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風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

6月の風が吹いている

2025年06月07日 | 「2025 風のファミリー」



いまは6月の風が吹いている。空がどんなに晴れ渡っていても、風はすこし湿っている。そんな6月、空にはときどき太陽があった。雲もあった。ときには羽をひろげた鳥や虫たちが、濡れそぽった空を泳ぐように飛翔していた。
私は中学生だった。
あるとき、雲の存在が急に近くなった。毎日きまった時間に空を見上げ、雲の様子をじっと見つめた。雲の形と色を、灰色のクレパスでノートに描き写す。雲の日記だった。

写しとってみると、それは雲ではなかった。雲は手に取ることも確かめることもできない。正確に写しとったつもりでも、ノートの雲はまるで別物だった。私の描写力が未熟だったこともあるが、とても雲には見えなかった。
刻々と姿を変えていく雲に追いつくこともできなかった。目には見えないものが雲を動かしているのだった。ものの本当の姿を捉えようとすることは、とても難しいことだと知った。

その頃の私は、特定の女子を好きになることがあった。ときどき頭の芯や胸の奥が熱くなって、とりとめもなく膨らんでくるものを、吐き出したり吸い込んだりしなければならない。それは忙しげな呼吸のようなものだった。音にも言葉にもならない、自分でも捉えがたい想いが動いているのだった。
そんな曖昧な心の衝動を表すことや、それを誰かに伝えることなど、私にはまだできなかった。なにかが、私の体の中を渦巻き吹き抜けていく。それは甘い薫りをはこんでくる、6月の風みたいなものだったかもしれない。

そんな時はハーモニカを吹いた。
ハーモニカは吐く息と吸う息の呼吸が音になる楽器であり、呼吸はまだ言葉にならない胸の中の想いのようなものだった。ハーモニカに息の風を吹き込んでいると、いつしかもっと大きな風につつまれていく。呼吸と風が一体になって、見えない想いが音になって広がっていき、その中をさ迷っているのが快感だった。

風の中を突き進んでいるのか、体の中を風が吹き抜けていくのか分からなかったけれど、風もまた呼吸をしているようだった。どこかで甘い果実を齧ってきた風の息を感じた。6月は、さまざまな樹木にさまざまな実が熟していく季節でもあったのだ。
ハーモニカを吹かなくなって久しい。いくつものため息のあとに、いままた大きく息を吸い込む。この6月の朝の風が、ふたたび果実のように甘くなった。




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メタモルフォーゼ

2025年05月29日 | 「2025 風のファミリー」



いつも言葉のことが頭にある。言葉で考えて、言葉で自分を表現する。言葉でひととコミュニケートする。言葉を並べて文ができる、詩ができる。メールも送信できる。だが、言葉を操ることは簡単ではない。言葉は楽しませてくれるが、悩ませてもくれる。
言葉を選ぶ。衣装のように着たり脱いだりする。なかなか自分の体にフィットしない。私は自分のことを、気分が比較的安定した人間だと思っている。感情のさざ波は常に立っているが大荒れすることはない。けれども、とつぜん自分というものを捨てたくなることがある。
着膨れしたように、体の動きが不自由になっていたり、袋小路に追い詰められているように感じることがある。くるりと方向転換したり、もっと身軽になるために着ているものを脱ぎ捨てたくなる。

これは自分ではない、と思う。玉葱のように、皮だか実だか分からないものを、一枚一枚はいでいこうとする。というような冷静なものでもない。足掻いているといった方がいいかもしれない。ほんとうは泣き叫びたい心境なのだ。
子どもの頃の記憶と感覚が蘇ってくる。いい子だなんて言われたくない。とつぜん悪い子に変身したくなって、駄々をこねて泣き叫ぶ。自分でもよく分からないが急にそうしたくなる。まわりの大人たちは大いに面食らう。けれども、子どもをそうさせる何かが、小さな体の中には起きている。子どもの言葉が、それを説明できないだけなのだろう。きっと言葉が追いつかない未知の感情が昂ぶっているのだ。

大人になった私は、言葉をたくさん憶えた。だが、私はときどき自分のもっている言葉の外に放り出される。というか、自分を言葉で説明するのが嫌になる。自分で説明できない自分になりたくなる。体につけているものを、自分が着ているものを、きちんと言葉で認識しながら生きている、そんな大人の生き方にうんざりする。
裸になりたいのだ。着ているものを一枚ずつ脱ぎ捨てて、最後に裸になる。だが、裸になるということは簡単なことではない。玉葱のように脱ぎ捨てたあとには何も残らないかもしれない。

泣き叫んだあとに、何もない自分が立っているかもしれない。それもさみしいことだ。あるいは何も変わらない自分が立っている。それもがっかりだ。
本当はほんの少しでも、新しくなった自分がそこにいて欲しいのだ。何もなかったら、それを形容する言葉も見つからないだろう。その結果、私はまた新しい言葉を探さなければならないことになる。それもまた、いいかもしれないし、それが望むところかもしれない。だが、なかなかそこへもたどり着けそうにない。
古くなった言葉の殻を脱ぎ捨てて裸になる。そこから、知らないもうひとりの自分が生まれてくる、そんなことを期待する。




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光る言葉を追いながら

2025年05月26日 | 「2025 風のファミリー」



東京の夜空に文字が光り、点滅しながら流れていた。その光景をはじめて見たのはいつだっただろうか。
まだ都会の生活に慣れていなかった私には、言葉が空から降ってくるような感動があった。その電光掲示板は何かのニュースを伝えていたのだろうが、私はただ、光となって静かに流れている不思議な文字に見とれていた。
そして、電光掲示板の文字のように、あれから長い歳月が流れていった。私はいま、液晶画面の光る文字を追いつづけている。日々、小さな感動を味わいながら、パソコンで言葉を綴ることができるのは、はじめて見た電光掲示板の光る文字の感動を、知らないうちに追体験しているのかもしれない。

長いあいだ、パソコンを使って仕事をしてきた。
当初はフォントも少なく、日本語の変換も容易ではなかった。パソコンで言葉を操作することは、とてもしんどい作業だった。モニターに写る言葉や図形が、どうしてもこちらの意図とずれてしまう。つねに苛立ちや不安があった。
パソコンで使えるフォントの数や種類も十分ではなく、描画ソフトを駆使しながら苦労して手作りすることもあった。文字をバラしたり繋いだりする作業は面倒ではあったが、あらためて文字の形を見直すことがあったりして、私にとっては驚きや喜びでもあった。その過程で、文字(言葉)というものがより身近なものになったといえる。

その後、パソコンもずいぶん普及して使いやすくなった。そんなことまでやってくれるのかと驚くほどの進化だ。
そして今では、すっかりその優しさに甘えてしまっている。いちいち辞書を引かなくても言葉はでてくる。ややこしい筆順も読み方もスルーできる。だが、うっかりしていると誤変換で裏切られるおそれはある。その緊張感でかえって、言葉と真剣に向き合うことになっているかもしれない。

さまざまに形や色を変えながら、光の文字は躍動する。
パソコンやスマホで言葉を伝えていると、言葉が光に近くなったように感じる。長年ネットと関わってきながら、さほど速さを求めていたわけでもないが、物事を伝達するスピードは格段に速くなった。
最近は、もっぱらネット上のブログに雑文や詩をアップすることを続けているが、私の場合、キーボードで文字を打つ時間のほうが長い。そして出来上がった言葉の塊をネット上に放り出すのは一瞬だ。ただその時に、無明の中で私の発した言葉が輝いてくれればいい。そんな光の幻想をいつも抱いてしまう。

そのときの言葉とは、光なのだろうか。
それとも、光と影の中間に立っている木のようなものなのだろうか。光がなければ影もない。木はたんなる一本の木にすぎない。
やはり言葉にも光が当たってこそ、その存在が輝くのだろう。自分の発した言葉が、なんの反応もなく消えてしまうのは虚しい。
いつのまにか、光る文字や言葉を追いながら、その流れる中にどっぷりと浸ってしまっている。気がつけば、時間や歳月の流れも光のように速かった。

 


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どこかで川が流れている

2025年05月19日 | 「2025 風のファミリー」



子供の頃、大きな木には神様が宿っていると聞かされたことがある。
大きな木の肌に耳をつけると、神様の声が聞こえるという。そのようにして、いちどだけ神様の声を聞いたことがある。言葉はわからない。ただ川が流れているような音だった。

いまでも夜中にふと目覚めたとき、川が流れるような水音を聞くことがある。子供の頃の古い感覚が耳元にもどってくる。神様ではないかも知れないが、私を超えたものの存在の、音にならない音、言葉にならない言葉のささやきに、つい耳をすましてしまう。

水が流れている。木の葉が流れてくる。
いつの間にか夢の中にいて、葉っぱの1枚1枚が言葉に変わっていく。拾いあげて並べると、詩のようなかたちになっている。躊躇いもなく抵抗もなく、流れを受け入れていく心地よさ。
川が流れる音とは、眠りへと誘われていく、あるいは眠りから覚醒していく、音楽のようなものだったのだろうか。目覚めると夢と同じ、木の葉1枚すら残ってはいないが。

水や木の葉が言葉になるとき、睡眠と覚醒のあいだを流れていたものは何だったのか。それこそが真実の言葉だったのだろうか。だとすれば、そのような言葉を掴みとることは容易ではない。そこには、虚と実を分ける薄い皮膜のようなものがあるのだろうか。
目覚めたのち、耳をすまし目を凝らしてもみても、そこにはただ夢の跡を細い川が流れているだけだ。


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名もない花よりも

2025年05月15日 | 「2025 風のファミリー」



近くの公園で、黄色い花が咲き誇っている。以前は名前があったが、いまはない。といっても、それはぼくだけの認識にすぎないのだが。
その花には名札があった。そして名前があった。たしか、ギリシャ神話の女神のような名前だった。誰かのいたずらで、いつのまにか名札がなくなってしまった。あまりに長い名前だったので、私は覚えることができなかった。だから、名札がなくなると同時に、名前もなくなってしまったのだった。

もちろん、花は名前があろうがなかろうが関係なく咲いている。私だけがその花の名前を失って、私のなかで、その花の存在をあやふやにしているにすぎない。
名前といえば、私にはネットで使う名前がある。日常生活では通用しない名前だが、ネットでは、その名前がないと私は存在しないことになる。いや、名前があるだけでは駄目なのだ。なんらかの言葉を発信しないかぎり、誰も立ち止まってはくれない。言葉を発したときにだけ、私の名前は存在し、それに付随して、たぶん、私も存在していることになる。

言葉というものが、どれだけのことを伝えることができるものか、私にはよく分からない。けれどもネットでは、言葉以外にコミュニケートする手段がないと思い込んでいる。もちろんイラストや写真、顔文字やスタンプなどでも伝達はできる。言葉の不十分な部分を視覚的に補うことはできるだろう。だがそれは、単なる情報になりがちだ。私的な意思や感情を伝えるのはかなり難しい。言葉の直接性には及ばないと思う。

私の場合、詩と散文で言葉を発信してきた。以前は詩のほうが多かった。だが最近はほとんど散文での表現になっている。詩と散文、このふたつにどんな違いがあるのか、ずっと考えている。考えているばかりで、まだはっきりとは解らない。旅の記録を書いても詩になってしまう時期もあった。いまは詩を書きたいと思っても散文になってしまう。
詩モードと散文モードというものがあって、その切り替えのスイッチが、うまく作動できていないのかもしれない。

詩も散文も言葉を介在する。しかし、言葉を超えたところに詩は存在し、言葉に留めたところに散文は存在する。そんな気もしている。
名もない花を、名もないままに見る。咲いているものを咲いているままに見る。花のこころを受けて、情感のスイッチが切り替わるとき、そこからどんな言葉を拾いだしたらいいのか迷う。
ネットでの、私の名前は花よりも軽い。黙って咲いていることはできない。ひたすら言葉を発信しなければ、私の名前は存在しない。ネットは夜の闇のようなものだ。蛍のように、光を放ったときだけ存在する。ただ咲いている、名もない花に及ばない。

 

 

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