Mahal palace & Tower
Mumbai, india

A TATA Enterprise

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テロ11.26追加情報

2008-12-05 22:43:39 | 政治・社会・経済
ニュース番組もテロ一色だった数日前から徐々に一般ニュースの動きを
伝えるなど平常に戻りつつあるが、新たな情報が入ったので、追加して
おこう。
生存テロ犯の証言によると、パキスタン領カシミール地方で元兵士の
チャチャ(おじさん)に四百名ものミリタントが一年以上の特訓を受け
たとのこと。犯人カサブが口を割ったところによると、間違いなくパキ
スタンパンジャブ州出身であることも判明した。                   

六十時間一睡もせずにコマンド隊と丁々発止の闘いを繰り広げたわけだ
が、死亡テロリストの遺体を解剖して、コカインやLSDでハイになっ
ていたこともわかった。あと、ステロイドなども服用し、肉体を強化し
ていたらしい。重装備の最新鋭武器類を備え、旧式の装備しか持たぬコ
マンド隊を苦戦させたが、タージホテルを爆破するだけの爆発物は所持
していなかったようだ。

              

コマンド隊の動きについては、TVの報道番組を見ればわかると指示も
されていた武装グループ、もし報道管制を強いていたら、強行突破は数
時間後とも、言われていた。とにかくよく訓練されたプロで、特殊部隊
が大勢駆けつけながら、事件解決に六十時間もかかった事情も納得いた
だけるだろう。

報道のいきすぎについては先に述べたとおりだが、海軍元帥からも非難
の声があがっている。スクープをものにせんと、一オクターブ高いヒス
テリック調で現地報告した記者のマナーを問題視する声も出ている。非
常時だからこそ、自主規制が求められるということであろう。
ジャーナリストの端くれである私も、大いに参考にさせられた。インド
の記者は弁も立つし、機敏で活発だが、規制ということになると、血気
盛んなお国柄だけに、先進国記者に学ぶしかなさそうだ。

                            

さて、その海軍といえば、諜報ミスでしくじったことが非難されている
が、実は政府自体も一月ほど前から米の警告を受けていたことがわかっ
た。
ムンバイ沖に臨むラグジュアリーホテル群へのテロ警告を耳にしなが
ら、迅速に警備強化しなかった失態が糾弾されている。
一方、タージマハルホテルのラタン・タタ会長は、「警告されていたた
め、警備を強化したが、防ぎえなかった」との内幕も明かした。

                     

最後に、インドからパキスタンへと飛んだ米ライム長官だが、パ政府へ
の圧力をかける強硬発言から一転してソフトな物腰に。同国政府に「イ
ンドか、アフガンか」を迫られ、弱腰になったというのがインド側の見
解だが、よくわからない。ザルダリ・パ首相は、ステイトレス・アク
ターの仕業、すなわち無国籍活動者の仕業と責任逃れ、インド側のさら
なる怒りを買う始末。生存犯のパキスタン国籍という自白にも、証拠物
件を示せと強気の態度。
米のプレッシャーに期待していたインドも、肩透かしを食わされた感じ。
9.11テロ以降パキスタンは米にとって抗テロの大事な盟友でもあるだけ
に、インドでの表明演説と打って変わって、自国もテロの犠牲者と弁明
するパ政府に理解を示したものと思われる。

                           

なお、今現在はデリー、チェンナイ、バンガロール空港が、「デカン・
ムジャヒディーン」と名乗る新ゲリラ組織から脅威メールが届いたがた
めの、物々しい警備体制に入っている。

これ以上、テロの惨事が発生しないようにとひとえに祈るばかり。

                                  

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