book514 ラトヴィアの蒼い風 黒沢歩 新評論 2007 <斜読・日本の作家一覧>
2009年9月にリトアニア・ヴィリニュス~ラトビア・リガ~エストニア・タリンを訪ねた。いつの間にか10年を過ぎた。記憶をたぐりながらラトビア紀行をまとめているとき、そのころ著者黒沢氏がラトビア語習得でリガに住んでいて、日々の体験をもとにラトヴィア人の考え方や文化様式をさらりとまとめた本を出版していたことを知った。
その一冊が本書で、副題は「清楚な魅力のあふれる国」である。「蒼い風」も「清楚」も黒沢氏が受けた強い印象であろう。
観光旅行の私は2泊3日のリガ滞在で、社会が安定している、人々が国づくりに力を入れている、どこも清潔で人々は明るい、安心して街歩きができるなどを直感したが、蒼い風を感じるには至らなかった。黒沢氏のようにラトビア人の目線になりきって暮らさないと感じられないようだ。
まえがき
ラトヴィアを正しく理解していない人が多い=遠い国だが、第2次世界大戦前、バルト三国唯一の日本公使館がリガに置かれ300名の館員がいた=近い国など、ラトヴィアを初心者向けに紹介している。
第1章 ようこそラトヴィアへ
黒沢氏がリガに暮らし始めたのは1993年で、まだ右も左も分からないころ日本への国際電話で苦労した話から始まる。
日本ではLatviaの表記でラトビアが多く使われるが、黒沢氏によればラトヴィアの方が原語に近いそうだ。首都名Rigaはリガ、リーガのどちらも使われるが、黒沢氏はリーガを使う。
黒沢氏は日本語の先生を務めている。生徒に日本語を教えるとき、たとえばlaもraも日本語ではラになる。日本語の抑揚、アクセントはどちらかというと平坦だが、ラトヴィア語は大げさすぎるほど抑揚がつくらしい。話す+聞く+書くで苦労が尽きなかったようだ。
そういった体験をもとにしたラトヴィアでの暮らし、ラトヴィア人の考え方が平易な文で綴られていく。
古代、バルト海の北の海岸沿いに住んでいたリーブ人は漁業を営んでいた。12世紀末、(アルベルト率いる)ドイツ人がキリスト教布教を名目に進攻する。リーブ人は征服され、ラトヴィア人に融合し、いまや消えゆく民族になったが、リーブ人の名残を伝承する祭りが毎年開催されていて、その希望に満ちた様子が紹介されている。
テレビで映画「クロコダイル・ダンディ」を見たことがあるが、なんと主役はラトヴィア人だそうだ。リガの新市街アルベルタ通りにはユーゲントシュティール建築=アールヌーヴォー建築が建ち並んでいて、その設計者はロシア生まれのエイゼンシュテインであり、リガで生まれ育ったその息子のエイゼンシュテインは(戦艦ポチョムキンなどの)映画監督である。「ほらふき男爵」の奇想天外な話はよく知られるが、そのエピソードを語ったミュンハウゼンはリガ警備隊大尉のとき地元の娘と結婚したそうで、ラトヴィアゆかりの著名人は少なくない、
などなどが第1章 1.電話の行方、2.ラトヴィアか、ラトビアか、3.大海原と山へのあこがれ、4.リーガの交通、5.選挙後のトイレ、6.リエアパーヤ 風の生まれる町、7.リーブ人の祭り、8.ほらふき男爵、現る?、9.ラトヴィア料理を食べる に語られている。
第2章 猫のいる風景
ラトヴィアではペットが家族の一員で、子どもの家族紹介では「父と母とおじいさんとおばあさん、そして犬と猫と・・」のように必ずペットが登場するそうだ。
・・幼いときに重い病気にかかって足の力を奪われ・・それでも生きねばならず、生きる意味を見つけなければならない・・歌は歌えない、本も書けず、子どもも産めない・・手と頭を使い・・自然、歌や芸術、世のなかの出来事に感じ考えたこと・・自分なりの世界観を手袋に編んだ・・イェッテさんを訪問したとき、イェッテさんが俳句「冬の陽 幹を這い上がり 消えた」をさらりと詠んだくだりは胸に迫る。車いすでしか動けないイェッテさんの大きな前向きな気持ち、それを暖かな眼差しで綴る黒沢氏、慈愛の心の強さを感じる。
第2章は、1.詩のある暮らし、2.イェッテさんと猫、3.リーガの猫たち、4.病院の猫、5.列車に乗って、6.ラトガレの陶芸家 、第3章 女の情景 では、1.ピルツはサウナではない?、2.一家の柱3.出稼ぎ世代のドラマ が語られ、あとがきで幕となる。
本書はラトヴィア観光の手引き書ではないので観光ガイドブックは別に用意し、ラトヴィアに比較的長く滞在するなら持参して現地で少しずつ読み、ラトヴィア滞在が短い場合は事前に読んでおくと、黒沢氏の暖かな眼差しを通したラトヴィア人の考え方、生き方を理解することができる、と思う。
10年前の2泊3日のリガ散策を思い起こすと、屋根の塔に猫の彫像をのせた観光名所「猫の家」以外の猫には出会わなかったが、悲惨な歴史を体験したにもかかわらず、ラトヴィア人が明るい笑顔で過ごしている謎がこの本を通して少し解けた気がする。 (2020.6)