この四月は、マスクというものを初めて付けた。
慣れないので呼吸もすこし苦しい。話すのも話しづらい。
ステイホーム、家にこもっておればマスクはしなくていい。今はこれが安全で、息も自由にできてよいかも。
だが皮肉にも、月の半分は病院通いでマスクの生活だった。
両眼にメスを入れられた。
おかげで視界は明るく綺麗になった。
窓ガラスを磨いた日曜日の朝のようだ。
新緑が鮮やかですばらしい。葉っぱが深呼吸をしている。光と影の揺らぎが細かく見えすぎて眩い。眺めていると、自然のエネルギーがもろに迫ってくる。
テレビやパソコンの画面も、埃を払ったように新しくなった。
写真も文字も生き生きとして見える。テレビもパソコンも買い換えたみたいで得した気分でいる。この環境なら、ステイホームも耐えられそうだ。
ときおり目の前を舞う、綿ぼこりまで見えてしまうのはどうかな。それでもなお、さらに細かいコロナウイルスまでは見えない。
NHKプラスで、日曜美術館「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」をみた。疫病と美術というテーマで、今回のコロナ禍の中で、ネットで拡散しているアマビエの画像なども紹介されていた。おどろおどろしいアマビエや、マスコットのように可愛いアマビエなど、疫病を恐れる人々が心の安寧を求めて作り出した、護符の絵ばかりだ。
疫病を鎮めるとされたアマビエの古い画像は、江戸時代の肥後国(熊本)で伝えられたものらしい。海中から現れた妖怪で、疫病が流行ったら自分の姿を写して人々に見せなさいと言ったという。
また疫病を可視化した、4本の手がある恐ろしい鬼の絵もあった。この鬼は、小さな鬼を次々に捕らえてはお酢に浸して食べるという。
(NHKプラス「日曜美術館」より)
咳が出るとコロナかなと思う。喉が痛いとコロナかなと思ってしまう。すでにコロナに罹っているかもしれないし、罹っていないかもしれない。相手が見えないのでなんとも不安だし、どう対処すればいいのかもわからない。
いくら視力がアップしたからと言っても、見えないものは見えないのだ。
とにかくいまは、体に抵抗力をつけること。鬼のお酢ではないが、疫病には酸っぱいものがいいのかもしれない。「瀬戸内のおばあちゃん」を真似て、みかんをいっぱい食べてお日様をたっぷり浴びることにする。そして外出するときは、マスクとアマビエちゃんのお守りに頼るしかないようだ。
(Amazonで販売されているアマビエバッジ)
明日は日曜日、行く先はないけれど、
車を磨いて、ドライブ゜しよう。
すがすがしい「日曜日の朝」を迎えられるといいな……
粋な表現に、そんなことを思いました。
すてきなドライブができたら良いですね。
いたるところの道路が閉じられたりしていて、思うようにハンドルも切れないと思われますが。
風薫る五月、窓をいっぱい開けて緑の風を吸い込みたいですね。