風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

変幻しつづける水のゆくえ

2019年07月22日 | 「新エッセイ集2019」
東北の旅(5)五色の沼へ   


水の旅はつづく。
水は雨となって空から降ってくる。地上で流れたり留まったりして、川となり湖となり、沼となる。
会津の磐梯山、その麓に五つの沼がある。五つの沼には五つの色があるという。
なかでも一番大きな沼である毘沙門沼の遊歩道を、早朝にホテルを抜け出して歩いてみた。歩いても歩いても沼は広がっている。沼の外れまでたどり着くのがやっとで、ほかの沼まで巡る余力は残らなかった。
だからぼくは、たったひとつの沼の色しか知らない。

この日も雲が低く、磐梯山の山頂は隠されたままだったが、その特徴のある大きく崩落した山肌だけが、そこだけ陽を受けているかのように薄あかるく映えていた。何者かの手で大きく削り取られたような、痛々しく迫力のある山容である。
1888年(明治21年)の大噴火の際に、小磐梯と呼ばれていた峰が吹き飛ばされた。その跡がそのまま残されたのだという。その時の岩なだれによって分断されて出来たのが、大小さまざまな湖沼群で、その数は30個余りにもなると、五色沼の案内板の説明で知った。
沼の複雑な色あいは、水に含まれる特殊な鉱物質の成分や水草によるものらしい。沼は生き物のように色を変える。

実は以前にもいちど、この地を車で訪れたことがある。
ちょうどお盆のときで、宿はどこも満杯だった。宿探しだけで夜になり、とうとう沼を見ることもできずに引き返した苦い思い出がある。
そのとき幾度も仰ぎみた、磐梯山の異様なというか、それゆえに美しい姿だけは強く印象に残っていた。
あれから何年がたっているだろう。忘れるほどの年月の間にも、その山は変わらずにあった。梅雨空のせいで山の全容は見られなかったが、大きく崩落した山の傷跡が、ぼくの古い記憶にぴったり合致して懐かしかった。
今回はひとつの沼だけだったが、それゆえ沼の大気と匂いをゆっくり呼吸でき、山と水に彩られた東北という風土の記憶が、いちだんと濃くなったように感じる。

やはり、そこに磐梯山という火山があっての、五色沼の存在だった。
雲の下で、沼は控えめに色を貯えていた。さらに太陽の光が注がれれば、どんな色あいが浮かび上がってくるのだろうか。あれこれ想像しているうちに、心のなかの沼の色はさまざまに変幻しつづけるのだった。





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