yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2015グエル公園・モニュメント階段のオオトカゲ、門衛所ほかを見学後、サグラダ・ファミリアへ

2017年08月14日 | 旅行

スペインを行く53 2015年ツアー13日目+1994年ツアー2日目 グエル公園続き モニュメント階段・オオトカゲ 門衛所 コンシェルジュ サグラダ・ファミリア 生誕の門 栄光の門
 市場を抜けると視界が開ける。グエル公園は傾斜地なので、市場の先はモニュメント階段と呼ばれる下り階段になり、階段を降りたところが入口広場になる(写真)。ガウディは、当時なら馬車に乗って?オロット通りに面した正面入口に着き、門番と挨拶を交わして、右手のつづら折りの散策路を上って自分の住まいに向かうか、モニュメント階段を上り市場で買い物を済ませてから住まいに向かう、と考えたのではないだろうか。
 さらにガウディは、入口正面から見上げるデザインはシンボリックでなければならない、モニュメント階段がまず来訪者の気分を高揚させる、と考えてデザインしたようだ。階段は中央に水路を挟んで左右に分かれ、踊り場を組み込んだ三段の構成である。入口側の下段は八の字型に広がっていて、ゆったりした広さがある(写真)。仕事をして帰ってきた住民には、こうしたゆったり感が気分をほぐしてくれるはずだ。見上げると、ギリシャ神殿の列柱を思わせる市場が見える。空を波打った形に切り取った外観は列柱の重々しさを打ち消し、親しみやすい。市場に寄りたくなるデザインである。
 中段の水路にはよく知られたオオトカゲのモニュメントが尻尾を逆立て、あんぐり開けた大きな口から、屋上広場の砂層で浄化された水が流れ出している。トカゲも、屋上広場のベンチや市場の天井と同じ破砕モザイクが使われ、鮮やかに仕上げられていて、トカゲのグロテスクさはない。観光客もトカゲと並んだ写真を撮っている。子どものころは東京・大森にもトカゲが走り回っていたが、いつの間にか見えなくなった。都市開発が進むと、自然は影を潜めてしまう。住宅地を構想したこの斜面にはサボテンが自生し、トカゲも走り回っていたに違いない。ガウディはオオトカゲをモニュメントにすることで、トカゲたちが先住民であり、ここで暮らす人は先住民に遠慮しながら自然と共生することを言い残したかったのかも知れない。
 破砕タイルは、オブジェに華やかさと躍動感を与えている。そもそも、どのオブジェもユニークでユーモラスである。ユーモラスのある奇想天外さはバルセロナの風土のせいか、それともガウディの気質なのだろうか。
 モニュメント階段を降りきった正門前広場の左、オロット通りからは右手にユニークなデザインの門衛所が建つ(上写真)。広場の右、オロット通りから左に、門衛所とは異なったデザインのコンセルジュが建っている(下写真、1994撮影)。コンセルジュは、待合所、情報交換の場などとして利用する予定だったらしい。十字架をのせた塔が立っているから、ミサをしたり、最後の別れを告げる葬儀場としても利用されたのかも知れない。いまは売店になっていて、記念品を買おうとする観光客でごった返していた。
 グエル公園を訪れたサルバドール・ダリ(1904-1989)は門衛所とコンセルジュを見て、まるで砂糖をまぶしたタルト菓子のようだと言ったそうだ。シュールレアリスムの代表的な画家として知られるダリですら、ガウディのユニークな奇想天外さに圧倒されたということであろう。確かに、菓子屋のショーウインドーに並べられても馴染んでしまうほどユニークであり、子どもたちの夢を育みそうである。この住宅地に住んでいると、気持ちが大らかになるに違いない。

 11時15分ごろ、駐車場に戻り、サグラダ・ファミリアに向かった。サグラダ・ファミリアの北東側にPlace de Gaudiと名付けられた公園があり、格好の景観スポットになっている。レパン通りCarrer de Lepantでバスを降り、公園に入る。池を挟んだ向かいにサグラダ・ファミリアSagrada Familiaの生誕の門Fachada do Nascimentoの荘厳なファサードを望むことができる(写真)。昨晩はライトアップが終わっていて、塔は暗闇に包まれていたが、いまは太陽に向かって伸び上がる4本の塔のみならず、ほぼ完成した北東側の全景も眺められる。1994年ツアーのときは生誕の門は完成していたが、向かって左側の聖堂は未完だった。生誕の門は荘重、荘厳な印象だが、聖堂部分は比べて明るく、華やかな感じである。
 ガイドによれば、生誕の門、受難の門、栄光の門それぞれの4本の塔、計12本の塔が12使徒を象徴し、福音記者ルカ、マルコ、ヨハネ、マタイを象徴する4本の塔と、中央に高さ173mのイエスとマリアを象徴する塔が立って、完成である。
 1994年ツアーのときには、完成まで100年、200年かかるといわれた。2010年11月にローマ法王ベネディクト16世のサグラダ・ファミリア訪問が決まり、急ピッチで工事が進められた。現在はガウディ没後100年に向けて完成が急がれている。没後100年=2026年まであと11年、バルセロナの町に荘厳な鐘の音が響き渡るに違いない。

 完成祝典?は聖ヨセフの日である3月19日の予定だそうだ。そもそもサグラダ・ファミリは、1882年、聖ヨセフ・・スペイン語ではホセ・・に帰依するサンホセ帰依教会として着工された。サグラダ・ファミリアとは、父ヨセフ、母マリア、イエスの聖家族を意味する。初代建築家が1年を経たないうちに辞任し、翌1883年、30才のアントニ・ガウディAntoni Gaudi(1852-1926)が設計を引き継いだ。
 ガウディは1926年に事故死するまで、模型をつくり、スケッチを描き続けた。しかし、完成図は描かなかったらしい。次々と情念が浮かび、設計が発展していったのかも知れない。ガウディ没後、弟子たちがガウディの残した言葉、スケッチ、模型を下敷きに、設計図を完成させ、工事を進めた。もしかすると、ガウディは100年、200年もかかるあいだに弟子たちも世代交代するから、弟子たちの柔軟な構想力、新しい時代に即した新しいデザインを期待したのかも知れない。北東側の生誕の門と聖堂の表現の違いは、ガウディのデザインとガウディの意志を継ぎデザインを発展させた弟子たちのデザインの違いであろう。

 公園でサグラダ・ファミリアの生誕の門を十分に鑑賞したあと、歩いてマリョルカ通りCarrer de Mallorcaに面したレストランEls Porxosに向かった。レストランは栄光の門Fachada da Gloriaに向かい合っている(写真)。栄光の門はまだ工事中で、1階は仮囲いでふさがれ、円柱の上には鉄筋が伸び出している。ファサードはコンクリートとガラスで構成された現代的な感じのデザインである。栄光の門はサグラダ・ファミリアの最重要部分で人類の始まりと終わりが示され、イエスの教えによって栄光へと導かれるそうだ。完成が楽しみになる。
 ランチは、ミックスサラダ、スペイン風オムレツ、シーフードカクテル、肉ダンゴ、イカフライ、コロッケ、フルーツサラダがタパス風に並べられた(写真)。テーブルで選ぶビュッフェスタイルといった食べ方で、自分の好みに合わせられるし、食べる量も加減できるので、食べやすい。ビール、ワイン、シードラsidraも楽しんだ。シードラはリンゴを発酵させた発泡性アルコール飲料で、さわやかな飲み心地だった。

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