インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

過激になってきた五・六話(悪魔のようなあいつ)

2017-02-19 19:29:58 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
先の記事で紹介した1975年のジュリー主演のドラマ「悪魔のようなあいつ」の五・六回分を見た。
やっと少し伝説のドラマらしくなってきた。未熟さが目立ったジュリーの演技も、役に乗ってきて、なかなかいい。
以下、どうぞ。
悪魔のようなあいつ 5話

五話のハイライトは篠ひろ子の、オールバックヌード(ジュリーとのベッドシーンにおける一場面)。背中とかとてもきれいで、白皙の美肌で見とれる。もうひとつ過激なシーンは荒木一郎のレイプシーン(1969年の自身のレイプ容疑スキャンダルを彷彿させるようなスリリングさ)。今の報道基準に照らし合わせれば、かなりやばいシーンかも。

最後に流れる「時の過ぎ行くままに」、定番だけどとてもいい。

興味のある方は、六話もどうぞ。
悪魔のようなあいつ 6話

見ものは尾崎紀世彦によるレイプシーン。まだ売れてない頃のちょい役チンピラ歌手、でも75年当時から揉み上げは健在(汚れ役に完全と挑むけなげさがいい)。

ラストの血まみれの乱闘シーン、雨に濡れながら立ち去るジュリーに、BGMは「時の過ぎ行くままに」、これも決まった。
三話まで退屈だったが、我慢して見た甲斐はあった。

まだ筋の運びがのろいのだが、ジュリーが徐々にいい味出してきている。
死病に犯されたニヒルな美形のゲイボーイ、三億円事件の真犯人という設定の役柄が評価されたというウイキの一文に当初うなずけなかったのだが、ここまできて、なるほどと半ば納得、この先続けて見ればもっとよくなるのかもしれない。期待したい。

ジュリーファンでない人は四話くらいから見ると、いいかも。
ベッドシーンやレイプシーンに興味のある人は、五話をどうぞ。
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七十年代のジュリー主演ドラマ(「悪魔のようなあいつ」動画)

2017-02-19 15:37:30 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
二年ほど前に1975年のジュリー(沢田研二)主演のドラマ「悪魔のようなあいつ」についての記事を書いたが、最近ドラマ動画にはまっている私は、その見たいと焦がれていたドラマがアップされているのに気づき、昨夜で四話まで鑑賞した。
まずは、このドラマについての過去のブログ記事をお読みいただきたい。
伝説の凄絶エロいゲイドラマ

次は第一話。
悪魔のようなあいつ 1話

楽しみにしてたのだが、正直言って退屈だった。ジュリーのファンなら、若い頃の美顔が拝めるので楽しめるかもしれないが、なんか主人公の加門良というのは暴力的なすごいキャラである。それにこれだけ美しい顔をしているのに、周りが当たり前のように受け止めているのも不自然。まあ、いちいち感嘆してたら、話が進まないけど。あと、ジュリーはあまり演技がうまくない。
ひと月ほど前に以下の夏目雅子、森下愛子との共演ドラマ(ザ・サスペンス「陽のあたる場所」)も見たが(こちらの方がストーリ性があって面白い)、世良正則のほうがうまくて、ジュリーはいまいちなんである。誰だったかベテラン俳優が(うろ覚えだが三国連太郎だったか?)、ショーケンがひとつの場面を演じるに際していくつものポケットを持っているのに対して、ジュリーはひとつしか持たないって評していたけど、やはりこの人の本領は歌手なのだと思う。

あと、長谷川和彦の脚本がよろしくない。鳴り物入りかもしれないが、なんか暗い(当時の風潮か)。アングラ。会話も面白くない。一面長谷川和彦らしいともいえるのだが、阿久悠・上村一夫の原作があるにしろ、もう少し面白くシナリオが書けたはずだ。
しかし、「時の過ぎ行くままに」がこのドラマのテーマソングになっていて、男娼役のジュリーが店でアコギ片手に弾き語りをする、一話のラストシーンはよい。

話と退屈で見るのに忍耐を強いられたが、やっと四話あたりから少し面白くなってきた。これからどうなっていくか、私も乗りかかった船で最後まで見るつもりだが、ジュリーファンの方には、男も見ただけで妊娠するとの伝説を取った美顔が拝めるので、わくわく楽しいかも。劇中の主人公の独特のファッション、粋にかしげたパナマ帽とサスペンダーパンツスタイルは若い男性の間で流行ったそうだが、確かにそういう目で見れば小道具として生きていて素敵(このパナマ帽ファッションは、カサブランカ・ダンディ<動画>でも生きてるね)。

アップしてくれた人には感謝。ビューの少なさから、どうも最近のようだ。ファンというのはありがたいねえ。

しかしここに紹介すると、動画が消されてしまうことも多いので、お早めにどうぞ。18回あたりまで続くので、いっぺんに見るのは大変だけど。
特筆すべきは尾崎紀世彦がちょい役で(ゲスト出演?)出ていて演技がなかなか様になっていること。看護婦役の篠ひろ子も若くてきれい。1969年強制猥褻致傷容疑で逮捕されスキャンダラスを巻き起こしたあの荒木一郎も好演してるよ。

四話まで見たところでは、過去に私が形容した「伝説の凄絶エロいゲイドラマ」でもなんでもなくてがっかりだが、続きを見ることによって、意見も変わっていくかもしれない。

*一口メモウイキから一部引用)
『悪魔のようなあいつ』は、阿久悠が原作を手掛け、上村一夫が作画を担当し講談社『ヤングレディ』に連載された漫画、およびそれを原作として1975年6月6日から同年9月26日までTBS系列で放送されたテレビドラマ。1968年12月10日に発生し、放送された年の12月10日に未解決のまま時効を迎えた三億円強奪事件をモチーフとした作品である。
以前から沢田研二にほれ込んでいた久世光彦が、企画書を沢田が所属していた渡辺プロダクションに持ち込み、当時としては珍しい漫画原作のテレビドラマ化が実現、漫画・ドラマ・番組中に流れる楽曲という連動したメディア展開を図った。沢田研二と関わりを持ちたがっていた阿久悠が原作を手掛け、脚本は後に『太陽を盗んだ男』を手掛ける長谷川和彦が担当した。
ドラマ化に際し、三億円事件を題材に取り上げたそのストーリーが原作共々注目された。現実の時間通りに迫り来る時効に合わせて物語が進展する奇抜な設定と、沢田をはじめとして若山富三郎、藤竜也、篠ひろ子など、豪華なキャスティングで放送前から話題となっていた。しかし、男が男を愛するという設定やレイプシーン、毎回登場するベッドシーン、なおかつそれがよりリアルに感じられるスタジオセットであることが、当時の世相にはまだ受け入れられにくく、各話平均10%程度(最高11.6%)であった。「悪くない」程度の視聴率を獲得したが、制作サイドの要求水準に達せず、数話削った形で放送が終了した。その一方、劇中で沢田が着用した斜め被りのパナマ帽とサスペンダーという独特のファッションが若い男性の間で流行した。どこか儚なげで幸薄いニヒルな微笑みや、男の色気を魅せる主人公を演じた沢田の演技も高く買われた。過激な内容でスキャンダラスであるがゆえに、伝説的なドラマとなった。
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ハードロックの古典(動画)

2017-02-17 18:14:48 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
ここしばらく小説が続いたので、久々に音楽をお届けしたい。

日本でラジオで聞いて懐かしくて、図書館でもCDレンタルした、アメリカのロックバンド・グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad、GFR。1960年代末から70年代半ばにかけて商業的成功を収めた。二度の解散と再結成を経て、2012年現在も活動中)による「ハートブレイカー」。改めて動画で覗いてみて、繰り返し聞くほどはまっているので、紹介したい。
有名な曲なので、ご存じの方もいると思う。

以下、懐かしのハードロック古典をどうぞ。
GRAND FUNK RAILROAD with "Heartbreaker". (Live Version) Originally from the 1969 LP, "On Time"

ウイキから一部引用させていただくと。
1968年頃より勃興していたニューロック、又はヘヴィロック(現在のハードロック)のスタイルをいち早く取り入れ、1969年にかつての同僚であるナイトをプロデューサーに迎えたアルバム『グランド・ファンク・レイルロード登場 (On Time) 』でデビューする。レッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座をやった際にその凄まじい歌と演奏力で聴衆を熱狂させたことにより、ロックファンにその名を轟かすようになる。アルバムからシングルカットされた「ハートブレイカー」はハードロックの古典となっており、ザ・タイガースがコンサートのレパートリーとして取り上げたり、後々フォークシンガーとしてデビューする井上陽水がこの曲のコード進行を模倣して「傘がない」を書いたように、日本では早くから人気があった。1971年の来日公演は激しい雷雨の中で行なわれた。当時のロック伝説のひとつに数えられる後楽園球場の演奏は、あまりの過激ぶりに主催者の内野二朗は怒りと心痛で疲労困憊。これがキョードー東京がハードロックを手掛けない理由の一つになった。

タイガースがコンサートのレパートリーとして取り上げたり、井上陽水がこの曲のコード進行を模倣して「傘がない」を書いたとは、知らなかった。ジュリーのカバーを調べたが、残念ながらなかった。ジュリーは元々ロック志向だったから、この曲が気に入っていたのもうなずける。ハードロックなのだが、ちょっと哀愁がかっているのがいい。

ボーカルギタリストのマーク・ファーナーが使っているギターはヴェレノ。ネックもボディもアルミニウム製だけあって、どおりで演奏中照明を反映してきらりきらりと光るわけだ。ウエーブがかったブルネット長髪、上半身裸のセクシーなマークにはまってとてもクール、しびれます!
グランド・ファンク・レイルロード ハートブレイカー Grand Funk Railroad Heartbreaker

ほかに全米でヒットNO1を記録した二枚もどうぞ。
まずは、「アメリカン・バンド」(1973年、トッド・ラングレンにプロデュースを委ねたアルバム『アメリカン・バンド (We're an American Band) 』を発表し、同名シングル曲が全米1位を獲得する大ヒットを記録した)。
Grand Funk Railroad - We're An American Band LIVE - 1974

次はご機嫌な「ロコモーション」(アルバム『輝くグランド・ファンク (Shinin' On) 』では、1962年に全米1位を獲得したジェリー・ゴーフィン & キャロル・キング作によるリトル・エヴァ (Little Eva) の大ヒット曲「ロコモーション (The Loco-Motion)」をハードロック風にアレンジしたカバーがシングルカットされ、全米1位を獲得、グランド・ファンク最大のヒットシングルとなった)。
Grand Funk Railroad - The Locomotion

日本でも往時よく流されていたっけ。懐かしいハードロックで青春を思い出す。
最後に、マーク・ファーナーが使っているほかのギターについては、以下のマニアのページ(Micro-Frets SIGNATURE)をどうぞ(この人、GFRのマニアックなファンだけあって半端でない詳しさ。ご自分もマークのギターコレクションをしているらしい。ギター生齧りでメカ音痴の私にはついてけない専門記事)。

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「ジャパニーズドリーム」解説(あとがきに代えて)と、続編

2017-02-16 19:40:49 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
「ジャパニーズドリーム」解説(あとがきに代えて)

 インド移住(1987年)前に「インディアンドリーム」(火野撚子)というタイトルの掌編小説が、月刊カドカワ掌編小説大賞(選者は吉行淳之介)の佳作に入ったことがこの作品の発端となっている。
 この十枚ほどの短い作品が基となって、移住期間中に書き継いで中篇小説に発展、折々に推敲を重ね、各文学賞にトライするも落選、2012年に銀華文学賞に投稿して、念願の受賞を果たしたものである。
 自伝といってもいい筋書きだが、ラストのエピローグは著者の願望を文字にしたもので、実際には作中名ロビンとは再会を果たしておらず、消息不明である。

 小説のように、日本でなくても世界のどこかで成功していてほしいと、罪悪感の疼きと共に、初老に入った私は思うばかりだ。実際には謝罪できずにきたが、その贖罪のつもりで、エピローグをこう締めくくったのである。

 また85年当時のカルカッタが生き生きと描かれており(今の私には書けないヴィヴィッドさ)、甘酸っぱい郷愁をそそる青春小説である。


*後先になりましたが、第二弾の小説(「ジャパニーズドリーム」)の解説を送らせていただきました。忌憚のないご意見・感想をコメント欄にお寄せくださると、幸甚です。


*なお、この小説の続編をお読みになりたい方は、「涅槃ホテル」内の冒頭作品「マリッジチケット」(1985年度早稲田文学賞最終選考作品)をご購読ください。主人公名は変えてありますが、日本が舞台の万里子とロビンのその後です。興味のある方は、以下のアマゾンでどうぞお買い上げくださいますように。
「涅槃ホテル」(李耶シャンカール、ブイツーソリューション、2014年12月)




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「ダブルマリッジ」解説(あとがきに代えて)

2017-02-16 19:23:03 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
「ダブルマリッジ」解説(あとがきに代えて)

 移住後の五十代の頃の作品で、各文学賞に投稿して、なかでも2012年度の「やまなし文学賞」の最終選考に残った(四年ほど前)という意味で、会心の出来といってもいいフィクションである。
 イスラム教徒のポリガミーにかねてより興味を持っており、アイディアを思いついて作品として結実した。

 若い頃は私的体験を元にした私小説ばかり書いていた私だが、この作品に関してはまったくのフィクションである。知人編集者に、エピローグがありきたりすぎる、イスラムの重婚制度に対する批判や怒り、反感はないのか、いまだにお互い愛しているでは甘すぎるエンドといわれ、締めくくり方が二転三転したが、結局オリジナルどおりに納まることになった。著者本人には一番しっくり来る終わり方だったからである。

 宗教、とくにイスラム教徒のニカー(婚姻制度)というタブーのトピックに触れることで、日本にどう受け入れられるか憂慮したが、やまなし文学賞で選に漏れたとはいえ、認めてもらえ、この種のフィクションを書くことに自信がついた。

 イスラム教徒のニカーをテーマにした作品はほかにもあり(別のアングル)、そのうちアップしたい。

*後先になりましたが、最初に発表した作品(ダブルマリッジ)の解説を送らせていただきました。忌憚のないご意見・感想をコメント欄にお寄せくださると、幸甚です。


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「聖娼婦」解説(あとがきに代えて)

2017-02-16 18:47:07 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
「聖娼婦」(解説)あとがきに代えて

 移住(1987年)前の二十代後半から三十代初めにかけての作品で、原題は「29歳の初夏」、ペンネームは火野撚子だった。以後、推敲を重ね、タイトルも「聖娼婦」に変更、2013年に文芸思潮誌主宰の「銀華文学賞」(投稿者は45歳以上の中高年者に限られる。既存の文学賞が若者偏向なのに対し、シルバー世代向けという私にとってはありがたい文学賞だった)に投稿、佳作賞を受賞した短編私小説で、そのときのタイトルは昭和時代のストーリーということもあって、「昭和聖娼婦」とした(ペンネームはすでに用いていた李耶シャンカールとした)。
 このたびブログに公表するにあたって、題は前の「聖娼婦」に戻したが、いまだにオリジナル(「29歳の初夏」)の方がよいようにも思え、迷うところである。

 三十歳を前にした若い女性の心の揺らぎ、死にとらわれる虚無感を描いた私小説で、著者本人が29歳だった当事の身辺をほぼ忠実に作品化したものである。
 作中の街娼・朱実は、名前は変えてあるが、著者本人が直接に関わった、いわゆる立ちんぼといわれる街角に立つ売春婦で、彼女について書きたかったのである(そのため、改筆作品のタイトルは聖なる娼婦を意味する「聖娼婦」となった)。
 作品は、春をひさぐ朱実に重ね合わせて、奔放な主人公・馨の男性遍歴が語られる。

 私にとっては、作中登場人物すべてにモデルがいることから、痛みをもって思い出さずにはいられない、青春時代への感傷もこめて、なかなか感慨深い作品である。


*よろしかったら、コメント欄に忌憚のないご意見・感想をお寄せください。酷評大歓迎!

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聖娼婦4(銀華賞佳作作品)

2017-02-16 18:05:30 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
   
    四

 一磨が別れしな、「電話しろよ」と命令調で投げてよこした電話番号が走り書きされた紙はしばらく、馨のバッグの底に皺くちゃになったまま押し込まれていた。その日、ふと思い立って気紛れに電話してみると、意外にも一磨は「ペニーレイン」で逢って一夜を共にした行きずりの女のことを覚えていた。
 --何ですぐ電話しなかったんだよ。
 言葉尻に咎めるような調子があった。
 --あなたにとって私は所詮行きずりの女、電話しても冷たくされるのが落ちだろうと思ったのよ。
 --おい、おい、俺が毎晩、女の子、引っかけてるなんて思わないでくれよな。こう見えても、君のことはちゃんと気になっていたんだ。
 --七つも年上の女への憐れみ?
 --素直じゃないんだな。唯、君には単なる行きずりの女と片づけてしまえないものを感じただけのことだよ。まぁ、この際、それはいいけど。君はとにかく今、俺に電話してくれてるんだから、それを大事にしようよ。早速だけど、明日逢おうよ。急すぎるなんて、言わないでくれよ。何故って、明日は俺の二十三歳の誕生日なんだ。
 若い男は強引だった。馨が返事をためらっている隙に一方的に約束の場所を二人が初めて逢った「ペニーレイン」に指定してしまった。

 路傍の花屋に飛び込んだ馨は少し迷った末に、鮮やかな真紅にきらめく薔薇を十本選んだ。直前になって、一磨が今日は俺の誕生日だと言っていたことを思い出したのだ。薄紫が成熟した大人の女の色なら、若く美しい一磨には、何といっても真っ赤な薔薇が似合いそうだった。
 「ペニーレイン」で一磨は、初めて逢ったときと同じカウンターの一隅に腰掛けていた。軽く右手を挙げて合図する一磨に、馨は無言の笑みを返しながら後ろ手に隠し持った薔薇の花束をとっさに差し出していた。
「おめでとう」
 恥じらいと裏返しのぶっきらぼうな声で馨は祝福する。
「有難う」
 洒落た麻の背広に身を包んだ一磨は思いがけない贈り物に満更でもなさそうに、薔薇の一本を抜き取って鼻孔に近づけたともなく、うっとりと目をつむって香りを堪能するようにした。他の男ならこれ見よがしのとてつもなく気障と映るそのしぐさも、美しい一磨にかかってはお似合いという他はなく、馨はその心憎いまでに一幅の絵になっている光景に思わず、見とれた。
「また逢えて嬉しいよ」
 何という絶妙のタイミングで発される効果抜群のセリフ、馨は年甲斐もなく恋初めし乙女のように感激する。しばし恋愛ごっこに興じるかのように、馨は若く美しい一磨との駆け引きを楽しんだ。
 店を出た後、一磨はもう一軒梯子するというまだるっこい手続きはとらずに、直接馨を誘ってきた。酔いに赤らんだ目にはぎらぎらした欲情が漲っていた。一磨のその既に自分のものになった女を当然のように求める目つきが馨には決していやでなかった。今夜は娼婦のように淫らに抱かれたい。若い男って、一晩に何度も励んでくれるからいい、と言った朱実さんのあけすけな声が鼓膜に生々しく蘇る。
 その夜、馨は街娼の体が乗り移ったかのように溌剌とした若さに撓う一磨の肉体を淫靡に挑発し、情欲をもろに刺激された若い肉体は猛々しく燃えた。狂おしく縺れ合った二つの体はシーツの谷間を烈しく浮き沈みし、ついに精魂尽き果てたように墜ちた。
「俺、こんなの、初めてだよ。君は素晴らしい」
 事後、仰向けになって深々と煙草を吹かしていた一磨の口から、欲情が満たされたことの深い満足のため息が洩れ出た。

 一磨が長身の背を折り曲げて、ブリーフに足を通している。馨の目の端を過った股間の黒々と逞しい一物はたちまち淡いグリーンの小さな布きれに覆われてしまう。
「ねぇ、盆休み、京都に一緒に行こうか」
 一磨は若い恋人にするような屈託のない誘い方をして、馨を満更でもなく嬉しがらせる。「京都は、俺の産まれ育った街なんだよ。大学二年のとき、親父の会社が倒産したことで借金取りに追われ、夜逃げ同然に故郷を追われる羽目になっちまったけどね」
 太陽のように輝かしい一縷の翳りもないと見えたアポロンの彫像にひと筋の亀裂が入り、紛う方ない歪みにひび割れるのを、馨は茫然とした顔つきで見守っていた。
「俺はそれまで、甘やかされて何不自由なく育った金持ちのボンボンでね、外車すっ飛ばして女の尻追っかけ回してるようなプレーボーイだったんだ。金とルックスが幸いして、女は面白いように引っかかってきたもんさ。当時は俺が欲しいと望んだもので手に入らなかったものは何一つないし、実際全てが俺の思い通りになった。身の程知らずにも地球は俺一人にために回っているんだと思ってたくらいだよ。それが運命の急変でどん底へ転落、三階建ての豪邸も、札束も高級外車も無情にも羽根が生えたように飛んでいっちまった。やれやれ、人生って酷いもんだよ。この若さで人生の辛酸嘗めさせられることになろうとは思ってもみなかったよ」
 精巧で美しい顔の線がシニカルに歪み、苦いアフォリズムを吐き捨てる。
「こんな話、嘘っぽくて信じられないだろ。我ながら、臭くって芝居じみてるよな。いやになっちまうけど、残念ながらほんとの話。俺はね、運命が俺の人生を180度転回させたとき、決めたんだ。運命の女神に必ず復讐してやるって。0がたかだか八つ付いた数字に人間が踊らされてなるものか。出世して大物になって親父を踏みにじった奴らを必ず見返してやるって。一部上場のコンピュータ会社に就職を決めたのは、その手始めでもあるんだ」
 馨は何だか全てが興醒めてゆくようだった。一磨だけは少なくともそうした人生の屈折からは程遠い、夜毎女を引っかけて歩く陽気な色事師、百発百中のハント率を誇る天下無敵のプレーボーイであってほしかった。アポロンのように輝かしい貌の美しさに身の上話は似合わない、唯一馨の虚無を癒してくれる神通力のように思えたのに……。

 梅雨が上がって本格的な夏の到来を迎えたその日、およそ二週間ぶりにK企画に顔を出した馨は、オフィスの雰囲気がいつもと違って妙に白々しているのを敏感に嗅ぎつけた。入り口付近にある相馬の机に本人の姿は見当たらず、空席を囲ったままになっていた。顔見知りの編集部員たちの自分を見る好奇混じりの刺すような視線に異変を感じ取った馨は若い事務の女の子を摑まえて、すかさず問うていた。
「何かあったの」
 女の子はちょっと眉根を寄せたような困った面持ちになった後、投げやりに放った。
「相馬さんが、会社のカメラを持ち逃げして、蒸発してしまったんです」
 寝耳に水の話だった。最後に相馬から連絡があったのは一週間前のことで、そのときの受話器越しの口調にはとりたてて変化は見えなかった。雑誌が刷り上がったのでとりに来るように言われたのだが、馨は体調がよくないことを理由に辞退したのだった。思えば、最後に相馬の顔を見たのは奇しくも、馨が女将夫婦の家に泊めてもらう成り行きになったあの二週間前の夜のことだった。横浜のタウン誌に賭ける意気込みを滔々と捲し立てる相馬からは、後のそうした行為に繋がる悩みの片鱗も窺えなかった。この二週間という短い期間に、馨にすら言えないような、何か急激な心の変化に見舞われたとでもいうのだろうか。いくら考えても、何が突然、相馬をして、そのような突拍子もない行為に駆り立てさせたのかわからなかった。
 それにしても、その原因の一端が紛れもない自分にあるとしたら……。あのお堀端で相馬が有沢のことを口にして以来、二人の間にはどことなくぎくしゃくした雰囲気が紛れ込むようになった。あたかも有沢陶という目に見えない存在が二人の間に立ちはだかり、空気を重苦しくしているかのようであったのだ。
 二人ともが意図して有沢の話題を避けているような節すらあった。馨自身、もし相馬がもう一度有沢のことを口にしたら、今度は白を切り通す自信がないような気がして恐かった。喉仏に引っかかりながらも、臭いものに蓋をするように有沢のことは闇に葬り、頬被りをして当たり障りのない話題に終始しつづけた。馨はその間中、どこか上の空でいた。相馬は敏感に馨の異変を嗅ぎつけ、それが有沢のせいと薄々かぎとりつつも、何もかもが白日の下に晒されてしまうこと、即ち意中の女(ひと)と敬愛する師匠の爛れた関係を目の当たりにするのが恐くて、頑なに口を閉ざしていた。
 そして、そのことの鬱屈が相馬をして、突如蒸発へと駆り立てさせたことの引き金になったとしたら……。馨はしくりとした良心の疼きを覚えずにはいられなかった。
 女の子は探るような目つきになって馨にちらりと冷たい一瞥をくれると、さらに衝撃を上塗りするような事実を明かした。
「相馬さん、給料三ヶ月分前借りしてるだけでなく、あちこちの飲み屋にも付けが溜まってるらしいですよ」

 相馬の蒸発とともに馨とK企画の契約も自然解消し、それに伴うように横浜という街との付き合いもぱたりと跡絶えた。ひと月程経った頃、どこで調べたものか、馨のアパートにだしぬけに「金壺」の女将から電話がかかってきた。
 --相馬さんが忽然と行方をくらましちまったことは、あんただって、とうに聞いて知ってるだろ。その後、あんたの方に何か連絡は入らなかったかい。
 女将は凄味のあるどすのきいたような声で投げた。
 --いえ。
 女将の剣幕に気圧された馨は、気後れしたように小さな声で答えるのみだった。
 --十万も付けが溜まってるんだよ。言いたかないけど、あんたが帰る電車がなくなってシティホテルに泊まったときだって、うちが立て替えたんだ。おばさん、来月の給料で必ず返すから、一万だけ貸してよと、あのひたむきな目で拝まれると、私も弱くってね、ついつい言いなりに出しちまって……。今時珍しく純情ですれてない青年だと信頼してたのに、こんな掌返すようなことして。
 馨には一言の弁明の余地もなかった。十万、十万と恨めしげに垂れる女将に自分にできる範囲で賠償することを約すると、電話を切った。

 その夜、どうにもやり切れぬ気分で若い男に救いを求めた馨は、「ペニーレイン」で一目一磨を見た刹那、一頃あれ程にも自分の虚無を晴らしてくれた男の神通力が忽然と失せているのに愕然とした。このひと月間別れを延ばし延ばしにして呼び出されるままずるずる重ねてきた逢瀬の終末がどうやら、目と鼻の先に迫っているようだった。
 馨はなろうことなら、完全無瑕と見えた一磨のマスクの下に隠された秘密など、暴いてもらいたくはなかった。若い男は無惨にもその仮面を剥いで酷い現実を突きつけたのだ。そのことで輝かしいアポロンの容貌までが地に落ちてしまった。もはや知らん振りを決め込んで目を塞いでいる芸当はこれ以上できそうもなかった。
 びしっと決めた背広姿でブランド物のネクタイを締めた一磨は外見だけとれば、すらりとした長身の非の打ちどころなく美しい青年に見えた。輝かしい仮面の下にどろどろした怨念が渦巻いているなど、誰が想像しえようか。
「俺、来月、チーフに昇任するんだ」
 誇らしげに開口一番放った一磨に、
「おめでとう」
 心にもない祝福の言葉を口にしながら、馨は、組織という巨大な歯車の一つに組み込まれた一磨がエスカレータ式に昇進を遂げて、しかるべき役職に就任する未来を思い浮かべた。それが、一磨のいう「成功」なのだ。レールに一旦乗っかってしまえば、あとは踏み外さないように慎重に歩んでいけばよい。そうすれば、その先には自ずと出世が約束されているだろう。父親が事業に失敗した煽りをまともに食らった息子は小利口にも、一番危なげないコースを選んだのである。一磨が、見返してやると言ったのは、こういうことなのだ。
 馨はできるものなら、一磨が唯一の残された武器であるその美しい容貌を楯にとって社会に真っ向から歯向かっていってほしかった。それを一磨に期待するには、あまりに傷つきすぎていたとしても……
 これが最後になるだろうとの予感を胸に、馨はいっこうに燃え上がらない体で一磨に抱かれた。

「あの道路の向こうに見えてる、白いでっかいビルが俺の会社……。そこの歩道橋の上から見送ってくれるかい」
 時計と睨めっこしながらあたふたとアイスコーヒーを飲み終わった一磨は甘ったれた口調でせがんだ。馨は無言で若い男の最後の我儘を受け入れた。
「また電話しろよ」
 いつものように命令口調で投げながら、一磨は素早く背を翻す。馨は、一磨の長身の背がビルの入り口へ一直線に向かう巨大な集団の渦に呑まれるのを、歩道橋の上からぼんやり見下ろしていた。あの巨大なベルトコンベアーから未来永劫に弾き出されてしまった自らの宙ぶらりんな境遇にいくばくかの後ろめたさも覚えながら……。
 一磨は一磨の人生を歩むのだ。馨とは全く別の人生を……。
 馨が一磨に与えられるものは何もないし、一磨から得るものも何ひとつない。二つの道はどこまで行っても平行線を辿り、決して交わることはないだろう。

 既に高く昇った夏の朝日はぎらりと射るような烈光を馨の顔全体に降り注ぎ、その陽射しの匂いに触発されるようにつと身の裡に生々しく蘇るものがあった。その瞬間、不意に胸が掻きむしられるような郷愁とともに、インドのあの強烈な陽射しが落ちてきた。
 光と影が交錯するあわいに、熱気と喧騒に渦巻く混沌とした街並みが、清濁併せ呑んで滔々と流れる悠久の大河とともに、蜃気楼のように揺らめき昇る。あの猥雑な裏路地の奥に潜む秘密めかした娼窟で昼日中から春をひさぐ娼婦たち、あたかも泥沼を割ってぽかりと浄らかな面(おもて)を弾ける白蓮にも似て吹き溜りに忽然と咲いた花のような少女売娼たち、あどけない聖娼婦にヒモ同然にたかる怪しげなポン引き紛いの男ども、そして、いかがわしい場末の巣窟でバイヤーの浅黒い手から手へと回され、品定めされている日本製のカメラ……。
 もうどちらが汚れているのかわからない、と馨は思う。若い情夫に心底入れ揚げて春をひさぎ続ける朱実さんと、若い男と遊んで虚無を晴らそうとした自分と……。馨とは比べものにならぬくらい無数の男たちの垢を肉の襞のそこかしこに染み込ませながら、魂だけは穢れに染まらず純白の蓮のように浄らかな朱実さん……。有沢との過去がいまさらながら、心に重くのしかかる。十七歳も年上の、離婚歴が三度もある男との、地獄巡りのようだったインド行脚……。
 二人の関係を薄々嗅ぎつけながらも、ついに最後まで問い詰め仕舞いだった相馬……。挙げ句の果てに、師匠と仰いだ元上司の悪業をなぞるようにカメラを持ち逃げし、蒸発してしまった。それが馨の心に最も深い打撃を及ぼす効果的な復讐法と知っていたごとくに……。
相馬をそこまで駆り立てたのはやはり他ならぬ、自分だったのだろう。馨は胸が掻きむしられるような悔恨とともに思う。有沢が奇しくものたもうたように、自分には男を狂わせる魔力のようなものが備わっているのかもしれない。これが最後の恋と信じた有沢は地位も家庭もなげうって、十七歳も年下の女との道行きに賭けた挙げ句に、死にぞこないの無様な醜態を曝すに至ったのだから……。
 身の裡にぶり返すように、インドの何もかも灼き尽くすような苛烈な陽射しが蘇る。真っ昼間から、怪しげな路地裏に立って客を引く売娼たち……。原色のサリーをしどけなく着崩した厚化粧の女たちの影が幾つも交錯するあわいに、馨は、紛れもない自らの面(おもて)と朱実さんの顔を目の当たりにしたような気がして、背筋にぞくっと冷たい戦慄が走るのを覚えた(了)。


著者の自作解説(あとがきに代えて)はこちら
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聖娼婦3(銀華賞佳作作品)

2017-02-16 18:04:51 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)

   三

 カウンターの隅でバーボンの水割りを啜りながら、馨は所在なげにテーブル席の若者たちのざわめきを遠巻きに眺めている。ここ渋谷にある「ペニーレイン」は、ビートルズの曲名からとった店名とリーズナブルな値段が若い男女に人気で、いつ来てもテーブル席はほぼ満員の人いきれに溢れていた。ライター仲間の女性と待ち合わせたのだが、どうしたことか彼女はいっこうに現れなかった。
 テーブル席に納まり切れなかった客がカウンターにも押し寄せ、座席が空くのを待ちあぐねたように移っていった。馨の右隣の席はそんな風にして幾度か埋まったあげくに、今は女友だちの不在の証跡のようにぽかりと空席を囲っていた。痺れを切らした馨が電話をかけに立ちまた戻ったとき、右隣の席は背広姿の若い男の背で塞がれていた。女友だちは自宅にも勤務先にも不在だった。
 馨がやや間を開けて腰を下ろした刹那、ふとした拍子に隣席の男と肘が触れ合った。男が矢庭に顔を振り向けた。精巧な彫像のように整った、完膚なきまでに美しい顔立ちをしていた。
「お独りですか」
 男がさりげなく訊いてきた。
「いえ、もう一時間近く待ってるんですけど、どうやらすっぽかされちゃったらしくって……」
 馨はこの見ず知らずの若い男に、腹立ち紛れに愚痴をこぼしたいような気持ちになっていた。
「あなたのような美しい女性をすっぽかすなんて、とんでもない野郎だな」
 若者は馨の待ち人を勝手に異性と決めつけて、歯の浮くようなセリフを吐いた。馨は満更でもない気分でやや芝居じみた口調で返した。
「どうせ逢っても、また別れ話になるに決まってるんですもの」
 偶々酒場で行き合わせた若く美しい男と束の間、会話の遊戯に興じたいような気になっていた。
「今夜は実は、僕もちょっとむしゃくしゃすることがあって一人なんです。よろしかったら、一緒に飲みませんか」
 岡倉一磨と名乗る二十二歳、馨より七つ年下の若者は、馨も知っている外資系のコンピューターメーカー勤務で、ちょうどこのパブのはすかいに建つ巨大なビルが本社だと、無警戒に明かした。馨は飛び抜けて美しい容姿が自ずと華やかな雰囲気をまき散らしている一磨との軽妙な会話をひととき楽しんだ。一時間後、女友だちにすっぽかされたことの穴埋めは充分できたような思いで中腰になったとき、絶好のタイミングで一磨の手が引き止めた。
「もう一軒、寄っていきませんか。スペイン風のちょっと洒落たバーがあるんです」

 「カルメン」という名のそのバーは迷路のように入り組んだ路地裏の一角にあった。エキゾチックな異国情緒趣味の穴蔵酒場で、奇妙なでこぼこに盛り上がった黄褐色の土壁がガウディの前衛建築を思わせるような、いかにも個性的な店だった。若者の熱気に溢れた「ペニーレイン」とは一変した大人の雰囲気の店で、いかにも静かで落ち着けるたたずまいがあった。気がつくと、一磨が入れていたボトルはいつしか空になっており、終電車もなくなっていた。
 店を出た二人の足は自ずと、暗黙の了解でその種の場所へと向かっていた。一磨を一目見たときから、馨にはもしかしてこんなことになるのではないかとの漠とした予感と恐れがあった。だから、「ペニーレイン」では早めに一磨との会話を切り上げたのである。が、一磨の強引な手の力が漠とした恐れを封じ込め、強い誘惑へと駆り立てた。あのとき一磨の後に従ったときから、自分にはこの行きずりの会合が行き着く結末が見えていたはずだ。「カルメン」での儀礼上の会話を飛び越えた先に、どう隠しようもない程露わに場末のホテルで絡みつく男女の裸体があった。
 誘ったのは、馨でもあり、また、一磨でもあった。馨は溌剌とした若さに漲る肉体が自分を組み伏す刹那的な快楽に溺れた。一夜限りの情交の相手としては一磨は申し分ないくらい美しすぎた。

 翌日の午後、来月号の企画打ち合わせと称してK企画に呼び出された馨は、会議が終わった後、案の定相馬から「金壺」へと誘われた。相馬はこの間のシティホテルの一件はすっかり忘れたような顔をしていたものの、馨が何より恐れていたのは、また二人にとってタブーとなる話題を持ち出されることだった。しかし、当然付いてくるものと信じて疑わぬ相馬の邪気のない顔色を見ると、面と向かっていやとは言えなかった。
 その夜に限って、相馬の酒の回りは早かった。
「僕はね、東京には見切りをつけるつもりで、この横浜のタウン誌に賭けたんだ」
 呂律の回らなくなった怪しげに縺れる舌で口火を切るや、次から次へと機関銃のようにほとばしる言葉の衝動を抑えられないようだった。
「僕には、このタウン誌を一般商業誌に優るとも劣らぬ規模の売れる雑誌にしてみせるという野心があるんだ」
 馨はどこか上の空で、相馬の振るう熱弁が右の耳から左の耳にすうーっと突き抜けていくままに任せていた。相馬が熱っぽく語れば語る程、心はそれと裏腹に冷めていくようだった。そんな二人のちぐはぐなやりとりを目にしていた女将は思い余ったように、唐突に訊いた。
「カオルちゃん、あんた、幾つだっけ?」
「二十九歳……」
「若いねぇ。まだ三十にもなってないんだねぇ」
「若くないですよ」
 素っ気なく退けながら馨は、魂は六十の老婆のように擦り切れてボロボロですと言いかけそうになる次の言葉を呑み込んだ。女将はあたかも馨のその声にならなかった思いを掬い上げたかのように、
「そう、あんたときたら、ほんと枯れてるよねぇ。あんたが酔って乱れるの、一度も見たことないよ。あんたって人は、皆が酔っ払っても、最後まで一人冷静な頭を保ったままじいーっと片隅から意地悪く観察してる人だよ」
「そのとおり。カオルちゃんて、いつだって冷めてんだから…… 頭がよくってクールで」  朱実さんが我が意を得たりと言わんばかりに相槌を打った後、
「うちも、カオルちゃんのようにクールだったら、人生でこんな間違い犯さずにすんだろうに……」
 苦渋に満ちた悔恨ともつかぬ喘ぎを洩らした。
 馨の腹の底からしんしんとした寂しさが衝き上げてくる。この店にいると、しまいにはいつもこんな風なやり切れない気分に襲われる。全く、この店程、よく人の哀しみや寂しさが透けて見える店もなかった。肝っ玉女将の広げる懐に客は安心して拠りかかり、ひととき赤子に帰って人生の積もり積もった鬱憤を晴らすのだ。
「アケミちゃん、人生、後悔するのはまだ早いよ。あんたはゆうに、私より二十も若いじゃないか。これから、これから……」
「そうだよね、弱音吐いちゃいられない。さぁて、これからひと稼ぎしにいくかぁ」
 朱実さんは健気にも自らを鼓舞すると、真っ赤な口紅を輪郭を食み出すほどにけばけばしく塗り直し、ふらりと店を出ていった。疲労が色濃く滲み出たその後ろ姿には、朱実さんが過ぎてきた四十年近い人生の重みがのしかかり、堆積で萎縮しているように見えた。
「金壺」に一旦腰を下ろしてしまうと、終電の時刻などどうでもよくなってしまい、結局、その夜もずるずると閉店まで居座った挙げ句に、成り行き上馨だけ女将夫婦の家に泊めてもらう算段になった。
 いつものようにオフィスで夜明かしするという相馬と別れ、馨が行き着いた先は店から徒歩二十分程のところにあるうらびれた木造の貸家だった。都心で暮らす一人息子と離れて老夫婦二人だけで生活する所帯は、いかにも荒涼とした寂しい気配に満ちていた。店では、あれ程にも温ったかい肝っ玉母さん的雰囲気を振りまいている女将が家では、人生にほとほとくたびれ果てた老い先短い老女の素顔を垣間覗かせ、生きることなどとっくに放棄したかのごとくに投げやりな諦め切った風情で暮らしているのであった。
 二間きりしかない室内は雑然と足の踏み場もないほどのとり散らかりようで、目を背けたくなるようなすさみきった荒廃を呈していた。そこには、老いて尚豊かな生活に恵まれず、死ぬまで老体を鞭打って働き続けねばならぬ生活の忍従のようなものが澱(おり)のように澱んでいた。思えば、この老夫婦が店に託した名前、「金壺」とは、他ならぬ、土中から掘り起こした壺の中から小判がざくざく出てくる一攫千金の夢にちがいなかったろうが、現実にはそれは所詮、一生涯手の届きそうもない遠い夢の世界の出来事でしかないのだった。
 馨は女将夫婦のあからさまな生活の実態を目の当たりにし、土足でずかずか入り込むように二人の私生活を侵した己の遠慮会釈のないやり方を心底恥じた。人生に倦み疲れた一介の老女に成り下がった女将は全身でその非礼を詰り、馨の全存在を真っ向から拒絶しているように思われた。
 女将はやがて、雑然と散らかった部屋に申し訳程度のスペースを作ると、せんべい蒲団を敷いて馨に横になるよう促した。親父は既に奥の部屋で眠りについているらしかった。目をつむって眠ろうと意識を集中しながら、もう何年も乾していないと思われる湿っぽく黴臭い蒲団の匂いが気になって、馨はいっこうに寝つけなかった。
 女将がいつ眠ったのか、馨は知らない。明け方近く淡いまどろみから目覚めると、仄暗い部屋の片隅にじいーっと正座したきり動かない女将の姿があった。腹の底にふつふつと怒りが煮えくり返っているとでもいうような、いかにも人生そのものが腹に据えかねるといった仁王座りだった。下手な慰めや同情はぴしゃりとはねつけるかのような女将の底知れぬ孤独地獄を垣間見せつけられた馨は、背筋に冷え冷えとした怖ぞ気が走るのを覚えた。

につづく)
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聖娼婦2(銀華賞佳作作品)

2017-02-16 18:04:18 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)

   二

 物憂い初夏の陽射しがブラインドの隙間を割って室内に洩れ入る。頭から毛布を引き被りベッドに籠もった馨の体は冷たい死の虚無に閉ざされている。六月は気怠い死の季節、馨の冷え冷えと湿った体にうず高く降り積もった沙羅双樹の花は、死体を覆う白い布きれのごとく体全体をすっぽりと覆い隠してしまう。仮死状態の肉体からふらりと脱け出た霊魂は天井をゆっくり浮遊した後、足下に見える白い花びらにびっしり覆い尽くされた体の傍らへ舞い降りる。恐る恐る顔を埋め尽くす花の堆積を振り除けて、とっくに息絶えた己のデスマスクを目の当たりにした馨はぎょっと、飛びのくように後退さる。花時雨は辺り一面温かな驟雨のように降り注ぎ、横たえられている肉体共々立ち竦んで恐々見守る馨の魂まで真っ白に覆い尽くしてしまう。

 馨を死の虚無から一挙に現実の世界へと引き戻したのは、枕許の電話だった。
 --この間、原稿届けてくれたとき、留守にしててごめん。直前になって急ぎの取材が入ったもんでね。あの夜、「金壺」で朱実さんの盛大な誕生祝いを催したんだって?女将に聞いたよ。僕も参加したかったな。それはそうと、今夜、空いてる?もしよかったら、関内まで出ておいでよ。僕も久々に「金壺」に顔を出したいし。ご馳走するよ。
 受話器の向こうにいつもと変わらぬ相馬の温かい声を耳にした馨は、冷え冷えとした心が束の間潤い、和むようだった。
 相馬と馨はかつて、同じ編集プロダクションに勤める同僚だった。男性雑誌創刊の目的で興されたそのにわか作りのプロダクションが、売れ行きが芳しくなく一年足らずで解散したこともあって、ちりぢりになることを強いられたものである。その後、馨はフリーのライターとして独立し、相馬は運よく現在のK企画に拾われたというわけであった。
 フリーとして独立したものの、コネがあるわけでもなく仕事にあぶれる一方だった馨に、救いの手を差し伸べたのは相馬である。相馬とは会社が倒産して以降半年近く音信が跡絶えたままだったが、今年初めになって連絡してきたともなく、馨に横浜のタウン誌に原稿を書いてみる気はないかと打診してきたのだった。四ページ物の企画取材原稿で、馨は願ってもないとばかり飛びついた。幸いにも「湘南の海が見える洒落たレストラン」というテーマで取材した原稿は編集長に認められたばかりでなく読者にも好評を博し、続けて四ページ物の連載企画を依頼されるようになった。都内の賃貸マンションに住む馨は週に二度、関内にあるK企画に打ち合わせがてら顔を出すようになり、この半年、横浜地区を丹念に足で回るようになってようやく地理にも慣れてきたところだった。

 馨を伴って一週間ぶりに現れた相馬を、「金壺」の女将は少々オーバーなくらいに歓迎の意を評して出迎えた。相馬は女将の大のお気に入りで、三日ばかり顔を見せないと、あの人、どうしたんだろうと、親父を差し置いてそわそわと気を揉み出すくらいの入れ揚げようなのである。女将は常々相馬のことを、今時珍しく純情ですれてない、誠実を絵に描いたような青年と口を極めて誉めちぎり、相馬はそんな女将の絶賛ぶりをいかにも照れ臭そうに頭を掻きながら満更でもなく受け入れている節があった。
「相馬ちゃんたら、一週間も顔を見せないんだもの。寂しかったわぁ」
 女将のがらがら声の愛の告白はまるで、本当にそのでっかい口中に相馬を呑み込んでしまいそうに迫力に満ちている。小柄な相馬はぎょっとして後じさっている。親父は見て見ぬふり、素知らぬ顔でうどんを茹でている。そこへ、言わずと知れた朱実さんがやって来て、店は途端に賑やかになる。
「ようっ、元気だったかい」
「元気じゃなぁい。昨晩、珍しく稼ぎ時で張り切りすぎちゃって、今日はフラフラ、足腰立たないよー」
 朱実さんは片手で腰の辺りを押さえつつ、よたよたと丸椅子に凭れかかる。
「どれどれ、揉んでやろうか」
 相馬が面白半分に手を出して、女将にめっそうもないとばかり、
「亭主にぶっ殺されたいのかい、あんた。朱実ちゃんのダンナって、おっそろしく嫉妬深いんだから」
 釘を差される。ぺろりと舌を出した相馬は慌てて手を引っ込める。
「客なら、文句言えないわけだろ。今夜は、俺も尻っけつでいいから、仲間に入れてもらおうかなぁ」
「バカッ! カオルちゃんの前でそんなこと言っていいのおっ。怒るよっ、もう、このっ」
 この手のきわどいジョークが飛び交うのもいつもの態で、馨はくすくすと笑いが洩れそうになるのを必死で怺えている。
「ねぇ、それよか、ちょっと、みんな、耳をようくほじくって聞いてよ」
 朱実さんが急に改まった面持ちになって切り出した。
「何を隠そう、うちには億万長者のパトロンが付いててね、よぼよぼのじいちゃんなんだけど、そのじいちゃんがさ、死後うちに一千万くれるって言うとよ。ちゃんとその旨遺言に書き遺しておくって……。一千万だよおっ。くそっ、あのじじい、さっさと、くたばってくんないかな。そしたら、一千万円という大金が手に入って……」
「一千万円かぁ。夢のような話だねぇ」
 女将がほうっと感嘆ともつかぬため息を洩らしながら、当たり障りのない程度に相槌を打つ。誰も、そんな話、本気で信じていやしないのだ。当の朱実さん本人だって……。
「一千万、手に入ったら、どうしようかな。まず、この稼業からはきれいさっぱり足を洗って、小さくともいいから、店を一軒持つ、それからあのゴロツキともきれいさっぱり縁を切って……」
 朱実さんの瞳にひたむきな光が籠もる。皆、何と言っていいかわからず、押し黙ってしまう。
「ようし、今夜はさっさと店仕舞いして、いっちょ、パーッと派手にみんなで飲みに行こー」
 女将が突如何を思ったか、提案して、呆気にとられているまもなくさっさと暖簾を退っ込めてしまった。

 女将夫婦を筆頭に、朱実さん、相馬、馨の総勢五人で意気揚々と、近場の歓楽街へと繰り出す。女将の知人が経営しているスナックを皮切りに、二軒、三軒と梯子し、四軒めに繰り出す頃には誰しもがしたたかに酔っ払っていた。女将はここぞ絶好のチャンスとばかり、日頃気に入りの相馬にべったりくっついて片時も離れようとしない。渋る相馬を無理矢理カラオケに誘ってがらがらの音痴声でデュエット、子供のように若い恋人と腕を組み交わしながらすっかり若返ったようにはしゃいでいる。親父は羽目を外してはしゃぐ女将を相変わらず見て見ぬふり、水割りのグラスを物静かに啜っている。
 今夜は足腰が立たず商売は自主休業という朱実さんは呂律の回らなくなった舌で馨に絡んだともなく、営業歴十五年の実体験からくる生身の男性論をぶちまける。
「うちはね、昔っから、男には不自由せんとよ。うちが望まなくっとも、男の方から言い寄ってくるけん。最近は、どういうわけだか、若い男にもてるとよ。今の人で、もう十人目……。若い男って、飽きるのも早いからね。私の体、いいようにして金目のものをむしり取るだけむしり取るとバイバイって、そりゃあ、あんた、酷いもんよー。今同棲している男なんてうちのこと、ババアって呼ぶとよ。でもさ、若い男って麻薬と一緒で一旦病みつきになると、やめられんとよ。うちは面食いだけんね、顔のいいのにころりと参っちまう。それに、あんた、何せ、あっちの方が精力的ときてるから、一晩に三回も四回も励んでくれてさ。うちは、好きな男とアレやってるときが一番幸せなんよ。商売上いやな奴ともせなならんけど、その後で好きな男に抱かれると、体の隅々まで染みついた汚れが洗い流すようにすーっと落ちるようで……。うちにとって、この世は時に地獄にも等しいけど、天国があるとしたら、好きな男とのアレの時の昇り詰める一刹那、を言うんだね。極楽、極楽、うちはあの一瞬のためにだけ生きとるとよ」
 朱実さんは好きな男とのオルガスムスを反芻するかのようなうっとり陶酔した目つきになったかと思うと、
「あんた、うちはね、好きな男の体なしでは一時もいられんとよ。肉が疼くというのか、腰の辺りがむずむずして、ほれあそこが男のもん欲しがってひくひくと蠢くとよ」
 急に秘密めかした小声になって、性の淫靡な悦びを馨の耳に吹き込んだ。男の肉体を知り尽くした現役の売春婦の生々しい告白に馨が耳ががかーっと火照るような羞恥に見舞われていると、
「おいおい、おばさん、ちょっと待ってよ、やめてよ、やめてったら!」
 相馬の救いを求めるような悲痛で甲高い叫び声があがった。思わず顔を振り向けると、女将の巨漢が相馬の小柄な体にのしかかり、押しつぶさんばかりに圧された下で、女将のでっかい唇が否応なく相馬のおちょぼ口をすぽりと覆い尽くす現場を目の当たりにしてしまった。相馬はあたかも象の巨漢の下でバタバタと虚しくもがく蟻のごとき風采に見える。女将の口は相馬の唇にピタリと吸盤のように吸いついて離れない。
 朱実さんは二人の漫才劇に等しいラブシーンを目の当たりにして、からからと笑い転げている。さすがの親父もこうあからさまに若い男との浮気の現場を見せつけられては憮然とせずにはおれないようだった。
 女将の巨漢がようやっと、相馬から離れた。
「ひどいなぁ、おばさん、窒息死するかと思ったよ」
 相馬が命からがら逃げ出したとでもいうかのように訴える。その拍子に周囲からどっと笑い声が弾けた。相馬はやれやれと安堵した面持ちになると、馨にそっと耳打ちした。
「無理矢理姦られちゃったって感じ。しょっぱかったよ」

 終電の時刻はとっくに過ぎていた。馨は相馬の好意で駅の近くのシティホテルに泊まることになった。ホテルまで送られがてらの夜道で、酔いのせいかいつになく饒舌になった相馬がお堀端でつと足を止めると、
「有沢さんは今頃、どうしているかなぁ」
 と憑かれたような呟きを洩らすひと駒があった。
 それこそがこの半年、相馬が馨に連絡をとって以来、いつ言い出そうかと機会を待ちあぐね、馨の顔を見るたびに言い澱み、口に出しかねていた問いにちがいなかった。いうまでもなく、相馬は馨と元上司・有沢陶の関係を疑ってそれとなく探りを入れているのである。馨には後ろめたい良心の呵責を覚えながらも、白を切り通すことしかできなかった。相馬は馨の居心地の悪さを重々承知の上で、さらに続けずにはおれないようだった。
「思い余って昨年末一度、有沢さんのマンションを訪ねてみたんだけど、三ヶ月間家賃滞納のまま行方をくらましていた……。大家さんが、毎月、月末にはきちんと払ってくれる律儀な人だったのにと、驚いていたよ」
 川向こうに瞬く歓楽街のネオンの灯が黒い水面にゆらゆらと赤や紫の幻想的な色の帯を流している。馨の視線の行方をなぞるように相馬がしみじみとした口調で洩らした。
「僕はね、いつもこのお堀端を通過するたびに、醜い現実が嘘のように川面に映し出された世界は何て美しいんだろうと、訝らずにはいられないんだ。でも、それはあくまで幻想なんだ。美しい絵のようなうわべのすぐ下には、どぶ泥の腐臭が燻っている。現実の世界なんて、きれいごとでは済まされぬそのようなものじゃないかい。だから、有沢さんが僕の名前でサラ金に借金しようとも、僕のカメラを持ち逃げしようとも、本気で怒る気にはどうしてもなれなかった。有沢さんなりの事情があったにちがいないんだ。どうにも対処し切れない現実が……」
 馨は一瞬、自分の耳を疑った。初めて聞く話だった。有沢が相馬の名で借金していただって? しかもカメラまで持ち逃げしていたとは……。いうまでもなく、その金は昨夏の馨とのインド旅行の資金に回されたものにちがいなかった。馨の脳裏には今尚くっきりと鮮やかに、有沢が彼の地で肌身離さず身に付けていたアサヒペンタックスが蘇る。途上、旅費の足しにとインド人バイヤーに売り払ってしまった、元は相馬のものだったというカメラが……。相馬のカメラは今頃、ブローカーの手から手へと、彼の地の宙空をどこへとも知れず駆け巡っているはずだった。
 いくら相馬がバカがつくほどお人好しとはいえ、長年師匠と仰いだ男に、仄かな思慕を寄せていた女性を横合いから奪うように持ち去られたことは、人を疑うことを知らぬ曇りのない心に翳りを落としていることは間違いなかった。

 夜通しまんじりともせず、空が白みかける頃になって淡いまどろみに落ちた馨は、室内電話の鳴る音でびくっと揺り起こされた。
 --おはよう。よく眠れたかい。今、下のロビーに来てます。モーニングコーヒーを飲みましょう。一階の喫茶店で待ってます。
 明るく爽やかな相馬の声が、宿酔いでがんがん痛む頭に鳴り響く。恐らく相馬は昨晩、オフィスで夜明かししたものにちがいなかった。
 馨はバスルームの鏡に起きだちの顔を映してほうーっと大きなため息をついた。目が腫れぼったく、顔全体が浮腫んでいた。馨はその、三十前のもう若くない自分の顔を相馬の前に晒したくないと思った。昨夜相馬が明かした事実は今尚、心に重くのしかかっていた。
 素早く身支度を整えると、一階の喫茶店前を何気ない顔で素通りし、ロビーを早足で横切って表門へと出た。
 初夏の陽射しが目に射るように差し込み、浮腫んだ顔が鋭利な陽の棘に刺されちくちくと痛かった。相馬は今頃、馨が既に部屋を出たとも知らず、いつまでたっても降りてこない待ち人をじりじり焦がれながら待機していることだろう。相馬にまた一つ借りを作ってしまったような気がして、馨は偏えに辛かった。

につづく)
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聖娼婦1(2013年度銀華賞佳作作品)

2017-02-16 18:03:38 | E全集(受賞作ほかの全小説作品、2017~)
 聖娼婦

                                 李耶シャンカール

   一

 今日は朱実さんの誕生日である。渋谷駅の構内で薄紫の薔薇の花束を買い求めた馨は、今まさに発車せんとする桜木町行きの急行電車に慌てて飛び乗る。
 昨夜、「金壺」の客が五人も入れば一杯になってしまいそうな狭い店内で朱実さんが、女将名物の肉うどんをおいしそうに啜りながら、湯気で曇る丸ぽちゃの顔を皺くちゃに綻ばせながら、「あのねぇ、明日はうちの誕生日なんよーっ」と、上目遣いに媚びるような目で洩らしたことを思い出す。耳の下で短く切り揃えたおかっぱ頭の赤っ茶けた髪と、人懐っこい目にだんごっ鼻という愛嬌ある童顔は一見、朱実さんを年よりもずっと若く見せていたが、毛穴の開き切った肉のたるみは厚化粧の下に塗り込めてもどう隠しようもなかった。衣服の上からも崩れた体の線が露わに窺え、その種の職業にありがちの退廃ムードをそこはかとなく漂わせているのだった。
 朱実さんには一回りも年下のやくざのヒモがついているのである。その年若い情夫を食わせるために夜毎、赤や紫のネオンがけばけばしい伊勢崎町の歓楽街の裏路地に立って客を引いているのだ。
 --あんた、信じられんかもしれんけど、うち、これでも、二十年前までは真っ当なOLやってたんよーっ。朱実さんのちょっと鼻にかかった拗ねたような声が鼓膜に蘇る。昔は堅気のOLだった朱実さんが何で、春をひさぐ商売に転落したのか、詳しいいきさつはわからない。大方、惚れた男が悪い奴でころりと騙されたあたりがいいとこだろう。人のいい朱実さんにはちょっとやさしい言葉をかけられるとふらりとなびいてしまう弱さがあったし、男好きのする愛嬌のある顔立ちと豊満な肉体、何よりも天性に備わった媚は哀しいことに、OLよりもその種の職業に打ってつけだった。いってみれば、ヤクザが、朱実さんのような田舎のぽっと出の小娘を引っ掛けるのは、赤子の手をひねるよりもた易いことだったろう。

 関内駅裏の雑居ビルにあるK企画に顔を出すと、いつも笑顔で迎えてくれるはずの編集社員、相馬俊の姿は見当たらず、急ぎの取材が入って出ているとのことだった。編集長についたての後ろの小さな応接間へ通された馨は、依頼された四ページ物の原稿を手渡した。昨日相馬にチェックされて二、三直しの入った原稿を直前までかかって仕上げたものだったが、今度はどうやらOKサインをもらった馨は、ほっと肩の荷を下ろした。しばらく相馬の帰りを待つともなく待ちわびていたが、いっこうに戻りそうにないので、社を出た。既に辺りは薄暗くなっていた。一瞬どうしようかと迷ったが、掌中の花束に鼓舞されるように単身「金壺」へ向かった。相馬なしでこの店を訪れるのはこれが初めてのことだった。
 伊勢崎町モールを抜けて路地を折れた角にあるトタン屋根のボロっちい店は、表通りからは人目につきにくい、死角になった場所にひっそりと隠れるようにして建っていた。この界隈には食べ物屋らしい食べ物屋はなく、閑散とした裏通りにL字型の引き戸からうっすら灯りの洩れ出る店は淡いシルエットになって浮かび上がっていた。
 赤提灯が軒にぶら下がり、暖簾には申し訳程度にうどん、そばと描いてあるだけなので、客の大概は一杯飲み屋と勘違いするが、実はれっきとした手打ち麺の食堂なのである。通の間では女将手製の肉うどんがもっぱらうまいとの評判で、地元名物にもなっていた。「金壺」では、一杯飲み屋と勘違いする客が多いので、いつしか成り行きで酒も出すようになったという。
 L字型のカウンターには中のパンヤが破けて食み出したビニール革張りの丸椅子が五つ、客が五人も入れば人いきれで一杯になってしまうような小さな店はいつも満杯で、女将名物の熱い肉うどんをフーフー啜りながら、冷やで日本酒をくいっと一気に呷るむさくるしい労務者風情の客筋で溢れ返っていた。ところで、この女将自慢のうどんに冷や酒というのが実にまたよく合うのである。
 暖簾をくぐると、
「うぉーい、いらっしゃーい」
 でっぷりと肥えて貫禄満点の女将の男のようながらがら声が飛んできた。親父は対照的に痩せてひょろ長く、まさに蚤の夫婦の好一対を成していた。親父ときたら決まって、がらがら声を張り上げるやたら威勢のいい女将のそばで畏まったように小さくなっている。女将と常連客の間にポンポン飛び交うやりとりを、傍らで手際よくうどんを茹でながら、物静かな微笑とともに見守っているのである。女将のきっぷのよさよりも、この親父の菩薩のような人柄に惹かれてここへ通う常連も決して少なくない。女将に主導権を握らせておいて、その実、掌中で遊ばせているのは親父だというのが、親父ファンのもっぱらの言い分だった。
「あれ、今夜は一人かい、相馬ちゃんは?」
「急ぎの取材が入ったとかで出ていたの」
 相馬が女将の誰よりも気に入りの常連であることを承知していた馨は、申し訳なさそうに告げた。女将は見るからに落胆した顔つきになったが、気を取り直したように馨を歓迎した。
 店は既に満席だったが、何とか脇に詰めてもらって女一人が辛うじて坐れるだけの隙間を作ってくれた。男たちに挟まれるようにして腰掛けた馨は、カウンター内の厨房の隅で仕事前の腹ごなしをしている朱実さんをめざとく見つける。馨の視線に気づいた朱実さんは、うどんの湯気の中から真っ赤な丸顔を起こすと、にんまりと笑った。馨はこの機を逃さず、すかさず後ろ手に隠し持った花束を差し出していた。
「お誕生日、おめでとう!」
 湯気で赤らんだ朱実さんの顔が不意打ちをつかれたようにたじろいだ。
「これをうちに? んまぁっ」
 感激のあまり、二の句が告げないようだった。大きな目が潤み、鼻の頭が真っ赤になっている。馨はさすがに照れ臭くなった。まさか花束一つでここまで喜んでもらえるとは予想だにしなかった。朱実さんはきっともう長いこと、こんな風に他人(ひと)から親切にされることに慣れていないにちがいなかった。それでいきなり降ってきた善意に気がすっかり動転しちまっている。
「うち、うち、薔薇の花束なんて、もらったん、初めてよ。それもこんなきれいな薄紫のバラ……」
 小さな店はいつのまにか、朱実さん主役の誕生劇の舞台と化している。相席していた客が口々に祝福の言葉を述べ、朱実さんにまぁ、一杯と酒を勧める。男たちは皆朱実さんの職業を熟知しており、中には恐らく買った者もいたにちがいなかった。にもかかわらず、見下したりする者は一人もなく、対等な客として扱い、心から純粋な気持ちで祝辞を述べていた。朱実さんの目はもう真っ赤で、貰い泣きする馨のうどんも、涙が混じったせいか心なしかしょっぱかった。
「今日は、いい日だな。うちのような女にもまだこんな日が残されていたなんて、夢のようだよ。うち、子供の頃から、誕生祝いなんて、一度もしてもらったことがなかったけん」
 小倉生まれという朱実さんの語尾にお国訛りが混じる。馨は子供の頃、大勢の家族や友人に囲まれた誕生パーティーでちょっぴり恥ずかしく得意げな気分で蝋燭の火を吹き消したことを思い出しながら、子供の誕生祝いをしない家庭とはどんなものだろうと、漠然と思いを馳せずにはいられなかった。
 朱実さんはやがて空席になった馨の隣に豊満な腰をどかりと下ろすと、酔って呂律の回らなくなった舌で、ポツリポツリと独りごちるように身の上話を始めた。
「うちは、貧しい左官屋の子だくさんの家庭に育ったけん。父ちゃんは酒乱で、ろくに稼ぎもないくせに毎晩大酒食らって、母ちゃんを撲った。母ちゃんも気ぃ強かったからね、そりゃあ、あんた、負けてえんよ。夫婦喧嘩の一夜明けた後は、まるで嵐が一過した後のような惨々たる有様。一度なんか、あんた、かっと頭に血が昇った母ちゃんが父ちゃんの脳天めがけて裁縫挟み振り下ろし、十針も縫う大怪我させたこともあったけん。十歳かそこらの少女だった私や弟がぎゃあぎゃあ泣き喚いてる面前でよ、あんた。父ちゃんの頭からどーっと真っ赤な血が噴き上げ、そりゃあ、もう修羅場もいいとこ。毎晩毎晩、そんな地獄を見せつけられているうちに、神経が麻痺しちまったというか、なぁんにも感じなくなっちまってね。とにかく、私の頭は、一刻も早くこの家庭の泥沼から抜け出すことしかなかった」
 いつしか店中の客がしーんと水を打ったように静まり返り、朱実さんの語る身の上話に耳を傾けている。
「中学を卒業すると同時に、すぐ上京したんよ。パチンコ屋や喫茶店やら、住み込みのバイト雇ってるとこ転々としてるうちに、不動産屋の事務員として働かないかとの甘い男の口車に乗せられて……。深夜喫茶で暇を持て余したようにたむろしてるごろつきの常連だったんよ。甘ったるい言葉かけられて、これまで男の人にそんな風にやさしくしてもらったことは一度もなかったけん、ついころりと騙されちまって。けだもののように荒れ狂う父ちゃん見てて、男ってのは恐いもんだってのが頭の芯まで染みついてたから、男ってこんなにやさしいもんだったのかって、目を見開かされるような思い……。ところが、一旦うちの体をものにしてしまうや、男は次第に本性を露わにし始めた。ヒモ同然にたかり、稼ぎが少ないと言っては、撲る、蹴るの乱暴を働く。挙げ句の果てに、うちに売春まで強要して。ヤクザの下っ端だったんよ。不動産屋も兄貴分が経営してるもんだった」
 朱実さんはそこで、隣客が自前のボトルから注いでくれた焼酎のコップを見事な飲みっぷりで一気に乾すと、さらに続けた。
「何度も逃げようとしたけど、薬漬けにされ男の体なしではいられんようにされ……。覚醒剤打ってあれやると、精力的にも長続きするし興奮が高ぶって普段の何倍も気持ちいいんよ。ヤクと男を欲しがって肉の隅々まで疼いてね。あの当時はほんと、ヤク漬けの体で毎晩何人もの客をとらされ、ピンハネされ、逃げようとしてはまた連れ戻され、見せしめにヤクをストップされ禁断症状にもがき苦しむという、悪夢のような日々の繰り返しだった」
 朱実さんの目が据わり、ぞっとするような凄惨な色合いを帯びている。
「不幸中の幸いというか、うちにぞっこん惚れ込んだお客さんの一人が、そんな状況を見かねて救いの手を差し伸べてくれてね。身請けというのか、組に大枚払ってうちの身柄を引き受けてくれたんよ。彼のおかげで、うちはようやっと薬漬けの売春地獄から這い上がることができたってわけ。結婚しようって、言ってくれてさ、うちにも、ああ、これでやっと平凡な主婦としての幸福が味わえるかと小踊りしたのも束の間、幸せはそう長く続かなかった。長年の不節操が祟って、うちの体は既に子供が産めんようになってたんよ。最初彼の子供を身籠もったと知ったときは、天にも昇る心地だったけど、結果は無惨にも、死産だった。次もその次も流れちまって……。過去に何度も中絶した報いで子宮がズタズタになってたんよ。夫は、子供一人すら満足に産めぬ元売春婦の体を汚らわしい目で退けると、夜の生活を拒絶するようになった。そのうち憂さを晴らすように外泊を繰り返すようになり、よそに作った女が身籠もったのをいいことに、うちは体よくぼろきれ同然に捨てられたってわけさ。その後は……総てが元の木阿弥だよ」
 小さな店の中にどうにもやり切れぬ重苦しい沈黙が流れる。朱実さんの胸の淵に澱(おり)のように澱んだ哀しみの堆積を思うと、馨にはどんな生半可な慰めの言葉も口にするのがためらわれた。
「うちね、この頃よく考えるんだけど、小説の主人公のように、何が起ころうとも決して動ぜず、冷静に一部始終を観察していられるようになれたらってしみじみ思うんだ」
 うらびれた場末の飲み屋で街娼が怪しげに舌を縺れさせながら締めくくった最後の一言は心底、馨の胸を打った。その言葉には紛れもなく、人生の真言ともいうべき意味が籠められていたからである。

につづく)

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