インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

荒療治

2016-07-30 17:01:49 | 私・家族・我が安宿
三日前、ヨガの肩立ちポーズをやっていて、鋤のポーズに移ったとき、骨がばりばり音を立てて、事後痛みに襲われた。
あわてて、インド古来の自然薬、「Fast Relief」、日ごろから愛用している塗り薬を背中に塗りたくり、二日間は安静にしていた。背中にクッションを当てて坐っていると、楽なのだが、如実に肩甲骨の下あたりが痛く、医学小辞典で調べて無理な運動で肉離れもしくは筋膜が剥がれたか、老化現象で変形している骨に圧迫が加わったか、心配で心配で、よりにもよって帰国ひと月前にこのアクシデント、またしても整形外科のお世話にならないといけないかと、暗い気持ちになった。

低気圧がしんどくて、乗り切るため毎朝自分に結構烈しめのヨガを強いてきたのだが、体は休みたがっていたということで、肩立ちから鋤に移るポーズは肩に負荷がかかるので、少ししんどかったのだが、調子に乗って曲げすぎたことの弊害、バックを傷めてしまったのであった。

もう、還暦超えたこの年になると、無理なポーズは取れないなと、しみじみ反省、これからはアサナの数も少し減らし、体に負担がかからないものをと思ったが、傷めてしまった後では遅い。

しかし、二日間安静にしていて、読み物は英字新聞と文芸思潮、長い夜はスマートフォンに録音したアルフィーを聞いて乗り切って三日目の今日、軽い怪我なら動かしたほうがよさそうなので、ヨガを気休め程度にやって、温かいお湯が温熱療法でよさそうなので、風呂に入ったのだが、疲労が烈しく、事後は荒い息、この二日自炊もろくに出来ずに、ふりかけごはんや卵粥で代用、食事が貧しいから体力も落ちており、お風呂で消耗したというわけだ。

クッションを背に当てて一時間ほど休養、気を取り直し、さあ、コンピュータはどこまで可能かと向かったら、これが思った以上肩や背の負担にならず、痛くもなくてほっとしている。

帰国前に限って体調不良に陥るのがこのところ定番化しており、それでも這ってでも帰れればいいが、さらに高齢になって足腰が弱まってくると、インドと日本の行き来もしんどくなり、やむにやまれぬ事情からどちらかにとどまる(多分日本)ということもありえるのだろうなと思うと、暗澹たる思いだ。

坐骨神経痛のときは、機内の椅子に坐れるかどうか心配だったし、事故によるひざの怪我のときは、荷物を持っていけるのかと心配した。案ずるより生むがやすしでなんとかなったのだが。

実はこの二月にも、金沢のつるつるの雪道で転んで、昨年三月に自転車との衝突事故で傷めた左ひざをまたしてもしたたか打ってしまい大ショックを受けたものだった。おまけに、部屋に戻ってびっこ引きながら移動しているときに、痛さのあまりしりもちをつきそうになり、とっさに右手で支えて手首まで傷めてしまったのである。
二日間部屋にこもって大人しくしていたが、目の療養中にさらに二重苦、計三重苦で、絶望的な気分に陥ったもんだ。その前、ひざはほぼ回復状態にあったため、なおさら衝撃は大きく、なぜもっと気をつけなかったんだと、自分を責めたもんだった。

それでも、四日目くらいから、痛いのを我慢して足を引きずりながら、片道三十分のところを倍かけて図書館通いを再開、相当に痛くてしんどかったのだが(帰校中の児童に同情とも好奇ともつかぬ奇異な目で見られた)、荒療治が功を奏して二週間後にはほぼ歩けるようになった。
この体験からわかったのは、自転車事故での怪我をいたずらに長引かせてしまった失態、ネットで調べすぎて知人の整形外科医に当たったり、頭でどんどん悪い想像を膨らませて、問題を大きくしていたのであった。現地医者の指示通りひざをサポーターで固めて安静第一にし、長いこと動かさなかっため、関節が固まってしまい、回復までに一年という長い歳月を要することになったのである。

あのとき、医者にかからず、足を引きずりながらでも浜に散歩に出ていたら、治りはもっと早かったかもしれないと改めて述懐した次第であった。

というわけで、今回は少し早いかなと思われる三日目から少しずつ動かし始めて、恐る恐るパソコンを触ってみると、オーケー、この程度なら帰国も問題なさそうと少しほっとしてるが、六十代になると、ほんとに転倒事故は怖い。
北方健三だったか、少しくらいの怪我なら動かしたほうが治りが早いといっていたが(彼は若い頃喧嘩っ早かったみたいで)、私もヨガによる軽傷は荒療治でなんとかなりそうである。
でも、骨がぼきぼき言ったし、もしかして骨折とまたしても取り越し苦労、この程度で骨は折れないと思っていても、更年期を過ぎて骨がもろくなってるだろうし、老化による変形もあるだろうから、予断を許さず、絶望に沈み込んでいた二日間であった。

それぞれのケースがあるだろうから、私のように荒療治が効くとは限らず、医者の診断が必要なこともあるだろうし、骨折の場合もあるから、一概には言えないが、軽い怪我のときは動かしたほうがよいようである。
でも、心配な人はまず専門家の診断を受けたほうがいいことは確か。

もうヨガも出来ない、救いはアルフィーのみかと暗い思いに沈みながら、11月の琵琶湖ホールでの初コンサートにトライするためにも、どうか大事(おおごと)でなく早めに治りますようにと祈りながら、肩関節周囲炎だと六ヶ月だよなあ、年いって治りも遅いから、もしかして回復までにはもっとかかるかもと考えると、憂鬱極まりなかった。
しかし、アルフィーのコンサート行っても、右拳の突き出しはできないなあと、憂えたりしたのは、どこかのんきな私らしかったが。

現在328曲あるうちの70曲くらい聞いたかな。
次の曲はタンゴ調のラブソング。
絶望に沈む私を慰めてくれた曲です、どうぞ。

踊り子のように

「♪涙の衣装で舞い踊る」というフレーズが素敵。「♪酔いどれて フラレフラリ」のリピートもいい。

*先般たかみー(高見沢俊彦)と若ジュリー(沢田研二)との比較を試み、美貌はジュリーに軍配と書いたが、動画(誰だって波瀾爆笑 6月5日 160605 THE ALFEE)をチェックしていて、たかみーが売れる前に住んでいた木造二階建ての原宿のぼろアパートの写真(動画41-46分、80年代の原宿の世相がわかる貴重な映像です)が映し出され、アルフィーが通った中華料理店で今も健在の老舗・昭和軒の女店主が当時のメンバーの写真を見せられて、「一番左の方、高見沢さん? 昭和50年(1975年)とか(たかみー21歳)、食べに見えた記憶がある。お話はしなかったけど。そのときまだ全然有名じゃなかったでしょ。ただきれいな顔した人だなと思って。髪の毛長くて、髪の毛長い人あの当時結構いたけど、ちょっと違いましたね。透き通る透明感というか、そんな記憶があると発言していた。
売れる前から、美のオーラを発していたということですね。
デビュー時のディレクターが「第二の赤松愛」といったわけがわかった。つまりフェミニンな美形ってこと。透明な白皙の皮膚、清潔感があるさわやかさで、ジュリーの憂愁と色気とはまた違う美しさ。いやあ、売れる前のライヴハウス時代にひと目お逢いしたかったですね、残念!

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黄昏のシルエット(写真)

2016-07-30 16:23:20 | 季節・自然
北東部のアッサム州や西ベンガル州北部で洪水の被害が出ているが、当地は雨量が少なめ、本日は小雨がぱらつき、午後でも空が黒い悪天、さて先日浜に出たときの写真をアップしたい。












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芸術家気質(アーティスト肌)

2016-07-27 16:24:46 | 私・家族・我が安宿
昨今、アル中(アルフィー中毒)度が昂まり、アディクトに等しいオーヴァードーズ振りだが、リーダーの高見沢俊彦をモデルにした「蜂の王様」(山川健一、1989)のアマゾンページのファンの読書評のひとつに、

「5つ星のうち 5.0愛すべき意地悪なおじさん達
投稿者 GINKO 投稿日 2014/10/4
形式: 単行本
あとがきから読んで、あゝこの人達はなんて事をしてくれたのか(笑)と思った。これでどれ程のかつての幼いファン達が泣き去って行った事か。妹もその一人だった。自分の場合は子供ではあったけど、主人公のモデルである三十代の大人の男性に女っけが全く無いのは不自然と思っていたのと、他の事にしてもボタンを一つ掛け違えたままや、白目を赤くして唇が荒れ少し皮剥けている状態でアップで雑誌に載っているその人を見たことがあり、片付けられないとか、良質の天然持ちで(失礼をすみません)格好良く成りきれない事度々…アパート玄関の贈り物の山、うさぎは実際は金魚…それに当時は、ちょっと怒りっぽい?喧嘩っ早そう、感情の浮き沈み分かりやすい?と思いながら見ていたので、自分はかなり今更だけど、初めてちゃんと読んで寧ろ自然に面白く随所で笑いながら楽しめた。小説の主人公よりはモデルのその人の方がきちんとしている?と思ったけど、作者はモデルをよく観察していると感じた。フィクションとノンフィクション、作者の趣味と口調、当時のモデルのファッションとものの言い方、主人公を含めた実名で登場する全ての似て非なる人々、小説家は作者自身?て気がしたけど…作中レコーディングしていたアルバムは実在し、この作者のライナーノーツが付いている…等等それらが複雑に溶け込んだ、良い意味で実に紛らわしい作品だと思う。この作品に関わった全ての人達に、おじさん達のいたずらに拍手。しかしやはり、精神的に幼い人にはお薦め出来ない。ひやかし禁止。」


とあって、赤文字の部分が物書きである自分や、周囲のアーティストと重なり合う部分があって、改めて芸術家気質というものについて考えさせられた。

作家を例にとるなら、生活不能者が多いはず。どういう意味かというと、アート(作品)に没頭している分だけ、生活に手が回らないのである。それでも、既婚女性作家にはあっぱれ、家事と両立させているのもいるが(表向きのことだけかも?)、たとえば森鴎外の一人娘で作家の故森茉莉(森家の長女として生まれた茉莉は、鷗外を始め非常に多くの人に囲まれ、かわいがられて育った。特に鷗外の溺愛ぶりは有名で、彼女は16歳まで鷗外の膝の上に座っていたといわれる。幻想的で優雅な世界を表現することに優れており、主な著作には『父の帽子』『恋人たちの森』『甘い蜜の部屋』などがある。また、独特の感性と耽美的な文体を持つエッセイストとして、晩年まで活躍した)の例を挙げると。

華麗で耽美な作風で知られた女流だが、死後(1987年心不全により死去、85歳没)親族が住んでいた部屋に入ったところ、古新聞が山と重なり(長年の堆積で塊状態になっていたとか)、足の踏み場もない汚さだったらしい。ベッドの上に傾いたテレビが置いてあり、テレビ鑑賞はそこに寝転がりながら(晩年は週刊誌のテレビ評連載で受けていた。1979年から1985年まで『週刊新潮』誌上で連載された『ドッキリチャンネル』で、独特の審美眼と華麗な言語表現により、手放しの賞賛と忌憚のない意見を織り交ぜて、テレビ番組やタレントを批評)、寝るときもベッドにテレビが乗っかった状態でだったとは、萩原朔美(映像作家、演出家、エッセイスト。多摩美術大学教授。詩人萩原朔太郎の孫で作家の萩原葉子の息子)がエッセイで語っていたことだ(母と森茉莉に親交があったせい)。

森茉莉自身、エッセイで生活不能者である本音を洩らしている。肉を買おうと思って肉屋さんに並ぶと、店主は茉莉のことが目に入らないかのように、後ろに並んでる人に対応して、茉莉の番がどんどんずれていき、なかなか買えない事態に陥ることについて、つまり自分がぼうっとしていて本気で肉を買うんだという気迫を出していないから、無視されるんだと書いていた(「子どもがそのまま大きくなったような人」と評された茉莉の生活能力の無さは、自他共に認めたところであるが、唯一料理だけはかなりの腕前と自負していた)。

お片づけに関しては、一見良妻賢母を装っている林真理子も苦手のようで、エッセイによくぼやきが洩らされている。

華やかな流行作家として名を馳せた故森瑤子とて、執筆中は髪振り乱したジャージ姿とエッセイに書いていたから、優雅で美しい作品を書く女流作家の実態とはえてして、こんなもんである。

舞台の上では成功した美形ミュージシャンとして輝き渡っているたかみーも、家に帰れば取り散らかった部屋で長髪を掻きむしりながら、歌詞の言葉ひねりにうんうんうなっているかもしれないのである。まあ、恋人がいれば、お部屋とか片付けてくれるだろうけど。ご本人によると、家でもスーツとドレスアップ、寝るときは シルクのパジャマなんだそうだけど? それとも、今でも高齢のお母さんがお掃除してくれてるのかな(たかみーファンがはらはらする気持ちって、少しだけわかった感じ)。

かくいう私自身はというと、インドでは使用人が安く使えるので助かっている。つまり、家事から解放される利点があるのである。昔から家事をしなくていい環境で書くことに専念したいなと思っていたから、それはおのずとかなったことになる。私がする家事は自炊のみで、それは自分の食べる日本食まがいの料理のみである。夫の三食はコックが作るし、掃除・洗濯は使用人がこなす。といっても、周囲に汚いところが目立てば、私もそのつどきれいにはしているが。
育児からも、ほとんど解放されてきた。

つまり、悪妻愚母の典型、森茉莉のように創作に没頭しているときは、買い物に出ても宙を歩いているようでふわふわしてるし、まあ、それでも、なんとか生活不能者にならないだけの生活はこなしているが、高見沢のように売れてるシンガーソングライターが片付けられず、ちょっと周囲とはずれた天然キャラというのは、自分には納得いくところだ。
楽曲担当の創作部だから、センシティヴなアーティスト肌、神経質でエキセントリックだろうし、それは自分にもあてはまるので、納得してしまう。

ものを創る人には奇人変人が多く、私も昔からよく変わってるといわれたが、遠縁の作家や指揮者のことを叔父はちょっと普通と違う、変わってるとよく洩らしており、さすがに私に対しては面と向かって変わってるとは言わないが、長弟の現地結婚式で参列者として当地に来て初めてインドなる大地を目の当たりにしたとき、よくもまあこんなすごい国に移住したもんや、たいしたもんやと妙な褒め方をされた。内心、驚き呆れていたにちがいないが、まあ、深読みすれば変わってるとそのとき思われたかもしれない。

しかし、アーティストにとって、変わっているというのは褒め言葉、今はそう言われたら、一人前の作家になったということなんだなと喜ぶようにしているが、ファンもたかみーに生活面での完璧さを要求するのは酷というもの。ミュージックで頭が一杯の人である。家に帰れば歌を創り、休まる暇もない。男だし、生活不能者になるのは自然のなりゆき、天然でずれてるというのも、芸術家気質、よくステージで転んだりのへまをやってるようだが、不器用というのも私と一緒で、親近感を覚える(坂崎によると、歯磨きのチューブもまともに出せないらしい。アルフィーキッチンと銘打った料理動画見てると、熱々の炊飯器に手突っ込んだり、たまねぎを切らずに丸ごとゆでようとしたりで、そのとんまぶりがわかるが。彼はある意味、森茉莉同様「子供がそのまま大人になった人」かもしれない)。

私はこの間、男友達にエキセントリックといわれ、なるほどそう思われていたかと新発見、自分では割と穏やかな気性と思っていたんだが、外から見るとそういうことになるのね。でも、これも作家の勲章?
けど、女性はおおむね、ヒステリックだよな。

感情の起伏が烈しい、のもものを創る人ならでは。私も相当浮き沈みが烈しく、苦しんでいる。かろうじてヨガで心身のバランスを保っているが、すぐ昂奮する質だし、冷めるのも早く、落ち込んだときとの落差が烈しい。
それもこれも、もの書きならではの気質とあきらめているが、またそうでなければ、ドラマチックな小説は書けないだろう。たかみーが恋の歌をたくさん創れるのも、別れと出会いを繰り返し、喜怒哀楽の感情を存分に味わっているせいだ。

ちなみに、リードヴォーカルの桜井さんもこの間聞いたラジオ番組動画で、新曲リリースにあたってぴりぴりしているのが感ぜられ、この人も相当神経質だなと思わせられた。歌がヒットするかどうかは一面ヴォーカルの責任でもあるからだが、彼もアーティスト気質。それに比べ、坂崎さんは器用貧乏に堕しているような気がする。趣味が多すぎるディレッタント(好事家)で、骨董品・切子ガラス収集、個展を開くほどの写真へののめり込みよう、爬虫類飼育、定評のある物まね・落語、この人はほんとマルチだ。ミュージック一本やりでないところで救われている気もするのだが、そういう意味では一番バランスが取れてるかもしれない。
でも、趣味が多すぎて、アルフィーでは脇役に堕しがち、目立たなくなってる弊害もあると思う。桜井さんは自慢の喉とコミカルキャラ、たかみーはゴージャスヴィジュアルとエレキ、坂崎さんのアコギも達者なのだが(たかみーよりうまく、天才的という説も)、二人の陰になりがち。

話を元に戻すと、芸術家気質についてだが、上のたかみーファンと思われる女性の読書評を読んで、自分に通じるアーティスト肌の典型的片鱗を見たので、改めて考察してみた。

*「蜂の王様」はまだ読んでないのだが、来る帰国時の必読書。今から楽しみにしている(実際に読んだら、印象も変わるかもしれない。たかみーに三十にもなって女っけがなかったというのは、ファンを失望させない事務所の方針で表向きそう装っていただけなのか、あるいはファンが清潔でさわやかな美形に純潔プリンスのイメージを勝手に投影していただのか、どちらなのかも判明すると思う。いずれまた、書評を試みたい)。
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雨雲の垂れ込めるベンガル海(写真)

2016-07-26 20:04:21 | 季節・自然
先日浜に出たときの写真をアップしたい。
本日はだいぶ涼しくなったが、雨は依然少ない。

















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ヴィジュアル対抗戦(若ジュリー対たかみー)

2016-07-26 15:26:31 | 私の作品(短編・エッセイ)
元祖ヴィジュアル系、ジュリー(沢田研二)と、年を重ねるごとに派手になっていく、還暦超えても現役ヴィジュアル系のアルフィーのリーダー、たかみー(高見沢俊彦)を、動画を見比べながら、対比してみた。

まずはこの歌、
沢田研二 勝手にしやがれ (1977)
からどうぞ。

二年ほど前だったか、1977年のレコード大賞受賞時の感涙にむせんでいる若ジュリーの動画として載せたのだが、今はアドレスが変わって再アップされていた(過去の記事で見れなかった人もこちらでご覧いただけるので、どうぞ)。

1977年といえば、アルフィーがデビューして四年めの、泣かず飛ばずだったころ、「勝手にしやがれ」は男性にも人気の曲で、私の知人男性の何人かもこの曲が好きでからおけで披露しているとのこと、で、たかみーに限定せずに、アルフィーとの接点はと言うと、リードヴォーカルの桜井賢の十八番物まねらしく、還暦記念コンサートでも披露したようだ。
以下、アルフィーファンのブログから一部引用。

高「あのね、マサルに唄って欲しい曲名をこの扇子に書いたんだけど、以外と上手に書けたの~♪」
と、まだ女子になりきってるたかみー(笑)。(著者注.女子高生の仮装をしたたかみーは還暦超えてると思えぬかわいらしすぎさでこのファンを悶絶させたようだ)
扇子を開くとそこには「勝手にしやがれ」と赤い文字で書いてありました(≧∇≦)
ヤッターーっ!!ρ( ^o^)b_♪♪
もう、たかみーはさすがデス!!
ニーズをよく分かってらっしゃる~(//∇//)

イントロが流れると、センターのスタンドマイク前に颯爽とスタンバイする桜井さん。
…でも出で立ちは、還暦の赤いチャンチャンコと赤い帽子のままデス!!(//∇//)
あははははは(笑)。可愛いーっ(^^)
めちゃイイ声~~♪うま過ぎる~~♪
桜井さんのジュリーは、心地良さ120点満点超え(≧∀≦)
日本の音楽界で右に出る者はおりませぬな(*^^*)

おおーっ!帽子飛ばした~!(笑)
赤い帽子を鮮やかに飛ばしました~!(笑)
ちゃんと「勝手にしやがれ」の振り付けを踊りながら(著者注.本物のジュリーの帽子投げ動画はこちら、完璧に歌い上げ、やんややんやの大盛り上がりでした(^^)

坂崎幸之助も、ラジオ番組で「勝手にしやがれ」の物まねを披露したらしく、アルフィーメンバーのどうやらお気に入りのジュリーナンバーみたいである。

ちなみに、たかみーはどうかというと、MCでタイガースの「君だけに愛を」をフルで歌ったとの話も漏れ聞き、やはりジュリーへの憧憬は全メンバーにあるようだ(ファンでなくとも、影響を受けていることは間違いない)。

さて、この77年29歳の天下のジュリーに匹敵させたいのは、1986年32歳のたかみー、もちろん歌ではとうていかなうはずないが、神ともいえるギターソロにおいてである。以下、どうぞ。
アルフィー 「悲しき墓標」 1986年 TOKYO-BAY AREA
このギターソロはとても丁寧に弾いているし、素人の私でも戦慄するほどすごい。それに胸と手の美しさが光る動画である。ジュリーも手の美しさには定評があったが、たかみーも白魚の手、今みたいにごてごてに着飾ってなくて、シンプルな衣装の中にも、若さの美が光る。
この東京ベイエリアにおける十万人コンサートは彼のキャリアのピークとも言えるだけに、若い美貌の輝きはひとしお、うっとりしてしまう。
6歳年上のジュリーはこの頃38歳、田中裕子との不倫のさなかにあったころ。同年に「女神」(46枚目のシングル、ソバージュ、黒に金ラメ刺繍のマタドールスタイルの動画はこちら)を発表しているが、オリコン47位とふるわず、衰退の兆しが見えていた。

歌だと、ジュリーに対抗できるのは、リードヴォーカルの桜井さんのみだが(桜井さんでもジュリーのビロードのような艶のある声と色気、男のダンディ振りの演出にはかなわない)、ヴィジュアル面とギターソロではなんといってもたかみーの登場、ジュリーも「悪魔のようなあいつ」(阿久悠が原作を手掛け、上村一夫が作画を担当し講談社『ヤングレディ』に連載された漫画、およびそれを原作として1975年6月6日から同年9月26日までTBS系列で放送されたテレビドラマ。1968年12月10日に発生し、放送された年の12月10日に未解決のまま時効を迎えた三億円強奪事件をモチーフとした作品)でアコギを弾きながらの「時の過ぎゆくままに」を披露しているが(沢田研二『時の過ぎゆくままに』/『悪魔のようなあいつ』第1話 Ending (1975))、エレキはたかみーの真骨頂、それで上の東京ベイエリアのイントロを紹介したわけだが、次にステージ衣装の対比と行きましょう。

五十代たかみーのフェミニン美の際立つスタイル。
エルドラド _ THE ALFEE
銀色の巻き毛が美しく、プリンスファッションが映える。
コバルトブルーのロイヤルコートと白のハートエンジェルギターの対照が鮮やかで、目の保養。歌唱力はいまいちでも、絵だけで充分楽しめる動画。

次も、ポニーテールのフェミニン美が光るたかみー。
背景の最新鋭ドットライトデザインにも注目!
[HD]THE ALFEE 永遠の詩~明日の鐘2012 Spring Tour 

たかみーのポニーテールに対抗するのは次、34歳ジュリーのおさげ。
沢田研二 麗人 1982 03 15

二人ともが稀代のロックスター、ジュリーはローリングストーンズの影響を、たかみーはレッド・ツエッペリンの影響を受けているが(日本のグループサウンズマニアでもある)、その18番のロックで対抗させると。

ジュリーは、
ストリッパー
34歳のときの、厚化粧に薄紫のゴージャス衣装のロック、ヴィジュアル系の走りだから、インパクトは強かった。なんせ元祖だから、男が化粧してとお茶の間にも拒絶感がなきにしもあらず。ジュリーだからこそ、許容されたことで、こういう派手さが似合うのが天下の美形、ご本人作曲によるこのナンバーは今聴いても乗りがいい。

次は私のお気に入り。
おまえがパラダイス
終盤、バックバンド(エキゾティクス)のギタリスト・柴山さんの頭髪をくしゃくしゃやるところがいかしてる。
ジュリーはタイガース出身ということもあり、バックバンドにこだわりをもち、井上尭之バンドや、エキゾティクス(Exotics)、有能なバンド伴奏で歌唱力をいっそう際立たせた(以下、エキゾティクスのウイキから。沢田研二自身はバックバンドを裏方集団とは考えておらず、当時の作品にJULIE&EXOTICSとクレジットされたものがあったり、沢田研二と同じコンセプトの衣装を纏うなど、「沢田研二がエキゾティクスのリードボーカル」というスタンスであった)。

たかみーは次の大阪城ホールのオープニングロックが超かっこいい!
Hysteric Psychedelic ∞~CRUSH!~サファイアの瞳 (THE ALFEE Live at Osaka-jo Hall)

ジュリーも黒がよく似合うが、たかみーも黒が似合う。黒のレスポールギターとのシンプルコンビが粋な衣装の禁断のラブロック曲もどうぞ。
「Masquerade Love」 THE ALFEE
ライヴの人気ナンバーで、ジャケットを脱いでタンクトップで踊りまくる女性ファンもいるとか(乗りは、インド映画の観客そっくり。しかし、映画はスクリーンでヴァーチャルだが、ライブ演奏は生で昂揚感が違うと思うが、インド人はヴァーチャルでも踊り出してしまうお調子者である)。

最後に、ゴールドのフェミニンなタンクトップで中世的な若・美ジュリーの動画を掲げて、締めくくろう。
沢田研二 さよならをいう気もない 1977
こんな衣装を着こなせるのはジュリーしかいない。たかみーは結構肩幅のあるがっしりした体格だから、華奢なジュリーと違って、このタンクトップはまとってもフェミニンにはならないと思う。両肩紐が落ちるとこなんか、超エロチック、なんか、男性まで怪しい気持ちになるよな。なにせ、男も見ただけで妊娠するとの伝説をとった人。源氏物語の光源氏を演じたときの動画なんて、こぼれる色気と超絶美貌にうっとりである。

さて、あなたの軍配はどちらに?
(歌唱力と美貌では若ジュリーの勝ちだが、ソングライター力と、還暦超えても維持し続けるヴィジュアル度ではたかみーの勝ち、結局勝負はどっこいどっこい、引き分けというのが私の判定)

*二人とも外見は女ぽっくても、中味は意外に骨太の男、感情の起伏が烈しくて喧嘩っ早いところも似てるかも。たかみーは高校時代バスケット部の主将で文学青年の一方で体育会系でもあった。ジュリーもミナミでにらみきかせており、スケバンのアッコ(和田アキ子)も恐れていたとの噂も……。

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アルフィーの恋と結婚(埋もれた名ラブソング群)

2016-07-23 16:39:31 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
還暦を超えながら42年に及ぶ精力的なバンド活動を続けているアルフィー、三人のメンバー(リーダー&エレキ担当の高見沢俊彦、アコギ&ドラム担当の坂崎幸之助、リードヴォーカル&ベース担当の桜井賢)の結婚歴が気になるところだが、妻帯者は桜井さんのみ。1983年に「メリーアン」でブレイクする一年前に桜井は結婚、奥様はダンサーとかで、アルフィーの別名義の覆面バンド、ビートボーイズ(リーダーは桜井、楽器を持たず歌とダンス中心)の振り付けはご内儀によるものとか。しかし、お子さんはいないらしい。

あと、坂崎さんだが、一応独身ということになっているが、どうも内縁の奥さんがいるようである。爬虫類や猫を飼っているし、ツアーで家を殆ど空ける身には世話してくれる人がいないと困るだろう。ネットによると、2002年時点まで内縁の奥さんの存在がほのめかされており、おそらくその関係は今も続いているものと思われる。

さて、還暦超えてもヴィジュアル系、いまだに美形を保つ高見沢さんだが、独身である。なんかとても不思議なのだが、坂崎さんともども、浮いた噂がないという。だって、売れてるミュージシャンでそれはありえないだろう。だから、よっぽど、芸能週刊誌に嗅ぎ付けられないよう慎重にやってきた、ということなのだろうと私は推測する。

卑近例で恐縮だが、拙ブログでもたびたび紹介している愚息はラップミュージシャン(芸名BIG DEAL)。というわけで、女の子にはもてもてで、ファンの子なんか自ら身を投げ出してくる奔放さ、あしらいが大変とかで、自分の弱点はウーマンと常々洩らしている。以前はビンボー(BIMBO)といって顔はきれいでもおつむが空っぽの女にいかれることが多く、友人たちにおまえは女の趣味が悪いなといわれたそうだが、何人かの(あるいは数知れない?)女性との破局を経て、今は家庭的でキャリアもあって頭のいい恋人をゲット、同棲中である。

とにかく、ミュージシャンはもてる。それが売れてて顔がいいとなれば、なおさらである。美形の高見沢は引く手あまた、もちろん、坂崎だってもてたはずで、それこそファンの女の子が身を投げ出してくることも多々あったろうと思う。妻帯者の桜井だって、そういう意味では同じである。彼は若いときはリーゼントでスリムでなかなかかっこよかったしね。ファンをつまみ食いしたかどうかはわからないが、まあ、とにかく、週刊誌のネタにならなかったからといって、品行方正だったとはいえない。だって、二十代から三十代の男性は性欲が一番盛んなときだもの、聖人君子でいられたわけがない。

作家の山川健一(作家兼ロック評論家・ロックミュージシャン、東北芸術工科大学教授)が1989年高見沢をモデルに書いた「蜂の王様」では、それを実証するように、四股も五股もかけていたとあるし、リョウコなる二児の母親との不倫もあったようだ。ファンとしては、この、女体から女体へ渡り歩く高見沢像は相当ショックだったらしいが(幼いファンは泣いて去っていったとか。雲の上のアイドル、神に等しい存在の崇拝の対象が人間界に降りて生身の男として女と交わるってのが少女ファンには耐えられないんだろうけど)、天上のセイントスターといえどもれっきとした男、土台純潔なイメージのプリンス像を求めるのが無理というもの。
六十二歳になった今でも、恋人はいるだろうと思うし、そのうち、三十代の若い女性と電撃結婚なんてのも、ありえないことではない。

どっかのテレビ番組で、誰か老後の俺の面倒見てくれいとぼやいたらしいが、ファンが競って名乗り出ることだろう(実際、小学生の頃からたかみーの老後の面倒を見ると決めているファンもいるようだ)。

しかし、ネットで調べても、ほんと浮いた噂は出てこないし、なんか不思議な気になる。ジュリーなんて、不倫したら、蜂の巣をつつく騒ぎだったのに。やはり、相当慎重にやっているとしか考えられない。

328曲あるオリジナルナンバーもほとんどがラブソング。これだけ、恋をテーマに詞を書いている人が恋愛経験皆無はありえないでしょう。それどころか、恋愛経験豊富だから、こんなにもたくさんの恋の詞を書けるのだと思う。
無数のラブソングにちりばめられた言葉のきらめき、『口づけ』のロマン、『甘えすぎた』ことの悔い、『痩せた肩』を気遣うやさしさ、『温めてあげたい』との包容力、禁断の恋がテーマの歌もあり、ソロ活動のライヴでは過激な不倫ソングも披露するとか(アルフィーのイメージとしては、そぐわないから、ソロの方で、過激にやっているのだろう)。

以下、埋もれたラブソングをご紹介したい。

別れがテーマの曲が一番多いが、次の桜井さんヴォーカルによる二曲は隠れた名曲である。
最初のは主格が女性で、高見沢が女性の気持ちになって綴った歌だ。
愛だけ哀しすぎて~COMPLEX BLUE~ THE ALFEE 1994 (歌詞はこちら

一月の雨を忘れない

高見沢ヴォーカルの次の曲もいい。雨音が刻むリズムと連動、洒落た仕上がりになっている。
別れの律動

高見沢の曲はどれもエレキによるイントロが乗りがよく名曲との予感を感じさせる出だしで、エレキソロの間奏・後奏もロックアレンジで、フォークでも、ロック調が混じっているのが味噌。演歌も同じで、ロック演歌となるニューアレンジ。バラード調のラブソングは、クラシックの影響を受けているように思える美曲も多く、ピアノで弾くとぴったりのメロディも。高見沢の声はソフトタッチで、「SUNSET SUNRISE KISS」など、歌詞は恋人へのキスでもファンはやさしくほっぺたに口づけされてる気になるし、不思議な声の魔力はヒーリングパワーを持つ。「誓いの明日」で、「ドントワーリー、泣かないでベイベ……もう離さない」(このフレーズ、もろGS節だなあ)と歌われると、恋の意味から外れてああ、もう悩まなくていいんだと、癒されて私などほっとする。

アルフィーのラジオ番組「終わらない夢」(水曜午後十一時NHKFM)でたかみーのファンも言ってた。すごく疲れていたんだけど、アルフィーの音楽かけて高見沢さんの声が温かい空気の塊のように流れ込んできて癒されましたと。桜井さんに比べると、歌唱力は劣るが、たかみーファンはこの声の魔力に取り憑かれているのだろう。歌い手の彼自身がやさしく包容力のある恋人と錯覚させてしまう歌詞とソフトヴォイス、フェミニンな要素のある美形だけに、女性に人気があるのだと思う(氷室京介や、矢沢永吉はマスキュリンな美形で、男性をそそる美、男性ファンが多い)。

とにかく、たかみーの曲は粒ぞろい、珠玉の名曲だらけである。
もちろん、本来のハードロックにおいても、異才を発揮する。

次は坂崎さんがヴォーカルの哀調を帯びたフォーク美曲。
歌詞がですます調で主格は女性、ほんとに高見沢が書いたのかと疑ったが、確かに彼の作であった。
宛先のない手紙

五番目は高見沢ヴォーカルの窮極の愛をテーマにした美曲。悲愴感の漂うクラシック調の名曲です。
至上の愛

最後に桜井さんヴォーカルの、ちょっと不思議な歌を。
うつろな瞳
愛の虚無を歌ったものだが、どこか陽水風ニューミュージック。こういう曲も作ってたんだと驚き。
とにかく、この86年にリリースされたALFEE通算8枚目のベスト・アルバム(アルフィーA面コレクションスペシャルアルバムカバー写真はこちら)は名盤である。
『★ALFEE ベスト A SIDE COLLECTION SPECIAL 86年』に納められた曲は以下で、ベストと銘打ってるだけあってどれもすばらしい。
A面 ラブレター 踊り子のように 星降る夜に… 冬将軍 無言劇 美しいシーズン 恋人になりたい 宛先のない手紙 通り雨 泣かないでMY LOVE SUNSET SUMMER
B面 別れの律動 暁のパラダイス・ロード メリーアン 星空のディスタンス STARSHIP -光を求めて- 恋人達のペイヴメント シンデレラは眠れない 霧のソフィア 風曜日、君をつれて

B面にお宝曲が多く、「メリーアン」、「星空のディスタンス」、「恋人たちのペイヴメント」のヒット曲や、私の好きな「霧のソフィア」も入っている。

83年から89年までがアルフィーの第一期ピークらしく、29歳から35歳までのたかみーが作った曲には隠れた名ラブソングが多い。

最後に「蜂の王様」(1989)の読者評を一部引用しておく。
「現在進行形で活躍しているミュージシャンをモデルにして小説を書くのは、かなり野心的な取り組みだったと思う。
しかし、せっかくの素材を生かしきれていない。
おそらく、この作家にそれだけの力量が無いのだろう。
もしかしたら、作者が友人だから、高見沢さんは自分を描くことを了承したのかもしれないが、こんな下手な作家に、自分を好き勝手に料理された高見沢さんには、心の底から同情する(著者注.当時35歳だった高見沢さんは、プリンスアイドルのイメージをぶち壊したかったんじゃないかな。ロックに通じてる友人の山川なら、俺のことを書き切ってくれるだろうとの信頼、だから自由に書いていいよと、作家の主権を侵さないで任せたのでは?)
同様に、作中で意味もなく高見沢さんに殴られたり、愛車を勝手に(高見沢さんの)愛人にプレゼントされてしまったりする坂崎さんや、「さようなら〜、さよな〜ら〜♪」と、何度も演歌を歌わせられる(しかも、それしか出番が無い)桜井さんもお気の毒だ。

ポルシェ、ロータス、高価で貴重な数々のギター、ドン・ペリニヨンなど、出てくる小道具はゴージャスなのに、それらを使って描き出す世界は、何故か、と〜〜〜っても貧乏くさい。
これが、この作家の力量の限界なのか?
いや、もしかしたら、ゴージャスな小道具を使って、貧乏くさい世界を描き出すことに長けているという、稀有な才能の持ち主なのかも。
結局、この作家は高見沢さんの何を描きたかったのか、読み手に全然伝わってこないという点で、小説としては終わっている思う。

もっと素材を生かせる作家に、高見沢さんを描いてほしかったな。
美しい男をこよなく愛し、ゴージャスな小道具で、デカダンスな世界を演出することができる作家。もう故人だけど、森瑶子さんとか
(森瑤子張りにそのうち私が高見沢俊彦を書き尽くします、なんて/著者)

「メンバーと出会って20年以上一緒に過ごしたかなりコアなワタシですが、この本はファンにはオススメしません。
特にたかみーファン。卒倒します。おこちゃまは気をつけてね!
セクシーボディにライディングしてるタカミーなんて信じらんない~なんてきゃぴきゃぴ言っちゃうような人は読めません。

それからあとの2人はほとんど通りすがり状態なのでそちらのファンの方も読むとむっとします。
山川健一がなんでこのオトコのことを書こうと思ったのか?
初版を持ってていまだに時々読むのですが全然理解不能。
高見沢俊彦のかなりリアルでそのまんまの[あの時]の生き方がエッジの効いた文章で伝わる結構骨太の一冊です」
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アルフィーの日本記録

2016-07-22 19:46:51 | 私の作品(短編・エッセイ)
経歴42年の日本一長寿バンド、ジ・アルフィー(The Alfee)の知られざる偉業を数字にしてご紹介しよう。

●ヒット曲 
シングル50作連続オリコントップ10入り
最新リリースは、「今日の続きが未来になる」歌詞はこちら
新曲はフォーク調のソフトなメロディ、これまでの戦闘?姿勢とがらりと変わって、がんばらなくてもいい、自然体でいけとのメッセージは、還暦を超えたことでの心境の変化と思われる。そう、やっぱり年を重ねると、夢を追い続けよう、そのために闘えと鼓舞するソングも、どこかつらくなるよね。

一部歌詞を引用(全文はこちら)。

昨日のつづきが今日になり
今日のつづきが明日になる
そんな事の繰り返しが人生という旅

毎日頑張らなくていい
夢をポケットに詰め込んで
ゆっくり歩いてゆけばいい
自分のペースで…

中略

昨日のつづきが現在(イマ)になり
今日のつづきが未来(ミライ)になる
当たり前の素晴らしい一日

人生に勝ち負けなどない
どれだけ自由に生きたのか
だから君との青春は未だ終わらない

中略

何気ないほど…大切な一日
当たり前の素晴らしい一日


関連記事(【オリコン】THE ALFEE、シングル50作連続TOP10 33年で達成「正直ホッ」)から一部引用。
8月にデビュー42周年を迎えるTHE ALFEEの通算65枚目のシングル「今日のつづきが未来になる」(5月25日発売)が初週2.8万枚を売り上げ、6/6付オリコン週間シングルランキング3位に初登場。シングル連続TOP10入り獲得作品数を「50作」の大台に乗せた。
これまで49作連続で並んでいたB’zと嵐を抜き、アーティスト歴代単独2位の快挙(歴代1位=SMAPの55作連続 ※同記録はランクインした全作品を対象)。1983年9/19付で16thシングル「メリーアン」が8位となり、初TOP10入りして以来、33年(32年9ヶ月)かけて達成し、息の長い人気ぶりを証明した。


●経歴 
1974年のデビュー以来一度も解散危機のなかった、42年も続いたバンドで、還暦超えても若々しくパワフル、体調管理に怠りなく、古希を目指す。ポール・マッカートニーのような素敵な七十代になることが、リーダーの高見沢俊彦の夢

●バンド形態 
ロックバンドと銘打っているが、フォークやバラード、演歌、ブルースもこなし、三人のメンバーがそれぞれ持ち味の違ったヴォーカルをこなす(桜井賢がバラード、高見沢俊彦がロック、坂崎幸之助がフォーク主体だが、桜井がプログレ、高見沢がフォーク、坂崎がロックのこともある。三人の異質の声のコーラスが美しいことでも定評がある)。楽器にもこだわりをもち、桜井賢がベース、坂崎幸太郎がアコギ、高見沢俊彦エレキ担当のギターバンドだが、坂崎はドラムやピアノほかの楽器もこなすマルチ奏者、高見沢もピアノが弾ける。MCも器用にこなすコミカルで、エンタテイメント精神旺盛なオールマイティバンド

●コンサート 
1974年フォークグループとしてデビュー、79年ロックバンドとして再デビュー、82年夏ごろからヒットがないにもかかわらず全国ツアーを開催、83年6月21日「メリーアン」(Marie Anne、16枚目のシングル。高見沢は著書の中で「『わが青春のマリアンヌ』“Marianne de ma jeunesse”(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督による1956年の映画)のヒロイン(マリアンヌを英語読み)をイメージして書いた」と記している)でブレイク以降は武道館でのサマーイベント、
1983年 OVER DRIVE-ALFEE 8.24 BUDOKAN- 日本武道館(1983年8月24日、動員10,000人)
当日、会場に訪れた1万人の観客全員に本人たちのプロモーションビデオなどが収録されたビデオテープ(VHS、ベータマックスともに5千個ずつ)がプレゼントされた。
終演後も席を立つ者が無く、アンコールを求める声が止まなかったが、会場に「SINCE 1982」の伴奏が流れ始めると(高見沢が舞台ソデで演奏した、ともいう)次第に静まり、遂には会場一体となって同曲を大合唱した、というエピソードが、「夢さがし アルフィー・高見沢俊彦物語」などでも紹介されている。この大合唱の様子はライブビデオの冒頭に収録されている(著者注.88年東京ドームのこけら落とし公演での、12カ国のマーチングバンド合奏の五万名の観客による『終わりなきメッセージ』の大合唱シーンはこちら
このライブで、ステージバックに当時日本での流通量が少なかったマーシャルのキャビネット(著者注.写真はこちらを積み上げたので(マーシャルウォールとも呼ばれた)、日本中の楽器店から、マーシャルのキャビネットが消えたと言われた。
ウイキ

86年には東京ベイエリアで日本初の十万人コンサートを成功させた(動員数92500人)。
翌87年には、やはり日本初のオールナイトコンサートを開催。
以下、ウイキから一部引用。
1987年 SUNSET-SUNRISE 日本平ホテル MUSIC LAND-IN 静岡(1987年8月8日・9日、動員62,500人)
オールナイトコンサート「サンセット・サンライズ」。
前年のクリスマスに、横浜スタジアムに設置した仮設テントでのオールナイトコンサートは、近隣からの騒音苦情のため、夜明け前に終了してしまった。その雪辱戦として急遽決定したライブだった。全体を3部構成にし、1部と3部はロックナンバー中心のライブ。2部はアコースティックライブとなり、幻の未発表曲「まもなく2番線に…」(ライブハウス時代の楽曲。2014年に「Alfee Get Requests! 2」にて初CD化)が演奏された。それぞれの合間には1時間の休憩が挟まれた。
前半はウッドストック・フェスティバル(著者注.1969年8月15日午後から18日午前にかけての4日間、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれている)さながらの豪雨にたたられ、一部の楽器に不具合もでた。また、このコンサートの最中には、ニッポン放送オールナイトニッポンが、一部、二部ぶっ通しの特別番組を放送した。当時、アルフィーと親交の深かった上柳昌彦アナウンサーが、日本平ホテルの一室から放送。事前に収録したインタビューコーナーだけでなく、休憩時間中には、メンバーが直接生出演した。
三部に入るとほとんど雨が止み、「不良少年」の演奏中には富士山が顔を出した。
最後は、このライブの為に作られた「Sunset Sunrise Kiss」を披露(同曲は長年CDには収録されず、同ライブが収録されたビデオ映像でしか聴けなかったが、2012年12月23日発売のDVD「We Get Requests!」には2012年バージョンが収録、2014年に「Alfee Get Requests ! 2」にて初CD化)。演奏終了後、メンバーはヘリコプターに乗って会場を後にした。
エンディングの退場の際、高見沢の靴が脱げてしまい、勢いでもう片方も脱いで客席へ投げ込み、ヘリコプターに乗り込んだ。しかし着陸したのは雨上がりの河原であったため、迎えの車まで靴のない高見沢は桜井に背負われて移動した。(「THE ALFEE HISTORY II」に、その際の映像がある)
チケットは、白いビニールシート。


ライブ回数は2015年1月時点で2500回をマーク(古希までに3000回達成が夢)

ちなみに、こけら落とし公演(新たに建てられた劇場で初めて行われる催しで、来場者数が多くなり出演者も大物であることが多い)バンドとしても有名で、東京ドーム、パシフィコ横浜、国際フォーラムはアルフィーがこけら落としを務めている。

●コンサート名 
『東京ベイエリア』、横浜スタジアム3 DAYSの『* DAYS』の名付け親。リーダーの高見沢俊彦が86年当時、ウオーターフロントといった東京湾埋立地13号を、ぴんと来ないので、東京ベイエリアコンサートと命名、連続二ー三日で行われるコンサートも以後「○○コンサート* DAYS」と称するのが一般化した

●ギターコレクション 
リーダーの高見沢俊彦の42年にわたるエレキギターのコレクションは512本(2015年6月24日現在。コレクション動画はこちら)。古希までに600本を目指す

●楽曲 
すべて高見沢俊彦のオリジナル曲で328曲THE ALFEEメンバーによる『40th Anniversary ALL SONGS IN MAGICAL DICTIONARY 』解説映像!!はこちら)、ぎんぎんのハードロックからプログレ、哀愁あるフォーク、美しいバラード調、ブルース、演歌までこなすレパートリーの広さ。高見沢は子供の頃ピアノを習っていただけあって、クラシックの影響も見られる美曲が多く、美しいメロディと叙情的な詞のセンスは天才的で、本来のロック曲も異彩を放つ

●名誉学士号 
2014年3月18日、中退した明治学院大学から音楽に貢献した功績で名誉学士号を授けられた。高見沢は明学では島崎藤村の次にアルフィーが有名と豪語している



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ラッパー子息のインドNO.1歯磨き粉コマーシャル 

2016-07-21 16:03:25 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
南インドのIT都市バンガロールをベースに、エンジニアの傍らラップミュージック活動に携わっている息子サミール(芸名BIG DEAL)は今現在、ブータンを演奏旅行中、美しい国でとても気に入っているとのメールを本日くれたばかり(こちらのフェイスブックで、ブータンのホテル前で記念撮影した息子を見ることが出来ます)。

さて、インドNO.1ブランドの歯磨き粉COLGATEアドに出演したときの動画も併せて送ってきたので、早速紹介したい。
Colgate Visible White -The Shine Song Feat Shraddha Sharma & Rapper Big Deal

「コルゲート」といったら、私も使っている超有名ブランドで、アド出演は彼のラッパーキャリアの大きな飛躍だ。
加えて、ブータンでの公演、初の海外ライブで、今後、近隣のアジア諸国への進出もありそうだ。

来月下旬もしくはさ来月初旬に予定している家族そろっての日本帰国は目下、息子が超多忙なので危うい状況になっており、夫婦二人のみの公算が高くなっている。
まあ、今回だめでも、来年があるので。
親といえども、彼は既に経済的に独立した大人、強制は出来ない。
桜を一度みたいと言っているので、来年の四月のほうがベストかもしれない。
とはいえ、これも彼のスケジュール次第なのだが。

前回連れ帰ったときは19歳の大学生、親の庇護下にあったため、帰国同伴も強制したが(それ以前に彼の方で行きたがったし、休暇に合わせてだったので、スケジュールも無理がなかった。ちなみに初の日本洗礼は14歳のとき)、今回はそういうわけにもいくまい。

私としても、今が彼のキャリアにとって大事な時期であることは、充分承知している。

それにしても、少しずつ有名になっていくようで、うれしさ半分の一抹の寂しさも。

近い将来、日本でも公演することになるかもしれない。

みなさま、ご支援のほどくれぐれもよろしく!

Facebook(BIG DEAL)

*インドは今、ラップブーム。ヒンディ映画の主題曲にもラップが頻用されている。若手の大スター主演の映画に息子のラップが採用されれば、一躍スターダムにのし上がるチャンスも。成功を陰ながら祈るばかりだ。


一番右端がラッパー子息、BIG DEAL
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文芸思潮誌、厚意で届く

2016-07-19 16:25:47 | 私の作品(短編・エッセイ)
昨日は一日ノンコンタクト&PCデーだった。
理想的には週一度休眼日をもうけたいが、書くことに夢中になると、つい制限を越えてしまいなかなか難しい。

今現在手元に日本語の新著がなく、PCに触らないと時間をもてあますなあと躊躇していたのだが、絶好のタイミングで「文芸思潮」誌が届いていて、助かった。実は今年は正式に定期購読の申し込みをしていなかったのだが、先月私が郵送した同誌主宰のエッセイ賞の投稿原稿のことで編集長(1979年「流謫の島」で群像新人長編小説賞受賞の五十嵐勉氏)からメール連絡があり、大変申し訳ないのだが遅れて届いたこともありどこかに紛失してしまったようなので、メールでいいから原稿をもう一度送ってもらえないかとの依頼があったのだ。
あわててチェックして、ワードを添付ファイルで送稿、ひと息ついた経緯があったわけである。

ということで、気を遣われて、三次予選を通過したとの再度の通知とともに、本誌を遠隔地まで送ってくださったのである。
同誌には過去六年間投稿関係で大変お世話になり、授賞式にも一度参加、編集室にも二度お邪魔している。一介の投稿者に編集長は厚くもてなしてくださり、美味な昼食をご馳走になったうえ、同社で刊行している自費出版本を寄贈戴いたりと、恐縮するほどの歓待ぶりだった。
わざわざ当地まで賞状や記念品を送ってくださるご厚意も二年連続で、このところ不義理をしている私はひたすら恐縮千万である。

実は編集長との接点がひとつあり、それは私が25歳ごろの東京の出版社勤務時代、参加していた新宿の同人誌「中央文学」に編集長も加わっておられたのである。同じ同人誌にいたことを知ったのは、私が「文芸思潮」を知った六年前のことで、なにやら因縁を覚えたものである。もちろん、その頃既に編集長は文芸誌「群像」(講談社)主宰の長編小説賞を受賞しておられ、新進気鋭の作家としてデビューなさっており、作家志望で稚拙な習作時代に甘んじていた私とは大違い、主宰者の厚意で詩一編と短編小説を載せてもらったとはいうものの、到底鑑賞に耐えうる代物じゃなかった。

「中央文学」は数ある同人誌のなかではわりと高名な雑誌で、当時注目されていた女流作家、増田みず子も名を連ねていたのだが(ほかに、新人賞受賞作家も何人かいた)、私は集会にも二度出席しただけの不真面目な会員で、結局二年くらいしか在籍しなかった。

短期とはいえ、同じ同人誌に所属していたというよしみから、編集長は一介の投稿者には過ぎる厚遇をしてくださるのかもしれないとも思うが、お人柄からして、私だけでなく、誰にもそうなのかもしれない。

ところで、今号の特集記事は2015年ノーベル文学賞を受賞した「チェルノブイリの祈り」(スベトラーナ・アレクシエービッチ)に絡めた三十年後のチェルノブイリ(1986)の実相を取り扱ったもので、前号のチベット問題も読み応えがあったが、日本にとっても他人(ひと)事でない人災に見舞われた今、被災後の巨大つくしや、後頭部が異常に肥大した乳児、六本足の犬の写真など、戦慄させられるものがあった。今現在、原発のあった場所は石棺状態だが(爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者を動員、4号炉を封じ込めるための構造物は石棺と呼ばれた)、漏れ出しているとかで、ドームで覆う計画らしい(爆発事故で原子炉建屋の上部や一部の側面が吹き飛んだチェルノブイリ原発4号機は、コンクリートや鋼材で「石棺」を築き、放射性物質の外部への飛散を防いだ。わずか半年の突貫工事。耐用年数は30年で、原子炉建屋は風雨にさらされヒビが入るなど老朽化が激しい。そのため4号機の隣では、アーチ型のシェルターの建設が進む。シェルターで4号機を覆う計画で「再石棺」とも呼ばれる。シェルターは高さ109メートル、長さ162メートル、幅257メートル。シェルターを4号機へと横滑りさせるレールを建設中で、完成後、シェルターを動かし4号機を覆う。作業は2017年に完了する予定)。

通常の文芸誌が扱わないような社会問題(核、ナチズムほか)を特集に取り組む方針は、過去六年のタイ在住歴(84-91年)があり、カンボジア問題に関わった編集長ならでは、ポルポトの虐殺や難民キャンプをテーマに作品も上梓なさっているのだ(ノンチャン、NONGCHAN 聖丘寺院へ2013)。
私自身は小説に政治的要素を盛り込むことはないが、年の半分は日本に暮らす身上になった現在、日本の社会問題にも少しずつ目を向けるべきなのだろう。喉もと過ぎれば熱さを忘れるで原発再稼動の動きがあるのは憂慮される。とくに故郷の福井は、原発銀座との異名があるほど、原発の多い地域、もちろん原発産業で潤ってきた地元事情を考慮すると、一概に反対の声もあげられないのだが、脱原発の自然エネルギー推進に向かっていってほしいと、未来の世代のためにも願うばかりだ。

もうひとつ、原石寛追悼特集が、興味深かった。以前、故人の自費出版書(原石寛短編小説集 雪女郎、2014)を一読していた私には、このアマチュア作家の力量は承知済みだったが、妻に先立たれた老残の心情を嘆いたエッセイが、老いと死について考えることの多い昨今の私にとっても、他人事でなく身につまされた。
本業は長唄の師匠であられたが、文学にも才能を発揮され、自費出版で六十冊刊行された偉業は注目に値し、埋もれた在野の作家を掬い上げた文芸思潮誌の功績は大きい。

昨年亡くなられたという氏のご冥福を心からお祈りしたい。
以下、関連記事をどうぞ。
93歳、溢れる創作意欲

関東文芸同人誌交流会の掲示板(原石寛について)

*休眼日といっても、細かい英字の新聞は読むし、文芸誌で活字を追って完全に眼を休ませることにはならなかったが、書かなければ読んでないと、間が持たない私、合間に音楽を聴く休憩も含めて久々に読書を堪能した。




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美しいバラード調のラブソング(アルフィー・埋もれた名曲選2)

2016-07-16 20:46:41 | ラッパー子息・音楽ほか芸能
アルフィーの隠れた名曲『FAITH OF LOVE』(1988年発売された32枚目のシングル)を紹介する。
ヴォーカルは歌唱力に定評のある桜井賢さん(ベース&リードヴォーカル担当)。
高校生のときフォークコンテストで二度栄冠を勝ち取っただけあって、この人はシンガーになるため生まれてきたような人、天性の喉に恵まれている。

ソングライターの、高見沢俊彦(リーダー)のオリジナル曲はロック始め、バラード、フォーク、演歌、ブルースまで幅広いレパートリー。
ぎんぎんのハードロックもあるが、美しいバラード曲も多く、ヴォーカルが桜井さんだと、美曲は一段と生きる。

以下、映画の主題曲として使われた名曲(1989年の『将軍家光の乱心 激突』<監督:降旗康男、アクション監督:千葉真一>のテーマソングとして採用され、エンディングに使われた)をどうぞ(歌詞はこちら)。
THEALFEE [Faith of love.live]
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