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三重塔

2024-03-16 17:38:12 | その他旅行き
安土城跡の天主跡から道を下ると、帰路は途中で横にそれ、西へと向かう。





平らな道を行くと再び石段の上りがある。
上り切ると城跡に二つだけ残る当時の建物のひとつ、三重塔が視界に入る。



その辺りは昔の摠見寺(そうけんじ)跡で、城郭内にあるお寺なのだった。
この三重塔は当地で建てられたのではなく、摠見寺の創建時、別の寺から移築したそうだ。
重要文化財。










安土城跡

2024-03-14 06:27:17 | その他旅行き
安土城跡は平成の時代に発掘調査されたようで、その結果が説明板に細かく記載され各所に掲示されていた。
お城好きには読みごたえがあるのでは。
しかし私には、間口が何間で何々様式のなんとかいう造りで、といった学術的な情報は馬の耳に念仏、さらりと読み流して次へと進む。





安土城は山城である。
上っていく途中には信長に仕えた名のある武将の屋敷跡とされるものがある。
山の斜面の豪邸はどんな風に見えたのだろう。





山を上る石段は一段がとても高く、上りやすいように半分の高さのブロックが置いてある。
当時はこの高さをがばりと脚を上げて上っていたのだろうか。
今の一般人より体力はあっただろうから、何も問題はなかったのだろう。





石段や石垣に使う石を調達するのは簡単ではなかったようで、辺りの道端で祀られていたのだろう石仏(四角いので墓石かも)が石段に使われていて、紹介されていた。
仏足石まで出てきたそうで、当時の信仰心は今の人よりありそうに思っていたのに、そうでも無かったのかもしれない。
自分なら仏罰が当たりそうでとても使えない。





知らなかったのだが、信長のお墓が二の丸にあった。
いいことを知ったと喜んで、帰ってから調べたら、信長のお墓は全国各地にあるらしい。
そのうちのひとつということで、なんだそうなのかと興味半減。





城跡はなかなかの規模で、城壁の石も巨大なものが使われている場所があり、見応えがあった。
廃城として長く山中にあったため、木々に覆われ、全体の様子を見ることはできないが、林中に次々に現れる曲輪の遺構は、これぞ城跡という感じ。
天守など建物の現地での復元は行われておらず、当時のままなのがいい。
下手に真新しい建物を闖入させて、昔を偲ぶ雰囲気を壊すようなことはして欲しくないなと思わせる場所である。





最後に到着した天主跡は礎石が綺麗に残っていた。
以外と狭い敷地だなと思ったが、説明板を読むと今立っている場所は地下一階で、一段高くなっている周りを取り囲む壁の上が一階だったそうで、底辺はもう一回り広かったようだ。
木々の間から下界を見下ろせる。





城跡の拝観料は700円。
復元した鉄筋コンクリートのお城に入館するのに何百円と出すより、よほどお値打ちな見学料である。
堪能させてもらった。




セミナリヨ跡辺り

2024-03-12 06:19:33 | その他旅行き
北川湧水から安土城跡の方へ歩くと、途中にセミナリヨ跡がある。
信長が保護したキリシタンの子供達の通う神学校があったそう。
跡といっても学校を思わせる何かが残っているわけでなく、その場所にあったのだろうと推測されてるところらしい。
石碑とベンチのあるシンプルな公園である。
ここも春は桜が綺麗そう。



すぐ横に水路があり、石壁が囲らせてあるので、それは当時のものなのかもしれない。
その辺りで町の家の連なりが終わり、農地が広がるようになる。



少し道を戻り神社の横の道を北上すると、右手に山が近い。
安土城跡のある安土山である。



近づいて行くと、セミナリヨ跡横の水路に繋がっていると思われる川があり、橋を渡ると山の斜面に石段があった。
城跡にはここからでも繋がっているようだが、看板に登城はこの先の別の入口から行うよう注意書きされていた。
いよいよ安土城跡である。




北川湧水

2024-03-10 19:56:43 | その他旅行き
常浜水辺公園に行く手前で、何やら綺麗な水路があるのを見つけた。



民家の合間に堀のように、しかし水深は浅く広がっているところがあり、その上流へと水路を辿ると、北川湧水と呼ばれる場所にでた。
石板が敷かれたきれいな所で、透き通った水がさらさらと流れていた。
小さな地蔵堂がある。
なんで細い水路にしているのだろうと思ったが、壁に掛けられた説明板に足湯のように足を水の流れに降ろして浸かるのだとあった。
流れてるのは水なので、冬場ではなく暑い時に涼むのだろう。



写真を撮っていたら近所のお母さんに声を掛けられた。
なんでここを知ったのか知りたかったようで、偶然見つけたのかと聞く。
いやいやガイドブックに載ってますよと見せてあげると驚いていた。
そんな知られた場所だとは思っていなかったらしい。



話を聞くと毎週ご近所さんで掃除をしてるそう。
水は湧いているのかと聞くと、どこから来ているかは知らないようで、地蔵堂横の暗渠から流れ出てきているので、そこから湧いているのではとのこと。
おしゃべり好きなお母さんで、15分くらい話してただろうか。
昔はよく歩きに行ったらしいが、友達は皆んなもういい年で、膝を痛めてしまって遠くへ出歩くことは無くなったらしい。
五個荘でお雛様が見られるとか、長浜の盆梅展も面白いよとか、近所の催しを教えてくれた。
この後はどこに行くつもりかと聞くので、安土の城跡に行くつもりと答え、さよならした。




常浜水辺公園

2024-03-08 06:19:27 | その他旅行き
ひとつ目の目的地は常浜水辺公園。
常浜は「じょうのはま」と読むようだ。



昔、琵琶湖を周航する船の港があった所らしい。
ガイドブックに載っていたのでやってきたが、特にこれといった何かがあるわけではない。



風情のある木橋と小さな湖然とした水たまりがあり、水鳥が憩っていた。
散歩道と運動広場がある。



冷たい風が吹き抜けるので少し歩いただけで退散した。
水たまりの反対側には行っていないので、そちらに何があるかは分からない。



桜の木が沢山植っていた。
春になれば見える景色も華やかになるのだろう。




安土の町

2024-03-06 06:21:22 | その他旅行き
安土の駅の周りは新しい観光施設の建物が目につくが、少し歩けば古くからの住宅地となる。



歩いたのは駅の西側から北に向けて。



狭い道の左右にはそれぞれの歴史がありそうな建物と新しく建て増した家が並んでいる。



作りは木の壁、土壁、漆喰に瓦屋根のものが多く、当時は全て注文住宅だったろうから皆個性的である。



もう住んでなさそうな廃墟となりつつある家があったり、突然鉄筋コンクリート製の突飛な建物が現れたりするのも面白い。



駅から離れるにつれ敷地は広くなり、建物の間隔が開いていく。



敷地は家付きの畑だったりして、雑然と農具が置かれていたり、夏みかんが鈴なりになっていたり。



子供の頃見た景色と重なり、時代を巻き戻したようだ。



観光の見所を繋ぐ間がそんな町なので、歩いていて退屈しないのがいい。


ANDO建築

2024-02-07 06:21:01 | その他旅行き
兵庫県立美術館は安藤忠雄の設計だ。
正面入口から敷地へ入っていくと、左右に聳える巨大な壁にまず圧倒される。
展示室へ向かう時、階段を上れるのなら階段を使うべきである。
階段室はコンクリートの打ちっぱなしで、整然とした美しさに魅了される。
来るのは二回目で、前回来た時もコンクリートの階段にカメラを向けたっけ。







今回は写真展を観覧後、建物の中を巡ってみた。
Ando Galleryという安藤忠雄コーナーなんてのがある。
入場無料なので覗いてみると、世界の安藤建築が紹介されていた。
ほんとすごい人なのね。
屋上デッキに出ると青リンゴのオブジェがある。







デッキからは海の対岸にある摩耶埠頭が近い。
海岸へは広い階段が繋がっており、ヤノベケンジ作のSun Sisterがすっくと立っていた。
展覧会がなくてもいろいろ見どころのある美術館である。
うろ覚えだがNHKの日曜美術館で、キース・ヘリング展の巡回先だと言ってたと思うので、また来ることになりそうだ。








写真の歴史に触れる

2024-02-05 06:22:35 | その他旅行き
兵庫県立美術館で写真展をやっているので観てきた。
大正から昭和にかけて活躍した写真家で、安井仲治(やすいなかじ)という人の回顧展である。
自分はこの安井という人を知らず、今回初めてその写真を見た。
写真を芸術として取り上げ始めた黎明期の時代の写真家である。



昔の技術であるピグメント印画法という方法で現像された、フワリと柔らかい画質の写真が並ぶ。
ピグメント印画法ってなんだ?
その手法のひとつであるブロムオイル印画について説明してくれていたが、説明を読んでもイメージが出来ない。
油絵の具を使ってイメージを作るとあるので、撮った写真の上に絵を描くのだろうかと想像したが、写真を見ても描いているようには見えない。

<展示の様子>


疑問符を頭の上に浮かべながら鑑賞することになったので、後でネットで調べてみた。
とても略して書くと、光の当たったところと当たっていないところで残る水分量に差の出る感光剤を使った印画紙に、油絵の具をブラシで擦り付けて水が弾く油の量の多少で像を浮かび上がらせる方法、と理解した。
絵の具の擦り付け方でボカシを入れたり濃淡を出したりして手工芸的な表現を加えることができたようだ。
当時は絵画を模した作品を写真で作ろうとしたらしい。
その後、絵画に似せて画像を作ることを目的とするのではなく、カメラで撮ったありのままの画像、カメラだから撮れるあらゆるジャンルの画像を追求する新興写真と呼ばれるスタイルに移り変わっていくらしい。

<愛用のカメラ>


展示されている写真の被写体や撮り方に特別な感じのする作品はない。
それは当然で、彼らのような当時の写真家が作った道があり、我々はその道を通っているだけなのだから。
革新的な表現について敏感に反応し、研究し、撮影した写真家だそうだ。
当時写真はこうあるべき、というような風潮があったのだろう。
今では当たり前の何でもない被写体も、こんなものを撮って発表する事に対する理由をあれこれ考えている文章が紹介されていて面白い。

<寄稿先>


写真表現はどのように開拓されて来たのだろう。
美術史と同じように、時代時代で流行り廃りがあったに違いない。
そんな写真史について知りたくなる展覧会だった。


御陵前まで歩いて戻る

2024-02-01 06:24:03 | その他旅行き
バラ庭園駅から浜寺公園中央口まで戻り、横にあったコンビニで昼食にパンとコーヒーを買い、歩きながら食べた。
阪堺電車の線路は道路の対岸を走っており、南海電車の線路を越えるため緩やかな坂道を上り向こうのほうへと離れていく。
線路を追いかけて道路を渡った。





地図を見ると、まずまず線路の横に道路が沿ってあるので町の様子を伺いつつ、やってきた電車を撮影することにする。
線路を左に見ながら住宅街を歩く。
船尾停留所辺りはアパートや民家、商店がひしめいていて、下町のいい雰囲気があった。





船尾を過ぎると線路のすぐ横の道は行き止まりになっていたりして少し迂回を迫られる。
ジグザグと細い道を辿り踏切を渡ると石津川。
石津川を渡る橋梁の横にかけられた橋から電車が来ないかとしばらく待つ。
やってこないので、石津停留所まで行って様子を伺うと遠くに電車が見えた。
橋の上へと急足で戻り、しばし待って橋梁を渡る電車の姿をゲットした。





再び線路脇に道路が伸びる区画整理された住宅地に差し掛かる。
線路脇の道路から垂直に道路が付いているのだが、T字路に町内会の掲示板が立っている様子が昨年歩いた我孫子道停留所辺りの町と全く同じなので笑ってしまった。
こういう作りがこの辺りのちょっと昔の新興住宅地のトレンドのようだ。
石津北停留所辺りまで来ると、大きな道路が横切っているからかビルが目立つようになる。





東湊停留所でその日の沿線散歩の終了時刻となった。
こちらに出てきたので、連れが欲しいという鍋蓋を難波の道具屋筋に買いに行く時間が欲しいのだ。
阪堺電車とおさらばし、西側を走る南海電車で難波駅へ行こうと湊駅へ向けて歩き出した。
しかし適当に歩き、曲がる道を選り好みしていたら、左へと曲がれる道がない道に入ってしまった。





スマホ地図で居場所を確認すると、阪堺電車の線路が左に曲がり、今歩く道へと近づいてきていた。
であれば仕方ない。
もう少し撮影してやろうと御陵前の交差点に出ることにした。
うまいことやってきた電車が信号待ちで止まってくれた。
最後の一枚を撮って、今度こそ御陵通りを湊駅の方へ向かった。



これにて今回の阪堺電車沿線訪問記はおしまい。
歩いていない沿線部分がまだあるので、また来たいですな。