風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

べんぶしてもべんぶしても

2022年05月10日 | 「詩エッセイ集2022」




べんぶしてもべんぶしても 賢治の詩に そのような言葉が出てきたので 岩手出身の義母に たずねたが知らないという 方言ではないらしい そういえば 素朴な昔の神々のように と書かれているから べんぶしたのは神々か どんな風にべんぶしたのか グーグルで検索してみたら 喜びのあまり手を打って踊ること そうか べんぶするって 喜んで踊ることなんだ 漢字では抃舞する 知らなかったなあ こんな言葉 今でも使うことあるのかなあ 蘆花や漱石は使ってるらしい その時代には日常使ってたのか でもなあもう 古い神様の言葉になって さらに活字も小さすぎて 神田神保町も神ばかりだったが カビ臭い古本屋の棚は 脚立に乗っても高すぎて おんぶしてもあいぶしても どこまでも古びたかな 楽しかったのはいつ 神代のように古くはないが おんぶはなんどもした あいぶはしなかった 初恋のおもいで じゃんけんして 勝っても負けても どっちでも楽しかった カッちゃんのお尻は やわやわだったし ああ私たちは童子のように うたってもおどっても なほ足りなかった 私の上に降る雪は 真綿のようでありましたが 幼い春には修羅が はたまたどんな稲の嵐が 吹いて過ぎたのか ツバナの穂は 美味しいスウィート ツバキの蜜を吸ったら ミツバチになった 花粉で塗りつぶされた ぼくの小さな部屋が あのままであればいいのに この道はどこへ行く 立ち止まると果てがない 後ろをふり向けば 影ばかりが長くなって いくら手を振っても 風のように忘れられる 恋するひとはいつも 森の向こうにいる おもってもおもっても 届かない ねがってもねがっても 叶わない おもいは祈りに似ている 昔の神を真似てみても 足りないものは足りない オロオロ歩いていては 倍速の日々には追いつけない









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