A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

想定外の大ヒットはその後の人生の進路を狂わせることも・・・

2014-11-01 | MY FAVORITE ALBUM
The Sidewinder / Lee Morgan

リーモーガンのサイドワインダーの話が出たので、久々にこのアルバムをじっくり味わう事にした。この手の超有名アルバムは何かきっかけがないと、聴き返すことも少なくなりがちなので。

この”Sidewinder”は、昔のジャズファンなら知らない人はいないと思う。好き嫌いは別にして、耳にタコができるくらい聴いた事があるアルバムの一枚だろう。
しかし、アメリカでの人気はそれを上回る想像を絶するものであり、この大ヒットが一人のその後の人生を大きく狂わせる結果になってしまった。この辺りの経緯は、リチャードクックの書いたブルーノートレコードを始めとして多くの記事に書かれているが、改めてリマインドしておくことにしよう。

63年の12月に録音されたこのアルバム、翌64年になるとじわじわ人気が出始め、ビルボードのアルバムの25位にまでランキングされるまでに。もちろんこれはジャズ以外のジャンルを含めてなので、ジャズアルバムとしては空前のヒットとなった。
タイトル曲のサイドワインダーは、シングルカットされ(といっても10分の長尺なので、A面とB面に分かれて)、全米中のジュークボックスに入れられ、それまでのジャズファン以外にも知れ渡り人気に拍車をかけた。

ヒット曲を出し続けているレーベルであればこれは万々歳の出来事で対処の仕方もわきまえていたのだが、何せこのアルバムを出したのはマニアックな拘りのジャズアルバムだけを出していたブルーノートなので大混乱を招くことになった。

当時ブルーノートは普通のアルバムの初版は大体4~5000枚。販売ルートも大体決まっていて、街の小さな普通のレコード店には行き渡る事はなかったという。売れるかどうか分からないアルバムも多く、返品を受け付けていたので、実売数は発売後しばらくしないと分からないという状況での運営状態であった。その売上から次の作品を作るというのが創設以来のビジネスパターンであり、日々のルーティンワークであったのだが。

他の業種でも、個人の店で昔ながらの商品を固定客相手に細々と営業していたのが、何かの拍子でブレークすると商売そのものが大きく影響を受けることはよくある。人気に乗じて多店舗展開をして成功することもあれば失敗することも。あるいは伝統の商品以外に新商品を出してさらにブレークすることもあれば、反対に伝統の味を失い失敗することも。
大体は、伝統を守ってきたオーナーの目の届く範囲でやれば上手くいくことが多いが、それを超えると、そもそもの人気を支えた「その店の伝統」はどこかに消え去ってしまうものだ。

ブルーノートのオーナー、アルフレッドライオンがまず直面したのはアルバムの増産。これは再プレスすれば対応可能であったが、次は販売ルート。ヒットが先行したので今まで扱いの無かったレコード店からどんどんオーダーが来るのでそれは幸いしたが、一つ目算が狂ったのはそれらの店から入金が無かったこと。当時の商習慣としてこのような店は次に売るアルバムができた時に、前のアルバムの代金支払いを行うというルールだったそうだ。
当然のように、版元のブルーノートは資金繰りに行き詰る。さらにはサイドワインダーに続く売れるアルバムを作らなければならないという2重のプレッシャーをライオンが背負う事になる。

アルバム作りは、日々行われているレコーディングで対応すれば良かったが、資金繰りだけは如何ともし難い。しかし、サイドワインダーのヒットに続く大ヒットというとホレスシルバーのソングフォーマイファーザーであり約1年後であった。
メジャーのリバティーレコードへのブルーノートの売却という結末への第一歩はこの資金援助から始まった。最初は資金的な援助だけが目的で、アルバム制作はそれまで通りライオンの自由に任されていたようだ。

ヒット作のサイドワインダーとソングフォーマイファーザーには共通点がある。従来のフォービートとは異なったリズム感だ。ハービーハンコックのウォーターメロンマンやラムゼイルイスのジインクラウドにも通じる、どこまでも続くような特徴ある繰り返しのリズムパターンが受入れられたのだろう。

ライオンは、このような曲を意識しつつも、セシルテイラーやオーネットコールマンのアルバムも作り続けた。ところが、もうひとつライオンは大きな重荷を背負う事になる。
大手企業の傘下に入ったことによる社内手続きの煩雑さだ。それまでは自分の思うように何でも決められたのに、よくいわれる「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」、そして社内の決裁手続きを求められたことだ。そして、売るためには広告もしなければならない。今までやったことのなかったラジオCMも作らされたという。
そして、1年後の1967年にこのプレッシャーに耐えられずブルーノートを去り完全引退することになる。
リバティーへの売却金額は後にボブワインストックがプレスティッジをファンタジーに売却した100万ドル以上に較べると非常に少額であったといわれている。結果的にリバティーは目先の資金援助を餌に、アルフレッドライオンが残した膨大な過去のコンテンツを安価に手に入れた訳だ。既存のアルバムに加え、後にカスクーナが発掘した未発表曲や、海外への販売権、長年かけて築かれたブランド価値を掛け合わせると、現在との貨幣価値の違いを考慮してもとんでもなく安い買い物をしたことになる。

このサイドワインダーのアルバムを再度聴き直すと、このサイドワインダーだけが異色だ。
リーモーガンがしばらく一線を離れフィラデルフィアに戻っていた後の復帰作、すべてモーガンのオリジナル曲、そしてメンバーも一新しジョーヘンダーソンとの初顔合わせと聴き所が多いアルバムだ。他の曲もブルース調が多いがジャズロック風のリズムを採り入れている訳でもない。なのに、何故サイドワインダーだけがヒットしてしまったのか。

きっと時代が求めていた曲であり偶然ではなく必然であったと思う。しかし、結果的に大プロデューサーが引退しなければならない引導を渡してしまったので、罪作りなヒット曲であったともいえる。
そしてリーモーガンもこれを機に再びスターの座を奪還するが、若くしてこの世を去ることになる。
日々順風満帆に思えても、人生明日は何が起こるか分からない、否分からないのが人生というものだろう。


1. The Sidewinder    10:21
2. Totem Pole      10:11
3. Gary's Notebook    6:10
4. Boy, What a Night   7:34
5. Hocus Pocus      6:25

Lee Morgan (tp)
Joe Henderson (ts)
Barry Harris (p)
Bob Cranshaw (b)
Billy Higgins (ds)

Produced by Alfred Lion
Rudy Van Gelder : Engineer
Recorde at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 21, 1963


ザ・サイドワインダー
リー・モーガン,ジョー・ヘンダーソン,バリー・ハリス,ボブ・クランショウ,ビリー・ヒギンズ
ユニバーサル ミュージック
コメント
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