風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

なにわの水を生きる

2016年09月19日 | 「新詩集2016」


  水を飲む

空っぽのペットボトルになって
朝の瞑想をする
この夏もいっぱい
琵琶湖の水を飲んだ
大きな川となって
小さな流れとなって
ぼくの空っぽは満たされていく

ただの水道水を飲んでいるのだが
琵琶湖の水を飲んでるんだと思うことがある
琵琶湖の水は瀬田川から宇治川へ
そして淀川となって大阪湾に流れ込んでいる
その途中で取水され浄化されたものが
水道管を通ってわが家まで来る
それを蛇口から頂戴する

でっかい水がめを取り囲む比叡の連なりをおもう
青い山に分け入る山頭火のように
へうへうとして水を味わう
そのとき水はただの水ではなくなる
琵琶湖に棲む生き物たちと水を分け合っている
魚たちが口に含み吐き出した水を飲んでいる
水が体の中をくぐり体が水の中をくぐって
ぼくも魚になる

湖も深呼吸をするという
比叡の冷たい風と水が湖底に流れこみ
深層部の澱んだ水が巻きあがる
湖水は山の酸素とおいしくカクテルされ
湖も魚も蘇生する
湖が呼吸できないと魚も窒息する
ときに湖面は白い腹をみせて
魚たちの涙のうみになることがある
そんな日の水はまずい

*

  坂の上には空がある

いくつも小さな山があった
山は削られ街になった
山の古いかたちも残ったので
新しい街は坂が多い
ぼくは坂の途中に住んでいる
坂の上には駅とスーパーがある
そこは一日が始まるところでもあり
終わるところでもある
坂の下には古い神社と田んぼがある
畦道は古代の風景に続いている

茅淳県陶邑(ちぬのあがたすえむら)と呼ばれた村
陶邑(すえむら)とは陶器(須恵器)を焼く村のことらしい
毎朝ぼくは石段を上ってウォーキングをする
その脇の斜面に古代の窯跡がある
かつて須恵器を焼く煙が立ちのぼっていたという
近くには陶器山という山があり陶器川という川がある
ぼくは石段を上って縄文のドングリをひろい
枯木を拾って弥生人のふりをしてみる
新しい一日が古い一日から始まることもある

過ぎた日のいつか
父と近くの山で赤土を掘った
金木犀の庭をつぶし
父は土をこねて小さなかまどを作った
その頃の父は強くて恐ろしくて弥生人だった
かまどの薪をうまく燃せないぼくは
泣きながら穴倉をとび出した
あれが父とのいちどきりの共同作業だったかもしれない
いまではかまどの家も父も古い一日となった

新しい一日はゆっくり始めたい
いつも急(せ)かされながら生きてきた
急(せ)いて急(せ)きまへんとは
せっかちな大阪人の口ぐせだ
急きまへんと言いながら急かしているのだ
なぜそんなに急かすのかわからない
急げばミスが起きる
まちがいは直さねばならない
直せば直すほど急いだことが無駄になる
ずいぶん無駄ばかりしたもんだ
そんな古い夢はすてて新しくしたい

坂をのぼって一日がはじまる
坂の上には空がある
だが急いでも
空までは行けない

*

  てっぽう

とうにもう
枯野の向こうに行きやったけど
おれに初めてフグを食わしてくれたんは
おんじゃん(おじいちゃん)やった

唇がぴりぴりしたら言わなあかんで
フグの毒がまわったゆうことやさかいにな
おれはフグの味なんか
ちっともわからへんかった

まるでフグみたいに
喋るまえに口をぱくぱくする
おんじゃんの言葉は財布とおんなじで
いつも腹巻のどんづまりに入っとったんや
言葉が出てくるかゼニが出てくるか
そんな腹巻は好きやったけど

おれたちは引きこもりやった
おんじゃんは関節と入れ歯ががたがたで
おれは背骨と前頭葉がばらばらやった

朝おきて顔をあろうて飯食うて
などと五七調で口ずさんだりしてると
おんじゃんの顔が宗匠づらになる
われはあほか
俳句には季語ゆうもんがないとあかんのや
春には春の秋には秋の
花が咲くやろ
ほんな季節のもんを添えたらんかいな

春夏秋冬
おれにはただのんべんだらりの
暑い日と寒い日があるだけやった
そやから仏さんのような俳句なんぞは
腹巻の中へつっ返してやった
がっかりした宗匠はきんたまかきながら
口をぱくぱくしとったもんや

五七五や
たったの十七文字や
われはそんなんもでけへんのか
大根でも切るように
おんじゃんは言葉をきっちり揃えようとしとった
切って削って五七五にして
だんだん言葉が少のうなってゆく
口ばかりぱくぱくやっても
言葉なんか泡ぶくみたいなもんや
とうとう俳句ふたつぶんくらいしか喋べれなくなった
それがおんじゃんの一日や
そしておれの一日も似たようなもんやった

唇がぴりぴりしたら
そのあとどうなるんやろう
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
ついには盗作やらかして
おんじゃんを怒らしてしもうた
われはあほか芭蕉も知らへんのか
そうだよ枯野をかけ廻っていたんや
おんじゃんの夢もおれの夢も
それから四日後におんじゃんが死ぬなんて
あほな頭じゃ考えられへんかった

おんじゃんは
辞世の句も残さへんかった
もちろん
フグの毒にあたったんでもなかった





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