Lee Morgan / Standards
1967年のペッパーアダムスの新年は、引き続きブルーノートのリーモーガンの録音セッションからスタートした。ドナルドバードとの双頭コンビでアルバムを作った時も含めてブルーノートのセッションには時々顔を出しているが、アダムスは特にアルフレッドライオンお気に入りメンバーの一員という訳ではなかった、というよりも冷遇されていたといってもいいかもしれない。
此の頃、良くお呼びがかかったのは盟友であったデュークピアソンのひきがあったから、そしてピアソンのアレンジ物が多く、バリトンが必要であったという事情もあった。このアルバムもその流れの延長の一枚である。
リーモーガンとアダムスのブルーノートでの共演はこれが初めてではない。アダムスが西海岸からニューヨークに戻った57年に2人は「Cooker」で共演している。一方のモーガンもディジーガレスピーのオーケストラが解散し、ソリストとして本格的に活動し始めた時だ。アダムスが26歳、モーガンはまだ19歳の時であった。この時はモーガンのリーダーアルバムであったものの、アダムスもダウンビートの新人賞を受賞した直後、意識的にも演奏においてもサイドメンというよりもモーガンの良きパートナーとしての位置付けであった。
その後、サイドワインダーをヒットさせたリーモーガンは、その勢いもあり、65年4枚、66年3枚、そしてこのアルバムが作られた67年にも4枚とブルーノートへの録音を以前にも増して増やしていた。確実にスターダムへの階段を上り、ある意味頂点に達していた頃だ。
ミュージシャンのプレーには「勢い」というものがある、そのピークの時に多くのアルバムを残しておきたいというのは、ミュージシャンにとってもプロデューサーにとっても想いは同じであろう。
しかし、実際にリリースできるアルバムというのは多くても年に数枚。当然発売を前提としたアルバム作りというと録音の機会には限りがある。ところがアルフレッドライオンは商売よりもミュージシャンを大事にし、クオリティーを優先したプロデューサー。リハーサルにもお金を払ったし、ミュージシャンの想いを形にするために発売予定の無いアルバムも多く企画し録音した。それが、未発売アルバムが多く残されていた理由でもあった。したがって、お蔵入りしたアルバムもきちんと制作意図があったものも多く、単なるジャムセッション物が少なかったという結果にもつながっている。
そして、この時期モーガンのアルバムが多かったのにはもう一つの理由があった。
ジャンキーで麻薬を絶つため一時ニューヨークを離れていたにも関わらず、復帰後のこの時期、またもや麻薬を手に入れるためのお金をせびりにスタジオを訪れたといわれる。ライオンもそれを止めさせることができず、ただお金を渡すこともできずに録音機会が増えたとコメントを残している。
このアルバムは、順次陽の目を見たモーガンのお蔵入りした録音の中でも最後に世に出たアルバムであり、実際にリリースされたのは1998年になってからだ。先日のジョーヘンダーソンはバンド編成から30年後のレコーディングであったが、これは録音してから30年後に陽の目を見たアルバムということになる。しかし、このような経緯で作られたアルバムなので、よくある残り物や寄せ集めという訳では無い。今聴いてもきちんとした制作意図が感じられる。
まずは、タイトルどおりスタンダード曲が集められているアルバム。サイドワインダー以降リーモーガンは自分やメンバーのオリジナル曲のアルバムを作ることが多かった。アルバムの制作頻度が多かったので、作曲が間に合わなかったという訳ではないと思うが、オリジナル無しの「スタンダード集」というのがまずは大きな特徴だ。
そして、このアルバムもこの頃多かったデュークピアソンのアレンジによるセプテッド編成。モーガン以外はサックス3本だけ、これも珍しい編成だ。
さらにハンコック、カーター、ショーターというと当時のマイルスのグループのメンバーが3人揃っている。マイルススマイルスを吹き込んだ後のマイルスクインテットの一番のピークの時期。マイルスと異なりモーガンとはどんな演奏をするか、これも興味を惹く。
一曲目のからミディアムテンポの4ビートで、この頃のモーガンの他のアルバムとは少し趣が違う。スタンダード曲集という事もあるのか、他の曲でも高音域よりも中音域を使ったモーガンのプレーが続く。一般的、人気が出ると自然にスタイルが作られていくものだ。実は色々なプレーができてもステージならまだしも、アルバムだと作られたイメージとは違ったスタイルでの演奏はしにくくなるものだ。これも、長期間お蔵入りしていた理由だったのかもしない。
モーガンのソロに続いてショーターのソロも随所で聴ける。サックスのアンサンブルはあまり表にでることも無く、全体としてモーガンクインテットの雰囲気だ。バラードプレーではハンコックの音数の少ないピアノソロも実に印象的だ。
唯一、ブルーガーデニアではモーガン、ショーター以外にもアダムスのソロも聴ける。ここでは全体のサウンドに合わせていつもの切れ味の鋭いソロを多少ソフトにしたプレー。何となく、語尾を曖昧に吹く様はベニーゴルソンのフレーズ作りにも似た感じだ。年と共にアダムスのプレーは益々ラウドになっていくが、このようなプレーも自分は好きだ。
最後にこの当時のブルーノートでの定番のジャズロックのリズムで一曲If I Were A Carpenter。これはアルバム単位でのリリースを考えたレコーディングであった証拠であるが、今聴くとこれはやはり場違いな一曲のような気がする。
1. This Is The Life C.Strouse-L.Adams 5:03
2. God Bless The Child A.Herzog Jr.-B.Holliday) 7:18
3. Blue Gardenia B.Russell-L.Lee 5:51
4. A Lot Of Livin' To Do C.Strouse-L.Adams 6:02
5. Somewhere S.Sondheim-L.Bernstein 5;49
6. If I Were A Carpenter T.Herdin 6:08
7. Blue Gardenia(alt.take) 5:54
Lee Morgan (tp)
James Spaulding (as, fl)
Wayne Shorter (ts)
Pepper Adams (bs)
Herbie Hancock (p)
Ron Carter (b)
Mickey Roker (ds)
Duke Pearson (arr)
Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, January 13, 1967
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