感覚補正が必要

2024-06-03 06:20:46 | テニス
久しぶりにテニスの話題。
最近のお困りごとをメモしておく。
まずはフォアハンドストローク。
腰の捻り戻しから肩、腕、と力を伝えていく打ち方を心がけてきた。
一番注意してるのが肩だった。
しかしそれがよろしくないらしく、身体が開いてるとの指摘をまた受けた。
前に別のコーチにも身体が開いて腕が前に出ていないと言われたのと重なる。
今回は力が入ると身体が開くとのこと。
肩からスイングするので腕が遅れて「開く」状態になってるようだ。

自分としては力を入れているつもりはなく、反対に腕の力が抜けてスイングが安定する気がするのだが、こう相次いで指摘されるとやはり正しくないスイングになってるということなんだろうと思うようになった。
今の打ち方に改造するきっかけとなったきれいなスイングをするお母さんプレーヤーのスイングイメージを変容させて覚えてしまったのかもしれない。
やっとあれこれ考えなくてもスイングできるようになってきたのに、また改造しなければ。

次はボレー。
先日すごいパワープレーヤーとボレストした。
自分はボレーで、相手の強力ストロークをボレーしたらバアンと弾かれてしまって、為す術無しな状態になった。
弾かれないようにするにはこちらもパワーで対抗するしかないのか?
今からそんなパワーは手に入れられないよなあと悔しく思っていた。
しかしあることと紐付けることで、力がないことが原因ではないのでないかということに気付いた。

そのパワープレーヤーのショットでもパワー負けせずに返すことのできたボレーがあったのだ。
それはローボレー。
なんでだろうと考えた。
ラケット面を上から下に差し込んでボールを押さえ込むように打てれば力はいらないのではないか。
弾かれたのは胸くらいの高さに飛んできてミドルボレーしたボールだった。
グリグリのスピンという訳でないが順回転はかかっているので沈んでくるだろうと低めにラケットをセットしたのが良くなく、勢いがあるので自分の予測より沈むことなく伸びてきてラケットを下から迎えに行ってしまっていた。
上から押さえられなかったから弾かれたのではないか。
そう思い至った。

だから、相手のボールがこちらが思った以上に直進してくる想定で高い位置にラケットセットし、どれだけ伸びてきても上からラケットを入れられるようにすればいいのだ。
そうは思うものの、このボールの伸びを掴むのが自分は苦手のよう。
これまでもフラットでストロークする女性プレーヤーとボレストすると、思うよりボールが伸びてきてミスヒットしていた。
昔から対応できずにいる要改善事項なのだ。
どうやってものにしていくか模索中である。
伸びのあるボールを打ってくれる人に相手を頼んで慣れるしかないのかな。


整頓してると意味ありげ

2024-06-01 17:07:43 | Weblog



狸谷山不動院

2024-05-30 06:26:21 |  EIDENで行こう
「EIDENで行こう - 一乗寺駅から徒歩25分」

八大神社の辺りは比叡山への西斜面を上りかけた所で、京都の町を見下ろせる場所にある。
そこからさらに山の方へと道路を上っていくと、民家の途絶えるところに狸谷山不動院の交通安全自動車祈祷殿がある。
その手間から寄進者の名前が彫られた石柱が並び、祈祷所を過ぎても並んでいる。





その数にすごい信心を集めてるお寺なんだなと知った。
山中の道路をさらに上ってようやく入口の鳥居に到着。
神仏習合のお寺だったよう。
鳥居の左に狸のやきものが沢山置いてあった。
狸谷山という名だけに奉納しているのか?



山中にあるお寺なので本堂までは階段である。
250段あるらしい。
許可なく学生のトレーニングを禁ずと書いてあった。
使われそー。
学生時代、階段はなかったが山の方への道を往復するコースを走ったのを思い出した。



その日はパラパラと雨の降る日で、大きな木々に囲まれた参道は薄暗く、深山幽谷の雰囲気。
本堂までにお参りどころは四ヶ所。
一つ目は白龍弁財天。


二つ目は七福神。


三つ目はお迎え大師。


四つ目は弘法大師光明殿。


最後の階段を上ると左に柱を組み合わせて足場にした建物が現れる。
これが本堂のようだ。
階段を上り切ると広場があり空が開けた。
護摩の焚き上げとかをするのか、焚き火後のように地面が一部黒く焦げていた。
広場の周りにある境内社や宮本武蔵が修行した滝やお地蔵様の前を通り本堂へと上っていく。







拝観料を払って本堂へ。
本堂内は撮影禁止。
なぜ高い位置に本堂があるかというと、その高さにこの寺を興した上人さまが修行した洞窟があるから。
本堂の屋根の下、内陣というのか、そこに上がってもいいと書かれていたので靴を脱いで上がらせてもらった。
内陣の向こうは建物の壁ではなく洞窟だった。
ご本尊の不動明王は洞窟の壁を背にして鋭い眼光を光らせていた。



信徒会館の横から山へと入ると奥之院があるのだが、不動明王使者三十六童子の仏像を巡って裏山の山頂まで歩くというもの。
熊に注意の看板があるし、どれくらいの距離があるのかも不明なのでやめておいた。
36柱も写真は撮れないな、というのが本音。
観光に訪れるお寺ではないから参拝者は少ないが、門戸は開かれていて、なかなか興味深くお参りさせてもらった。




八大神社

2024-05-28 06:25:00 |  EIDENで行こう
「EIDENで行こう - 一乗寺駅から徒歩15分」



詩仙堂のすぐ隣に八大神社はある。
宮本武蔵の一乗寺下り松の決闘で有名なところだそうだ。
境内入口の鳥居をくぐって参道を歩くと、過去に撮られた宮本武蔵の映画のポスターが各種貼ってあった。
結構作られてるんだ。
最近は宮本武蔵なんて映画になってないよな。



手水舎の横に水みくじ用の水が汲まれた桶があった。
水みくじとは何も書いてないように見えるおみくじを水につけると、文字が浮き出て運勢を教えてくれるというもの。
貴船神社でやったことがある。
この辺りの神社のはやりなのだろうか。



本殿前の階段を上ると左に宮本武蔵の銅像がある。
この神社は宮本武蔵が吉岡一門と果し合いをする前に、勝てるよう祈願にきた神社である。
しかし参拝する直前に思い止まり、神仏を頼るのではなく自身を信じて戦うのみと悟りを得、参拝することなく戦場に赴いたそう。



思うのだ。
神様としては自分を頼って欲しかったのに頼ってくれなくて残念だったのか。
それともその心意気や良しと祈願されなかったもののその願いを聞き届け、力を貸してあげたのか。
どちらだろう。
まさに神のみぞ知る事柄か。




詩仙堂、サツキの頃

2024-05-26 19:00:01 |  EIDENで行こう
「EIDENで行こう - 一乗寺駅から徒歩15分」

5月、サツキの咲く頃、京都は一乗寺にある詩仙堂を訪れてみたかった。
ネットで花の咲頃情報を見ていたら、うまい具合に予定のない週末が見頃の時期と重なったので行ってきた。
久しぶりに叡山電車の沿線訪問記である「EIDENで行こう」の記事が追加できる。

詩仙堂は一乗寺駅から東へ15分ほど歩いたところにある。
もう10年くらい前に訪れた事がある。
入口の佇まいは記憶のままだった。
しかしアプローチの石畳の通路から先はもう記憶は朧げ。
ほぼ初めて訪問したように新鮮な景色。
詩仙堂は文人の石川丈山という人が暮らした庵で、庭園を見学するところだが、お寺でもある。

祀られているのは馬郎婦観音で、まずはご挨拶。
座敷から庭園を眺めて憩う方々の横であれこれと撮影。
建物の中を見学した後、靴を履いて庭園を散策する。
座敷から見える庭の奥にも庭があるのだが、高さの低い位置にあるため散策する人の姿は座敷からは見えず、うまい作りになっていた。

奥の庭は座敷より見える庭より広く、前回訪れた時に見た記憶がある眺めがいくつかあった。
藤棚(だよな)の下のベンチで涼んだな。
帰ってからその時撮った写真を見たら、今の写真よりアップの写真が多く違いが面白かった。
もっと暑い時期に来たように思ったが、同じように5月の終わりに来ていた。
サツキはあまり咲いておらず心が残ったんだな。

庭木にはモミジの木が沢山あったから、次に来る時は秋の紅葉の時分だな。
庭はとても綺麗に手入れがしてあって感心。
ただ掃除してあるだけでなく、木々と草花の配置の妙にシャッターを押す手が止まらない。
この庭を何十年何百年と維持していくにはどんな知恵が必要なんだろう。
すごいことである。
写真を大量に撮ったのでフォトチャンネルにした。
見てたもれ。




この地で余生を送る

2024-05-24 06:18:54 | Weblog



祇園新橋

2024-05-22 06:19:43 | その他旅行き
写真祭鑑賞の合間に祇園の町を歩いた。
昔ながらの建物の並ぶ通りもあれば、飲み屋のビルの並ぶ通りもあった。
祇園といえば花街で、飲み屋も居酒屋のようなところでなく、ナイトクラブのような店が多いように感じた。
総じて高級な感じ。









祇園新橋というところが重要伝統的建造物保存地区であるようで、なるほどそこはいい感じの通りだった。
料亭なんかにはとても入れないから、町屋造りの家を改装したカフェでお茶した。




両足院での展示

2024-05-20 06:25:02 | その他旅行き
カサブランカの次に見た展示は国際社会の影の部分を、何も知らずに平和に暮らす我々に突きつけるものだった。
残念ながらそうした事態、状況に対して自分の意見を表出できる人格を持っておらず、感想を述べることはできない。



三つ目の作品は建仁寺にある両足院で展示されていた。
「空(くう)をたぐる」
人間の引き起こした温暖化が人間に与える影響をフランスのシャンパンの醸造地で考察し、写真に落とし込んだ作品。
これも自分にとっては難しい種類の作品であった。



シャンパンを造る原料となるブドウの作付けに温暖化がどんな影響を及ばしているのか、葡萄畑の写真と醸造資料などを組み合わせ表現しようとしている。
こうしたアート作品は作者の意図が鑑賞者に伝わるかどうかが評価軸のひとつだと理解している。
写真はビジュアルだとも思ってるから、見た目もいい方がいい。
というか見た目に引っ張られてしまう。
葡萄畑の写真は地味で、だから正しく受け止めれたか自信がない。



そんななので興味は会場の両足院に向かってしまった。
多分ここに入ったのは初めてだ。
中庭があって、散策させてくれる。
中庭内の離れはたぶん茶室だろう。
そこにも一枚作品が展示されていた。










カサブランカの写真

2024-05-18 18:33:01 | その他旅行き
今年のGWに遊びに行けた唯一のお出かけ先が KYOTOGRAPHIE。
毎年この時期に開催される京都国際写真祭である。
病み上がりで無理はしたくなかったので、祇園四条辺りに固まって展示されていた三つの会場を巡った。



今回の記事はその一つ目。
「カサブランカは映画じゃない」
元ダンサーの写真家が撮った彼の地元モロッコの写真。
とても良かった。
こうした写真展の写真って、今の時代の最先端を表現してるよっ、て展示があったりするんだけど、そういうのって自分には難しくてよく分からない。
でもこの人のカサブランカの写真は難しいことは何もなくて、普通に市井の様子を写してる。
そしてその写真がいいのだ。



いつもいい写真ってなんだろう、と考えている。
誰かに教えてもらおうと本を読んだりネットの記事を検索したりする。
でもだれも文章で表現してくれない。
それだけ感覚的なものなんだと理解するにとどまる。
でもこの人の写真は、「ああ、いいな」と思えるものだった。



誰も文字にしてくれないから一つの例を頑張って書いてみる。
撮ってる人がいい雰囲気を発しているのだろう、人物写真はみな朗らかな印象。
撮られる人それぞれのその時々の自然な表情が写し取られていた。
色はカラフルで、でも不自然な色の盛り方はしておらず好感。
人物写真以外も被写体の存在感が迫ってくる。
日本の景色や事物でないから、物珍しいというのもあるのだろうけど、この人は日本で撮っても同じように撮れるんなだろうな。



会場は3階建てで、1階と2階はカサブランカの写真、3階は展示の為に作者が京都に来た時撮ったのだろう、インスタントカメラで撮影している様子が映像で流れていた。
インスタントカメラで撮った写真はフロアにラフな感じで置かれていた。
これは踊りながら撮ってるので1、2階の写真とは全く趣きの異なるもの。
自分にはその良さの分からないタイプの写真である。
最初に3階まで上り下へ順に見ていったので実はこちらを先に見ていて、ああ元ダンサーだからこういう作品を撮るのねと理解して2階に行ったから、きちんと?撮ったカサブランカの写真との相違にとても驚くことになった。
久しぶりに面白い、とても参考になる展示を見せてもらった。




山に近づいてはいけない

2024-05-16 06:20:59 | Weblog