風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

花の下にて春死なむ

2024年04月07日 | 「2024 風のファミリー」



また桜の季節がやってきた。父は桜が咲く前に死んだ。父の妹である伯母は、桜が満開のときに死んだ。伯母は90歳だった。老人施設で、明日は花見に行くという前夜、夕食(といっても、流動食ばかりだったそうだが)を気管に入れてしまった。まさに桜は満開、花の下にて逝ったのだった。

伯母の娘が嫁いでいる寺で、親戚だけが集まって静かな葬儀が行われた。葬式にしか集まらない親類だ。これも仏縁と言うそうだが、いつのまにか親の世代はいなくなり、集まったのはいとこばかりだった。3年ぶりや5年ぶりに会ってみると、それぞれに歳だけはとって老けたが、話しぶりや話の内容は相変わらずで、がっかりしたり安心したりの、付かず離れず不即不離の縁である。

伯母は、晩年のほとんどを老人施設で過ごした。その間はずっと病気がちで、娘は忙しい寺の雑務の合間に呼び出されることも多く、病人との付き合いにほとほと疲れきったと言う。
親が死んだというのに、こんなに嬉しそうにしていていいのかしらと、真に肩の荷が下りた様子だった。母親の死に顔に接しても、あんなに安らかな顔をはじめて見たと言った。

出棺の前のお別れで、久しぶりに伯母の顔と対面した。もはや現世の全てのことが抜けきった表情で、これが永遠の眠りに入った人の表情なのかと、しみじみ見つめてしまった。
伯母がどんな生活を送った人か詳しくは知らないが、戦中戦後の厳しい時代を慌ただしく生きて、趣味をもつゆとりもなく、老後はひたすら体の不調を気に病みながら、真に心やすまる日もなかったのだろうか。

私の母も晩年にはさかんに体の不調を訴えていた。
医者は最新の医療機器で細かく検査をするのだが、目立った異常も認められないとなると、最後は病状を訴えることが病気であると判断して、大量の施薬のなかに抗うつ剤が加えられることもある。こころの部分が弱ってくると、本人もまわりも、どんどん病いの泥沼にはまり込んでいくのだった。

伯母にも花の季節があったかどうか知らない。棺の中は次々ときれいな花で埋められ、死人は安らかな顔をして、花の人になってゆくようだった。そとは花散らしの雨が降り、満開の桜も散りはじめている。
願はくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月の頃
満開の桜の下で逝く人を、西行法師も羨んでいるかもしれない。




「2024 風のファミリー」




この記事についてブログを書く
« 父の遺言状 | トップ | 飛鳥の風になって »
最新の画像もっと見る

「2024 風のファミリー」」カテゴリの最新記事