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風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

あはれ魚になる季節

2016年08月18日 | 「新詩集2016」


  夏の魚となって

醒めきらないままの
コップのなかに残された朝と
水を分けあう
ゆっくり水際を泳いでゆこうとする
小さな魚がみえる
夏のはじまり

草となり
ただ草となる
それだけの夏があることを
魚は知らない
水となり
ただ水となった魚は
水上の雲を砕かんとして
空へはじける
一瞬の夏を残して

*

  秋の魚あはれ

朱色の葉っぱを頭にのせて
セコと呼ばれる河童が
川から山へと帰っていく季節だった
その道を
山から川へと帰っていく人もいた
その人は一枚の葉っぱが
魚に変身するのを見たという
美しい魚だった

エノキの葉っぱが魚になったので
エノハと名付けられた

川瀬の激しい落ち込みに
大きく竿を振って瀬虫を放りこむ
手元にぐぐっとくる動きを引き上げる
痺れたように身をふるわせて
あはれ銀色の魚体が
宙をおよぐ

一瞬の秋が落ちた
そのとき
釣り人の手に残されたのは
色あざやかな
一枚の葉っぱだった

*

  ゆうがたの魚

ゆうがた
ひとびとの背がかなしい
ひとびとの背を超えてゆく
魚がかなしい

幻の水をしなやかに
幻の魚がおよぐ
ひろがってゆく無数の波紋
空と水を分けて
とつじょ失踪する魚の群れ

そのとき
満ちてくるものの
魚が超えるかなしみの深さへ
いそぎ帰るひとびとの
背中の水がかなしい

*

  魚になる季節

魚になろうって
きみが言ったから
ふたりは全裸になって
水になった
魚になった

重たい水を押しひらく
きみの顔が泡つぶだらけで
いぼのある恐い魚にみえた
きみはわたしの足をつかんだまま
なかなか離してくれない
わたしは水を飲んで死にそうで
いくども息がつまった

弱った魚になって
ふたりは岸にあがり風を吸った
きみのおちんちんは小さくてまっすぐ
わたしは固くなった乳首がくすぐったい
きみはオスでわたしはメス
魚のような青いひらめきをした

膨らみかけたわたしの胸をみて
きみの目は泳いでいた
その時からきみは
魚になろうなんて言わなくなった
弱虫のきみは川をすて
わたしはたぶん
きみよりも強くなった
わたしは今でも
その川のそばで暮らしている

あれからいちどだけ
わたしは魚になったことがある
わたしのまわりのすべて
草のいろも花のいろも失われ
苦しくて苦しくて
わたしの小さな魚たちが
あぶくになって散っていくのを
ただじっと見つめていた





風の国から

2016年08月10日 | 「新詩集2016」

  風のことば

西へと
みじかい眠りを繋ぎながら
渦潮の海をわたって
風のくにへ

古い記憶をなぞるように
活火山はゆたかな放物線で
懐かしい風の声を
伝えてくる

空は雲のためにあった
夏の一日をかけて
雲はひたすら膨らみつづけ
やがて空になった

ぼくは夏草の中へ
草はそよいで
ぼくの中で風になった
風には言葉がなかった

洞窟のキリシタンのように
とつとつと言葉を風におくる
ゼウスのように
風も姿がなかった

風のくにでは
生者よりも死者のほうが多い
明るすぎる山の尾根で
みんな石になって眠っていた

迎え火を焚いて
家の中が賑やかになった
古いひとびとは
古い言葉をつかった

声が遠いと母がぼやく
耳の中に豆粒が入っていると
同じことばかり言うので
子供らも耳の中に豆粒を入れた

ひぐらしの声で一日が明けて
ひぐらしの声で一日が暮れた
翅は青く透きとおり
せみの腹は空っぽだった

送り火を焚くと
ひとつずつ夏が終る
耳の中の豆粒を取り出すと
母の読経が聞こえた

きょうは目が痛いと母が言う
きのうは眩暈がし
おとといは便秘じゃった
薬が多すぎて配分がわからない

母の目薬は探せないまま
いくつもトンネルをくぐり抜けて
ぼくはまた船に乗る
とうとう風の言葉は聞けなかった

*


  隠れキリシタン

ペトロ・パウロ・ナバロさま
フランシスコ・ボリドリノさま
異国の方のお顔とお名前の見分けが
いまだワタクシには出来ませぬ
アイタタタアイタタタ アーメン
ワタクシの病んだ骨はどうなりますじゃろ
骨と骨がこすれあうと
老いた骨は悲鳴をあげまする
アイタタタアイタタタとは
この国では骨が泣く言葉でござりまする

母なるマリアよ
いや骨粗しょう症の母さまよ
かつては5人の子供らのために
そして夫とその愛人のために
いまは自分自身が生きるために
アナタの骨は痛みマスル
アイタタタアイタタタと骨を砕く母さまよ
アナタの痛みは
殉教者たちの慰めとなりマスル
ヨハネ・ヒョーヱモン(兵右衛門)
ドミニコ・ナンガノ・ヨイチ(永野與一)
パウロ・ジャソダジョー(八十太夫)
トマス・ウスイ・フィコサンブロ(臼井彦三郎)
アドリヤン・スンガ・サンザキ(須賀三吉)
パウロ・レオエイ・モッタリ(服部了永)
ドミニコ・シェヱモン(清右衛門)
彼らの声はとっくに神の国に届いておりマスル

南無末法下種の大導師
高祖日蓮大菩薩御報恩謝徳
南無妙法蓮華経
アイタタタアイタタタ チーン
信徒アナン(阿南)もコーノ(河野)も
いまだセクト・ホッケ(法華宗)にござりまする

信仰深い母さまよ
この西向きの洞窟に朝の陽は入りまセヌガ
竹林からもれてくる水晶の光は
光明と暗闇と歓喜と苦悩と
光と影のはざまに真理を宿した
Verbum Dei(神の言葉)のようにもみえマスル
この洞窟の壁はかつて
病んだ骨のようにもろく崩れマシタ
モンターニュ・ド・フー(火の山)の熔岩とヨナ(灰)は
この深い盆地を埋めつくしマシタ
大地は昼も夜も鳴動をやめマセズ
ミサ・イル(燃える岩)は鳥のように空を飛び交い
ときには洞窟の奥までも貫き通しマシタ
もはやゼウスもヤハウェもアッラーも
神の力は無力のように思えたのデシタ
ときに夜空を仰ぐと星の輝き
星宿というこの国の素敵な言葉を知りマシタ
星と星は糸のような韻律で連なり
古い象形文字の地図をひろげマスル
Viva(バンザイ)!海の塩よポルトガルの涙
波涛の夢は遥かなリスボン河口の港にたどり着きマスル
かつて海を渡った殉教者たちの航跡を
霜のごとく静かに星は記憶したでありマセウ
星の地図に刻まれた歳月を辿るうち
この国にある星霜という美しい言葉も知りマシタ

アイタタタアイタタタ
ワタクシには異国の言葉はわかりませぬが
シンガ(志賀)のトノ(殿)より薬を賜ってござりまする
ワタクシの貧しい食事よりも豊かな
薬研(やげん)のコンペイトウのような白い輝きは
デュウ(天主)よりも神々しくみえまする
いまやこの白いロザリオ(玉薬)なしには
いっときも命をつなぐことはできませぬ
リーゼ錠とやらは心の緊張や不安をやわらげ
酸化マグネシウムとやらは胃の酸を中和し便通をうながし
つくし散とやらは食欲不振や消化不良を改善し
パリエット錠とやらは胃・十二指腸潰瘍や逆流性食道炎を快癒し
ラニラピット錠とやらはうっ血性心不全や不整脈の症状をおさえ
ラシックス錠とやらは尿量を増やしてむくみをとり血圧を安定し
バイアスピリン錠とやらは血を固まりにくくして血液の流れをよくし
ニトロダームとやらは狭心症の症状を鎮めるベッタリ膏薬でござりまする
アイタタタアイタタタ
ワタクシめの骨の骨と肉の肉
この血の色はもはや穢れて白く濁ってはおりませぬか

ペトロ・パウロ・ナバロさま
フランシスコ・ボリドリノさま
アイタタタアイタタタという骨の言葉は
あなた方の神に届きまするか





家族のものがたり

2016年08月03日 | 「新詩集2016」


  絵本

雨が降ったあとに
小さな水たまりができました

大きなナマズが2ひきと
小さなナマズが2ひき
ナマズの家族が泳いでいました
泳いでも泳いでも
同じ場所をぐるぐる回るばかりです

こんなところは初めてだね
ここは一体どこかしら
海のなかの海
池のなかの池
涙のなかの涙
ああ目がまわる
どうやら生きる場所をまちがったようだ

お父さんは慌てて
絵本のページを閉じた

*

  かくれんぼ

むすめはきょう
幼稚園で泣いたらしい
でもどうして泣いたのか
言おうとしない

けど泣いたの
むすめは小さな幼稚園バッグの中を
なんべんもなんべんものぞく
おともだちの泣き虫が
どこかに隠れているかのように

むすめが眠ったあとで
幼稚園バッグの中を
わたしもそっとのぞいてみる
バッグの底には
両手で顔をかくして
小さくなったむすめがいて
もういいかいと小声で言う

まあだだよと応えて
それから
もういいよと言って
わたしも泣いた

*

  コスモス

ネットオークションで
小さな駅を買った
小さな駅には
小さな電車しか停まらなかった

小さな電車には
家族がいっしょに乗ることができない
いつのまにか一人ずつ
手ぶらで家を出ていった

せっせと駅のまわりに
コスモスを植える
秋になると満開になって
小さな駅は見えなくなった

風が吹くと
コスモスの花がくるくる回る
耳をすますと
電車の通過する音も聞こえる

*

  虫のこえ

妹が泣いていた
だいじなオルゴールの中に
嫌いな虫がいるという
ふたを開けると
キロロンと虫が鳴く

ふしぎな音のする
オルゴールのピンを
折ってしまったのは誰か
妹はそれを知らない

大切なものをいっぱい壊した
父の万年筆とカメラ
母のネックレスと日傘
おじの釣竿とバイク
みんな好きなものばかり

壊れるように
父は眠り
おじは消えた
母は歩行器がないと歩けない
この秋
母親になった妹は
庭で鳴く虫のこえを
はじめて聞いたという




記憶する家

2016年07月26日 | 「新詩集2016」


  階段

階段の上に子供がいる
それはぼくだ
ぼくは階段をのぼる
すると
子供はもういない

階段の下にも子供がいる
それもぼくだ
ぼくは階段をおりる
するとふたたび
子供はいない

かつて誰かを
階段の途中で待っていた
ぼくと誰か
そのときは
ふたりとも子供だった
その日
父が生まれ
母が生まれた

*

  でんわばんごう

住むところを
いくども変わったので
電話番号も
いくども変わった

電話番号をたずねられると
一瞬のとまどいがある
3でもないし9でもない

古い番号と新しい番号
ふたつの番号を
そのように生きてきた自分を
そのように探している自分がいる

どこかでベルがなっている
もしもし
もしもし
もういちど
おかけなおしください

*

  鞦韆(ぶらんこ)

古い家の梁に
ロープを掛けただけの
特製ぶらんこ
ゆらゆら揺れているのが好きだった

目をつむると
ぶらんこの旅がはじまる
ゆらゆら揺れて
家ごと遠いところまで運ばれていく

ときどき背中から
静止しようとする母の声がきこえる
そんなにゆらゆらしたら
家が潰れてしまうと

いまも庭の椿は揺れているだろうか
古いぶらんこは揺れているだろうか

いまは母がひとり
その家に住んでいる
おまえのせいで
家がゆらゆら揺れているよ
わたしはもう
畳の上を歩くこともおぼつかないと

*

  彼岸

まいにち
足ぶみの臼で玄米をつき
大きな木のへらで茶がゆをかき混ぜる
ときには鯰をさばき
誰かのために卵やきを残して
それからまたゆっくりと
山の裾を両手でならしていった
小さな山が
ひとつずつ増えていく

新しい山はひとの形をしている
お腹のようにやわらかい
そこ踏んだらあかん
おばあさんにしかられた
そこにはおじいさんが眠っとるんやさかい

土の中で骨だけになっていく
やがて骨は骨でなくなって
石の標だけが残るころ
いつものように裾をからげ
おばあさんもまた
最後の骨のひととなるため
小さな山を越えていった




コメント (2)

星の詩を書くのは難しい

2016年07月19日 | 「新詩集2016」


  流星群

草の舟にのって
夜の川をどこまでも下っていきたい
銀河のかなた
降りしきる流星群を浴びたら
星くずの鉛筆で
長い長い手紙を書く
それからポストをさがして
千年の旅をするだろう

*

  星の時間

星が降る
そんな時代がありました
光の川を泳ぎ
光の国を彷徨った
光の国のひとを訪ねたが
光の国は遠かった

光りの約束ばかりで
幾億光年という
ときは流れ去っていくのでした
ですからまだ
そのひとには会えません

*

  ガラスの星

ガラス玉のような星を
ひとつもらった
そらの銀河がすこし暗くなって
ぼくの川がすこし明るくなった
星が冷たい夜は詩を書く
いくども書き直したので朝になった
星のことは書けない

ぼくの星をだれも知らない
夜明けに夢の中へ
そっとかえす

*


  もうひとつの星があった

いままでに見た一番きれいな星は、標高1800メートルの山頂で見た星空だった。
きれいというよりも、すごいと言った方がいいかもしれない。星が幾重にも重なっていた。その澄みきった輝きは、目に突き刺さってくるようだった。
星ではない何か、空を覆いつくしているもの、空そのもの。昼でもない夜でもない、もうひとつの、はじめて見る空だった。

夜に向かって山に登るな、という登山の鉄則は知っていた。
だが、当てにしていた麓の山小屋が雪崩で潰されていた。引き返すこともできない。そのまま山を越えることにしたのだった。
すでに陽も沈み、登るほどに麓から夕闇がせり上がってくる。
山頂に着いたときは、すっかり夜になっていた。冷たい風が吹き抜けていた。辺りを澄んだ鈴の音が鳴りわたっている。小さな笹群れの凍った葉先が触れ合って、無数の鈴が鳴っているような音を発しているのだった。むしろ全天の星々が瞬き鳴り響いているようにみえた。まさに天上の音楽だった。

体が急激に冷えてきたので、コンクリートでできた無人の非難小屋に入って風を避けた。中は何もなく暗闇だ。四角いがらんどうの窓に、ぎっしり詰め込まれたように光っている星。充満しているのに空洞のような、異界の景色を見ているようだった。
懐中電灯で五万分の一の地図を照らし、目指す谷あいの山小屋の位置を確かめた。一面の雪だから、道があるかどうかもわからない。
自家発電が止まってしまわないうちに、山小屋にたどり着かなければならなかった。

斜面を下りはじめたら風もなくなった。明るすぎるほどの星空に比べて、足元は闇。懐中電灯で照らされた所だけ白い雪が浮き上がる。わずかに平らな部分を道だと推測しながら足を下ろす。浮き立ったような心もとない歩行だった。
積雪の表面に張った薄氷が、靴の下で細かく砕ける。その感触だけが、歩いているという実感だった。立ち止まると、砕けた雪氷の欠片が、せせらぎのような音をたてて闇の斜面を落ちていく。その響きはいつまでも鳴り止まない。目には見えない深い谷があるようだった。足を滑らせたら、どこまで落ちていくかわからなかった。

闇と星空しかない。いや星空しかないのだった。その星空が明るすぎて恐かった。山の鉄則を犯した自分は、すでに異界の宇宙を歩いているのかもしれないと思った。
無数の星が饒舌に瞬いている。しかし言葉を発するものはひとつもない。豊穣なのに寂しい。ひしめき合っているのに孤独だった。
星々の異常な輝きと地上の静寂。それは、ぼくがそれまで生きてきた世界ではなかった。生の世界から死の世界へ入っていくのは、容易なことかもしれなかった。気付かないうちに、その一歩を踏み出しているかもしれない。ふと居眠りをする。その程度のことなのだ。

妄想の中を歩いていたら、暗闇の中に星をひとつだけ発見した。視界の底のほうに、空から落ちた星がひとつだけ光っていた。
あるいは自分は空を歩いていたのか。感覚がすこし狂っていた。人も光を発するということを認識するのに間があった。それは温かい色を発していた。人が生きている色だった。
その星を目指して、暗闇の積雪に足をとられながら、ぼくはまっすぐに歩いていった。