風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

遠くの花火、近くの花火

2024年08月07日 | 「2024 風のファミリー」

 

幼稚園のお泊り保育の勢いで、その翌日は、孫のいよちゃんがわが家にお泊りすることになった。すっかり自信ありげな顔つきになっている。夕方、いよちゃんのお気に入りの近所の駄菓子屋へ連れていったが、あいにく店は閉まっていた。バス通りのコンビニまで歩けるかと聞くと大丈夫と答えたので、手をつないで坂道をのぼってコンビニまで行く。
以前は買物かごの中に、次々とお菓子を入れていくので戸惑ったものだが、いつの間にか遠慮深くなって、かごの中には好物のグミを1袋入れただけ。なんでも欲しいものを選んだらいいよと言うと、ラムネ菓子を1個加えただけで、もういいと言う。さらに促すと、ヤキソバ風と表示されたスナック菓子を手に取った。

場所を変えて、いよちゃんの好きなアイスクリームのボックスへ誘導した。小さな手が箱入りのチョコアイスを選んだので、そこへ私がカキ氷を3個ほうり込んだ。レジに行ったら、目の前にきれいな花火セットが並んでいる。今夜は花火だということになって、いよちゃんが選んだのは、ハムスターのキャラクターで包装された花火の詰め合わせだった。その袋を眺めながらの帰り道、たまごっちのファミリーなども教えてもらったが、多すぎて私はどれも憶えられなかった。

まだ、いよちゃんが生まれる前、マンションの9階に住んでいた頃は、居ながらにして大阪中の花火が見られたものだった。
7月25日の天神祭りの花火や淀川沿いのあちこちで上がる花火。テレビ中継を観ながら、花火が上がるとベランダにとび出して確認する。さらには大阪湾をはさんで、海の向こうの神戸や淡路島の花火など、遠くの暗闇の一角に、小さな花が開くように光の玉がはじける。いくつか花火が上がったあとに、だいぶ遅れて音だけが遠雷のようにやってくる。
8月1日はPLの花火。丘陵の向こうで10万発の花火が炸裂する。仕掛花火は丘陵に遮られて見えなかったが、真昼のように燃え上がる夜空と、地鳴りとなって響いてくる無数の炸裂音で、仕掛けの豪華さが想像できた。

いまは地べたの近くに住んでいるので、もう遠い花火を見ることはできない。今夜はいよちゃんと妻と3人で、近くの砂場で久しぶりのささやかな花火をした。いよちゃんがビビるので、音の出る花火や飛翔するロケット花火、足元を走り回るねずみ花火はしない。一本ずつマッチで火をつけて、さまざまな色彩が噴き出す花火を静かに楽しんだ。
はじめは半分だけのつもりが、興に乗ったいよちゃんが次々に花火を取り出すので、私もせっせとマッチを擦りつづけた。花火の明りでよく見ると、マッチ箱には昔に入った懐かしい喫茶店のネームが入っていた。

夜中、お泊りさんは半分寝ぼけて暑い暑いと騒ぐ。パジャマをはだけてお腹を出す。さかんに転げまわって襖を蹴る。久しぶりの賑やかな夜になった。眠ってしまえば、まだ幼い子どものままだ。
花火のあとは、真夏の夜の夢までも焦がしてしまう、大阪の暑い熱帯夜だった。




「2024 風のファミリー」




 

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