風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

秋の夕やけに鎌を研ぐひと

2022年09月22日 | 「詩エッセイ2022」



きょうの夕焼けは 空が燃えているようだった よく乾燥した 薄い紙のような雲に 誰が火を点けたのか 激しく静かに燃えている 炎の広がりに染っていると どこか空の遠くから 秋の夕やけ鎌をとげ と叫ぶ祖父の声が聞こえてくる 夕焼けした翌日は晴れる 祖父は稲刈りをする 鎌をとぐ祖父は百姓だった 重たい木の引き戸を開ける 薄暗い家の中に入ると その家だけの土壁の匂い 踏み固められた土間が 風呂場と台所に続いている 脱衣所でもある納戸には 足踏みの石臼が埋まっていて 夕方になると祖母が いつも玄米を搗いている 片足で太い杵棒を踏みながら 片手は壁で体を支えているが その壁の一角には 鎌や鍬が並んで架かっている それらはずっとそのままで 祖父に聞いた話だが 祖父のさらに祖父は 刀で薪を割っていたという どんな生き様の人だったか 面白いが想像もつかない 名前はたしか新左衛門といい シンザさんと呼ばれ その呼称が屋号として残り ぼくの父が子どもの頃でもまだ シンザさんとこの子などと 近所では呼ばれていたという そのシンザさんとこの悪ガキは 家の障子やふすまに ところかまわず落書きをする 祖父がいくら叱りつけても止めない 逃げ足も速いが描くのも速い よくよく見ると 子どもながらも面白い絵で ついには祖父も 叱るのを諦めたという 悪がきの僕の父は 学校もろくろく行かず 次男坊だったので 船場に丁稚に出されてしまい 其処で商人としての 父の人生が決まったようだ 僕が子どもの頃にいちどだけ 父が絵を画いたのを見たことがある 白い画用紙のまん中に 大きな赤いかたまりがあった それは何なのかと聞くと 父は岩だと言った そんな赤い岩があるのかと聞くと 夕焼けに石が燃えているのだ と父は言った 九州の田舎を行商していた その折に見た光景だったのだろう 子どもの前で父が絵を画いたのは それがいちどだけだった 金儲けに忙しい商人に 絵を画いたりする暇はなかった 小学生の時から僕は ソロバン教室に通わされ 夜は店を閉めたあとに 父の帳簿付けの計算をさせられた ソロバンを弾いたのも 父の商売を手伝ったのも それだけしかない 高校を卒業すると息子は ソロバンを捨てて家を出た 人あしらいのうまい父の才覚が 息子にはないことを父も よく知っていたのだろう 父は80歳で店を閉め それから6年後に死んだ ときどき自分の店の前で ぼんやり西の空を眺めている そんな父を見かけたことがある ひとは普段ほとんど 空の存在など忘れている 空に語りかけたりもしない 誰にもふり向かれなかった空の 夕焼けは1日の名残りの 静かな叫びなのかもしれない 百姓の祖父も死に 商人の父も居なくなって あとには シンザさんとこの 夕焼けだけが残っている お~い鎌をとげよう と誰かが叫んでいる夕焼けだ だが今では シンザさんとこに 稲刈りする百姓はいない 鎌をとぐ者ももう居ない




自作詩「弔辞」

 

 

 


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