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岳と百姓と

余生で農業しながら山に登り、全国を旅行して人生を謳歌している爺の趣味三昧のブログ

旅の軌跡 12月20日編  その4 魅惑の長門市へ(山口長門市)

2022年02月19日 | 旅行

令和4年2月19日(曇り)

今日もお天気は穏やかで、休日の今日は相変わらず野菜の播種三昧とハウス内の片づけを若干やりまして、その後、畝立て用の管理機のアタッチメントを取り換えて春の農作業の準備をしました。

先ずはトマトの播種の続きです。この品種「サン三チェリープレミアム」は自分の注文ミスで購入したミニトマトです。ミニトマトのアイコを注文したつもりが注文書の段ずれでこの品種が入荷されてしまいました。一般的な品種だと返品は可能なんだけど特殊な品種なので販売店からは返品は不可ということなので、仕方なく播種しました。種子代くらいは確保できるように出来るだけ苗販売を頑張りましょう。

次は自分の好きなネギ品種でもある「森の奏で」を10トレイだけ播種しました。此れはホワイトスターの収穫中間で調整用ですし、上手くいけば秋の種苗交換会で賞狙いで出荷するつもりです。スタイルが良いので出来が良ければ狙えます。他の農家さんは葉色が濃い「関羽一本太り」で勝負していますが、自分は黄色斑紋病やサビ病に弱すぎてあまり好きではない品種なんですよ。

という事で今日の発芽器は野菜中心のトレイが入りました。賑やかになってきましたね。

明日はネギのホワイトスターを30トレイの播種をやりますが、特に急ぎではないのでノンビリやります。漸く、播種作業も予定のスケジュールの近くなってきました。

では旅の軌跡の続きで秋吉台から長門市に向かったところです。夕方だったけど面白かったね。長門市、良い町でしたね。移動の途中にモノレールのレール?なんかすごい長い電車のレールみたいなの数キロの規模でありました。興味津々で何なのか探ることにしました。田んぼの中を言ったり来たりしましたが良く解りませんでした。

トンネルのような感じで中が見えないので余計に判りません。そこでこのレールの根元まで行ってみました。すると小さな工場みたいなところがありましたので申し訳なかったですが敷地内にも入ってみました。中では機械が稼働しているような音がしますが、何が行われているか全くわかりません。位置関係から秋吉台の裏側でしたから、自分が想像するには秋吉台から石灰岩をベルトコンベアーかなんかで工場に運んでセメントを作っているんじゃないかと思いました。多分あってるでしょう。秋吉台方面に行って確認したかったけど山の麓まで行ったけど道が無くなって行くことが出来ませんでした。道は別にあるのでしょうね?自分的にはメチャクチャ興味があって何なのか?搬送の仕組みはどうなっているのか凄く見たかったけど、残念でした。

次に長門市に入ります。もう夕方で薄暗くなってきましたが、当日の車中泊は長門市の道の駅「センザキキッチン」にしました。この道の駅も新しくて、超綺麗でwifiも電波が強いしレストランや博物館も有るし、青島観光の拠点になっていました。自分的に今旅のナンバー2の道の駅でした。詳しくは次回の記事で揚げたいと思います。先ずは夕暮れの到着時です。

港の脇に在りますので海上保安庁の基地がありました。昔、戦艦「長門」というのがありましたけどここが基地だったのかな?海上保安庁の船がありましたのでそばに寄って行ったら、無人だと思っていたら急にライトが点灯してびっくりです。怪しい人間が来たと判断したのかな?

という事で長門市の観光は次回です。

最近、ダイエット効果が出て来て、目標までの体重は後、2㎏減です。マラソン迄、あと2週間なのでそこまで目標を達成できるか心配です。食事を減らせば一気に減らせるけど体力を落とさず体重を減らすのは至難の業です。焦らず、じっくり当日までトレーニングと体重減を図っていきます。バイト中なのでトレーニングも儘ならないけどね!

最近、東京マラソン事務局からコロナ過なので65歳以上の参加者は参加を見合わせてほしいとメールが入ったんですが、強制排除では無いし、電車の切符も買って有るし、ホテルも予約して有るし、息子たちにサポートを依頼して有るし、バイト先には休暇申請もして有るので自分はあくまでも参加するつもりです。参加を見合わせると、’23年、’24年の大会に参加移行できるらしいけど、古希の爺は1年、1年体力が落ちてきているし、何時,なんどきどうなるか判らないし、来年走れるかなんて未知なので元気なうちに走っておきたいのです。大会が中止にならない限り、絶対行くぞ!

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旅の軌跡 12月20日編  その3 秋吉台(山口県美祢市)

2022年02月18日 | 旅行

令和4年2月18日(晴れ)

毎日、数センチの雪は降るのだけれど、雪がもう根性無しの雪に変わったので降っても直ぐに消えかかるのでこれまでの雪も大分溶けだして、更に地面からの溶雪もあって2m程あった雪が大分、積雪が下がってきました。春は近いかもですね。

今日もバイト後の農作業で野菜の播種をやりました。バイト先の小母ちゃん達はバイトから帰ると疲れてしまって帰ると先ずは横になるらしい。自分は別に疲れることも無いし、バイト先の職員からもベテランさんだからと言われていて、新人バイトさん達のサポートしながらの作業で特に苦労は無いんで自宅に戻って横になることは無くて百姓をやっています。今日はトマト中心の播種です。

先ずは売れ筋のトマト桃太郎です。モモタローは品種が多くてどれを選択するか迷いますが、本来ならば病気に強い品種や多収の品種を選びたいのですが、苗を購入するお客さんが品種の良し悪しや病気に強い品種など理解していなくて(意に返さない?)、モモタローならば何でも買っていくので、高額の種子の品種を導入も全く意味が無いんで種子の安い「桃太郎ファイト」にしました。此れは良い品種の価格の1/3でそれなりの品種なのでこれにしました。今年も1000株は播種します。1000株も播種するとなると、上手く売り切るためには播種時期をずらして育苗しないと売切れる前に苗が大きくなりすぎて、最終的に廃棄する羽目になるからです。なので今日は250株播種しました。次回は1週間後ですね。

次にミニトマト「アイコ」です。此れも人気品種です。昨年、200株播種して、人気であったけど売り切るには一寸、苦労したんで150株にしました。お客さんに聞くとお弁当や料理の彩に良いという事で人気でしたね。

次に「イエローアイコ」です。売れ筋はアイコの半分ですが、種子の注文を間違えたみたいでアイコと同じ量(150株)を注文してしまいました。頑張って売り切るしかないですね。それとも50株の種子は来年に取っておくか判断に迷いますね。

次は大玉トマト「麗夏」です。お客さんには大玉トマトを希望する人も稀にいて昨年は「米寿」にしましたが、今年は麗華を若干だけ播種します。

今年のトマト苗戦略はどうなるかな?楽しみです。

では旅の軌跡の12月20日編のその3で萩市から秋吉台(美弥市)を揚げます。

先ずは萩市の萩反射炉に行ってみました。自分は元々、工業系なので技術的な遺跡に興味があるんですよね。行ってみたら誰も居ませんでしたけど感動ものの良い遺跡でした。情報によると「山口県萩市にある萩反射炉は、萩の城下町松下村塾とともに「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつとして世界遺産に登録されました。」という事で此処も世界遺産なのですね。幕末から明治時代にこういう技術があったのですね。凄いです。精錬所跡にも行ってみましたが、カーナビで行っても近くまで行くけど場所が解らなくて断念しました。

次に向かったのは秋吉台です。秋吉洞には前に入ったので時間も遅かったので今回は入りませんでした。鍾乳洞って何処も同じようなもので代り映えしないので1回入れば十分なのでスルーです。入洞料(1600円)や駐車場(1000円)も高いので無駄金は使いたくないので秋吉台に向かいます。観光客はほとんど居なくてこの高料金では已む得ない選択ですね。経営が下手糞ですね。

展望台の前にスタバがありましたので、コーヒーを購入して展望台に上がります。此処には沢山の観光客がいましたし、スタバも賑やかでした。駐車場が無料だったので観光客が多くいる訳です。此れが上手い経営ですよね。会社員時代に自分は部下や上司に「損して得取れ」と言って、大型案件を沢山受注しましたから今でもこの気持ちは変わりません。大地は枯草で覆われています。前に来た時はもっと、石灰岩が剥き出しだった思い出がありますが、今回は草に覆われていましたね。

懐かしいな!コーヒーも美味しいな!景色に癒される。此れが観光です。50年前(半世紀前)に若い頃にここに来ていたとは、今思っても良く来たなと思います。それも一人旅で!よく金があったんだなと思いますよね!実はこのころは高度成長時代で給料が1年のうちに3倍に上がったし、ボーナス的なものは年4回ありましたから懐は凄く暖かったですからね。バブルでは無かったけど良い時代でした。

景色や雰囲気は九州の阿蘇地域の草原のようにも見えますよね。此の草原も春先には野焼きで屋Kれるんですね。多分壮観だと想像できますが、見たいものですね。阿蘇の草原も野焼きがあって草原らしいです。百姓辞めたら行ってみたいですね。

秋吉台を堪能しました、次は山口県長門市に向かいます。

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旅の軌跡 12月20日編  萩市 その2(山口県萩市)

2022年02月17日 | 旅行

令和4年2月17日(薄曇り)

今日は軽く雪が降っていますが、日中、消えているようです。雪がこのまま溶けて行ってくれると良いけどね。今日もバイトとトレーニングしてから帰って来てからの農作業1時間です。今日はパプリカなどの播種をしました。

此方はパプリカゴールドです。苗の成長が遅いので早めの播種です。苗販売ではなく、自分で栽培して果実を出荷します。パプリゴールドが自分的に出荷するより食べてしまうかな?本当に美味しんんですよ。生でざく切りしてアジシオとオリーブオイルを掛けて食べたら最高ですよ。

パプリレッドです。こちらも苗販売では無くて自家栽培になりますね。こちらはゴールドと比べ栽培が難しいんですよね。同じように栽培しても尻腐れが多いのです。

次に鷹の爪ですが、苗販売と自家栽培になります。意外と売れるんですよ。昨年は草に大分やられたんで今年は圃場を変えてしっかり栽培したいと思います。防草シートを使う予定です。

では、旅の軌跡の続きで、松下村塾ですね。これはしっかり記憶があります。学びの道なんですが昔あったかな?物凄く整備されていて観光地化していましたね。塾舎は今も松陰神社境内に現存していて、平成27年(2015)には世界遺産となりました。 伊藤博文など明治維新を成し遂げた偉人たちが学んだ私塾です。

ただ、建物は今も覚えていますし、縁側に座った記憶があります。ただ、当時は周りの建物などがこんなに立派では無かったような気がしますが、今は周りが綺麗に整備されていて村塾関係の建物だけがタイムスリップですね。懐かしいです。

何故か今の人たち3人が実際に講義を受けていました。どっかの企業の方なんでしょうけど、正座で抗議を受けるのって辛くないかな?見ると辛そうですね。膝を崩して胡坐をかいても良いんじゃないかと思いましたけど、これも研修の一環かな?

建物の軒先が凄く低くて軒下に立ってみましたが自分の背程(167cm程)の高さしかなくて頭が付きそうでした。昔の人は背が低かったんでしょうね。これらの施設は昔からの物だと思いますけど周りが近代化していてあまり整備しなくてもよかったかなと思いましたね。

此方は松陰神社です。此処にもしっかりお参りしました。懐かしかったですね。ただ、何処もかしこも村塾以外は皆綺麗に整備されていて世界遺産になると趣が変わってしまうようですね。世界遺産って必要なことなのだろうか?

今回は城下町には行きませんでした。当時も弊なんかは新しくて綺麗だったのは覚えていますし、今も観光用に綺麗に整備されているだろうと思うので作られた観光地なら興味も湧きませんので行きませんでした。

今週末は播種作業をしっかりやって遅れを取り戻したいと思います。

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旅の軌跡 12月20日編  萩市 その1(山口県萩市)

2022年02月16日 | 旅行

令和4年2月16日(曇り)

今日は午前中は一寸、雪が降って10cm程積もりましたけど、午後は晴れたので雪は一気に融け模様でした。気温は若干高いし、日も長くなってきて確実に春に向かってきたなという感じです。

今日はバイトの後に帰宅してから茄子の播種をやりました。時間的には1時間ほどの作業でしたが空き時間を利用して遅れている野菜の播種を続けていきます。

茄子、くろべえですが、これは自分の好きな品種で苗販売の他に自分でも20本ほどは栽培し直売します。

次は「庄屋大長」ですが、この品種は一番の人気品種で苗販売専用です。皮が固いので何でこれが人気なのかは自分的には良く解りませんが、この品種でないとダメという人が多々います。

次に一部の人に人気な「美男」です。柔らかい茄子で苗販売と栽培もします。茄子の苗は成長が遅いので一番初めに播種するんですが今年は10日ほどはちゅタイミングが遅れてしまいました。

では旅の軌跡の続きです。今回は12月20日編 萩市の観光です。此処も若かりし頃に訪れたところです。50年ほど前ですかね。前は電車で来て、レンタル自転車で回った記憶があります。今回は車なので車で回ります。今旅は昔を懐かしむための旅で歴史をしっかり学ぶわけではないですのでサラッと回ります。

先ずは吉田松陰の墓所からですかね。昔はこんなだったかな?説明板は無かったような?記憶が曖昧ですね。

此方は高杉晋作のお墓で吉田松陰の墓の近くになります。此方も若くして亡くなっていますね。優秀な方は目立ってしまって出る杭は打たれる如くなんでしょうね?

此方は吉田松陰の生誕地でお墓の近くにありました。建物はありませんでした。

次には位置関係から伊藤博文の旧宅ですね。此処も前に来ていますね。薄く記憶があります。昔の建物なのに立派な建物です。流石、初代 総理大臣ですね。

此方は生家ですね。大昔の家にしてはしっかりしていて名家なんでしょうね。

離れのお風呂場かな?昔はこんな感じでしたね。自分の生家でもこんな感じでしたね。長州ファイブ(伊藤博文、遠藤謹助、井上薫、井上勝、山尾庸三)についても説明板がありました。幕末や明治時代に活躍したメンバーですね。萩市は人材に宝庫ですね。

次は松下村塾ですね。明日の記事で揚げます。

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高齢による不整脈考

2022年02月15日 | 生活

令和4年2月15日(小雪)

今日は軽い小雪で除雪はありません。除雪作業が無いと凄く気分的に楽ですね。

今日はバイトの後に司法書士さん所に行ってから,JAに追加注文していた野菜の種子を取りに行った後に温泉に行って体をキレイキレイしてきました。

なんか、毎日忙しいですね。では、掲題について語ってみたいと思います。今回は読み物です。

先日、大学病院のドクターの年1回の定期健診でしたので行ってきました。

ドクターから突然「自分の事覚えて居ないか?」と言われてしばらく考えたら、自分の手術を執刀したドクターでした。ドクターは毎年変わるんで覚えていないし、8年前の事なんで自分が記憶していなくてドクターは一寸、がっかりしていました。ドクターの方はあれから何千人も診ているのに自分の事をしっかり覚えていて、当時の状況も良く覚えていてびっくりです。若いドクターだったので初めての執刀だったかな?当時は担当ドクターが準備から執刀、術後管理まで看護師なしで一人で全部やって頂きました。なので、術前に心臓に血栓がないか胃カメラみたいなのを胃に挿入して確認してくれたけど、看護師なしでドクターが自分一人で胃カメラより太い機材を口から胃に挿入したんだけど、挿入が上手で全然苦しくなくて上手だなと思いましたし、心臓にある血栓は心臓が胃の陰にあってレントゲンでは見えないので胃にレントゲンの小型版みたいなものを挿入して見るという事でした。術後にはカテーテルを入れた動脈から出血しないように術後に1時間もドクターが手で圧迫して止血していただきましたが、看護師がやらないでドクターが全てやってくれて、1時間も圧迫するのは大変だろうなと思っていましたね。

自分の術後の経過が頗る良くて大学病院でも稀れなケースでこれからもモニタリングさせてほしいと言われました。心臓を2回も手術していれば、その後、何か不具合が出るケースが多いらしいですけど、自分は今のところ不具合はなくてマラソンを走るまでになっているのは驚きの様です。手術前より元気かもしれない。大学病院としては稀なケースとしてデータが欲しいみたいです。大学病院の患者ってモルモットのようなものですからね。

ドクターが1年に1度、逢っただけなのに良い状態ですねというので、何処のデータを見て行ってるのか解らなかったですね。自分は地域病院で2か月に一回、定期健診を受けていて、その検診結果を年1回、大学病院のドクターに見て頂くという、「地域連携パス」という仕組みで監視されているんだけど、地域病院の健診結果が大学病院から見れているのかな?不思議!地域病院のドクターも自分の状態が良いので今度はレントゲンでも撮ってみるかという事で次回健診では血液検査、尿検査、心電図、レントゲン迄あってほぼ人間ドック並みの検査を2か月毎にやっているんですよね。此れで健康じゃないと可笑しいよね?

ちなみに、自分は不整脈を発症したんだけど、これは怖い病気です。先ず、発症するとヘタすると死に至ります。自分は雪掻きしているときに急に発症して視野が狭くなってきて動けなくなって這うようにして漸く自宅に戻って安静にしていたらようやく落ち着いて来て近所の人に病院に連れて行ってもらったんですが、今年も高齢の人が屋根の雪下ろしをしていて、落下ではなく屋根の上で死んでいたケースがあって、自分が思うに急性心不全だと思います。普段元気な人が突然死するのはほとんどこのケースだと思います。ドクターに要因を聞いたら、加齢だと言われました。つまり高齢になると誰でも発症して死ぬ可能性(突然死)があるという事です。不整脈の怖いところは突然死の他に不整脈が起こると心臓で血栓を作ることです。その血栓が脳に上がると脳梗塞になります。血栓が何処の血管で詰るかによって足が壊死したり、手が動かなくなったりします。

自分が大学病院に行ったら、ドクターが慌てて、血栓があると大ごとなので緊急に血液が固まらない薬を投与されました。ドクターからは血液サラサラの薬を一生飲むか、手術をするかの2者択一と言われたんで自分は一生薬を飲んで過ごすよりはと手術を選択しました。それでも直ぐには手術していただけず、血液が固まらない薬を1か月服薬して血栓が無いことを確認してからの手術でした。血栓があると手術中に弾みで血管を流れて脳に行くと重大な事故になってしまうからです。若いドクターでしたけど、本当に慎重でしたね。お陰で今がある訳ですけどね。

別のドクターから言われましたけど、脳梗塞は脳の一部または全部を壊すのでコンピューターで言うCPUが壊れるという事でこれが壊れると修復不可能という事だと言ってました。なので現代の医学では発症すると大小に係わらず、以前以上には絶対戻らないと言ってました。なので血栓は非常に怖いものだという事です。脳梗塞の人の脳の画像を見せて頂きましたが、脳の一部が白くなっていて、その部分は壊死していてその規模の大きさによって体の麻痺の程度が決まるという事でした。その白い部分は絶対に改善しないという事でした。怖いですね。

心臓病は車で言えばエンジンですので、壊れれば体は動けなくなりますが、これは修理(治療)が可能です。心臓は筋肉と体内の電気信号で稼働しています。この電気信号が混乱又は混線すると不整脈が発生します。此れは脳とは別物で脳が死んでいても動きます。この状態を脳死状態といいます。

自分の場合は一回目はこの電気回路が混線していて不整脈を発症したので、其の混線回路を切断(焼き切って)して正常に戻しました。ドクターからはこの不整脈の親戚みたいなのがあって、又、発症するかもしれないと言われていて、予想通りに1年後に再発しました。そこでまた手術です。2回目の手術はカテーテルが届かない箇所なのでカテーテルで心室に穴をあけて混線箇所を切断しての処置でした。「心室に穴をあける?」説明を聞くと物凄く、怖い話です。

心臓の手術って、麻酔が出来ないので意識があって、看護師とかドクターと話をしながらの2時間の手術なんですよ。血管モニターも見せてくれるのでカテーテルが何処まで進んでいるか見えるし、手術中に血栓を作らないように横隔膜に強制的に電気信号を送って定期的に動かすんでこれは一寸、辛かったですね。痛いという事は無いんだけど、苦しいという感じはあって看護師さんが状況説明してくれて自分の心臓の手術をモニター見ながら実況中継を見ている感じで不思議な感覚でしたね。

自分は若い時に盲腸で手術したこともありましたが、その時も部分麻酔で意識があって、看護師さんと話しながらの手術でした。今回、心臓の手術2回も意識がある中の施術でテレビで見るような全身麻酔での手術では無いのでこれが現実なんだなと思いましたね。大学病院のドクターって凄いなと思いましたね。

ただ、自分が会社員時代にある大学病院の循環器科にあるシステムを納入したことがあって、その運用サポートに毎週カンファランスがあるたびに呼び出されて参加して居たんだけど、ドクターには色々な人が居てこのドクターには自分の体を任せられないなと思うドクターも居ましたから、自分の担当ドクターは良い人に巡り合えたと思いますね。自分が発症した時に、東北北3県の何処の大学病院にするか決めろと言われたときに、自分は真っ先にその大学病院は排除しました(笑)。

という事で、高齢になると不整脈が発症する可能性がありますよと、不整脈は怖いよという事と、心臓手術は怖くないよという話でした。

話は全く変わりますが、今、自分が自分ちの農地の所有権移転をやっているのですが、親が無くなって30年以上経っていて固定資産税は自分が払っているのに、面倒くさがって自分に所有権を移転していなくて、今回の基盤整備事業で農地の所有権がはっきりしないと参加できないという条件で慌てて所有権移転の事務処理を司法書士さんにお願いしているところですが、難しい事かなと思っていたら、流石、司法書士さん、サクッと書類を作ってくれて関連書類が集まったらすぐ登記できるようです。流石、プロですね。

ちなみに、親が亡くなって遺産相続の手続き、放棄の手続きを今まではしなくても放置されていましたけど、最近、所有権の不明な土地などが多々出ているという事で、国が業を煮やして、2年後から手続きをしない場合に罰則規定を設けるそうですので、自分と同じように所有権移転をしないで放置している人は今のうちに移転登記しておいた方が良いと思います。

確定申告、アルアルは別途掲載しますよ。

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