インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

アルフィーの恋と結婚(埋もれた名ラブソング群)

2016-07-23 16:39:31 | 音楽・スポーツほか娯楽
還暦を超えながら42年に及ぶ精力的なバンド活動を続けているアルフィー、三人のメンバー(リーダー&エレキ担当の高見沢俊彦、アコギ&ドラム担当の坂崎幸之助、リードヴォーカル&ベース担当の桜井賢)の結婚歴が気になるところだが、妻帯者は桜井さんのみ。1983年に「メリーアン」でブレイクする一年前に桜井は結婚、奥様はダンサーとかで、アルフィーの別名義の覆面バンド、ビートボーイ(リーダーは桜井、楽器を持たず歌とダンス中心)の振り付けはご内儀によるものとか。しかし、お子さんはいないらしい。

あと、坂崎さんだが、一応独身ということになっているが、どうも内縁の奥さんがいるようである。爬虫類や猫を飼っているし、ツアーで家を殆ど空ける身には世話してくれる人がいないと困るだろう。ネットによると、2002年時点まで内縁の奥さんの存在がほのめかされており、おそらくその関係は今も続いているものと思われる。

さて、還暦超えてもヴィジュアル系、いまだに美形を保つ高見沢さんだが、独身である。なんかとても不思議なのだが、坂崎さんともども、浮いた噂がないという。だって、売れてるミュージシャンでそれはありえないよな。だから、よっぽど、芸能週刊誌に嗅ぎ付けられないよう慎重にやってきた、ということだろうと私は推測する。

卑近例で恐縮だが、拙ブログでもたびたび紹介している愚息はラップミュージシャン(芸名BIG DEAL)。というわけで、女の子にはもてもてで、ファンの子なんか自ら身を投げ出してくる奔放さ、あしらいが大変とかで、自分の弱点はウーマンと常々洩らしている。以前はビンボー(BIMBO)といって顔だけよくて能無しの女にいかれることが多く、友人たちにおまえは女の趣味が悪いなといわれたそうだが、何人かの(あるいは数知れない?)女性との破局を経て、今は家庭的でキャリアもあって頭のいい恋人をゲット、同棲中である。

とにかく、ミュージシャンはもてる。それが売れてて顔がいいとなれば、なおさらである。美形の高見沢は引く手あまた、もちろん、坂崎だってもてたはずで、それこそファンの女の子が身を投げ出してくることも多々あったろうと思う。妻帯者の桜井だって、そういう意味では同じである。彼は若いときはリーゼントでスリムでなかなかかっこよかったしね。ファンをつまみ食いしたかどうかはわからないが、まあ、とにかく、週刊誌のネタにならなかったからといって、品行方正だったとはいえない。だって、二十代から三十代の男性は性欲が一番盛んなときだもの、聖人君子でいられたわけがない。

作家の山川健一が1989年高見沢をモデルに書いた「蜂の王様」では、それを実証するように、四股も五股もかけていたとあるし、リョウコなる二児の母親との不倫もあったようだ。ファンとしては、この、女から女へ渡り歩く高見沢像は相当ショックだったらしいが(幼いファンは泣いて去っていったとか)、土台純潔なイメージのプリンス像を求めるのが無理というもの。六十二歳になった今でも、恋人はいるだろうと思うし、そのうち、三十代の若い女性と電撃結婚なんてのも、ありえないことではない。

どっかのテレビ番組で、誰か老後の俺の面倒見てくれいとぼやいたらしいが、ファンが競って名乗り出ることだろう(実際、小学生の頃からたかみーの老後の面倒を見ると決めているファンもいる)。

しかし、ネットで調べても、ほんと浮いた噂は出てこないし、なんか不思議な気になる。ジュリーなんて、不倫したら、蜂の巣をつつく騒ぎだったのに。やはり、相当慎重にやっているとしか考えられない。

328曲あるオリジナルナンバーもほとんどがラブソング。これだけ、恋をテーマに詞を書いている人が恋愛経験皆無はありえないでしょう。それどころか、恋愛経験豊富だから、こんなにもたくさんの恋の詞を書けるのだと思う。
無数のラブソングにちりばめられた言葉のきらめき、『口づけ』のロマン、『甘えすぎた』ことの悔い、『痩せた肩』を気遣うやさしさ、『温めてあげたい』との包容力、禁断の恋がテーマの歌もあり、ソロ活動のライヴでは過激な不倫ソングも披露するとか(アルフィーのイメージとしては、そぐわないから、ソロの方で、過激にやっているのだろう)。

以下、埋もれたラブソングをご紹介したい。

別れがテーマの曲が一番多いが、次の桜井さんヴォーカルによる二曲は隠れた名曲である。
最初のは主格が女性で、高見沢が女性の気持ちになって綴った歌だ。
愛だけ哀しすぎて~COMPLEX BLUE~ THE ALFEE 1994 (歌詞はこちら

一月の雨を忘れない

高見沢ヴォーカルの次の曲もいい。雨音が刻むリズムと連動、洒落た仕上がりになっている。
別れの律動

高見沢の曲はどれもエレキによるイントロが何か予感を感じさせる出だしでよく、エレキソロの間奏・後奏もロックアレンジで、フォークでも、ロック調が混じっているのが味噌。演歌も同じで、ロック演歌となるニューアレンジ。バラード調のラブソングは、クラシックの影響を受けているように思える美曲も多く、ピアノで弾くとぴったりのメロディも。高見沢の声はソフトタッチで、「SUNSET SUNRISE KISS」など、歌詞は恋人へのキスでもファンはやさしくほっぺたに口づけされてる気になるし、不思議な声の魔力はヒーリングパワーを持つ。「誓いの明日」で、「ドントワーリー、泣かないでベイベ……もう離さない」と歌われると、恋の意味から外れてああ、もう悩まなくていいんだと、癒されて私などほっとする。

アルフィーのラジオ番組「終わらない夢」(水曜午後十一時NHKFM)でたかみーのファンも言ってた。すごく疲れていたんだけど、アルフィーの音楽かけて高見沢さんの声が温かい空気の塊のように流れ込んできて癒されましたと。桜井さんに比べると、歌唱力は劣るが、たかみーファンはこの声の魔力に取り憑かれているのだろう。歌い手の彼自身がやさしく包容力のある恋人と錯覚させてしまう歌詞とソフトヴォイス、フェミニンな要素のある美形だけに、女性に人気があるのだと思う(氷室京介や、矢沢栄吉はマスキュリンな美形で、男性をそそる美、男性ファンが多い)。

とにかく、たかみーの曲は粒ぞろい、珠玉の名曲だらけである。
もちろん、本来のハードロックにおいても、異才を発揮する。

次は坂崎さんがヴォーカルの哀調を帯びたフォーク美曲。
歌詞がですます調で主格は女性、ほんとに高見沢が書いたのかと疑ったが、確かに彼の作であった。
宛先のない手紙

最後に桜井さんヴォーカルの、ちょっと不思議な歌を。
うつろな瞳
愛の虚無を歌ったものだが、どこか陽水風ニューミュージック。こういう曲も作ってたんだと驚き。
とにかく、この86年にリリースされたALFEE通算8枚目のベスト・アルバム(アルフィーA面コレクションスペシャルアルバムカバー写真はこちら)は名盤である。
『★ALFEEアルフィー ベスト A SIDE COLLECTION SPECIAL 86年』に納められた曲は以下で、ベストと銘打ってるだけあってどれもすばらしい。
A面 ラブレター 踊り子のように 星降る夜に… 冬将軍 無言劇 美しいシーズン 恋人になりたい 宛先のない手紙 通り雨 泣かないでMY LOVE SUNSET SUMMER
B面 別れの律動 暁のパラダイス・ロード メリーアン 星空のディスタンス STARSHIP -光を求めて- 恋人達のペイヴメント シンデレラは眠れない 霧のソフィア 風曜日、君をつれて

B面にお宝曲が多く、「メリーアン」、「星空のディスタンス」、「恋人たちのペイヴメント」のヒット曲や、私の好きな「霧のソフィア」も入っている。

83年から89年までがアルフィーの第一期ピークらしく、29歳から35歳までのたかみーが作った曲には隠れた名ラブソングが多い。

最後に「蜂の王様」(1989)の読者評を一部引用しておく。
「現在進行形で活躍しているミュージシャンをモデルにして小説を書くのは、かなり野心的な取り組みだったと思う。しかし、せっかくの素材を生かしきれていない。おそらく、この作家にそれだけの力量が無いのだろう。もしかしたら、作者が友人だから、高見沢さんは自分を描くことを了承したのかもしれないが、こんな下手な作家に、自分を好き勝手に料理された高見沢さんには、心の底から同情する。
同様に、作中で意味もなく高見沢さんに殴られたり、愛車を勝手に(高見沢さんの)愛人にプレゼントされてしまったりする坂崎さんや、「さようなら〜、さよな〜ら〜♪」と、何度も演歌を歌わせられる(しかも、それしか出番が無い)桜井さんもお気の毒だ。

ポルシェ、ロータス、高価で貴重な数々のギター、ドン・ペリニヨンなど、出てくる小道具はゴージャスなのに、それらを使って描き出す世界は、何故か、と〜〜〜っても貧乏くさい。これが、この作家の力量の限界なのか?
いや、もしかしたら、ゴージャスな小道具を使って、貧乏くさい世界を描き出すことに長けているという、稀有な才能の持ち主なのかも。
結局、この作家は高見沢さんの何を描きたかったのか、読み手に全然伝わってこないという点で、小説としては終わっている思う。
もっと素材を生かせる作家に、高見沢さんを描いてほしかったな。
美しい男をこよなく愛し、ゴージャスな小道具で、デカダンスな世界を演出することができる作家。もう故人だけど、森瑶子さんとか。
私の中では、「踊り子のように」のイメージが浮かんでいる。」(森瑶子張りにそのうち私が高見沢俊彦の魅力を余すところなく書きます、なんて)

「メンバーと出会って20年以上一緒に過ごしたかなりコアなワタシですが、この本はファンにはオススメしません。特にたかみーファン。卒倒します。
おこちゃまは気をつけてね!
セクシーボディにライディングしてるタカミーなんて信じらんない~なんてきゃぴきゃぴ言っちゃうような人は読めません。それからあとの2人はほとんど通りすがり状態なのでそちらのファンの方も読むとむっとします。
山川健一がなんでこのオトコのことを書こうと思ったのか? 
初版を持ってていまだに時々読むのですが全然理解不能。
高見澤俊彦のかなりリアルでそのまんまの[あの時]の生き方がエッジの効いた文章で伝わる結構骨太の一冊です。」
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アルフィーの日本記録

2016-07-22 19:46:51 | 私の作品(小説・ノンフィクション)
経歴42年の日本一長寿バンド、ジ・アルフィー(The Alfee)の知られざる偉業を数字にしてご紹介しよう。

●ヒット曲 
シングル50作連続オリコントップ10入り
最新リリースは、「今日の続きが未来になる」歌詞はこちら
新曲はフォーク調のソフトなメロディ、これまでの戦闘?姿勢とがらりと変わって、がんばらなくてもいい、自然体でいけとのメッセージは、還暦を超えたことでの心境の変化と思われる。そう、やっぱり年を重ねると、夢を追い続けよう、そのために闘えと鼓舞するソングも、どこかつらくなるよね。

一部歌詞を引用(全文はこちら)。

昨日のつづきが今日になり
今日のつづきが明日になる
そんな事の繰り返しが人生という旅

毎日頑張らなくていい
夢をポケットに詰め込んで
ゆっくり歩いてゆけばいい
自分のペースで…

中略

昨日のつづきが現在(イマ)になり
今日のつづきが未来(ミライ)になる
当たり前の素晴らしい一日

人生に勝ち負けなどない
どれだけ自由に生きたのか
だから君との青春は未だ終わらない

中略

何気ないほど…大切な一日
当たり前の素晴らしい一日


関連記事(【オリコン】THE ALFEE、シングル50作連続TOP10 33年で達成「正直ホッ」)から一部引用。
8月にデビュー42周年を迎えるTHE ALFEEの通算65枚目のシングル「今日のつづきが未来になる」(5月25日発売)が初週2.8万枚を売り上げ、6/6付オリコン週間シングルランキング3位に初登場。シングル連続TOP10入り獲得作品数を「50作」の大台に乗せた。
これまで49作連続で並んでいたB’zと嵐を抜き、アーティスト歴代単独2位の快挙(歴代1位=SMAPの55作連続 ※同記録はランクインした全作品を対象)。1983年9/19付で16thシングル「メリーアン」が8位となり、初TOP10入りして以来、33年(32年9ヶ月)かけて達成し、息の長い人気ぶりを証明した。


●経歴 
1974年のデビュー以来一度も解散危機のなかった、42年も続いたバンドで、還暦超えても若々しくパワフル、体調管理に怠りなく、古希を目指す。ポール・マッカートニーのような素敵な七十代になることが、リーダーの高見沢俊彦の夢

●バンド形態 
ロックバンドと銘打っているが、フォークやバラード、演歌、ブルースもこなし、三人のメンバーがそれぞれ持ち味の違ったヴォーカルをこなす(桜井賢がバラード、高見沢俊彦がロック、坂崎幸之助がフォーク主体だが、桜井がプログレ、高見沢がフォーク、坂崎がロックのこともある)。楽器にもこだわりをもち、桜井賢がベース、坂崎幸太郎がアコギ、高見沢俊彦エレキ担当のギターバンドだが、坂崎はドラムやピアノほかの楽器もこなすマルチ奏者、高見沢もピアノが弾ける。MCも器用にこなすコミカルで、エンタテイメント精神旺盛なオールマイティバンド

●コンサート 
1974年フォークグループとしてデビュー、79年ロックバンドとして再デビュー、82年夏ごろからヒットがないにもかかわらず全国ツアーを開催、83年6月21日「メリーアン」(Marie Anne、16枚目のシングル。高見沢は著書の中で「『わが青春のマリアンヌ』“Marianne de ma jeunesse”(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督による1956年の映画)のヒロイン(マリアンヌを英語読み)をイメージして書いた」と記している)でブレイク以降は武道館でのサマーイベント、
1983年 OVER DRIVE-ALFEE 8.24 BUDOKAN- 日本武道館(1983年8月24日、動員10,000人)
当日、会場に訪れた1万人の観客全員に本人たちのプロモーションビデオなどが収録されたビデオテープ(VHS、ベータマックスともに5千個ずつ)がプレゼントされた。
終演後も席を立つ者が無く、アンコールを求める声が止まなかったが、会場に「SINCE 1982」の伴奏が流れ始めると(高見沢が舞台ソデで演奏した、ともいう)次第に静まり、遂には会場一体となって同曲を大合唱した、というエピソードが、「夢さがし アルフィー・高見沢俊彦物語」などでも紹介されている。この大合唱の様子はライブビデオの冒頭に収録されている(88年東京ドームのこけら落とし公演での、12カ国のマーチングバンド合奏の五万名の観客による『終わりなきメッセージ』の大合唱シーンはこちら)。
このライブで、ステージバックに当時日本での流通量が少なかったマーシャルのキャビネット(著者注.写真はこちら)を積み上げたので(マーシャルウォールとも呼ばれた)、日本中の楽器店から、マーシャルのキャビネットが消えたと言われた。


86年には東京ベイエリアで日本初の十万人コンサートを成功させた(動員数92500人)。ライブ回数は2015年1月時点で2500回をマーク(古希までに3000回達成が夢)

●コンサート名 
『東京ベイエリア』、横浜スタジアム3 DAYSの『* DAYS』の名付け親。リーダーの高見沢俊彦が86年当時、ウオーターフロントといった東京湾埋立地13号を、ぴんと来ないので、東京ベイエリアコンサートと命名、連続二ー三日で行われるコンサートも以後「○○コンサート* DAYS」と称するのが一般化した

●ギターコレクション 
リーダーの高見沢俊彦の42年にわたるエレキギターのコレクションは512本(2015年6月24日現在、コレクション動画はこちら)。古希までに600本を目指す

●楽曲 
すべて高見沢俊彦のオリジナル曲で328曲、ぎんぎんのハードロックからプログレ、哀愁あるフォーク、美しいバラード調、ブルース、演歌までこなすレパートリーの広さ。高見沢は子供の頃ピアノを習っていただけあって、クラシックの影響も見られる美曲が多く、美しいメロディと叙情的な詞のセンスは天才的

●名誉学士号 
2014年3月18日、中退した明治学院大学から音楽に貢献した功績で名誉学士号を授けられた。高見沢は明学では島崎藤村の次のアルフィーが有名と豪語している



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ラッパー子息のインドNO.1歯磨き粉コマーシャル 

2016-07-21 16:03:25 | 音楽・スポーツほか娯楽
南インドのIT都市バンガロールをベースに、エンジニアの傍らラップミュージック活動に携わっている息子サミール(芸名BIG DEAL)は今現在、ブータンを演奏旅行中、美しい国でとても気に入っているとのメールを本日くれたばかり(こちらのフェイスブックで、ブータンのホテル前で記念撮影した息子を見ることが出来ます)。

さて、インドNO.1ブランドの歯磨き粉COLGATEアドに出演したときの動画も併せて送ってきたので、早速紹介したい。
Colgate Visible White -The Shine Song Feat Shraddha Sharma & Rapper Big Deal

「コルゲート」といったら、私も使っている超有名ブランドで、アド出演は彼のラッパーキャリアの大きな飛躍だ。
加えて、ブータンでの公演、初の海外ライブで、今後、近隣のアジア諸国への進出もありそうだ。

来月下旬もしくはさ来月初旬に予定している家族そろっての日本帰国は目下、息子が超多忙なので危うい状況になっており、夫婦二人のみの公算が高くなっている。
まあ、今回だめでも、来年があるので。
親といえども、彼は既に経済的に独立した大人、強制は出来ない。
桜を一度みたいと言っているので、来年の四月のほうがベストかもしれない。
とはいえ、これも彼のスケジュール次第なのだが。

前回連れ帰ったときは19歳の大学生、親の庇護下にあったため、帰国同伴も強制したが(それ以前に彼の方で行きたがったし、休暇に合わせてだったので、スケジュールも無理がなかった。ちなみに初の日本洗礼は14歳のとき)、今回はそういうわけにもいくまい。

私としても、今が彼のキャリアにとって大事な時期であることは、充分承知している。

それにしても、少しずつ有名になっていくようで、うれしさ半分の一抹の寂しさも。

近い将来、日本でも公演することになるかもしれない。

みなさま、ご支援のほどくれぐれもよろしく!

Facebook(BIG DEAL)

*インドは今、ラップブーム。ヒンディ映画の主題曲にもラップが頻用されている。若手の大スター主演の映画に息子のラップが採用されれば、一躍スターダムにのし上がるチャンスも。成功を陰ながら祈るばかりだ。


一番右端がラッパー子息、BIG DEAL
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文芸思潮誌、厚意で届く

2016-07-19 16:25:47 | 私の作品(小説・ノンフィクション)
昨日は一日ノンコンタクト&PCデーだった。
理想的には週一度休眼日をもうけたいが、書くことに夢中になると、つい制限を越えてしまいなかなか難しい。

今現在手元に日本語の新著がなく、PCに触らないと時間をもてあますなあと躊躇していたのだが、絶好のタイミングで「文芸思潮」誌が届いていて、助かった。実は今年は正式に定期購読の申し込みをしていなかったのだが、先月私が郵送した同誌主宰のエッセイ賞の投稿原稿のことで編集長(1979年「流謫の島」で群像新人長編小説賞受賞の五十嵐勉氏)からメール連絡があり、大変申し訳ないのだが遅れて届いたこともありどこかに紛失してしまったようなので、メールでいいから原稿をもう一度送ってもらえないかとの依頼があったのだ。
あわててチェックして、ワードを添付ファイルで送稿、ひと息ついた経緯があったわけである。

ということで、気を遣われて、三次予選を通過したとの再度の通知とともに、本誌を遠隔地まで送ってくださったのである。
同誌には過去六年間投稿関係で大変お世話になり、授賞式にも一度参加、編集室にも二度お邪魔している。一介の投稿者に編集長は厚くもてなしてくださり、美味な昼食をご馳走になったうえ、同社で刊行している自費出版本を寄贈戴いたりと、恐縮するほどの歓待ぶりだった。
わざわざ当地まで賞状や記念品を送ってくださるご厚意も二年連続で、このところ不義理をしている私はひたすら恐縮千万である。

実は編集長との接点がひとつあり、それは私が25歳ごろの東京の出版社勤務時代、参加していた新宿の同人誌「中央文学」に編集長も加わっておられたのである。同じ同人誌にいたことを知ったのは、私が「文芸思潮」を知った六年前のことで、なにやら因縁を覚えたものである。もちろん、その頃既に編集長は文芸誌「群像」(講談社)主宰の長編小説賞を受賞しておられ、新進気鋭の作家としてデビューなさっており、作家志望で稚拙な習作時代に甘んじていた私とは大違い、主宰者の厚意で詩一編と短編小説を載せてもらったとはいうものの、到底鑑賞に耐えうる代物じゃなかった。

「中央文学」は数ある同人誌のなかではわりと高名な雑誌で、当時注目されていた女流作家、増田みず子も名を連ねていたのだが(ほかに、新人賞受賞作家も何人かいた)、私は集会にも二度出席しただけの不真面目な会員で、結局二年くらいしか在籍しなかった。

短期とはいえ、同じ同人誌に所属していたというよしみから、編集長は一介の投稿者には過ぎる厚遇をしてくださるのかもしれないとも思うが、お人柄からして、私だけでなく、誰にもそうなのかもしれない。

ところで、今号の特集記事は2015年ノーベル文学賞を受賞した「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ)に絡めた三十年後のチェルノブイリ(1986)の実相を取り扱ったもので、前号のチベット問題も読み応えがあったが、日本にとっても他人(ひと)事でない人災に見舞われた今、被災後の巨大つくしや、後頭部が異常に肥大した乳児、六本足の犬の写真など、戦慄させられるものがあった。今現在、原発のあった場所は石棺状態だが(爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者を動員、4号炉を封じ込めるための構造物は石棺と呼ばれた)、漏れ出しているとかで、ドームで覆う計画らしい(爆発事故で原子炉建屋の上部や一部の側面が吹き飛んだチェルノブイリ原発4号機は、コンクリートや鋼材で「石棺」を築き、放射性物質の外部への飛散を防いだ。わずか半年の突貫工事。耐用年数は30年で、原子炉建屋は風雨にさらされヒビが入るなど老朽化が激しい。そのため4号機の隣では、アーチ型のシェルターの建設が進む。シェルターで4号機を覆う計画で「再石棺」とも呼ばれる。シェルターは高さ109メートル、長さ162メートル、幅257メートル。シェルターを4号機へと横滑りさせるレールを建設中で、完成後、シェルターを動かし4号機を覆う。作業は2017年に完了する予定)。

通常の文芸誌が扱わないような社会問題(核、ナチズムほか)を特集に取り組む方針は、過去六年のタイ在住歴(84-91年)があり、カンボジア問題に関わった編集長ならでは、ポルポトの虐殺や難民キャンプをテーマに作品も上梓なさっているのだ(ノンチャン、NONGCHAN 聖丘寺院へ2013)。
私自身は小説に政治的要素を盛り込むことはないが、年の半分は日本に暮らす身上になった現在、日本の社会問題にも少しずつ目を向けるべきなのだろう。喉もと過ぎれば熱さを忘れるで原発再稼動の動きがあるのは憂慮される。とくに故郷の福井は、原発銀座との異名があるほど、原発の多い地域、もちろん原発産業で潤ってきた地元事情を考慮すると、一概に反対の声もあげられないのだが、脱原発の自然エネルギー推進に向かっていってほしいと、未来の世代のためにも願うばかりだ。

もうひとつ、原石寛追悼特集が、興味深かった。以前、故人の自費出版書(原石寛短編小説集 雪女郎、2014)を一読していた私には、このアマチュア作家の力量は承知済みだったが、妻に先立たれた老残の心情を嘆いたエッセイが、老いと死について考えることの多い昨今の私にとっても、他人事でなく身につまされた。
本業は長唄の師匠であられたが、文学にも才能を発揮され、自費出版で六十冊刊行された偉業は注目に値し、埋もれた在野の作家を掬い上げた文芸思潮誌の功績は大きい。

昨年亡くなられたという氏のご冥福を心からお祈りしたい。
以下、関連記事をどうぞ。
93歳、溢れる創作意欲

関東文芸同人誌交流会の掲示板(原石寛について)

*休眼日といっても、細かい英字の新聞は読むし、文芸誌で活字を追って完全に眼を休ませることにはならなかったが、書かなければ読んでないと、間が持たない私、合間に音楽を聴く休憩も含めて久々に読書を堪能した。




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美しいバラード調のラブソング(アルフィー・埋もれた名曲選2)

2016-07-16 20:46:41 | 音楽・スポーツほか娯楽
アルフィーの隠れた名曲『FAITH OF LOVE』(1988年発売された32枚目のシングル)を紹介する。
ヴォーカルは歌唱力に定評のある桜井賢さん(ベース&リードヴォーカル担当)。
高校生のときフォークコンテストで二度栄冠を勝ち取っただけあって、この人はシンガーになるため生まれてきたような人、天性の喉に恵まれている。

ソングライターの、高見沢俊彦(リーダー)のオリジナル曲はロック始め、バラード、フォーク、演歌、ブルースまで幅広いレパートリー。
ぎんぎんのハードロックもあるが、美しいバラード曲も多く、ヴォーカルが桜井さんだと、美曲は一段と生きる。

以下、映画の主題曲として使われた名曲(1989年の『将軍家光の乱心 激突』<監督:降旗康男、アクション監督:千葉真一>のテーマソングとして採用され、エンディングに使われた)をどうぞ(歌詞はこちら)。
THEALFEE [Faith of love.live]
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不思議なターン(転回)

2016-07-15 19:04:36 | 音楽・スポーツほか娯楽
なんか不思議なところに来たなという感じの昨今、なんのことかというと、私の人生が予想外の方向に転回しつつある予感、のことである。

そもそも、私は若いときから執筆一本やりで(いわゆる執筆バカ)、周囲の友人も読んだり書いたりが好きな人が多く、過去に愛した男はほとんどといっていいほどもの書きだった。

もの書きと一口にいっても、幅広いジャンルがあり、出版社を転々としていたせいで、いわゆる小説の作家でなく、記者とかライターの仲間が多かったのだが、そういう連中に囲まれ、自分も書くことが好きだと、共通点から恋に陥ることもあり、恋人も書く男ばっかりだったのだ(中にはもちろん作家志望者もいた)。

音楽に関しては、移住前に、人並みにロックやジャズ、クラシック、歌謡曲を聴いたが、のめり込むほどのミュージシャンもおらず、この時期行ったコンサートはたったの一回のみ、田園調布で行われた野外ジャズコンサートのみだった。

ジャズはわりと好きで移住初期も聴き続けていたが、そのうち、インドのカオスに呑まれて、ミュージックという分野は私の興味の範疇から脱落していく。
現地では、ヒンディ映画に最低でも6シーンはある、歌って踊っての目玉のミュージカルシーン(俳優は口パク、プロの歌手が吹き替え)の歌が超人気で、結婚式の楽隊はじめ最大ボリュームで流すため、音楽とは騒音という不幸な概念を埋め込まれてしまったのである。

ロマンス、アクション、コメディ、ミュージカルが一緒くたに押し込まれた奇想天外なインド映画の歌は、にぎやかなものばかりでなく、バラード調の美しいソングもあるのだが、いくら美曲でも最大音響で鳴らされたら、うんざりする。

で、次第に音楽を聴かなくなり、年に一、二度帰国したとき、喫茶店や酒場でジャズなどがかかるといいと思ったけど、CDを新規購入することもなく、日本の音楽界にはまったく疎かった。

それがここ数年、私の人生に意外な変化が生じた。
まず一番の驚きは、息子がプロのラッパー(芸名BIG DEAL)になったということ。私の家系、夫のそれを見ても、音楽系は見当たらず、突然変異としかいいようがない。ただ、私の遠い親戚に指揮者がいて直木賞作家もいるので、アーチストの筋があるといえないこともなく、息子はソングライターでもあるので、英作詞などの才能は少しは私から受け継いだのかなとも思う。英作文もうまいと褒められていたようだが、ライターという方向にはいかず、詩のほうにいったということだ。ダージリンの寄宿舎時代、かなり習作を書きこんだらしく、まあ、私も二十代の頃詩にはのめり込んだので、血筋かなとは思う(ちなみに、ラップの洗礼は寄宿舎時代の先輩からだったようで、その人の影響でエミネムにはまって、文化祭などで先輩と組んでラップパフォーマンス、もてはやされていたらしい)。

しかし、曲作りという点に関しては、私はまったくその才能はない、ミュージック音痴、ハーフは両親のいいとこ(優性遺伝子)だけとって生まれるというけど、まあ、なんかミックスした挙句、とんでもない突然変異ができあがっちゃったわけである。

と同時に、私の周囲にも変化が生じ始めた。
移住前からの旧友Fが一世を風靡したGS・NO.1のタイガースの一員のマネージャーになったのである。Fは海外赴任向けガイドブックを刊行しており、どちらかというと、出版畑、音楽に興味があるなどと聴いたこともなかったし、突然の転向にはさすがに驚いた。というか、向こうから降ってきた話らしく、Fにとっても予想外のことだったようである。面倒見のよさが見込まれ、信頼され、地方のドサ周りにまでついていく現在である。

そして、2013年の一時帰国時、このFからタイガースの元オリジナルメンバーが結集して武道館で行うコンサートの招待券をもらったのだった。アリーナでなく二階席だったが、正面のわりと見やすい席で初めて日本のミュージシャンの大規模コンサートを楽しんだのである。

戻って、ふと息子にタイガースの動画を送って、ファッションなどの参考にしてもらおうと、若い頃のジュリーの動画を覗いていて、あまりの美しさと歌のうまさに完全にはまってしまった。二年くらい若・美ジュリーの動画を漁り続けて、感嘆の息をもらしていたが、現実にはこの「男も見ただけで妊娠する」との伝説をとった超美ジュリーは存在せず(現在のご本人の変貌は著しく、もはやヴィジュアル系とはいえない)、ヴァーチャルの偶像に心酔しているようなもので、次第に冷めていった。

この間、GSについて改めて調べなおしたり、動画をチェックしたりしているうちに、エレキギターに興味を持ち出し、ネットでかなり調べ、国内外のアーチストの動画も除いた。そして、音楽がテーマの小説も三篇ほど書いた。モデルは息子やジュリー、タイガース、テンプターズなどである。

で、どんどん音楽にはまっていき、それでも、古い世代の私にはラップはよくわからず、息子の作品に関して言えば、詞もよくできているし、メロディラインも美しいとは思うものの、やっぱり普通に歌い上げてくれたほうが、旧世代としてはぴったりくるわけである。
ジュリー以外にも昔の歌手の懐メロもずいぶん聴いたが、所詮過去の人、とくに心酔することもなく、月日が過ぎていった。

そして、金沢にベースを設け、昨年十二月から実験的に四ヶ月ほどの仮生活を始め、ラジオNHKのFMでアルフィーの「終わらない夢」(水曜午後十一時から)を聴いたわけである。まだこの時点でははまるというほどでなく、昔のGSの懐かしい曲を流してくれるし、トークも面白いので毎週聴いていたわけだが、四月に本家のインドに戻って、本格的にアルフィーについて調べ始め、あまりのすばらしさにいかれてしまったわけだった。
バンドミュージックに焦がれてきたが、元なんとかグループでなく、ちゃんとした現役のバンド、それも、同世代の1974年から続いている、私も名前と一、二のヒット曲くらいは知っていたバンド、42年も続いていること自体が驚異だが、でなければ、この理想のバンドには巡り会えなかったわけで、運命的なものを感じている。

これまで心酔するのは作家が主だったが(移住前映画やテレビドラマが好きだった私は、ファンになった俳優も何人かいた)のめり込める標的をミュージシャンに見出したことの喜び、それもヴァーチャルでなく現実に楽しめるバンドに行き合ったのだ。

で、触発されて、四作目の音楽小説を書いた。

人生って、ほんとアンプレディクタブル、予想外のハプニングが起こる。
大体自分の思い通りにはいかないもので、小説に関して言えば、まさか亡父の伝記小説(「車の荒木鬼」2011)を書くとは思ってもいなかったし、音楽をテーマにした小説など、五年前までミュージック音痴に等しかった私には思いもよらないことだった。

アルフィーについては、調べれば調べるほどすごいバンドで、還暦超えての若々しさとパワフルさは、私のリヴィングモデルでもある。
普通プロデビューして十年近く芽が出ないと、あきらめるよなあ。楽曲担当の高見沢俊彦は不遇時代、十曲もっていって十曲全部だめといわれて、追い詰められたって言ってたし、そういう困難期に耐え抜いてがんばったというのが、すごい。しかも、今もって切磋琢磨、異業種とのコラボや、若いミュージシャンとのギター格闘、常に刺激を求め、自分のアートに取り入れる姿勢、雲の上のスターだが、生き方の見本としたいようなアーチストである。

越谷だったかどこかのコンサートで、MCなしで九曲ぶっつづけで展開、あまりのすごさに客席を悶絶させたというレポートもあり、私でなくとも、この人たちはほんとに還暦超えているのかと、信じられない思いになるだろう。
ワンパターンでなく、常に観客をサプライズさせるライヴスタイル、客席がとりこになるのも無理はない。客はいつも乗り乗りの大爆発、盛り上がりで、大満足、超楽しんで、会場を去っていく。カタルシスをくれるエンタテイナー、メッセージソングはヒーリングパワーがあるし、まあとにかく、このバンドはすごい。
42年続いただけのことはある。
しかし、すごい、すごいと連発するのは、今は抑えておこう。
コンサートを現実に見るまでは。

われとわが目で確かめるまでは。ただ、この夢をテーマにする不思議なバンドは、私の期待を絶対裏切らないような気がするのである。

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恒例の山車祭り終了

2016-07-15 17:32:34 | 宗教・儀式
先般6日、恒例の山車祭り(ラトヤートラ)が催されたが、三位一体神(主神ジャガンナート神とバラバドラー兄神とスバドラー妹神)が祀られた三台の華麗な装飾を施された巨大な山車は、夕刻ごろから雨が降り出して、中途で立ち往生を余儀なくされ、続行は翌日に延期された。

これに先立つこと(前祭スナナヤトラ)、108杯の香水桶を浴びた三神は二週間熱を出して寝込まれ、インド古来の自然薬アユールヴェーダで回復された十五日後に病気療養名目で、本殿ジャガンナートテンプルから三キロ離れた叔母神の誕生寺グンディチャテンプルに、一台ずつ(兄、妹、主神の順)信徒の手によって引いていかれるのだ。

以前は山車の上にはしごでよじのぼってご神体にタッチすることが許可されていたが、昨年から禁止となって、賛否両論かしましい昨今、熱心な信徒にとっては、一年に一度神様が外出なさる機会におさわりできないのは哀しいだろう。

ユニバースロード、宇宙の主のジャガンナート神はカースト・信条問わず、平等を標榜する神様で、イスラム教やキリスト教、仏教信者の異教徒もこの年に一度の機会だけお目見えかなうのだが、普段は本殿はじめの寺院は異教徒立ち入り禁止である。ジャガンナート神のアヴァター(へんげ)が仏陀ともいわれているせいで、日本人にはなじみやすいヒンドゥ神だが、信条問わない宇宙の主なのだから、寺院への参拝も許可してほしいところだ。

というわけで、私は一度も中にお参りしたことがないが、花が咲き乱れ、大変美しい域内と聞く。たまに異教徒が群衆に紛れて侵入する事件も起こっているが、事後大騒動に発展、お清めの儀式が行われたりする物々しさである。

昨年(7月18日)のパリヴァルタンといわれる18年に一度の稀な山車祭り、聖木で新たに作り替えられたご神体に旧体からご精魂を移し変えられる儀式時は普段の二倍弱、170万人の人出があったようだが(そのころ私は帰国)、今年は例年通り100万人ほど。ただ、帰社祭の翌日のスナベシャ=黄金仮装祭=以下2015動画をどうぞ)では150万。手足のない三神の偶像が、黄金の手足をつけられ、王冠、首・耳飾り、鎚矛、蓮、ほら貝、車輪で金尽くしに飾られ、信者の前にお披露目される)。

神様のごりやくか、雨季でも豪雨に見舞われることはめったになく、テロ警戒から警備も厳重なこともあって比較的安全無事に敢行されるのだが、本殿ジャガンナートテンプルのまします門前大通り(グランドバザール)は、立錐の余地もない人出になり、病死や殺到死者も毎年数名出る(金の鎖など金目のものを身に着けていると、引きちぎられることも)。昔は、神様の巨大な車輪(ジャガンナート主神のお乗りになった山車は16車輪、兄神14、妹神12)にひかれて死ねば極楽往生できるとの言い伝えもあったらしく、車輪の前に身を投げ出す信徒もいたとか。

昨日14日は、帰社祭(バフーダヤトラ)が行われ、元の本殿にまた引かれてお戻りになる行事も終了した。

以下、ラトヤトラを動画でどうぞ。
Puri Jagannath Ratha Yatra 2016 (Car Festival 2016)
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八十年代を席捲した二つのロックバンド、アルフィー対BOØWY

2016-07-14 16:49:40 | 音楽・スポーツほか娯楽
創作がらみでアルフィーファンのブログを読み込む毎日だが、アルフィーのファンは熱狂的といわれるだけあって、ブログもマニアックで詳しい。ただのコンサートの感想文、ミーハーのきゃあきゃあわーわーと違って、一端の音楽論を展開しているのもあるし、そもそもアルフィーをテーマにブログを書くくらいだから、狂信的かつ長年のコアファンでもあり、たかみーの女性ファンなど、双眼鏡でいちいち彼のギターをチェック、機種まで詳述しているほどだ。あたしは素人と断りながら、この詳しさはもうトーシロとはいえないだろう。まあ、たかみーのコアファンであれば、おのずとギターには興味を持たずにはいられなくなり、ネットなどでチェック、あるいは渋谷の楽器店ESPにエンジェルシリーズを見学に行ったりして、自然と詳しくなっていくのだろうが。

作家にとって、読者が侮れないのと同様、ミュージシャンにとっても、ファンは見下せない。中に目利きがいて、鋭い批評を下すセミプロ級のクリティックがいるからだ。アルフィーもそういうファンに磨かれてきたといえるし、私にとっても、それが酷評であれ的を得たものなら大変勉強になるし、次回に活かそうと殊勝な気持ちにもなる。

ねたがばれると困るので、ここに明かせないのだが、私の中で長編のテーマが少しずつ固まりつつある昨今、それはこの三ヶ月ほどのめり込んでいることと大いに関連性のあるテーマで、といっても、今すぐに書くというのでなく、少し時間をかけて温めたいと思っている。というか、これから歳月をかけて実体験して、その経験を元に主人公の心理を掘り下げたいので。音楽がテーマの一環であることだけは告げておく。

さて、アルフィーのコンサート感想をチェックしていて、以下のブログ記事にあたったので、紹介しておく。
ALFEE@東京国際フォーラム@超ネタバレ

一部感想を引用。
ハードロックにメタル、ユーロビート、フォーク、
洋楽カバー、珠玉のバラードまで詰め込まれるこの凝縮されたセトリ。
こんなのが聴けるLIVEはやはりALFEE以外にゃ無いな、と改めて(笑)。
ステージへの情熱、3人のチームワーク、曲とライティングの一体感・・・
何処を切り取っても素晴らしすぎるし、とにかく熱い。熱すぎる。
観る度に、この人たちが還暦だってのを未だ私は信じられないです。
歌詞の1文字1文字、メロディの1つ1つからから元気を貰え、背中を押され、
これでまた暫くの間、スッキリと日常を過ごせそうです。
あぁ、ホント良かった。

この方は本来はヒムロック(氷室京介、 1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位、94年以降アメリカでの活動が増え、1997年に家族と共にロサンゼルスに移住)の熱狂的なファンで、同じブログ内に、氷室京介の最後の引退コンサートとなったライブについても感想を書いているので、こちらも併せて紹介したい。
氷室京介ドキュメントの衝撃

ミュージシャンにとって耳をやられることは、死活問題、今現在目の問題を抱える作家の私にとっても、ひと事でなく、あまりの痛ましさに嘆息が洩れる。加瀬邦彦は喉頭がんで声帯切除、声が出せなくなったことを悲観して自殺した(2015年74歳没)。手術しようかどうか迷っていたとき、エレキギターの師匠的存在の加山雄三に命を優先すべきと手術を勧められ、踏み切ったそうだが、結果的には手術せずに余命は短くても歌えるところまで歌えたほうが、彼にとってもよかったのかもしれない。
絶望のあまりの自害だが、気持ちは痛いほどよくわかる。加瀬さんて、ジュリーのプロデューサー、恩人的存在でもあった。ワイルドワンズの頃から長年ミュージック活動に携わってきて最後に声が出せなくなる死病に見舞われるとは、あまりに悲惨すぎる。

ただ、氷室さんはライヴは無理でも、CDのほうは今後も出していくみたいなので、熱狂的なファンにとっては、救われるだろう。
私は彼がもてはやされた時代にはすでにインドに移住していたので、名前を少し聞いた記憶があるくらいでまったく詳しくないのだが、一時期音楽がらみで少し調べたことがあって、バンドのBOØWY(暴威)時代から始まって六年後にキャリアの頂点で解散(1981-1987)、その後ソロ活動で大物にのしあがった経緯はネット情報から得ている。

さて、同じ八十年代に活躍したアルフィーとBOØWYの接点だが、デビューは74年とアルフィーのほうが七年早い。ただアルフィーがブレイクしたのは83年なので、活動時期が重なるのだ。互いにどういう風に思っていたか、興味があるが、ある意味泥臭い、ださいともいえる(私はそこが好き)フォーク転身ロックグループ、アルフィーに比べ、BOØWYは都会的スマートさにあふれ、同じバンドでも対照的だ。氷室さんの動画を覗いたことがあるが、スタイリストぶりが際立っていた。

ところが、ひとつ共通点があった。
それはフランスのファッションデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエである。
以下、ゴルチエのウイキから一部引用させていただくと。
日本のアーティストにもファンが多く、80年代に活躍したBOØWYが樫山とのタイアップで衣装を着用したり、1989年には、THE ALFEEのライブとゴルティエのファッションショーが融合したイベントツアー「THE ALFEE with Jean-Paul GAULTIERツアー」を催した。このツアーでは、ALFEEのメンバーの衣装をJean-Paul GAULTIERで統一。前半と後半の間では15分間のファッションショーが催された。
THE ALFEE WITH Jean Paul GAULTIER

と、ステージ衣装がゴルチエと共通した一時期があったのである。
で、推測するに、八十年代を席捲した両バンドは同じロックと言っても水と油くらいに性質は違いながらも、お互いライバルとして意識し合っていたように思える。とくに、アルフィーの高見沢俊彦とBOØWYの布袋寅泰は同じエレキギター巧奏者として、それとなく意識しあっていたのではなかろうか(布袋のほうが八歳年下。当時の二人のギターは前者が変形、後者がボディにオリジナルの幾何学模様を施したものだった)。
ただし、アルフィーはブレイク以降「夜のヒットスタジオ」の常連、BOØWYはテレビ出演を極力避け、「夜のヒットスタジオ」には数えるくらいしか出ていない。以下は、そのときの貴重な画像。
BOOWY 夜のヒットスタジオ

個人的に好きな曲は「わがままジュリエット」で以前は「夜のヒットスタジオ」版もアップされていたのだが、消されちゃったみたいなので、以下1986年3月の青山スパイラルホールでのライブ演奏をどうぞ。
BOOWY/わがままジュリエット

半年とたたない、同86年8月東京ベイエリア十万人コンサートでアルフィーが初披露した名曲、高見沢俊彦が13年かけてたどり着いたという、60年代の学生運動をテーマにしたナンバーを、BOOWYと比較しながらどうぞ(スタイルも歌も対照的なくらい違うな)。当日初演奏され、初めて聴くにもかかわらず、観客が一体となって最後のリフレイン部分を大合唱したという伝説のある名曲(歌詞はこちら)です。
アルフィー 「Rockdom ~風に吹かれて~」 1986年 TOKYO BAY-AREA


最後に最後部のファンにも見えるように高所にある聖火台を駆け上がって、十万人のファンにもろ手を挙げて挨拶するサービスがなんといえないな。
ちなみに歌詞に歌われている1969年は、全共闘運動が東京大学で勃発、燎原の火のごとく全国に広がって、国公立大学や私立大学の大半が何らかの闘争状態となった学生運動のエポック年です。


*以下、BOØWYについてウイキから一部引用加筆しておく。
エイトビートを基調としポップでありつつもシャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンドや、ジャン=ポール・ゴルチエをステージ衣装に使用したり、今日のロックシーンでは当たり前となった逆立てたヘアースタイルなどの斬新なビジュアル等が多くの支持を集め、5thアルバム『BEAT EMOTION』と6thアルバム『PSYCHOPATH』は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録した。シングルでも1987年に「MARIONETTE」が初登場1位を記録し、名実共にトップバンドへとのし上がった。
しかし絶頂の最中にあった1987年12月24日に解散を宣言。この突然の出来事は世間に大きな衝撃を与えた。翌年1988年4月4日、5日に東京ドームで行った『LAST GIGS』にてバンド活動に終止符を打つ。9万枚以上用意されていたこのライブのチケットは僅か10分で完売、予約の電話が殺到した結果、文京区の電話回線がパンクするという事態も起こり、これら一連の流れからBOØWYボウイの人気は社会現象にまで発展した。
翌月にリリースされた『“LAST GIGS”』は、ライブ・アルバムとしては異例とも言える150万枚のセールスを記録している。
その音楽性、「誰にも似ない」「何処にも属さない」というバンドスタイル、メディアをほとんど利用しない強気な姿勢、斬新なビジュアル、絶頂期での解散、後に起こるバンドブームの火付け役となり、全国に数多くのロックキッズを産むなど、BOØWYボウイが及ぼした影響は絶大である。解散後も、ベスト・アルバムや未発表音源がリリースされると常にチャートの上位にランクインしており、今日もなお日本のロックシーンに変革をもたらしたバンドとしてその地位を確固たるものとしている。
音楽雑誌等ではしばしば「BOØWYボウイ以前」「BOØWYボウイ以後」と表記され、フォロワーと呼ばれるバンドやミュージシャンも数多く登場している。

アルフィーの東京ベイエリアにおける十万人コンサートが1986年であること考えると、アルフィーのピーク時、BOØWYはロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録しトップバンドにのしあがったことになるが、1987年の解散宣言で、彗星のごとく登場した天才バンドは短期で消滅した。

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日照り(ベンガル海写真付き)

2016-07-14 16:30:19 | 私の作品(小説・ノンフィクション)
当地はすでに雨季に突入したはずが、雨がほとんどといっていいほど降らない。もう一週間あまりも低気圧が続き、どんより大気のまどろむ悪天だが、雨がないのはどういうわけか(
熱気と湿度が飽満する密な空気は息苦しく、ヨガをサボると、一日中だるくてすっきりしないので、起床後やりたくない、めんどくさいと思っても、一日を乗り切るため、自分に強制している現状)。

州都ブバネシュワールや旧州都カタックでは、豪雨の日もあったようだが、六十数キロ離れていると、向こうで降ってもこっちでは降らないという、不思議な現象になるらしい。

ベンガル湾のそばなので、海洋性気候、街中とは違うというのもあるかもしれない。
一昨日撮った曇天下の海の写真をアップしておきたい。











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高見沢俊彦のスカル(どくろ)ファッション

2016-07-13 16:11:11 | 音楽・スポーツほか娯楽
アルフィーの音楽に嵌っている昨今、三人のうちで一番好きなのはやはり高見沢さん。とにかくゴージャスで華があって目の保養。歌唱力では桜井さんに劣るけど、私が高く買っているのはソングライター力と、ギター演技と、還暦超えてのヴィジュアル性。
歌詞と曲は本当にすばらしい。四十二年のキャリアで330曲近くあるらしいが、埋もれた名曲だらけである。

私と同世代のGSマニアだっただけあって、ラブソングもこちらの感性に合うものが多いし、メッセージソングも訴える力が強い。
エレキギターの間奏ソロは超かっこいいし、何より際立つのは華麗な王朝風ガウンスタイルだろう(長衣についてはロングコートというのが通称のようだが、私はガウンかローブを使いたい)。王子と愛称される由縁だが、ファンには目の保養(王子の命名は吉田拓郎、某テレビ番組でなんだ、おまえ王子のような恰好しやがってと揶揄されたことから、高見沢では呼びにくいので王子というニックネームで通称されるようになったとか)。
ギターテクニックについては賛否両論あるが、私は彼の型にはまらない自由な弾き方、俗に音痴奏法といわれる荒弾きが好きである。アーミングの使いすぎでわんわんするのが少し耳障りなこともあるが、技術でなく演技、ギター独演が絵になることは誰もが認めるだろう。

弦を弾く手も美しく手入れを怠らず、タトゥやいくつもの指輪とマニキュアで飾り、目を楽しませてくれる。

さて、トレードマークである王子ファッションは華麗の一言に尽きるが(高見沢俊彦衣装展@JAP工房、こちらのページで衣装の一部をチェックできます)、彼はスカル柄愛好者のようで、黒のギターストラップに白抜きのどくろ、ギターピックまで王冠付きのどくろ模様、ガウンの柄もビニール地の黒に大きなスカル模様が並んだもの、ちょうちん袖までシルバースカルという、実に粋なステージ衣装で際立っていた動画も観たことがある(こちらの動画の6:21の恋の炎でたかみーのスカルファッション、裾お引きずりのどくろ模様コートを目撃できます)。

で、改めてこのスカル柄について調べてみると、日本でも人気で、元々はアメリカのセレブリティたちに流行したものらしく、ロック界では骨まで愛する、という象徴なのだそうだ。気持ちが悪いという方もいるかもしれないが、私はいかしていると思う。不良、ワルのシンボルともいわれ、原始時代から人食い人種も人骨のどくろ首飾りで粋がっていたことを思うと、大昔から男のおしゃれのひとつ、強さのシンボル、男性力の象徴だったわけである。
モダンな現代では、強さの象徴というより、不良っぽく粋がった、最先端のおしゃれということになるが、スカル模様が高見沢さんほどよく似合うミュージシャンはいないと思う。

とにかく、かっこいい。
そのうち、わがラッパー子息にも薦めてみようと思っている。

最後に、歌いきましょう。
THE ALFEE 白夜

出だしが不安定で音痴、聞くに耐えないと思われても、少し我慢して聞いてみてください。
さびの♪このまま二人揺れあって 白夜の果てで抱き合って♪が乗るメロディラインで(歌詞はこちら)、野外会場(夕暮れか夜明けか、淡い朱鷺色の空が歌のイメージにマッチ)も大合唱になっているが、私がとても好きな一曲である。
後年の英語版CRIMSON KISS(99年のベルリンコンサートで披露)より、日本語版のほうが断然いい。
真夏に夜通し揺れあう恋人たち、若い頃ってお酒に酔って恋人同士酔い冷ましに外で夜明かし、抱き合ってふらふらってことあるよね。そんな青春を思い起こさせる、素敵なラブソングです。
ライヴではなかなか歌ってくれないそうだから、アルフィーの埋もれた名曲に入るかな。

高見沢さんの声って、舌っ足らずで甘ったるくて、不思議な魅力があります。メッセージソングは、ヒーリングパワーあります。うまくなくても、情感がこもっているせいか、こちらの胸にぐっと届くものがある(客席で顔を覆って泣いているファンもいるよね)。


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