令和5年1月22日(晴れ)
今日は朝からお天気が良い。日中は粉雪も舞っていますが眩しいくらいの陽光です。朝は放射冷却で凍てついていましたが気温が上がってきました。
今日は予てより葬儀用の写真を撮りたいなと何店か写真館を回っていて、今回、漸くお店を決定し今日写真を撮ることにしました。お店はJA葬祭が提携している写真館にしました。数日前に予約を入れてあったので今日撮影します。温泉行って体をキレイキレイしてからね。流石に遺影撮影とは言わないんですね。写真は葬儀用なんだけどセールスとしては「長寿記念写真」というみたいですね。
これで、自分が死亡しても家族が葬儀用の写真を選ぶ作業が無くなりますし、データがあるので葬儀の時に混乱しなくて済みますね。自分も葬儀にはこの写真を使われるんで想像がつくしね。
決して、体調は悪い訳ではないけど、終活を始めているんで、古希過ぎればいつ何時、ポクッと行くかもしれないし、ボケてきたら終活も儘ならないからね。なので徐々に人生仕舞いをしていくんです。
では、旅の記録続きです。昨年の旅行動は概、記事にしたんで1月4日以降の旅記事を揚げたいと思います。1月3日に九州を出たので帰路に入っています。帰宅目標は1月10日頃なんで途中観光もほぼ無しで大忙しで帰ります。
ただ、1月4日は広島県呉市に寄りました。呉市には前にも行きましたが、夜だったため、呉市の観光が出来なくて、行ってみたかった戦艦大和の「大和ミュージアム」に寄っていなかったので今回、行ってみました。新年なのか観光客が凄くて周辺の駐車場が軒並み満車で駐車できなくて、仕方なく大型スーパーの駐車場(有料)に車を停めて見学しました。ちなみにスーパーで1000円以上買い物すると駐車が4時間無料で出来ます。当然、当日の晩酌のワインやら購入したら直ぐ1000円超えましたけどね。
呉はやはり軍港で潜水艦なども飾ってあります。
ミュージアムは家族ずれが多くて子供さん達が戦争の歴史と惨状が理解できるのかなと思ったけど、子供が遊べるコーナーもあって大人も子供も楽しめるように工夫してありましたね。此れは戦艦大和の模型ですね。この船には日本の素晴らしいい船舶技術が使われていたようですね。しかし、それだけに連合軍のターゲットにされてあっという間に撃沈されたようです。
館内には呉の軍港の歴史のパネルなどの沢山の展示物が有って戦争開始当初は凄く栄えた地域だったようですが、当然、連合軍からターゲットにされたわけで人口の半数は空襲などで亡くなったようですね。原爆は元々、広島では無くてこの呉がターゲットであったようですがどうした訳か広島市に落とされたようですね。
今旅では太平洋戦争の記念館を沢山見学して戦争の悲惨さを目の当たりにしましたが、何故か何処の施設もゼロ戦が展示してあるのです。確かにゼロ戦は日本の素晴らしい技術で作られた素晴らしい艦上戦闘機ですが何処の施設(知覧、鹿屋等)も展示品のメインになっているのです。此れは不思議です。靖国神社の記念館にもゼロ戦が展示してあるのです。何か意味があるのでしょうか?
自分が子供のころは「少年画報」とか「ぼくら」という子供向けの漫画雑誌があって、中身はほとんど戦争もので日本はゼロ戦、隼、紫電改という飛行機でアメリカのグラマン、ムスタングという飛行機と空中戦で戦って撃墜するというストーリーでした。60年前の話です。当時はまだまだ戦争色が色濃く残っていて「鬼畜米英」と言ってましたからね。だから今でも飛行機を見ると一寸、懐かしくなって飛行場巡りをしてしまうのです。
呉市もゆっくり造船所や市内観光したかったんだけど、この日も訪問したのは夕方で宿泊場所を求めてやむを得ず移動しました。
このころは北上が急ピッチで神戸、大阪の道路が複雑なんで混雑する日中帯を避けて夜移動するためのに逆算して移動していました。なので泊まりは奈良県、名古屋は午前中通過というパターンがここ3年出来上がってしまいました。今旅では淡路島に行きたかったけど道の駅が余り良くなさそうだったので今年は辞めにしました。
近畿圏は道路が複雑で通過のみにしていて観光は敢えて外していたんですが来年の観光は近畿圏にするかもしれません。自宅到着は1月10日が目標だったので移動も忙しかった。
という事で明日は定期健診で通院ですね。
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