風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

冬の木になる

2020年12月14日 | 「新エッセイ集2020」

 

風が冬の匂いを運んでくる。
古代の人たちは、鳥が風を運んでくると考えていたらしい。
さらには、神の言葉を運んでくるのも、鳥たちだと信じられていた。
空を飛べるというだけで、鳥は神の存在に近いものだったのだろう。
いま、季節を運んでくるのも、空を渡ってくる鳥たちかもしれない。

近くの池では、日ごとに水鳥の数が増えている。
寒々とした水面の風景に、そこだけ冬の賑わいが生まれている。
去年の鳥が還ってきたのかどうか分からないが、彼らの記憶の中には、去年の風景があるようにも思える。
彼らが多く集まるのは、去年と同じ場所の小さな橋の下だ。そこではパンくずを投げる人たちがいることを、彼らはよく憶えていたようにみえる。

水鳥たちの池が見下ろせる小高いところで、ぼくはしばし瞑想らしきものをする。
周りの原っぱでは、セキレイのつがいが餌を啄ばんでいる。冬の枯野にどんなご馳走があるのか、嘴を上下させながら忙しく走り回っている。
セキレイは仲がよく、いつも雄と雌のつがいで行動している。
ときどき、雄が尾っぽをつんと立てて雌を追いかけたりする。雌の方は食い気の方が勝っているようで、おバカな人間が見てるでしょといったそぶりで、雄の気分を逸らしている。

ぼくのすぐうしろでは、カラスがごそごそと落葉をほじくっている。その場所に、なにか大事なものでも埋めてあるのかもしれない。
カラスはカアカアと大声でうるさいし、ゴミ出しをすると、漁って周りに撒き散らしてしまう。普段は憎らしいカラスだが、そばで孤独な作業をつづけるカラスは、まったく別種の生き物にみえる。黙々と何かに熱中している姿に、奇妙な親近感まで抱いてしまう。

そんなカラスの秘密を覗いては悪いので、ぼくは銅像のように静止したまま動けない。
体を真っ直ぐにして深く息を吸い込む。
鳥たちへの妄想は、すき間だらけの木の枝々を伝い、冬の空へと吸い込まれていく。そうしているうちに、ぼくの体も一本の木になっていくみたいだ。
しばし木にはなれても、鳥にはなれないから、神の言葉を聞くことはできない。

 

 

 

 

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