スペインを行く25 2015年ツアー7日目 スペイン広場 コロンブス記念碑 サンタ・クルス街 ベラスケスセンター アルカサル /2016.6記
久しぶりのスペイン紀行続報。2016年10月26日・月曜の9時、セビリアは小雨が降っていた。まず、1929年のセビリア万国博覧会のパビリオンだったスペイン広場を見学する。
パビリオンは直径およそ200mの半円状=半円の長さはおよそ310m余と長大で、2階建てだが、背丈より高い基壇の上に建っているから圧倒する大きさがある。
基壇には連続アーチごとにアズレージョによるデザインが施されている。アズレージョazulejoはポルトガル語で、スペインではアスレホと発音される。イスラム教徒=ムーア人=モーロ人がイベリア半島に持ち込んだ釉薬タイルがアズレージョの始まりで、ポルトガルでは青みを基調に彩色されている。
スペイン広場の基壇を彩るアズレージョは、青をベースにしながら、スペイン各地の特徴的な出来事や風景を色彩豊かに描き出している。スペインに詳しければ絵柄を見るだけでどの地域のどんな行事か分かるらしいが、解説がないので外国人には何を表した絵柄かは分かりにくい。
スペイン広場から歩いてサンタ・クルス街に向かった。途中に、コロンブス記念碑が立っている。
ジェノバ生まれのクリストファー・コロンブス=スペイン語クリストバル・コロンは子どものころから船に乗っていて、次第に西回りに航海すればアジアにたどり着けると考えるようになったらしい。
ポルトガル王に西回り航海の援助を求めたが断られ、コルドバでカステーリャ女王イサベル1世・アラゴン王フェルナンド2世=カトリック両王に謁見するも、答えは持ち越された。
1492年1月、フェルナンド2世はイスラム最後のグラナダを奪回する。レコンキスタ完了で財政の見通しがつき?、5月にコロンブスへの資金援助が決まる。8月、コロンブスの一行はスペインのパロス港を船出し、10月、西インド諸島に上陸する。
これが教科書で習うコロンブスの新大陸上陸の第1歩になる。しかし、コロンブスは新大陸の認識はなく、アジアのどこかに上陸したと確信していたらしい・・西インドの名づけ方にその思いがうかがえる・・。
コロンブスは新大陸ですさまじい略奪、虐殺を繰り返したが、ヨーロッパにその事実は伝わらず英雄視されたようだ。
記念碑の途中に船がシンボライズされていて、側面にイサベル、フェルナンドが刻まれ、上部にコロンブスのレリーフが刻まれている。
その先にユダヤ人街だったサンタ・クルス地区がある。イスラム支配下ではユダヤ人の居住が認められていたが、レコンキスタ後、ペストが流行したのを機にユダヤ人は追放された。そのご、セビリアの貴族や裕福層がここに館を建てていった地区である。
その先がアルカサル=王城であり、大聖堂、ヒラルダの塔がある。続く