風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

河童の話もあったけれど

2016年11月03日 | 「新詩集2016」


  河童

久しぶりに親父に会った
釣ったばかりの岩魚をぶらさげて
山道を下りてくる
いつかの夢の河童に似ていた

秋になると
川から山へ帰ってゆく河童を
村人はセコと呼んだそうだ
親父とはあまり話をしたことがない
河童のことも
俺にはよくわからないのだった

親父は俺よりも2センチ背が高い
肩幅も広いし脚も長い
草の匂いと水の匂いがした
きっと人間の臭いも親父のほうが濃い

おふくろは河童を嫌っていた
親父は河童に毛まで抜かれてしまったという
腐った鯖のはらわたで団子をこねて
そっと夜釣りに出かける
川には尻(けつ)の穴を吸いにくる河童がいるらしい

雨あがりの山道には
牛の足跡の水たまりになんと
千匹もの河童の目が光っていたという
そんなものを見た村人はもういない
じつは親父もとっくに死んでいる

頭のはげたセコの話をすると
老いた雌の河童が泣くという
親父とはもっと
だいじな話をしたかった

*

  弔辞

父が商人になったきっかけは
から芋の蔓だったのです
長男だった私は
そんなことを弔辞で述べた
そばで母や妹たちのすすり泣きが聞こえた

その前夜
父はきれいに髭を剃ってねた
どこかへ出かける予定があったのだろう
だがそれきり
目覚めることはなかった

春浅い夜ふけ
寝かされた父を家族がとり囲んだ
寒いので布団に手足をそっと入れる
体に触れると
凍った人の冷たさがあった

から芋の蔓が
大切な食料だった時代
田舎家で金銭のやりとりがあったのだろう
父はそのことを息子に話した
金を儲けることは楽しい
商売は一番だと

冬は練炭火鉢
夏はお中元売り出しの団扇
父は店でひとり
野球放送を聴きながら釣竿をいじっている
から芋で釣れる魚もいるそうだ

雑炊とから芋の蔓のまずさを
私はすこしだけ知っている
けれどもついに
から芋の蔓の育て方と
それをお金に変える方法は知らなかった

たまに私が家に帰るとき
そして家を離れるとき
西日を避けるための大きな暖簾の前で
父はぼんやり立っていた
視線の先には私があり橋があり駅があった

真面目に真剣にやらなければ
勝つことはできない
それは父が息子に教えた
釣りとパチンコの必勝法だったが
いまだ私は勝ったことがない

*

  

父のポケットに
ときどき手を入れてみたくなる
そんな子どもだった

なにもないのに
なにかを探してしまう
背のびしても届かない
指の先がやっと届きそうになって
もう父はいなかった

七年ぶりに
父の洋服ダンスを開けた
背広を着てみたがどれも窮屈だった
いつからぼくよりも
小さくなってしまったのだろう
上衣の胸ポケットから
枯れたもみじの葉っぱが出てきた
置きわすれていた
小さな手のようだった

この頃は
なにかを掴もうとする手が
父の手にみえてしまう
落葉をひろい
風におよぐ手が
秋のポケットをさがしている




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