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岳と百姓と

余生で農業しながら山に登り、全国を旅行して人生を謳歌している爺の趣味三昧のブログ

清澄庭園の散策

2009年07月10日 | 旅行
両国の次に清澄庭園に行ってみました。

安田庭園で爺さんに聞いたら両国駅から20分位といっていたので歩いたんですが!
なんと40分も歩いた。

両国駅でおばさんに場所を聞いたらなんと清澄庭園を知らなかった。
この時点で近くにないだろうと思えばよかったんだけど。

清澄通りを歩いたのでいづれ着くだろうとアバウトの性格なのでテクテク歩きましたが
着かない!

途中でおばあさんに聞いたらそのおばあさんも知らなくてバスの停留所に連れて行かれた
あと3駅くらいだからバスで行ったら!といわれてしまった。

まあ、歩きますか!

一寸解説

泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。
 この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。
 明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
 清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。岩崎家では、こうした庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7月に公開しました。




到着しました。汗だくです。スーツはもうクリーニングです。
でも、この景色、ほっとします。
入園料 150円 駐車場から入ったので入り口の写真がないのが残念。

心洗われるね!





庭園としては広いほうです。
池も広いし、鯉が大きいのが沢山いて拍手すると亀と鯉が沢山よってくる。
餌やってるんかい!




時間があれば、この人みたいにゆっくりしたいな!
下町にあるから静かですよ。




庭園の定番、池の向こう側に庵。
池が広いので小さく見えます。





中の島には橋で渡ります。
小さい庭園ですと石橋ですが、此処は木橋です。



築山です。手入れがされてあって綺麗です。
実は清澄庭園は関東大震災の前は全体の広さの倍の広さがあったようです。
今は、半分は市民公園になっています。それでも広いです。




この感じ、良いでしょ!
外人さんが沢山入っていました。
どこの庭園も外人さんは結構います。
日本人でも心癒されるし、外人さんにとっても日本庭園はやはり魅力的だと思います。


池辺を歩いていると、鯉が寄ってきます。波紋は鯉が寄ってて来たところです。
曇っているので緑がいまいちですが、太陽が出ると淡い緑になって、更に綺麗になります。


今回の庭園めぐりはこれで終了です。疲れた!!!

今度はまだ見ていない2箇所を回ります。秋かな???

次は登山です。見てね!