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2017鎌倉七福神+江ノ島④ 成就院→極楽寺→江ノ島の辺津宮、中津宮、奥津宮、岩屋を歩く

2017年03月30日 | 旅行

2017 鎌倉七福神+江ノ島を歩く④ /2017.3記 ①~④フルページはホームページ参照

 11時過ぎに北鎌倉から歩き始め15時ごろ、鎌倉七福神をすべて歩き終わった。
 今年は日本橋、与野に続き3度目の七福神巡りだが、ほとんど神社仏閣と七福神の関わりがはっきりしない。こじつけたような七福神もあったし、七福神が見つからないこともあった。信ずる者だけが救われるという考えもあるが、私には健康ハイキングの御利益がありそうだ。
 健康ハイキングが狙いならば、七福神巡りでなくてもいい。今日の宿は稲村ヶ崎海岸の鎌倉パークホテルで、明日は江ノ島を歩き、弁財天を拝観する予定である。七福神巡りは明日の弁財天をもって卒業にするか、などと考えながら長谷駅まで下り、踏切を渡り、海岸沿いを西に向かって歩いた。歩きづめで足が棒になり出した。海を眺めながら、てくてく歩く。

15:50 鎌倉パークホテルチェックイン、部屋は相模湾に面した突端で、眺めがすばらしい。宿の善し悪しの一つは部屋からのすばらしい眺めである。早々と入浴して足を休め、海を見ながら鎌倉ビールを楽しんだ。
 夕食は海の幸と海の眺めを楽しもうと、和会席にした。すっかり暗くなった相模湾の彼方に明かりがちらちら揺らめいている。三浦半島だろうか。座ると堤防で海は見えなくなるが、波の音が聞こえる。
 ドリンクメニューの最初に利き酒セットがあった。清酒・相模灘、吟醸・千峰天晴、大吟醸・雨過天青のセットで、いずれも地元の酒処である。まずは清酒を一口、すっきりした味、次に吟醸を一口、旨みがある、そして大吟醸を一口、すっきり軽やかな感じ、肴にもよろうが吟醸が私の口に合う。ということで、清酒を空け、大吟醸を空け、最後に吟醸を空けた。
 料理はまだ続くので、被災地支援になればと岩手県二戸の南部美人を頂いた。まだ料理が終わらないので被災地支援に福島県のてふという酒をお願いした。南部美人もてふも旨みがある。すっかりいい気分で、食事を終えた。

 翌朝は曇りで、日の出は見えなかった。風は冷たい。ホテルのパンフレットには、長谷駅まで900m12分、長谷駅の次の極楽寺駅まで1000m13分とある。極楽寺、途中の成就院が長谷寺と並んで紹介されていたので、成就院に立ち寄り極楽寺駅に向かうことにして、9:30にホテルを出発した。
 上り坂の両側が崖になっていたから、ここも鎌倉への切通しだったかも知れない。
 左の崖の上に成就院があった。坂道の参道を整備していた。説明によると、108段の階段の両側の崖には260株ほどのアジサイが咲き誇るが、今年は参道整備のため見られないといったことが記されていた。アジサイのシーズンはここもかなりの人出になるようだ。
 登り切った境内からも相模湾の眺望が楽しめるらしいが、やはり工事のため本堂の先は進入禁止になっていた。狭い境内だが弘法大師の像、不動明王像などが置かれ、あますところなく庭園に整備されていた。弘法大師(774-835)の年譜には記されていないが、820年代に鎌倉を訪れ、護摩修業をしたそうで、鎌倉を始め関東には弘法大師像を祀る寺が多いそうだ。

 10時ごろ、極楽寺駅と線路の向こうの極楽寺が見えた。小雨がぱらつき始めたので傘を広げながら、まず極楽寺に向かった(写真)。山門前には高校生のグループが集まって写真を撮っていた。
 茅葺きの風格ある山門が珍しかったようだ。創建は1259年、北条重時(1198-1261、北条義時3男)が現在地に移し、元寇襲来の際に祈祷を行うなど、格式の高い寺だったようだ。本堂は方形屋根をのせ、こぢんまりしていたが、境内はよく手入れされていた。

 10時15分ごろの江ノ電に乗り、江ノ島駅に向かう。稲村ヶ崎、七里ヶ浜を過ぎる。話が小学校時代に飛ぶ。いまの平和島駅はかつて学校裏と呼ばれていた。その後、学校裏に該当する小学校は移転したが、その小学校が私の出身校で、遠足?で七里ヶ浜や江ノ島に行ったことがある。いま江ノ電に乗りながら七里ヶ浜を眺めて、記憶にほとんどないにも拘わらず、懐かしく感じた。
 10時半過ぎ、江ノ島駅についた。雨は上がっている。海に向かって歩くが、昔の記憶がまったくない。全長389mの江ノ島大橋=江ノ島弁天橋を渡ると、青銅製の鳥居が待ち構えている。左右の土産物店、食べ物店から声がかかる。中国語、韓国語、・・語が聞こえてくる。横浜、鎌倉などと組み合わせて観光に来るのだろうか。
 テレビで紹介された岩本楼を過ぎた先に赤い鳥居が立っていて、階段の先に瑞神門が見える(次頁写真)。瑞神門は、1層目を白漆喰で塗り固めた袴腰とし、2層に楼閣をのせた竜宮門造りになっている。

10:50 また雨が降り出した。瑞神門を抜け、息を切らせながら階段を上りきると、正面に江島神社辺津宮、左手に奉安殿が並んでいる。江ノ島の西には奥津宮、島の中央に中津宮があり、これらを総称して江島神社と呼んでいるらしい。
 まずは正面の辺津宮に参拝する(中写真)。入母屋屋根に千鳥破風と唐破風を構え、格式を見せている。

 辺津宮の左に建つ奉安殿は八角形平面で、木部を鮮やかな朱色で彩色し。辺津宮の格式に比べ、華やかなつくりである(下写真)。奉安殿には七福神の一人で女性の弁財天が祀られているためであろう。
 拝観券を購入し、弁財天を拝観する(撮影禁止)。正面左に色白の肌を見せ、琵琶を抱えた妙音弁財天が鎮座する。右には衣服をまとい剣を持った八臂弁財天が安置されている。妙音弁財天は鎌倉中期、八臂弁財天は鎌倉初期の作だそうだ。となると、それ以前から弁財天信仰が広まっていて、鎌倉幕府の始まりで江ノ島に弁財天が祀られたということになろう。江戸時代には七福神巡りが盛んになり、江ノ島は弁財天詣で大変な賑わいになったそうだ。

 雨は降ったりやんだりを繰り返している。奉安殿を後にして八坂神社を通り、上り道+階段の先の江島神社中津宮に向かった。 木部を朱塗りで彩色した鮮やかな唐破風の前で参拝する(写真)。奥に水琴窟が埋め込まれていた。耳を澄ますと水琴が響くが、あいにく傘に当たる雨の音が雑音になってしまった。
 中津宮の先に展望台とレストランがある。雨が強くなってきた。体も冷えてきた。江ノ島は意外と起伏が激しい。雨宿りをかねてコーヒータイムにした。小雨に煙った海が見える。ヨットが何艘も係留されていた。天気が良ければヨットが白い帆に風を受けて疾走する光景に代わるのであろう。
 休憩のあとは下りになり、ほどなく江島神社奥津宮に出る。白木のままの唐破風前で参拝する(写真)。天井に江戸時代の画家酒井抱一の八方睨みの亀が描かれている。どこに立っても亀の目が自分を睨んでいるように見える。天井に描かれた龍がどこに立っても自分を見つめているように見える図法と同じ描き方である。亀、ないしは龍がいつも自分を見守ってくれるということであろう。
 江島神社の参拝を終えた。奥津宮は江ノ島の西外れで、北に下ると岩屋があり、さらに奥に第2の岩屋があるので見学した。弘法大師が岩屋を訪れたとき、弁財天が現れたという伝説があるそうだ。曇り空の相模湾を一望し、上り階段を戻る。またも息を切らせ、次に瑞神門まで下る。山登りを思わせる上り・下りだった。
 湘南江の島駅まで歩き、湘南モノレールを初体験して、大船駅上の寿司屋で遅いランチをとった。お疲れさん。2日間でのべ34000歩、よく歩いた。

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