風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

何もないけど全てがある

2020年11月17日 | 「新エッセイ集2020」

 

きょう、いつもと違う道を歩いていたら、珍しい大きな葉っぱを拾った。
今までも通ったことのある道だけど、こんな葉っぱを付ける樹があったことには気づかなかった。
持ち帰ってネットで調べてみると、ユリノキという木の葉っぱだった。
街路樹としてはかなりポピュラーな木で、5月頃に咲く花が、ユリの花に似ているところから、このような名が付いたらしい。今までそんなところに、そんな花が咲いていたことすら知らなかった。

大きな葉っぱというのは、それだけでも存在感がある。
なんだか拾って得した気分でもあったが、結局は何かに使えるというものでもない。
ここ数日、開高健の『オーパ!』を読んでいて、黄濁した大アマゾンの危険水域を漂っていたせいか、やたら大きなものが気になるのだった。
ちなみに「オーパ!」とは、ブラジルで驚いたり感嘆したりするときに発する言葉らしい。
ついでに、インディオ語では大きいことをアスーと言うらしいが、アマゾン河での釣り紀行である『オーパ!』の中には、やたら大きな魚ばかりが登場してくる。アマゾンの話は、万事が太くて大きくなるようだ。

大きいといえば、同書の中で動物のバクの話が出てくるが、ブラジルのバクは大そうな物持ちらしい。
物持ちといっても、例の伸び縮みする一物のことなんだが、ぐいぐいと1メートルにもなるので、後ろ足で蹴飛ばしながら歩くという。
これを見てキモをつぶした日本移民のひとりが、メスの方はどうなってるんだろうと調べたところ、腕がずぶずぶと肩まで入ってしまったとか。
夢を食うといわれるバクのこと、まるで夢のような話をつい夢想してしまう。ついでに、バクのことをブラジル語では「アンタ」というそうだが、関係ないか。

ユリノキの葉っぱは、その形からの連想で、「ヤッコダコノキ」(奴凧)だとか、「グンバイノキ」(相撲の軍配)、さらには「ハンテンノキ」(半纏(はんてん))などとも呼ばれているという。
言われてみれば、なかなか愛嬌のある葉っぱでもある。いろんなものに似ているともいえる。だがよく見ると、やっぱり、ただの葉っぱ。まさにオーパ(大葉)!

「蛇足」とタイトルされた『オーパ!』の後記で、次のように書かれた著者の一文がある。
「釣竿を手にした旅だと、ただの旅では見えないもの、見られないものが、じつにしばしば、見えてくるものである」と。
普段は見えていないものが、ある時とつぜん見えてきたりすることがある。
「ナーダ! トーダ!」というアマゾンのラブソングがあるという。
ナーダ!とは何もないこと、そしてトーダ!とは全てがあること。何もないけど全てがある、ああ、オーパ!



 

 

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