インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

モンスーンの雲(写真)

2016-06-30 17:38:05 | 私の作品(小説・ノンフィクション)
六月も今日で終わろうとしているが、雨が殆ど降らず、長いミッドサマーに苦しめられた。この二、三日、ようやくしとしとお湿りが。スコールには程遠い雨量だが、浜に出ると、雨雲が何層も重なって垂れ込めており、こんなに雲が発達しているのに、雨量が少ないのが不思議な気になる。以下、昨夕、撮った浜の雨雲の写真をどうぞ。















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「ベルリンの壁」と高見沢俊彦の知られざるドラマ(動画)

2016-06-29 20:17:13 | 私の作品(小説・ノンフィクション)
前の記事でアルフィーの四十年史にまつわる動画を紹介したが、1999年ドイツ統一十周年記念にベルリンに招聘されたアルフィーがコンサートを催したとき、英語で披露したいわくつきの歌を紹介したい。
壁の向こうのFreedom /ベルリンLIVE

十年前、まだベルリンの壁冷戦の真っ只中にあった1961年8月13日にドイツ民主共和国=東ドイツ政府によって建設された西ベルリンを包囲する壁で、1989年11月10日に破壊され、1990年10月3日に東西ドイツが再統一されるまで、ドイツ分断や冷戦の象徴となった)が存在したころ訪独した高見沢俊彦が壁の向こうの自由を夢見て作ったという伝説の歌である。
以下、たろうさんの写真日和より引用させていただくと。

「1999年9月26日、ベルリン・ブランデンブルグ門前の特設ステージにて行われた THE ALFEE のコンサートに参加すべく初めてドイツに行ってから今年で10年、ベルリンの壁崩壊から間もなく20年になるベルリン。ちょっとベルリンへ行きたいと思った経緯を書きたいと思います。
 THE ALFEE の1989年の秋のコンサートツアーは、セットにブランデンブルグ門を作り「心の壁、日常の壁を乗り越えよう!!」をメッセージとして、コンサート・タイトルに「LONG WAY TO FREEDOM/RESISTANCE」とし年末まで展開していました。高見沢氏作詞作曲の「壁の向こうの Freedom」(当時CD未収録曲)は、コンサートの終盤、盛り上がる場面で歌われていました。「壁の・・・」は、高見沢氏が、壁崩壊以前、東西のベルリンが存在する時代に訪れた際に作られた曲で、89年秋ツアーの当初から歌われていました。そのコンサートツアー終盤の11月10日、京都会館大ホールの楽屋に「ベルリンの壁崩壊」のニュースが飛び込んで来るのです。

 THE ALFEE とベルリンのつながりなのですが、壁崩壊から10年後の1999年の春のコンサートツアーで、伝説となった「壁の・・・」は、再び歌われるのです。この年の秋9月26日に、作曲家の服部克久氏の誘いで、ベルリンのブランデンブルグ門前にて行われる「ドイツにおける日本年」のイベントに参加するととなり、10年の時をかけて「歌がふるさとへ帰る」のです。 

 僕も友達の誘いを受けまして、ベルリンへ行った訳です。やはりコンサートの終盤、今回は、全編英語詩に訳されてのアレンジで壁があった場所で「壁の向こうの Freedom」を演奏されたのですが、10年以上前、高見沢氏がベルリンを訪れたときに、この歌を作ったときに、まさか、このブランデンブルグ門の前で歌を歌えるとは思ってもみなかっただろうと思います。感無量でした。この1曲を聴きにベルリンへ行ったと行っても良いと思います。
 当時、最後に演奏された曲は、ベートベンの交響曲第九番「歓喜の歌」をロック調にアレンジしたもので、服部氏指揮のもと、THE ALFEE とベルリンシンフォニカによるコラボでした。これから、「第九」が好きになったのでした」


ベルリンの壁とシンガーソングライター、高見沢俊彦との匿されたドラマ、十年前ベルリンの壁の前に佇んで、東西ドイツを分け隔てる壁の向こうの自由をテーマに曲を作ったタカミーとしてはまさか壁崩壊後、そのブランデンブルグゲート前でくだんの歌を、ドイツ大衆の前で英語で披露できるとは思ってもみなかったろう。感無量だったにちがいない。
やはり、この人の作詞作曲力はインスピレーションに裏打ちされたジーニアスなものだと思う。

以下は、1989年の日本武道館におけるコンサート(LONG WAY TO FREEDOM RESISTANCE Tour)で披露された日本語版、まだベルリンの壁が存在した頃のタカミーによる熱唱。
THE ALFEE ♪ 壁の向こうのFreedom ♪ 1989

最後にもうひとつ、ベルリンコンサートで披露された英語曲「Crimson Kiss」もどうぞ。
1987年発売された27枚目のシングル『白夜 -byaku-ya-』が後に、avex発売の「The Alfee Meets Dance」で「Crimson Kiss」というタイトルでアレンジ・英詞化されたものだ。
THE ALFEE crimson kiss

ドイツの観衆も拳の波やハンカチを振って応えている。音楽に国境はない!
(それにしても、ドイツまで追っかけした熱烈ファンがいるんだね。ネットで誰かが、アルフィーのファンは熱狂的で知られるが、矢沢永吉ファンには負けると言っていたけど。たしかに、永ちゃんのファンも総立ちで飛び上がり、もの<ハンカチやスカーフ、ジャケットなど)を上にほうり投げてはキャッチしエイちゃんコールとすごいよ<こちらの動画でエイちゃんファンの熱狂を見れます>。アルフィーのファンは八割が女性だけど、男性ファンも多いのが特徴)。
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アルフィーの四十年史(動画)

2016-06-29 18:17:35 | 音楽・スポーツほか娯楽
アルフィーが今から30年前の1986年、初の十万人コンサートを東京ベイエリアで開催する前後、「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ、1968-1985、月曜夜十時から)と「ザ・ベストテン」(TBS、1978-1989、木曜夜九時から)の二つの歌謡番組に出演した際の懐かしい動画を見つけたので、紹介したい。
1986.8.3東京ベイエリア前後の音楽番組 THE ALFEE

「夜のヒットスタジオ」の男女コンビ司会の女性はおなじみ、芳村真理だが、男性は井上順から古舘伊知郎に変わっている(このコンビは85-88年)。アルフィーのメンバー全員が三十代初期、31歳の桜井さんはリーゼント、32歳の坂崎さんはアフロ、同じく32歳のタカミーは長髪に赤いバンダナ、シンプルロックファッション。
背後の控え歌手陣に森進一の顔が見えるのも面白い。この頃には、アルフィーは「メリーアン」でブレイクして三年たっているが、まだ未熟で初々しい部分があり、荒削りな魅力がある。私はアルフィーの魅力はだささ、泥臭さにあると思っているが、ださいというのは悪い意味でなく、それが親しみを呼ぶということ。ちょっと見た目はどこにでもいる男の子、ルックスが少しいいぐらいでフツーの感じが親近感を呼び起こす。あまりオーラとかこのときには感ぜられなくて、ナイーブな感じ。今は貫禄が出てさすがライブ歴2500回の押しも押されぬプロという感じだが、いまだに泥臭い部分を残しており、飾り気のない自然態が魅力のバンドである。

「ザ・ベストテン」の司会はおなじみ黒柳徹子だが、アルフィーの歌は名古屋市民会館でのライブ中継、若い女性観客のファッションに当時の世相が見えて懐かしい。現地の女性司会者が事前にタカミーにインタビューした談話で、二位入りした新曲「SWEAT&TEARS」について「今のアルフィーの気持ちをそのまま歌に託したメッセージソング、ちょっと落ち込んだときにぴったりの元気が出る歌だよ」と洩らされていた経緯が、曲紹介とともに明かされる。

今もタカミーヴォーカルの人気NO.1曲としてライブに欠かせない「SWEAT&TEARS」の原点ともいえる動画で、歌は拙さが目立つが、タカミーも還暦を超えて声に深みと伸びが出て鑑賞に耐えうる歌唱力にアップした。
年を取るごとに歌が下手になるとはよくあることだが、アルフィーの場合、どんどんうまくなって、美声の桜井さんはさらに磨きがかかり、下手とけなされていたタカミーも声量アップでずいぶんうまくなった。タカミーは努力の人で、作詞作曲も一から勉強したし、発声練習もかかなりやったのだろう。

東京ベイエリアコンサートの大掛かりさも、ボードの数字で記されて興味深いし、コンサート前の整備状況とかコアなアルフィーファンには見逃せない動画だ(金沢から東京ベイエリアまでの直行バスも映っていて、はるばるこのコンサートのために遠征したんだなと、ちょっと感激)。

もうひとつ、以下は、1974年二十歳でデビュー、四十周年を迎えたアルフィーをゲストに迎えた番組「ミュージックフェア」(1964年8月31日に放送を開始し、2016年現在でも放送されている長寿番組。毎週土曜日18:00から30分)の動画。
MUSIC FAIRより THE ALFEE特集

四十年に及ぶ活動期間中リリースした62枚のシングルの中で主なものがメドレーで繰り広げられ、三人のルックス・衣装・ギターの変遷が楽しめる。
デビューから現在にいたるまでの秘話が明かされ、86年の東京ベイエリア(東京湾岸13号埋立地)コンサートの命名秘話(タカミーがウオーターフロントじゃぴんと来ないので、ベイエリアと名づけた)、98年のニューヨーク・フォーレストヒルズ(桜井さんがアマチュア時代フォークコンテストで優勝した曲「ボクサー」のサイモン&ガーファンクルの出身地)におけるコンサート、99年のドイツの統一十年を記念したベルリン・ブランデンブルグゲート背景の海外コンサートのエピソードも語られる。

デビューに際して、ギター担当のはずだったタカミーが、ルックスのよさを買われてディレクターに桜井さんを差し置いてヴォーカルに抜擢されたという事実は知っていたが、「第二の赤松愛」と目されていたとは。赤松愛って、タイガースに次ぐ人気を誇ったGSグループのオックスでオルガン弾いていた、赤い髪のおかっぱ頭の女の子のようなルックスと、失神で有名だったメンバー(私の旧友に、この赤松愛そっくりの日大生がいた)。でも、愛ちゃんとタカミーは似てないように思えるんだけど?

番組終盤の、作曲家の権威、服部克久を招いての指揮付きオーケストラ伴奏の「星空のディスタンス」はすばらしい。服部克久とは「ジ・アルフィー・クラシックス」というアルバムで組んで(注参照)、ベルリンコンサートでも協力を仰いだ関係とか。クラシックとロックの融合で、タカミーの明るい紫色のサテンスーツが素敵。
「ポール・マッカートニーのようにかっこいい七十代になりたい」との希望を洩らすタカミー、以前見た35周年の動画では後35年がんばるって言ってたけど、受けた坂崎さんが九十歳!って退いてたな。まずは古希を目指してがんばっていただきたい。

*注.『THE ALFEE CLASSICS with LONDON SYNPHONY ORCHESTRA』(ジ・アルフィー・クラシックス)は、THE ALFEE初のクラシックス・アルバム。1990年3月21日発売。 発売元はポニーキャニオン全編曲と指揮を服部克久が務めた、アルフィー初のクラシック音楽との融合アルバム。演奏はロンドン交響楽団。歌詞カードには服部によるライナーノーツと高見沢による解説がある。
服部は「知らない人は昔から、そういう曲だったと勘違いする位のつながり方でなくてはならない」と語り、結果については満足のいく仕上がりであるとも語った。またその服部について高見沢は、神経質そうに見えるが実はヒューマニティ溢れる優しい心の持ち主と語り、自身らTHE ALFEEについては明治学院出身では島崎藤村の次に有名な三人組だと語った。


*アルフィーの40年史と、自分史を重ね合わせて感慨深い思いに。アルフィーがブレイクした頃、私はインドにはまって渡航を繰り返していた。テレビは観なかったし、ヒット曲には耳覚えがあるのだが、アルフィーについての詳細は何も知らなかった。でも、アルフィーというグループは知っていた。86年4月四度目の渡印、以降居着いちゃうことになるわけで、夏に東京湾13号埋立地(今のフジテレビ社屋がある辺りです)で日本初の十万人コンサートが開かれるなんて、まったく知らなかった。そのころは、かなわぬ恋に身をやつしていたさなかでもあった。
そして、三十年という月日が流れてしまった。還暦を超えてから出遭ったバンド・アルフィー、体力が許すなら、これから追っかけを楽しもうかなんて考えてる。ただし、日本滞在は年二度二、三ヶ月ずつ計長くて半年程度なので、限られるけど。希望としては、コンサートついでに旅を楽しむというスタンス。地方公演のほうがこじんまりとして肉眼でよく見えるようだし、各地の公演にできるだけ足を運びたい。
還暦バンドを追いかけて、おない年の私も回春パワーにあやかりたい。


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この世の謎2/三島由紀夫の「世界の解釈」

2016-06-28 17:20:24 | ヨガ・スピリチュアル
年のせいもあるのだろうが、近年、この世のからくりを知りたいと切に願うようになった私、そんなとき、先の帰国滞在時金沢の図書館で三島由紀夫論(三島由紀夫『豊饒の海』VS野間宏『青年の環』―戦後文学と全体小説 <新典社選書、2015/11/9、井上隆史>を読んだ。
読んだといっても、野間宏論と抱き合わせになっていたため、付設のカフェで三島論のみざっと目を通しただけだが、「豊饒の海」全四巻論が興味深かった。

三島由紀夫はこの絶筆となった長編小説を、彼なりの「世界解釈」と生前述べていたとあったからだ(私はやたらに時間を追つてつづく年代記的な長編には食傷してゐた。どこかで時間がジャンプし、個別の時間が個別の物語を形づくり、しかも全体が大きな円環をなすものがほしかつた。私は小説家になつて以来考へつづけてゐた「世界解釈の小説」を書きたかつたのである。幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた/三島言)。
三島の世界の解釈とはいわゆる、かなりヒンドゥ哲学体系に近く、つまり現世はマヤ(幻影)で、死後の世界はあり、転生を信じるという説だ。
これは、私自身の世界の解釈にも近い。

うろ覚えながら、量子論では、世界は見る人間がいることによって成り立っており、認識者がいなくなると、物の形状や色は存在せず、単なるエネルギー粒子の塊にすぎないといっていた記憶があるのだが(たとえば、満月、見る者がいるから丸い月の形状・色をとっているが、認識者が一人もいなくなれば、単なるエネルギー粒子にすぎない)、目をつむれば確かに世界は消える、この世に確かなものは何ひとつない、すべては夢幻、そのことを如実に示していたのが、豊饒の海第四巻の「天人五衰」の最後のシーン、月修寺門跡(俗名綾倉聡子=伯爵家令嬢、22歳で出家)の言葉、彼女は若い頃の禁断の恋、20歳で夭折した侯爵家の一人息子松枝清顕との子までなした(堕胎)恋愛事件をまったく覚えていないのである。つまり、聡子にとって、清顕との恋はなかったということ、とぼけているわけでなく、亡失しているわけでもなく、このラストにはぞっとさせられたものだ(すべては、清顕の親友であった本多の潜在意識のなかの妄想だったとの解釈もある)。一体どういうわけだと読者を唖然とさせる、戦慄と衝撃のシーンなのだが、私もこのごろ、この世の実相というのはなにもなくて、現実はすべて夢なんじゃないかとの思いが一再ならずきざすようになった。で、夢である以上、死んだら目が覚めるのではないかと漠然と思ったりする。

三島の衝撃的な割腹自殺については諸説あるが、男色心中説というのが真偽はともかくも、一番興味深かった。私自身は、若い頃、こんな風に解釈していた。現世はマヤと信じ、転生を信じていた三島はわが肉体をもって死後の世界の存在を実証したかったのではないかと。荒唐無稽と思われたら、ご容赦いただきたい。私は、三島が愛人の森田必勝に介錯されたあと、肉体から離れた霊魂(幽体)が首のない死体を見下ろし、カカカと哄笑しながら、ほうれみろ、俺はやはり生きていた、霊魂は不滅だ、三次元の肉体は消滅しても、俺はきちんと生きているぞと、自分の実験が成功したことに狂喜したような気がしたのだ。

恋人関係ではなかったが、三島と深いつながりがあった丸山(現美輪)明宏は(江戸川乱歩原作、三島脚本の「黒蜥蜴」などに主演。三島に「君の欠点は俺に惚れないことだと」と言われた)三島の死後、ある霊能者を自宅に招いたとき、「うわあ、首のない幽体が座敷に坐っている」と恐怖におののかれたエピソードを語っているが、それがほんととするなら、私の説はとんだ邪推で、三島の霊はトラウマを抱えたまま、昇天できずにいたということになる。ご母堂が愛息の夢をよく見て、それが死後も懊悩から解き離れぬ痛ましい悪夢だったといわれ、寝覚めが悪いのでさらに手厚い慰霊を請うたとの逸話も、何かの本で読んだ。

世界は見る人各自によって様相が変わる、みなさんは、この世という世界をどのように解釈しているだろうか。死後の世界の証言は、霊媒越しか、臨死体験者でない限り、予測がつかないのだから、死というのはいつやってくるかわからない、誰にとっても未知の恐怖の体験、西丸震哉(食生態学者、エッセイスト、探検家、登山家)が医者だったお兄さんの臨終に際して、死後の世界があったら必ずシグナルを送ってくれと最期に約束させたそうだが、ついにそのシグナルは来なかったともいわれる。

余談ながら、この一月に亡くなった伝説的ミュージシャン、デヴィッド・ボウイ(がんのため一年半の闘病後69歳で死去、遺言どおりバリ島で仏教式火葬に付された。若い頃チベット仏教に傾倒していたせいといわれる)は、人生の謎を解いて?逝ったのだとか。
私も全部とは言わないまでも、からくりのいくつかは解いて、ある程度納得した上で逝きたいと思うが、煩悩ゆえそれもかなわぬことか。
世界の実相がわからぬまま、別次元の虚無へと呑み込まれていくのみ。
それにしても、あまりにもこの世は謎が多すぎる。

無限ともいうべき宇宙、地球、人間、地球外生物の存在、私たちはどこから来てどこへ行くのか、なんのために生まれてきたのか、連綿と続く血脈の一環・子孫の繁栄・進化、それだけのためだろうか。使命はあるのか、いわゆる魂の修行? 宇宙は誰が創ったのか。ヒンドゥ哲学では、宇宙の意識(神)が想像し、宇宙意識のその想念が物資化されて出来上がったとされるが、想念からこしらえた物質だけにいつか必ず消滅すると。
この世にある物体は、誰かが考えて、つまり想念から生まれた想像の産物であることを思えば、宇宙が物質化するには、大元の想念がなければならない、それが宇宙意識、大意識だ。わかったようなこといってるが、私にもこの説が正しいのかどうかわからない。そういわれればと、おぼろげに納得するだけだ。

なんだか手に負えない命題になってしまったというのが、結局この記事の結論です。

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この世の謎1/死後の世界からのメッセージ(江原啓之動画)

2016-06-28 15:55:01 | ヨガ・スピリチュアル
金沢滞在時江原啓之のスピリチュアル書(累計出版部数は900万部を超えるベストセラー作家)を何冊か読んだが、彼が「天国からの手紙」(フジテレビ系列で不定期放送の江原啓之の冠特別番組で、2004-2007年<10回>)という題の番組で霊視する興味深い動画を見つけたので、紹介したい。
江原啓之 霊視

精神世界ものに若い頃から興味を持っている私は、鵜呑みにして感動のあまり、涙まで流してしまったのだが、みなさんはどんな感想をもたれただろう。
江原氏ご本人は胡散臭い霊感商法だとのバッシングも受けているようで、一瞬「やらせ」なのかなあとの疑惑が生じなかったでもなかった私、ただ彼のスピリチュアルブックはとてもまっとうないわゆる道徳書で、奇をてらったものはなく、納得できる内容である。
感動と経験を積んで充実した人生を送れというのが骨子で、ウイキによると、この人は幼い頃からかなりの辛酸を嘗めており、アカデミックなスピリチュアリストとして立つための勉強を地道に重ねてきているようで(心霊学のふるさとの英国への度重なる訪問もその一環)、天職はオペラ歌手で、生活職がスピリチュアルカウンセラーと自称している。以下、一部抜粋してみる。

1964年(昭和39年)、東京都墨田区の下町で、薬品会社に勤めるサラリーマンの第2子として誕生。4歳のとき、父親を薬害で亡くし、15歳の時、母親を癌で亡くす。和光大学人文学部芸術学科に入学し、美術を専攻、彫刻や音楽を学ぶ。18歳になった頃から心霊現象に悩まされ19歳で退学する。警備員のアルバイトをする傍ら、心霊現象の解決のため何人もの霊能者を訪ねるも解決できず、 自殺まで考えるほど精神的にも金銭的にも追い詰められた中で、20人目に出会った日本心霊科学協会の講師・寺坂多枝子に信頼を置く。

人格や波長を高く保ち善きカルマを積めば、低級霊は寄って来ないとアドバイスを受け、自分の力をコントロールするため修験道(真言密教系)の修業を始める。1年間寺で修業した後、高尾山での 2年間の滝行により憑依体質を克服。「日本心霊科学協会」の「精神統一協会」や寺坂の主催する「清玲会」に通い、瞑想や心霊科学を学ぶ。滝行で知り合った男にプロの霊能者になる誘いを受け部屋を提供されるも、お金を一切もらえず、極貧の生活に追い込まれる。一攫千金を狙うための商品にされていることに気づき、夜逃げ同然に逃げ出す。
「社会的に信頼されるようにきちんとした職業を持つべき」という寺坂の勧めに従い、22歳の時、神職の資格を得るため國學院大學の夜間部に入学。1987年(23歳)、北沢八幡宮に実習生として勤める。経済的に苦しかったため、夜間の授業を終えた後、深夜に心霊相談を行うという過酷な生活を送る。心霊相談で知り合った人たちや昔からの友人たちによって、東京、横浜に計3ヶ所スピリチュアリズムを学ぶサークルが作られ、毎月、講師として研修を行う。後に計3ヶ所合同の研修会(これが後に「江原啓之のスピリチュアリズム講座」となる)を北沢八幡神社の広間で開催する。この頃、名古屋の医師の紹介で、北海道の浦河町に建てた別荘の心霊現象に悩んでいた小説家、佐藤愛子の相談に乗る。

1989年(24歳)3月、北沢八幡宮を去り、近くの東京・下北沢のアパートで、心霊相談とヒーリングによるスピリチュアリズムの普及を目的として「スピリチュアリズム研究所」を設立。寺坂多枝子の「霊能者は拝み屋の域を離れ、アカデミックなスピリチュアリズムを学び、その地位を築くべき」とのアドバイスにより、1990年(25歳)2月、霊能者としての活動のヒントを求め、スピリチュアリズムの本場とされるイギリスに渡り学ぶ。ロンドンのミーディアム(霊能者)を育成する団体である「英国スピリチュアリスト協会」(SAGB)を訪ね、ネラ・ジョーンズ(Nella Jones)、テリー・ゴードン、ドリス・コリンズ(Doris Collins)など、霊媒師として知られる人物たちと会い、理論、実践を学ぶ。以降1996年まで、足かけ6年、計9回渡英する。

霊能者”という言葉には現世利益を与える他力本願的なイメージが強く、暗いイメージがあり、そのような拝み屋的な存在としての心霊相談と同一視されたくないという思いもあり、スピリチュアル・カウンセラーと名乗るようになった。江原のカウンセリングスタイルは、一般的な日本の霊能者がするような相手の相談に答えていくという形ではなく、自身が霊的世界とコンタクトを取り、その人に関わるさまざまな情報およびメッセージを一方的に伝えていく、イギリスや欧米諸国で行なわれている「シッティング」という手法である。依頼者自身にしか知り得ない事柄を語ることで依頼者に霊的世界を証明し、その感動を通じて霊的世界の真理を広めてゆくことを考えたという。
しかし、十数年カウンセリング活動を続ける中で、楽して成功を求めるようなスピリチュアリズムの真理に反した物質的価値観による相談や非常識なクレームをつける人が多く、1年間に千件に及ぶカウンセリングの中でも、やってよかったと思えたのは10パーセントにも満たなかったという。そんな中で、霊的な真理という「人生の地図」を普及させることの方がはるかに「人の助け」、「霊界の助け」になると考え、個人カウンセリングを休止し、執筆活動や講演活動に重点を移した。


以上「マスメディアへの登場」以下、現在のオペラ音楽をも含めての幅広い活動の詳細については、ウイキをご覧頂きたい。

みなさんは、死後の世界を信じますか。
ちなみに私自身は、死後も霊魂はあると信じている。ヒンドゥ教自体がリーインカーネーション(生まれ変わり)を信じる宗教で、一昨年の十二月出版した最新刊「涅槃ホテル」(李耶シャンカール)も、転生がテーマのひとつになっている。インド映画でもよく取り挙げられるテーマでもあり、現地人夫のプロポーズの言葉代わりとなったのが、「昨晩、とても不思議な夢を見たよ。コバルトブルーのサリーをまとった君そっくりのインド女性が、男の赤ちゃんがほしいとねだるんだ。ぼくたちはきっと、前世で夫婦だったにちがいないよ」だった。
私自身、彼とは霊的な結びつきだったと信じている。
破滅的な恋にぼろぼろになっていたとき、助けてくれた救世主が彼であったからだ。

あと、私には幽体離脱の体験が何度かある。
子供の頃は就寝中、毎晩のごとく、布団ごと体が宙に浮き上がる現象に見舞われていた。

上の動画で二歳の甥っ子が、亡くなったおじさんが見えるというのも不思議。別の動画(「天国からの手紙」シリーズ、たくさんアップされているので、興味のある方はどうぞ。こういうのが好きな人は結構はまります。私はいちいち、ぽろぽろ涙を流しながら観ていた。お兄ちゃんを亡くしたという幼児も、両親には見えないのに、お兄ちゃん、今来てたよってつぶやき、江原氏に<子供は純粋だから、見えるんだよね>と言わせしめていた)。

*私が読んだ一冊『江原啓之 本音発言』(講談社、2007年)について、ウイキから追加抜粋しておく。同書は対談形式になっており、相手は長らく週刊誌の記者・編集者を務めて来た40代後半の匿名男性。同世代の妻と中学生の娘を持ち、「あの世」や「霊」の存在は一切信じておらず、江原を「インチキ臭い人物」と認識しているとされている。この本の中で江原は、自身に対する批判について「すべて、霊的世界への無理解が根源にある」としている。週刊誌で叩かれたことは最初はショックであったが、自分の著作で既に答えを出していることも知らずに批判しているなど、バッシングの内容が的を射ていなかったり、内容的にどうでもいいことばかりで、大きなダメージを受けたことはないとしている。また、一般誌でバッシングされたおかげで「スピリチュアリズム」という言葉が世の中に浸透したことから、自身を叩く人は「広報活動をしてくれる協力者」とポジティブに捉えているという。対談相手の男性は「霊やあの世の存在は最後まで信じられなかったが、江原の話に考えさせられることは山ほどあった」、「わたしも(スピリチュアリズムに)部分的には目覚めたのでしょうね(笑い)」と述べ、江原の今後の活動に注目してゆきたいと締めくくっている。

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ベンガル海の夕映え(写真)

2016-06-25 19:14:53 | 私の作品(小説・ノンフィクション)
今日の海は夕焼けがきれいだった。
当地は雨季に突入したはずが、雨が降らず、日照り気味。
結局、六月一杯酷暑季が続いたことになる。
さすがにグロッキー。

でも、夕刻の海への散歩は夏ばてした心身をリフレッシュしてくれる。
本日撮った写真を、BGMにジョン・コルトレーンの柔らかいサックスの音色とともにどうぞ。













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目にいいヨガ

2016-06-24 19:37:52 | ヨガ・スピリチュアル
弱視の私は遅ればせながら、目にいい食べ物や、近視やドライアイ、疲れ目に効くヨガを改めて本やネットでチェックして、これから敢行を心がけようと思っているが、すでに行っているドライアイにいい簡単な行法をご紹介したい。

両掌を60回くらいこすりあわせて温かくなったところで、丸めた両掌が閉じた両瞼の上にくるように置いて、200回数え、離すというもの。
掌を離した後涙がうっすら分泌されることからも、ドライアイにいいことがおのずとおわかりになるだろう。

ヨガにはラーフィング行法もあるが、これは正座して、手で床をぱんぱんはたいたり、手拍子を打ったりして声高に笑い続けるというもの。こちらも、終わった後、涙が分泌されてくるのがわかるだろう。寝位で自転車漕ぎをしながら、大声で笑ってもいい。

瞑想も涙の分泌にいい。

あと、私自身は長いことやってなかったんだけど、これから再開しようと思っている行法に、トラットクがある。日本のネットページでは「トラータカ」となっていたけど、正座で目と等位置にろうそくを置いて炎を見つめるというもの。
じっと凝視していると、涙が流れてくるのがわかるだろう。疲れたら、目を閉じて炎の残像(緑色に見える)に集中し瞑想する。
これは日本でやろうと思っていて、結局行わず、インドに戻ってきても怠慢を決め込んでいたのだが、直感的に目にいいからやったほうがいいとずっと感じているので、近日中に始めて日課にする予定。

アサナ(体位)では、うさぎのポーズ、猫のポーズ、コブラのポーズなど、シャバアサナ(屍のポーズ)も目を休めるにいいし、手足の指のほぐし、三日月のポーズなども効果があるようだ。
各ポーズについては、以下のページや、実際に行うにあたっては動画でチェックいただきたい。

目にいい食物は、ブルーベリーやほうれん草、にんじん、キウイ、アボガド、ブロッコリー、牡蠣、青魚、ごま油、くるみ等。ベリーはルテインが含まれ、視力アップにつながるようだ。キウイ、アボガド、ブロッコリー、牡蠣はインドでは入手不可、ほうれん草も冬場しかないし、黒ぶどうもたまにしか入手できないが、普段とってる野菜&フルーツは赤カブ、にんじん、キャベツ、トマト、きゅうり、りんご、バナナ、オレンジ、ぶどう、ライムとジュース中心、ヘルシーを心がけている。あと、ココナッツジュース(椰子汁)を飲むようにしたいのと、ギー(精製牛脂)もいいらしいので、これから摂取を心がけたい(以下ウイキから一部引用。発酵無塩バター(インドでは「マカーン」と言う)を煮詰め、水分や蛋白質を取り除き、純粋な乳脂肪と化したもので、作り方はウシやスイギュウ、ヤギの乳を沸騰させて加熱殺菌した後に乳酸発酵させ、凝固したものを撹拌してバター状にする。これをゆっくり加熱して溶かし、溶けた脂肪分が黄金色になり、沈殿した固形分が褐色になったらろ過して容器に移し、冷ます。加熱ろ過の過程で水分、糖分、蛋白質などが除かれるため、バターよりも腐敗しにくくなり、平均気温の高い地域において長期間、常温で保存することが可能になる。バターに似ているが、加熱する過程でメイラード反応により独特の香ばしい香りが生まれる。調理油として炒め物や菓子作りに用いるほか、炊いた白飯に混ぜたり、焼きたてのチャパティやナーンに塗って食べる)。

ギーはインドでは頻繁に用い、ダルという豆スープ(剥いた小粒の豆<ヒラマメなど>を挽き割ったもの、およびそれを煮込んだ南アジアの料理)の上に垂らしたり、ごはんの上に垂らしたり、ナンというインド製パンにつけたりする。純製バターともいうべき滋味のある黄金色の脂液、マーガリンが体によくないとかで近年バターが見直されてきているが、バターよりももっと精度の高いもので、わが愚息も大好物だ。

*以下、ウイキから一部追加。ギーは食用の他に、インドの宗教儀式にも欠かせない。ヴェーダの宗教の儀式ではしばしばギーが神々に捧げられギーへの讃歌が存在する。ヒンドゥー教のアールティ(Aarti)の祭祀にもギーを燃やす。礼拝の際には神像をギーで沐浴させる他、結婚式や葬式にも用いられる。マハー・シヴァラートリーでのシヴァ神への祈祷を始めとするその他の祭祀には、聖なる物質である砂糖、乳、ヨーグルト、蜂蜜に加えギーが供物とされる。
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英国のEU脱退が我が家に及ぼす影響

2016-06-24 18:55:03 | 私の作品(小説・ノンフィクション)
今ネットで調べて、イギリスのEU離脱が確定したことを知った(23日に行われた欧州連合離脱の是非を問う国民投票は、開票が100%終了した時点の得票率が、離脱派が約52%、残留派が約48%となり、離脱派の勝利に終わった)。

英国EU離脱で市場は大荒れ、キャメロン首相「辞任の意向」

【英国民投票】キャメロン首相辞意表明 EU離脱支持の勝利で

予想では残留派が若干優勢と出ていたので、意外だ。
キャメロン英首相は辞意を表明しているようだが、インド通貨、株指数への影響も大きい。今日の地元英字紙では、残留楽観予想を反映し、ルピーもやや上昇(1ドル=約67ルピー)、株は27000ポイント以上と上昇していたが、現在値は26397、ドルは67.9とほとんど68に届く勢い、明日にはもっとひどいことになっているかもしれない。

外貨価値のないインド通貨ルピーは、下落する一方で、昨夏1ドル65ルピーだったのが、いまや67ちょっと、しかも、昨夏は円も1ドル124円と両替する側にとってはほくほくものだったのが、どんどん下落、今年の2-3月に両替したときは104-106円と急落、がっかりしたものだ。
今、レートを調べたら、102円、晩夏に家族で帰国を予定しているこちとらとしては、ドルを買うのも前に比べると高いし、日本で円に換えても低いと、踏んだり蹴ったり。
八月下旬ごろまでに少しでも円安になっていてくれればありがたいが、現時点では市場は大荒れのようであまり期待できそうもない。

ポンドはいわずもがな、大暴落しているらしい(対ドルで10%超安と、1日の下落幅として史上最大を記録。31年ぶりの安値に沈んでいる。ユーロ相場も対ドルで3%超下落)。

英国民でないので、離脱に関するメリットなどについては言明を避けたいが(ウイキペディアのイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票から一部引用すると。残留派には保守党のエリート、大企業、ニュー・レイバーがついており、欧州の協調や単一市場を支持、ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなど巨大銀行も残留派に多額の資金援助を行っている。離脱派は左翼・右翼の折衷で構成され、民主主義(をEUから取り戻すこと)や公衆の現状への不満などを論じ、英国に流入する移民をコントロールする必要性も唱えている。また、EU法による過度な規制が英国の中小企業の経営を圧迫しているとする議論も展開している。)、世界の通貨情勢の変化の波をもろにかぶる現地通貨事情が、私にとって他人(ひと)事でない。

家族三人そろっての帰国だと、ドルもたくさん買うことになるし、実質的に旅費が目減りするわけで、渋い顔にもなる。

友人が外貨預金をしていて、先の帰国時会ったとき、ひどいめにあったとぼやいていたけど、また円高が進み、今頃頭を抱えているだろう。私も一時期、外貨預金をするべきやいなや迷ったのだが、昨夏の120円半ばで円安も頭打ちだなと思ったので、止めたのだ。止めて大正解、あれからどんどん円高になって、外貨預金してたら元金を割っていたところだった。

海外在住のため、為替の変動にはいつも一喜一憂させられる。
損したと思うことが多いなかで、昨夏のマンション購入にあたっては円安ピーク時で、超ラッキーだった。
と、世界を騒がせているイギリスのEU離脱が、我が家に及ぼす影響をミクロ(極私)的観点で述べてみた。
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アルフィーのロック演歌(動画)

2016-06-23 19:23:49 | 音楽・スポーツほか娯楽
引き続き、アルフィーネタです。
幅広い歌のレパートリーを持つ日本最長42年歴を誇るギターバンド、アルフィーだが、驚くなかれ、演歌もあるんですよ。
まず歌唱力に定評のある桜井さんの数少ない演歌の持ち歌を、詞とともにご堪能ください。
さすらい酒

2012年の埼玉スーパーアリーナにおける夏のイベントで披露されたものだけど、MCでたかみーが「さくらい酒」と譜面に間違って書いてしまいコピーが全員に行きわたってしまったとジョーク、焼酎に目がない左党の桜井さんは苦笑い、でも、桜井さん、いい声、聞かせます!

次はソロでも活躍しているタカミーが、坂本冬実の持ち歌をロックヴァージョンにアレンジしたもの。
ラジオ番組「終わらない夢」に彼女はゲスト出演しており、アルフィーが「メリーアン」でヒットした頃、ファンだったことを明かしている。

Takamiy(高見沢俊彦) - 夜桜お七 [Short Version]
坂本冬美の名曲「夜桜お七」をTakamiy(高見沢俊彦)がカバー。Takamiy­による斬新なアレンジで演歌とメタルが見事なまでの融合を遂げた。スピードメタルがふ­んだんにちりばめられた、ソロ名義3枚目となるオリジナル・フルアルバム「Fanta­sia」に収録!

以下、オリジナル版と比べてみてください。
夜桜お七: 坂本冬美
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夢のバンドとの邂逅

2016-06-23 16:33:35 | 音楽・スポーツほか娯楽
昨夏金沢にベースをもうけ、昨年十二月から試験的に四ヶ月滞在したが(病気治療をかねての長期療養)、貴重な出会いがいくつかあった。
まず、人との遭遇、これは一期一会だったが、私より年長の女性三人に勇気と元気をもらった邂逅で、心に残るいい出会いになった。

そして、もうひとつは、理想の音楽バンドとの邂逅、最近よくこのブログでも動画紹介をしている、THE ALFEEとの出会いである。きっかけは、現地でたまたまラジオNHKのFM番組「終わらない夢」(水曜午後十一時から一時間)を耳にしたことによる。
「夢はつかみ、かなえるもの、音楽は夢への扉を開けてくれます。ぼくたちといっしょに終わらない夢を見つけませんか」の気のきいたナレーションが耳にとまり、私の感性に響くものがあったのである。以後、毎週聞くようになったが、懐かしいGSソングを流してくれるし、しゃべりも面白いし、水曜を楽しみにするようになった。

が、この時点ではまだ彼らの音楽に対して無知で(前知識としてアルフィーがフォークグループだったとの記憶はあり、近年ネットで得た情報で高見沢さんがギターの達人であることは知っていた)、番組で「星空のディスタンス」の過去のヒット曲はじめ、最近のアルバム「三位一体」から新曲を流してくれたりしていたが、とくにはまるというほどではなかった。ただ、夢がテーマというコンセプトが私が求めていたものに合って、当時単身療養中だったせいもあり、ともすればくじけそうになる気弱な気持ちを鼓舞してくれたのだ。

そして、ネット環境の整った本家インドに戻ってウイキや動画をチェック(金沢では図書館のフリーネット=時間制限45分を利用していたせいでメールチェックとブログの短文で精一杯だった)、本格的にはまってしまったのである。ちょうどインドは酷暑季で暑気払いに缶ビールを飲んでアルフィーの動画コンサートを鑑賞しようと思い、以下の2012年の埼玉スーパーアリーナにおけるサマーイベントを選んだ。
THE ALFEE One Night Summer Dream 2012 We Get Requests! part1

これが超すばらしくて、動画なのに昂奮して熱くなってしまった。
この二年ほどギターに興味を持って国内外問わずのギタリスト動画などいろいろ調べていたが、私が求めていたものを全て与えてくれるバンドにようやく行き着いたという感じだった。しかも、現役、よくぞ42年続けてくれた、末席に連なった私をアル中(アルフィー中毒)クラブへようこそと迎えてくれたような感慨、すでに解散したバンドメンバーが何十年かぶりに集って記念コンサートを開いたというのではなくて、求めればいつでもそこにいる、週一度はライブを繰り広げている現役の還暦バンドなんである。

メンバーの高見沢俊彦(愛称たかみー・王子、リーダーでエレキギター&ヴォーカル担当)、坂崎幸之助(アコースティックギター&ヴォーカル担当)の二人が私と同い年(リードヴォーカル兼ベース担当の桜井賢はひとつ年下)というのも親近感を覚えた理由で、楽器にこだわりを持っている、いわゆるギターバンドで、ヴォーカルも三人ともこなし、しかも、ハードロック、フォーク、プログレ、ポップス、演歌までとレパートリーが広く、MCも面白く、サービス精神旺盛な超楽しめるバンド、たかみーのオリジナルナンバーは詞も曲もすばらしく、私の感性にぴったりだ。

この二年ほど、素人なりに変形ギターやギターのボディの色、デザインに興味を持っていた私に(演奏しない見て楽しむだけのギター愛好家)、エンジェルギターはじめの数々のオリジナルデザインで楽しませてくれた。そのうえ、たかみーはルックス・ファッションとゴージャス、とても還暦とは思えない現役のビジュアル系、対照的に桜井さんはスーツ、坂崎さんはカジュアルと、三種三様の個性も面白い。
まさしく目と耳を喜ばせ、笑いもくれる理想のバンドである。

上記コンサートのMCで、「大変なこともあるかもしれないけど、ぼくたちはいつもここで待ってるから」との観客への呼びかけにじいんときて、なぜこのバンドが42年という長期にわたって継続できたのか、理由の一端をつかめたような気がした。
ファンを大事にする気持ち、ってのが痛いほど伝わってきて、自らの音楽性を追及するあまりファンを置き去りにしてしまう元なんとかバンドのたぐいとは一線を画している。もちろん、アーチストである以上、自らの芸術に忠実であっていいわけだが(ピークに達したから解散しますとファンをパニックにおとしいれた有名バンドもあったが、それはそれでそのバンドの方針だからいいとは思うが)、ファンを持ち上げ守り立て乗せて、ライブは観客とともにひとつになって創り上げるものという姿勢が、アルフィーの場合、すばらしい。

初期九年間売れなかった不遇時代を経たことが、レベルヘッドというか、成功してものぼせ上がらずに地に足の付いた地道な活動を続けられた秘訣かもしれない。ステージと観客のボーダーが溶けてなくなってしまうような、一体化した盛り上がり、観客を乗せて持ち上げ、大合唱させるライブテクニックは心憎いほどだ。

アルフィーに出会えてよかったとしみじみ思う。
このようにすばらしいバンドと同時代に生きている幸せ、つらいことがあっても振り向けばいつもそこに元気づけてくれる歌があり、メンバーの笑顔が待っている、現役バンドの同時性の魅力、今年中にコンサートに行く夢がかないますように!

42年という長い芸歴のアルフィーの楽曲は328曲と膨大だけに、隠された名曲がいくつもあって、おいおい紹介していきたいと思っているが、最後にそのうちの一曲をあげさせていただく。

真夏のストレンジャー

横浜スタジアム3DAYSコンサート(1985年)で、若かりし桜井さん(30歳)、スリムでリーゼントスタイルのいきがりがちょっと宇崎竜童を思わせる。
詞が素敵です。たかみーは英文科出身だけに、英語に堪能のようで、数多くの曲に気のきいた英語フレーズがちりばめられている。テーマはひと夏の恋。"strangers in summertime”という英フレーズがいかしている。
♪白い太陽に眩惑された夏 危険な果実の香りが残る♪ この人の詞はほんと、叙情豊かな純文学です。またメロディがマッチして素敵。
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