風の記憶

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父の遺言状

2024年04月04日 | 「2024 風のファミリー」



父の命日で、天王寺のお寺にお参りした。
父の死後、父の遺品を整理をしていた母が、ある封書を見つけ出して小さな騒ぎがおきたことがあった。それは一見さりげなくみえる一通の遺言状だった。
その遺言状は、父が書き残したものではなく、父が長年親しくしていたある女性が書いて父に渡していたものだった。
その間の詳しい事情は誰にも分からないのだが、父としても誰かれに見せられるものではなかったようで、とりあえず引き出しの奥にでも仕舞っておく以外になかったものとみえる。その頃、相手の女は体調をくずして市内の病院に入院していたらしく、父がしばしば見舞いに行ったりしていたことも後にわかった。
だが、そんな父が先に死んでしまい、女が書いた遺言状だけが残された。

その遺言状を見ていちばん驚いたのは妹だった。遺言状の宛名が父ではなくて妹の名前になっていたからだ。たどたどしい文字ではあったが、遺産のすべてを妹に譲渡するということが、分かりやすい文ではっきりと書かれてあった。
当初、妹は困惑していた。父と女とのことで一番苦しめられたのは妹だったかもしれない。妹はずっと両親と同居していて、親の穏やかならぬ空気の中で育った。その間会ったこともない女から、それも幾度となく憎んだりもした女から、そんな曖昧なものを受け取る筋合いはなく、そうなった経緯を、ぜひ父から聞いておきたかったと言って悔しがった。

おそらく父はその顛末を妻にも娘にも話すことはできなかっただろう。あるいは、臨終の際にでも話そうと思っていたのだろうか。だが、父にはその時は来なかった。
私は18歳で家を出たので、父とその女とのことはほとんど知らなかった。すべて私が家を離れてから起きたことであり、噂くらいは聞いたかもしれないが、ふたりの関係が長く続いていたことなど初めて知った。
私よりも10歳年下の妹はずっと渦中にあった。中学高校時代の過敏な年頃を、いつも両親のいざこざの中で過ごしたという。夜になると店をしめて父はいなくなり、続いて母が舌打ちをしながらどこかへ出かけてしまう。やりきれない空気の中で妹はじっと耐えるしかなかったという。

そして、両親の晩年まで、いちばん近くで暮らしたのも、この妹だった。
娘に対する贖罪の気持ちから、何らかの形で娘にしてやれることがあれば、と父が考えたこともあったかもしれない。妹としては、そんな父親の気持ちを推し量ってみることも難しくはなかった。
けれども同時に、身寄りもない女の先行きについても、何かしら父から託されたのではないかと、そんな曖昧さが、妹の気分を重くするのだった。もしもの場合、誰かが女の面倒をみなければならないかもしれないと考えると、妹としては、ただ迷惑なだけの遺言状が託されたみたいだった。

父と女との間でどんな話し合いがあったのか分からないが、何らかのものを遺言状という形で、自分らよりも若いひとりの人間に託したかったのだろうか。そのことは、かなり重みのある決意だったかもしれない。遺言状というものの重みではなくて、それを書いたということに重みがあったのだ。
遺言状にも有効期限というものがあるのかどうかは知らない。けれども当初、その遺言状のまわりにあった重たい空気のようなものは、時がたつにつれて、次第に軽いものになっていったようにみえる。そのことに関して何らかのトラブルがあったわけでもなく、時間とともに妹も距離をおいて考えられるようになったという。

まだ桜が開花する前だった。
その朝、いつもより父がよく寝入っているので、そんなことはそれまでも幾度もあったことで、いつものように母が起こそうとすると、すでに父の体は何の反応もなかったという。
夜中に心臓が突然止まったらしい。死亡推定時刻は夜中の1時頃だろうとのことだった。傍らで寝ていながら、母は朝まで父が死んだことに気づかなかった。それほど静かな死だった。
その日はどこかに出かける予定があったらしく、父は前夜、きれいに髭を剃って寝たという。だが出かけた先は、引き返すことのない遠い黄泉の国で、何らかの言葉を残すこともない旅立ちだった。もちろん、父自身が書き残した遺言状もない。




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