風の記憶

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レンコンの空は青かった

2024年01月13日 | 「2024 風のファミリー」



お節と雑煮にも飽きて、ごまめとお茶漬けくらいがちょうどよい頃、冷蔵庫を覗いていたら、野菜室の底にレンコンが見つかった。暮れから水に浸けられたままで出番がなかったのだ。まるで忘れられたように、薄よごれた表情でレンコンはそこにあった。
レンコンは、穴がたくさんあいていて見通しが良いとか。そんなことから縁起のよい食材とされているが……

レンコンばかり食べて過ごしたお正月があった。
東京でひとりだった。
年の暮れの31日ぎりぎりまでアルバイトをしていた。暮れの31日に出社する社員などいない。それでアルバイトの私に残った仕事が任された。地図をたよりに、一日中電車で東京のあちこちを駆け回った。
任されていた仕事を終えて、お正月休みの食料を買い込まなければと、閉店間際のデパートに立ち寄ったが、食品売場のショーケースはすつかり空っぽ。かろうじて、酢レンコンが一袋だけ売れ残っていたのを買った。食べるものはそれだけしかなかった。

お正月でも食堂の一軒くらいは開いているだろう、などとは甘い考えだった。まだ武蔵野の林や藁屋根の農家が残っているような、東京のはずれに間借りしていた。たった一軒あった近所の更科そば屋も、お正月の間はしっかり休んでいた。
ぶらっと外に出ても、人と出会うこともなく、動くものは小鳥だけで静まり返っていた。友人たちはみんな帰省し、東京には頼る親戚もなかった。食べ物を探して歩きまわったが、どの店もしっかり暖簾を仕舞っていた。

まだコンビニもスーパーもない時代だった。もちろんスマホもパソコンもなかった。誰とも繋がることもできず、孤独な若者がひっそり餓死しても不思議ではなかった。
空腹になると酢レンコンをかじった。というより常に飢えていた。空腹の極地でも酢レンコンはまずかった。酢の物では飢えはしのげない。反って酢の刺激で飢えが助長されて、食の妄想は募るばかりだった。頭の中は食べ物のことでいっぱいになった。

ひとりきりの三が日、とりとめのない妄想の行き着くところは、空しさと滑稽さしかなかった。レンコンには、なんでこんなに穴ばかり空いているのだ、空虚、空疎、空腹、ああ、レンコンと心中か。そんな言葉しか出てこなかった。もはやレンコンが食べ物かどうかも分からなくなった。やけくそ気味になって、薄っぺらくて白い酢レンコンを空に向かってかざしてみた。
レンコンの小さな穴の中に、いくつも小さな空があった。ふだんは寝ぼけたような東京の空が、レンコンを青く染めそうなほど真っ青だった。レンコンの穴のひとつひとつに、しっかり本物の空が詰まっていた。食べたくなるような美しくて青い空だった。


「2024 風のファミリー」




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