風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ひとさし指の先に在るもの

2024年02月04日 | 「2024 風のファミリー」

 

ほら、あそこにと言って、ひとさし指で何かをさし示すとき、自分の指先が、ふと父の指先に見えることがある。そのときの自分の手に、父の手を見ているような錯覚をする。歳を重ねて親の手に似てきたということだろうか。
この感覚は、咳払いをするときなどにも感じることがある。もちろん父の咳払いは、私のものよりも勢いがあり、父の手は私の手よりも大きかった。
背丈も父のほうが高く、成人した私よりも1センチ高かった。体形は痩身であったが、私のように華奢ではなく、骨太で背筋もまっすぐ伸びていた。足も私の足よりも大きく、父の靴を見るたびに、私は劣等感を味わった。父の靴はいつも、私の靴を威圧していたのだ。

子供の頃は、父の大きな声が怖かった。
私を呼ぶ父の声が、今でもときおり聞こえてきて、私は思わず緊張してしまうことがある。もう父の声はこの世には存在しないのだが、私の記憶の中で叫び声は続いているのだ。
「泣いてはいかん」という声が聞こえる。「なんでも食べろ」「文句を言うな」「もっと早くしろ」などと、父は叫び続けるのである。
泣き虫で気の弱い少年の背中に、父の大きな声が叱咤してくるので、急ぐ必要のないことまで、急かされているように、つい足早になってしまう。

私は18歳で家を出て、父の手から離れることができたが、その後もずっと、父の声から逃れることはできなかった。何かを始めようとすると、しばしば父の声が聞こえてくるのだった。
父は86歳で死んだが、その死に方も潔かった。その前夜、父はきれいに髭を剃って寝た。そして、そのまま目覚めることがなかった。ひとつ布団で寝ていた母も気付かず、誰も知らない間に、静かに黄泉の国へと旅立っていたのだ。
私は死に方においても、もはや父を凌駕することはできない気がした。最後の最後に父を超えるには、もう腹を切るしかないのである。

父は80歳で店の看板を下ろした。私は60歳で力尽きて仕事を放棄した。稼ぐことにおいても、私は20年のハンデを負ってしまった。
この20年はハンデか猶予か、なんとかして父に追いつこうと思ったり、父の影を振り払おうとしたりしてきたが、この頃になって、私の手が父の手にそっくりになってきたのを知った。何かをさし示す私のひとさし指が、父のひとさし指に見えたりするようになったのだ。
何かを指さしながら、はっとして自分のひとさし指を見つめてしまう。それは真に私の指先か、いや父のひとさし指ではないか、子どもの頃に見ていた父の手がそこにあり、父のひとさし指がそこにある。その先の何かをさし示している指は、父の指か私の指か分からなくなることがある。


「2024 風のファミリー」




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