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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2017.3大火見舞いで糸魚川を訪ね、復興支援の一助にと大いに飲み散財する

2017年04月17日 | 旅行

2017.3 糸魚川大火見舞い+H君と再会

糸魚川の地酒乾杯セット
 新潟県糸魚川にはH君が住んでいる。毎年、地元の銘酒を送ってきてくれ、昨年末の12月21日に「糸魚川の地酒乾杯セット」が届いた。H君の年賀状に、正月に頂くとメモを入れ、投函した。
 翌22日、昼のニュースで糸魚川の火災を知った。煙が強風で流されていたが、消防隊が懸命の消火活動に当たっていたので、鎮火を祈ってニュースを消した。ところが夜のニュースでは事態が深刻化していた。
 H君が心配になり電話をしたところ、彼の家は北陸新幹線の南側に位置し風上のため無事だが、地酒乾杯セットの1本である「加賀の井がいま燃えています、現場には近づけないが全焼したらしい」と、無念を伝えてくれた。

大火の概要
 ニュースによると、2016年12月22日10時20分ごろ、新潟県糸魚川市大町1-2-7の中華料理店から出火した火災は、日本海にむかって吹き下ろす強い南風によって、瞬く間に延焼していった。直ちに糸魚川消防隊が出動したが、昭和初期の雁木づくりの商店街(写真、加賀の井酒造の雁木づくり、インターネット転載)や木造住宅密集地域だったため消火が進まず、強風による飛び火で延焼が広がっていった。近隣の地方公共団体、県外からの消防隊が応援に来るも、消火用水が不足し、コンクリートミキサー車や排水ポンプ車なども投入して消火にあたった。
 消火作業は同日20時50分の鎮圧まで10時間半にわたったが、火がくすぶり続けた。翌日は陸上自衛隊も捜索救助活動にあたった。
 363世帯の744人に避難勧告が出された。人的被害は消防隊員15名を含む17名で、死者は発生しなかったが、翌日16時30分の鎮火までおよそ30時間燃え続け、全焼120棟、半焼5棟、部分焼22棟を含む約40,000㎡が焼損した(図、青い線が延焼した範囲、インターネット転載)。
 この火災は、多発的に出火する地震や津波の二次災害を除いて、単一出火の延焼による火災の規模としては、日本国内で過去20年間で最大となった。
 この火災で、1650年創業で新潟県最古の酒蔵として知られている加賀の井酒造の酒蔵、相馬御風に所縁の品を所蔵し過去の糸魚川での大火を免れて195年にわたって存続してきた割烹鶴来家や、北大路魯山人、美空ひばり等の多くの著名人が宿泊したことで知られる旅館(休業)などが焼失した。

大火見舞い
 正月に糸魚川地酒乾杯セットを頂きながら、私にできる火災見舞い+復興支援をあれこれイメージした。そして、一段落したら糸魚川を訪ね、おいしい料理と地酒を楽しんで散財すればささやかだが復興支援につながると考えた。H君は加賀の井酒造とも懇意だそうだ。地酒復興見舞いもすることにした。
 雪が消えるのを待ち、3月30日に糸魚川を訪ねた。糸魚川を訪ねるのは2度目?か、前回は谷村美術館の見学だった(写真、村野藤吾、1983年竣工)。
 たぶん、H 君と会うのもそれ以来だ。北陸新幹線糸魚川駅で久しぶりにH 君と会う。北陸新幹線のお陰で、我が家から糸魚川まで2時間ほどしかかからない。便利になった。駅近の山茶花で遅めの昼食をとる。新鮮な蛍イカが出た。刺身、焼きカレイ・・、海の幸が豊富である。地酒の一つ奴名姫を頂く。男山もおいしかった。
 ほろ酔いで火災現場に向かう。きれに片付けられていたが、基礎や床のコンクリートだけが残っていて、ついこのあいだまでこの上に木造の家屋といきいきとした生活があったことを想像させ、火災の恐ろしさを思い知らされた(写真)。延焼を免れたコンクリート構造の建物も、壁に黒焦げを残して火の怖さを見せつけていた。まだ多くは再建計画のめどが立っていないそうだ。
 1650年創業の加賀の井酒造はかつて風格を感じさせる木造であったが(写真、インターネット転載)、強風による飛び火で全焼してしまった(写真)。営業再開に向けて全力で取り組んでいるとの挨拶が立てられていた。町の復興の大きな弾みにもなるので、一日も早い酒造りを期待したい。
 火災現場を一回りしてから、フォッサマグナミュージアムを見学した。フォッサマグナは教科書でも習う、日本を横断する地溝帯である。ミュージアムは山腹に位置し、交通の便は悪い。被災地支援になればとタクシーで往復した。地下に降りていくと地溝帯の片鱗が見える、といった展示かと思ったが、断層を見学できるのは全く別の場所で、ミュージアムはヒスイや化石の展示が主だった。
 見学を終え、駅前に戻り、かんのやで早めの夕食をとった。ここでもおいしい海の幸を満喫した。蛍イカのしゃぶしゃぶは初体験、新鮮だから食べられるそうだ。カニもおいしかった。お酒は、謙信から始まり、奴名姫、雪鶴、月不見の池を楽しんだ。
 7時過ぎ、H君に別れを告げて北陸新幹線へ、9時過ぎに家に着いた。H君との再会はいい思い出になった。復興を心より祈っている。 

コメント
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