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背割堤のさくら

2024-04-13 17:54:24 | その他旅行き
大阪の今年の桜は見頃の時期がとても短かった。
五分咲きくらいで寒の戻りがあって花冷えが続けば長く保つのだろうけど、開花した後ずっと気温が高かったからすぐに満開になって、そして大雨と強風に見舞われた。
それでも満開に向かう時に週末が重なったのは良かった。
うまく年休の予定があった金曜日と日曜日に、二度も花見に出かけた。



まずは一度目の花見のお話し。
京都の大阪との府境間近にある「背割堤」の桜を見に行った。
宇治川と木津川が合流する手前の堤防上に桜並木があるのである。
お昼過ぎに到着し、開催されていた「さくらまつり」の出店で何か買って食べようと、堤防下の高水敷に並ぶテントの店種を確認しながら奥へと進んだ。
咲き加減は5~6分咲きというところか。
平日だというのにたくさんの人が花見に来ていた。
まだ春休み中なんだな、きっと。





桜並木の長さの情報を仕入れた時、14という数字が頭に残った。
140m行けば並木は終わるのだろうとなんとなく歩いていたが、行けども行けども並木は終わらない。
お腹が空いたしトイレにも行きたい。
しかしお店もトイレも入口付近にしかなく、この先も無さそうだ。
堤防の舗装面に書かれた距離表示で、並木は1.4kmだったことを認識する。





並木の終点を見たいので、一度戻って再度やってくるか、このまま行くか選択。
残りの距離の方が少ないのでこのまま行くことにする。
当たり前だが、奥へと歩くに連れ人は少なくなる。
堤防の斜面と下り切ったところの高水敷は柔らかな草地で、みんなそこにレジャーシートを敷いて憩っている。
ゆっくりするのなら、あらかじめお弁当や飲み物を用意して、奥地まで行くのが正解だなと思った。



並木の終わりは堤防の終わりで、小さな河川管理施設があり、堤防を取り巻く階段で高水敷に降りれるようになっていた。
広く整備された草地があり、別の場所から移された大きなくすのきがあった。
幹にはまだ包帯が巻かれたままで、養生中のようだ。





帰りは堤防下の道を戻る。
少し離れて見上げる桜も良いものだ。
入口の方へ戻るに連れレジャーシートを敷いている密度が高くなる。
奥地へ行くにしても、どの辺りまで離れると隣を気にせず居心地よいかと、トイレに行きたくなった時の手間とで、折り合いをつける必要がある。
ようやくトイレと出店のあるエリアまで戻ってこれた。
用を足し、お昼を買って少し奥の方へ戻る。





堤防の斜面の下の人口密度は高いが、斜面の中ほどはがら空きなのでそこに腰を下ろして食べることにした。
買ったのは唐揚げとビール。
小さなレジャーシートも持ってきていて、事前になんとなく考えていたのは、一人で花見宴会して酔っ払って昼寝するのもいいなというもの。
しかし堤を歩き撮影するのに結構な時間を使ったし、酔っ払うに足る酒を買うには出店を往復する面倒があり、唐揚げとビール一本で切り上げることにした。
斜面に座ったのでずり落ちないよう足と尻に力が入って痛くなった。
今度来る時は酒と食べ物の準備をして、平らなところに寝っ転がろう。




明日香の町

2024-04-11 06:26:50 | その他旅行き
今回の明日香路散策は橿原神宮前駅から歩いて往復した。
駅の近くは新しい住宅街で、歩いていても面白味は少ない。
しかし、駅から離れるに連れ昔からある景色に移り変わり、自分好みの被写体に富むようになる。
たぶん農地が広がっていたところが、駅前から住宅地に変わっていったのだろう。
駅から離れているが家の集まる古い町並みが特にお好み。
時に廃屋が草に呑み込まれていくのを観察しながら歩いた。









観光を終えて駅へと帰る時、車の走る県道を外れた細い道を選んだら、農地がいきなり宅地に変わる境目があった。
そこはきれいに区画整理された新興住宅地で、宅地内の道路を歩いていたら、すぐ横に農地があるとは想像できない眺め。
こうして農地は街に侵食されていくのだな。










酒船石

2024-04-09 06:24:28 | その他旅行き
飛鳥寺の南東に今回もっとも訪れたかった遺跡である酒船石がある。
その手前に近年発見された亀形石造物もあったのでそちらを先に見学。
こちらは有料で300円だったか文化財保存協力金を支払う。
窓口の人がひとしきり遺跡の説明をしてくれた。
見学者が少ない時だけなのかもしれないが、何度も同じ説明ができるって、史跡好きなんだな。
亀形石造物は亀の甲羅を逆さまにしたような形の石が水を受ける仕組みで、祭祀に使用したのだろうと推測されている。
遠くからしか見れないので満足度は今ひとつだった。



酒船石は亀形石造物の後ろの山というか丘の上にあった。
こちらだけ見るなら無料のようだ。
竹林の中にポツンと巨石が置いてある。
手前側にタガネの跡があり、その昔誰かが石の一部を割って持っていったようだ。
岩の上面はほぼ平らで、窪みが幾つかと窪みを繋ぐ水路のようなものが彫られている。
何に使用されたか詳細は不明。



この酒船石の存在は子供の頃知った。
手塚治虫の漫画で「三つ目がとおる」というのがあって、この酒船石が出てきたのを読んだのだ。
具体的な内容は忘れたが、主人公の写楽少年は古代文明の知識を持ち、この石が何に使用されていたか知っていて、酒船石の溝と傾斜を利用してなにやら怪しい液体を作るのだ。
「三つ目がとおる」のその他のお話は忘れてしまったが、この話のその部分だけは覚えているから、よほど印象に残ったのだろう。
実在する石だと言うので、当時見てみたいと想像を膨らましたのを思い出した。
実物は想像していたとおりの大きさで、薄暗い竹林内にあるので怪しさも漂って、時空を超えた出会いを演出してくれた。




飛鳥寺

2024-04-07 07:33:04 | その他旅行き
昼食を摂ったお店から飛鳥寺まではほんの数分だった。
ここには飛鳥時代の仏像である阿弥陀如来坐像が祀られている。
銅製で日本最古らしい。
見学料を払って堂内に入らせてもらった。



お堂は当時のものでは無い。
当時飛鳥寺は金堂を三つ配置し、回廊で囲われた本格的な寺院だったらしいが、二度の火災で焼け、荒廃してしまったそう。
仏像も罹災したが、跡にあったのを修復したものだそうだ。



写真を撮ってもいいとのことなので下がって撮らせてもらった。
すこし歪に見えるところが修復した部分なのかなと想像。
見慣れた仏像と違い、大陸風のお顔立ちらしい。



隣には飛鳥寺建立に関係した聖徳太子の立像もあったが、こちらは後年作のもの。
見学路はお堂の奥へと続いており、中庭には当時の石灯籠が置かれていた。
廊下には発掘作業時の写真や資料が展示されていて、資料館の趣きがある。
そのままお堂反対側から外に出て、外廊下で玄関に戻れるのだった。



境内の庭の散策は無料のようで、鐘楼など見学。
裏門から出た先に蘇我入鹿の首塚がある。
怨念が宿っていそうで近寄りがたかった。
遠くから見るに留める。




とろうま飛鳥汁うどん

2024-04-05 06:20:16 | その他旅行き
そろそろ昼食の時間。
こうした一人でのお出かけの時は、コンビニでパンかおにぎりを買って歩きながら食べたりするのだが、近くにコンビニはなさそう。
雨は止んだがまた降ってくるかもしれず、スマホ地図で食事のできそうなお店を探してみた。
甘樫丘の東に少し大きな施設があったが産直市場で食堂はなくスルー。
次に食堂マークのある数少ない場所のひとつへ行ってみたが、やっていなさそう。



どうしたものかと次の目的地へなんとなく歩いていたら、民家をリノベートしたようなカフェがあった。
外にメニューが出ていて選択範囲もあり、ここで食べることに。
一筋違う道に入ったいたら見つけられないところだった。



玄関を開けるとやはり古い民家をカフェにしていて、引き戸を開いて玄関横の間に入る。
外のメニューは名前だけで、どんなものか想像がつかなかいものもあったが、店内のメニューは写真付きで料理の詳細が分かり、最初は頼むつもりのなかった「とろうま飛鳥汁うどん」を注文した。
飛鳥鍋という伝統料理をベースにしていて、牛乳と豆乳に白味噌で味付けしたものらしい。
出てきたうどんは白っぽい餡のかかったものだった。



熱そうな餡を絡めてうどんをすすった。
牛乳と豆乳がもっと主張しているのかと思ったがさほどでもなく、出汁がやさしい味わい。
具として入っている厚揚げや根菜、きのこなんかと相まって、身体の暖まる料理で美味しい。
塩分も控えめな感じで、出汁も残さず掬い取っていただいた。



小説でしか読んだことはないが、山で遭難しそうになって、助けられたマタギの小屋で振る舞われる煮込み料理を思い起こした。
イノシシの肉は入ってないけど。
食後のコーヒーも注文してホッと一息。
この後の行程をどうするかざっくりと再検討した。




甘樫丘

2024-04-03 06:25:02 | その他旅行き
孝元天皇陵からさらに東へと歩く。
新興住宅地を過ぎ、農地が広がりだすと、市村境を示す標識があり、明日香村に入った。
次の目的地は甘樫丘の展望台。
山の上から明日香村を見下ろせるらしい。







甘樫丘には北側から入り、遊歩道を登る。
遊歩道脇には草地の広場や林が続き、森林公園の趣き。
いろんな山野草が見られるようで、名前の書かれた札が道脇の斜面に刺してあったが、春まだ早く、花はもちろんそれらしい葉っぱも見分けがつかなかった。
雨の日だからかあまり人はおらず静か。





クネクネと曲がった遊歩道の標高が上がると、冬枯れした木々の間から下界の様子が覗けるようになる。
分岐を展望台の方にとり、さらに歩くとベンチとテーブルの置かれた広場があった。
展望台は360°眺望が欲しいまま、とはいかず、大きな木の生えていない方角のみ展望が開けていた。







まだ芽の固い桜の木があったので、花の時期にはベンチが花見客で埋まるのだろう。
あるテーブルに古代に明日香にあった京の様子がマンガで描かれていた。
今見える田園風景は、その時代は大都会だったわけだ。
雨で霞む都を思い浮かべてみた。




孝元天皇陵

2024-04-01 06:23:05 | その他旅行き
近鉄の橿原神宮前駅から東へ歩く。
雨は細かな粒のものが降ったり止んだり。
雨雲の境目にいるようだ。
風は無くありがたい。



まず向かったのは孝元天皇陵。
そこはまだ橿原市内。
住宅街の中にある剣池のすぐ横にこんもりとした小さな山があり、それが陵だった。
池は堀だったのかもしれない。
南側の岸には石垣が見られた。



宮内庁が管理している天皇墓はどこも同じような作りで、新しい何かが得られるわけではないのだが、訪れた先にあればなぜかお参りしてしまう。
静かな森に囲まれ、漂う厳粛な空気に浸りたいのかもしれない。



保育園の建物の横から域内に入る。
注意書きが他の陵の記載内容と同じであることを確認し、雨で濡れて滑る石段を上る。
右にカーブした先に二重の敷地で囲われて鳥居があった。
合掌。
ここも静かなところだった。




雨の明日香へ

2024-03-30 21:59:23 | その他旅行き
奈良県の明日香路で、歩き残している北部エリアのあれこれを見て回ろうと、雨の日だったがお出かけした。
大阪環状線で天王寺駅へ。
最近南の方に遊びに行く事が多くなって、天王寺駅をよく訪れる。
でも乗り換えて通過してしまうから、街がどんなかあまり詳しくならない。
一度天王寺で遊ばないといけないな。

<天王寺駅大阪環状線ホームから>


近鉄に乗り換えるため、大阪阿部野橋駅へ。
明日香村へは南大阪線で向かう。
吉野行きの急行電車は大阪近郊の駅をごっそりと飛ばして走るので、特急並みの早さで奈良へ連れていってくれる。

<大阪阿部野橋駅ホームから>


前に訪れた時は橿原神宮前駅から吉野線に入り、岡寺駅や飛鳥駅を利用した。
今回は橿原神宮前駅で降車。
ここを起点に往復することにする。
記事はしばらく明日香路散策のお話である。

<橿原神宮前駅構内>



安土駅

2024-03-20 07:32:18 | その他旅行き
安土城跡の見学を終え、帰路に着く。
少し南に下り、JR琵琶湖線沿いの田んぼの中の農業用道路を歩く。



撮り鉄が二人、列車が来るのを待っていた。
前景、背景に特別な何かはなく、どんな絵が撮れるのか少し気になる。
直線で見通しがいいので、編成写真というやつを撮ってるのかなと推測。
県道の跨線橋の下を潜ると安土駅は近い。



大阪から安土駅に来るのはなかなか不便であった。
野洲駅より北にあり、新快速は停まらない。
だから米原駅以遠に行く電車に乗り、かつ最後には普通電車に乗り換える必要があるので、京都を越えて行く電車のだいたい4本に1本しか安土駅に停まってくれない。
野洲行きに乗ったので、野洲駅で乗り換え、近江八幡駅で乗り換えして安土駅に着いたのだった。
まあ、乗り鉄としては望むところ的な喜びが半分あるのだが。



待ち時間たっぷりだし、乗車時間もたくさんあるので、GWの旅先検討をしようと旅行ガイドを持ってきた。
にもかかわらず全く読む気にならず、行きも帰りも何も考えずにぼんやりすることで時間を使ってしまった。
しかし、もったいないことをしたという思いはなく、何も考えない時間っていいよなあと、日頃何かと考え続ける頭を解放してあげたのだった。




仁王門

2024-03-18 06:20:06 | その他旅行き


三重塔から石段を下ると、城跡に残る当時の建物の二つ目、仁王門がある。









この仁王門も摠見寺の創建時、別の神社から移築されたものだそうだ。
この当時の移築というのは、今現在行われている移築とは目的が違うのだろうなと思う。
戦国の世だったから、戦さで攻めた先の宝物を奪うのと同じようなものだったのかもしれない。
これも重要文化財だが整備の手が届かないのか、瓦が少しずれ落ちてきているのが見えて、その下に入らないよう注意書きがあった。





門内に安置された仁王様も重要文化財。