いまは6月の風が吹いている。空がどんなに晴れ渡っていても、風はすこし湿っている。そんな6月、空にはときどき太陽があった。雲もあった。ときには羽をひろげた鳥や虫たちが、濡れそぽった空を泳ぐように飛翔していた。
私は中学生だった。
あるとき、雲の存在が急に近くなった。毎日きまった時間に空を見上げ、雲の様子をじっと見つめた。雲の形と色を、灰色のクレパスでノートに描き写す。雲の日記だった。
写しとってみると、それは雲ではなかった。雲は手に取ることも確かめることもできない。正確に写しとったつもりでも、ノートの雲はまるで別物だった。私の描写力が未熟だったこともあるが、とても雲には見えなかった。
刻々と姿を変えていく雲に追いつくこともできなかった。目には見えないものが雲を動かしているのだった。ものの本当の姿を捉えようとすることは、とても難しいことだと知った。
その頃の私は、特定の女子を好きになることがあった。ときどき頭の芯や胸の奥が熱くなって、とりとめもなく膨らんでくるものを、吐き出したり吸い込んだりしなければならない。それは忙しげな呼吸のようなものだった。音にも言葉にもならない、自分でも捉えがたい想いが動いているのだった。
そんな曖昧な心の衝動を表すことや、それを誰かに伝えることなど、私にはまだできなかった。なにかが、私の体の中を渦巻き吹き抜けていく。それは甘い薫りをはこんでくる、6月の風みたいなものだったかもしれない。
そんな時はハーモニカを吹いた。
ハーモニカは吐く息と吸う息の呼吸が音になる楽器であり、呼吸はまだ言葉にならない胸の中の想いのようなものだった。ハーモニカに息の風を吹き込んでいると、いつしかもっと大きな風につつまれていく。呼吸と風が一体になって、見えない想いが音になって広がっていき、その中をさ迷っているのが快感だった。
風の中を突き進んでいるのか、体の中を風が吹き抜けていくのか分からなかったけれど、風もまた呼吸をしているようだった。どこかで甘い果実を齧ってきた風の息を感じた。6月は、さまざまな樹木にさまざまな実が熟していく季節でもあったのだ。
ハーモニカを吹かなくなって久しい。いくつものため息のあとに、いままた大きく息を吸い込む。この6月の朝の風が、ふたたび果実のように甘くなった。
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しばらくは試行中ですが、引き続きよろしくお願いします。