日本に滞在中、伊勢志摩サミットが開催され、翌日オバマ大統領が広島を訪問されました。
オバマ大統領の広島訪問は安倍政権の外交のハイライトといってよいでしょう。
その際の安倍首相のご挨拶を聴きましたが、「核兵器廃絶」を強調していました。
でもそれで「原子力発電の再稼働」を推進するのは矛盾しているような気がします。
政策執行者は原発は核兵器とは別物で安全だと思っているのではないでしょうか。
私は核兵器の製造にも原子力発電にも知識がないのですが、両方とも原料としてウランとプルトニウムを使うという点では同じようなリスクを孕んでいると思います。
確かに核爆弾の技術に直結するのはウラン235の濃縮技術と使用済み再処理でのプルトニウムの抽出技術が必要だとネットで調べたら出ていましたが、このような技術で核兵器を製造する前にすでに、使用済み核燃料をいわゆる「汚い爆弾」として放射性物質をばら撒くテロなどに使われる危険はあるといわれています。
それに活断層が2000もある地震大国、日本に原子力発電所を設置するのは危険すぎます。
ふるさと岩手県に帰省した折、高校時代の友人に「岩手県には原発がなくて良かったねぇ」と話したら渡されたのが次の本です。

岩手県田野畑村の元保健婦の岩見ヒサさんの保健婦としての歩みを記録した本ですが、中に「原発反対奮戦記」という章があります。
1981年に田野畑村が原子力発電所建設の候補地として上げられた時の反対運動の様子が綴られています。
県知事も誘致に積極的だったそうですが、原発関連の資料等を読み、「子孫にこの美しい田野畑村の自然を残すには原発は作られるべきではない」という
結論に達し、反対運動を推進したのだそうです。
1981年というと、今から35年前ですね。
「原発の危険性」など頭の片隅にも浮かばずノホホンと暮らしていた私は本当に愚かでした。
岩見さんは今から11年前、米寿になられました。
米寿の記念に岩見さんの歌碑が田野畑村の公園に建てられました。
歌碑には次の歌が刻まれています。
「吾が住み処ここより外になしと思ふ大気清澄にして微塵とどめず」
田野畑村の海岸が原発の候補地となっていたほぼ同じ時期に青森県の六ヶ所村も候補地になっていました。
当時の青森県知事も六ヶ所村の村長も建設に賛成して原発のみならず再処理工場もできてこちらは現在も試運転中です。
ふるさとの自然を守るために奔走してくださった方々に本当に感謝します。
オバマ大統領の広島訪問は安倍政権の外交のハイライトといってよいでしょう。
その際の安倍首相のご挨拶を聴きましたが、「核兵器廃絶」を強調していました。
でもそれで「原子力発電の再稼働」を推進するのは矛盾しているような気がします。
政策執行者は原発は核兵器とは別物で安全だと思っているのではないでしょうか。
私は核兵器の製造にも原子力発電にも知識がないのですが、両方とも原料としてウランとプルトニウムを使うという点では同じようなリスクを孕んでいると思います。
確かに核爆弾の技術に直結するのはウラン235の濃縮技術と使用済み再処理でのプルトニウムの抽出技術が必要だとネットで調べたら出ていましたが、このような技術で核兵器を製造する前にすでに、使用済み核燃料をいわゆる「汚い爆弾」として放射性物質をばら撒くテロなどに使われる危険はあるといわれています。
それに活断層が2000もある地震大国、日本に原子力発電所を設置するのは危険すぎます。
ふるさと岩手県に帰省した折、高校時代の友人に「岩手県には原発がなくて良かったねぇ」と話したら渡されたのが次の本です。

岩手県田野畑村の元保健婦の岩見ヒサさんの保健婦としての歩みを記録した本ですが、中に「原発反対奮戦記」という章があります。
1981年に田野畑村が原子力発電所建設の候補地として上げられた時の反対運動の様子が綴られています。
県知事も誘致に積極的だったそうですが、原発関連の資料等を読み、「子孫にこの美しい田野畑村の自然を残すには原発は作られるべきではない」という
結論に達し、反対運動を推進したのだそうです。
1981年というと、今から35年前ですね。
「原発の危険性」など頭の片隅にも浮かばずノホホンと暮らしていた私は本当に愚かでした。
岩見さんは今から11年前、米寿になられました。
米寿の記念に岩見さんの歌碑が田野畑村の公園に建てられました。
歌碑には次の歌が刻まれています。
「吾が住み処ここより外になしと思ふ大気清澄にして微塵とどめず」
田野畑村の海岸が原発の候補地となっていたほぼ同じ時期に青森県の六ヶ所村も候補地になっていました。
当時の青森県知事も六ヶ所村の村長も建設に賛成して原発のみならず再処理工場もできてこちらは現在も試運転中です。
ふるさとの自然を守るために奔走してくださった方々に本当に感謝します。