風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

飛鳥の風になって

2024年04月12日 | 「2024 風のファミリー」



近鉄飛鳥の駅前で、レンタサイクルを借り、中学生のケンタくんとふたり、飛鳥の風になって野を駆けた。
風が気持ちええなあ、とケンタくん。
うん、飛鳥は千年の風が吹いてるからね、特別なんや。
古代の不思議な石像なんかに出会いながらの、気ままなサイクリングになりそうだ。猿石からスタートして、鬼の俎板と雪隠へ。石棺も主が居なくなると、鬼の棲みかになってしまうらしい。
iPhoneをポケットに入れたケンタくんが低い声で歌っている。
   私のお墓の前で
   泣かないでください♪

次なる亀石は、あまりにも何気ない民家の陰にあったので、通り過ぎてから気付いて戻った。亀はあざ笑うかのような笑みを浮かべて突っ伏していた。
そやけど蛙にも見えるなあ、とケンタくん。
そう言われれば大きながま蛙にも見える。雨風にも耐えてきた石と対話するのは難しい。飛鳥はすべての石像が、千年の謎かけをしてくるから敵わない。

甘樫ノ丘で持参のおにぎりを食べる。大和三山も、春霞みの中を島々のように浮かんでいる。たゆたうような風景も、時を超えて流れついたようだ。飛鳥寺の鐘の音が、ときおり深い水の底からのように、ぼおーんと浮かび上がってくる。
お腹が落ち着いたところで、がらんとした国立飛鳥資料館をのぞいてみる。何気なく目を引かれて、川原寺のせん仏をカメラで覗いていたら、そいつにかぎり撮影禁止の札がたっていた。気づいたのがシャッターを切ったあとだから、データはしっかりカメラに残ったけどね。仏像は記録するものではなく、祈祷するものだったかもしれない。

古代の道は平坦ではなかった。自転車でもときどきは押して歩かなければならない。中学生は元気だが、老体にはペダルをこぐ足がだんだん重くなる。
竹林を抜けて酒船石へ。この石もまたもや謎かけをしてくる。だがもう、推理する気力も限界に近い。どうせ学者にだって解けない謎なんだから、謎は謎のままでいいとしよう。
だが元気なケンタくんは、しきりに頭をかしげている。石の表面に刻まれた溝が、ゲーム版のように見えているのだろうか。きみの謎が水になって流れ、あるいはビー玉のようになって転がっていくようだ。

最後は、発掘されたばかりの新しい亀形石像物を見る。小石が敷き詰められた窪地に、造形的にもすぐれて美しい石像物がふたつ。亀形の先端と尻の部分に穴が空いていて、ふたつは連結している。水が流れたり溜まったりした様子が、容易に想像できる。
ボランティアのおじさんガイドが、何でも質問してくれと言うので、何に使ったものでしょうかと訊ねると首を傾げる。すべては推定ばかりですねんと素っ気ない。こちらも疲れているので、推定の領域にまで踏み込む気力も関心もない。

耳を澄ますと、それぞれの石が低い声で歌っているみたいだ。
   そこに私はいません
   眠ってなんかいません♪
じゃあ、どこにいるんだ。なにをしてきたんだ。
おまえのことを誰が知っているんだ。
中学生のケンタくんが、長い石の時間をぼうっと眺めている。若いきみなら、いつか千年の時間を辿ることもできるかもしれない。
千の風になって、飛鳥の風が桜の花を散らし始めていた。




「2024 風のファミリー」




この記事についてブログを書く
« 花の下にて春死なむ | トップ | ときには時を動かしてみる »
最新の画像もっと見る

「2024 風のファミリー」」カテゴリの最新記事