風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

<2024 風のファミリー>残されて在るものは

2024年01月01日 | 「2024 風のファミリー」

 

いま私は3畳の狭い部屋に閉じこもって日々を送っている。
かといって、世間の壁と折り合えずに閉じこもっているわけではない。どちらかと言えば、世間に見放されて閉じこもっている、あるいは自分勝手に閉じこもっている、と言った方がいいかもしれない。
そんな人間だから、いつのまにか、うちのカミさんとの間にも間仕切りのようなものが出来てしまっている。小さな家の中で無益な諍いを避けるため、お互いに干渉しあわなくてもすむように、それぞれが身に付けてきた知恵で、自然にこういう形に収まったということだろうか。いまのところ、この狭い空間の住み心地は悪くない。

以前は、カミさんが洗濯物を干すためにベランダに出るとき、私の部屋をまるで廊下のように通り過ぎるのが気になっていた。洗濯や料理や掃除など家事で忙しく動き回っている身には、私のやっていることなどは、単なる時間つぶしの遊びに過ぎないのだ。遊んでないで勉強しなさい、と言われる子供の気持ちがよくわかった。
そこで私は洗濯物を干す役割を引き受けることにした。洗濯機の仕上がりのブザーが鳴ると、やおら洗面所に駆けつける。駆けつけるとは大げさで、実際は引き戸を1枚開けるだけのことである。そして私は洗濯物をベランダに運んで竿にかける。これで私の部屋は乱されることがなくなり、余計な気遣いも減った。

ふたたび私の個室にもどる。ガラス戸の外で、私の干したシャツやパンツが風に揺れているのを見つめながら、私は詩を書いたり古い日記を整理したりしてきた。このような生活に今のところ満足している。
ところで私が整理してきた日記というのは、16歳から25歳くらいまでの間に書き残したものだが、その頃、私は詩や小説を書く生活に憧れていた。それ以前は読書が好きだったというのでもないから、なんら文学的な関心や素養があったわけでもない。むしろ小・中学生の頃は、手塚治虫や馬場のぼるにハガキを出したりするほどの漫画少年だった。
ところが、福永武彦の小説を読んでから漫画を離れた。かなり感傷的な色に染まりはじめていた私の創造世界を、漫画で表現することは難しいと思ったのだった。いま考えてみれば、たんに私の描画力が未熟だっただけなのだ。
結局は自分のイメージを文章で表現することもできず、思うように言葉を綴れない鬱屈した気持を、ただ日記帳に吐き出していたようだ。25歳で私の日記は終わり、その後ふたたび日記帳を開くことはなかった。それは書くこと、すなわち文学世界との長い決別でもあった。
結婚をして子供が生まれ、生計に追われる、ごく普通の生活が続いた。家庭生活や仕事にもある程度満足した。その結果として、今の生活があることを思えば、それなりに納得できる人生だったかもしれない。いろいろと変化をもたらしてくれる子どもや孫たちにも恵まれた。

それはそれとして、なぜまたカビ臭い日記を引っぱり出すことになったかというと、興味本位で始めたホームページの穴埋めに、古い日記でもアップしようとデータ化を始めたのが動機だった。作業は順調に進んだ。だが21歳から22歳の頃の日記になって、なぜかキーボードを打つ手が進まなくなった。
私はその頃も、今と同じように3畳の部屋に閉じこもっていたのだ。早稲田鶴巻町の東京の空を眺めながら、周りも見えず、将来も見えず、自分自身のこともよく見えず、悶々として日々を送っていた様子が、日記帳のどのページからも蘇ってきた。
私にはさまざまな劣等感があった。体が痩せていること、貧乏であること、東京の人間でないこと、親友も少なく恋人もいないこと、実存主義が理解できないこと、ひとを楽しませる会話ができないこと、数えればきりがないほどだった。
そんな私は何に支えられていたのだろうか。あるかないか判然としない将来の夢だったのだろうか。判然としないから、それは夢であり続けることができたのだろうか。それが若さというものだったのだろうか。

3畳一間の下宿の窓から外を眺めていた孤独な私と、いまベランダの洗濯物を眺めている私との間には、気の遠くなるほどの歳月が横たわっている。その間に世の中は大きく変わった。まるで価値観が裏返しになったように一変したのだ。
東京の空はいつも薄曇っていた。スモッグで靄っている風景は、繁栄の象徴と見られていた。若者は都会に憧れた。食生活は貧しく、体格も貧相だった。常に栄養価の高い食品をとるように気を付けなければならなかった。アメリカでは道端に自動車や冷蔵庫が捨てられていると聞いた。そんな話などとても信じることができないほど、日本は小さな貧しい国だった。日本人はアメリカやヨーロッパに憧れた。
そして変わった。いまや一歩外にでると道路は車が溢れている。少し山道に入ると、道端に古い車が捨てられている。テレビや洗濯機も捨てられている。現代人は物を捨てることに苦労している。
食べ物も捨てられる。飽食の時代である。太りすぎた人も痩せた人も いかに栄養価の低い食品を摂取するかに苦心している。

そして私も変わった。肩がこりやすくなった。目が疲れやすくなった。さまざまな限界がみえるようになった。悪あがきをすることが少なくなった。残された時間を気にするようになった。古い日記帳は閉じた。古い自分と決別することにした。いま私の前途に、どれほどの可能性が残されているのかはわからない。先が見えないのは、若かった日も今も変わらない。ただ、これから歩いていく道は、おそらく1本くらいしかないだろう。そう思うと気楽でもある。この1本の道の先に、どんなものが残されて在るのか。不確かな希望があり、不確かな不安もある。いま窓の外では、私の抜け殻が風に揺れている。

 

本年もよろしく



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