山形弦楽四重奏団 ブログ

演奏会のお知らせ・日々の活動など

山形Q 練習日誌64-vol,10(中島記)

2017-06-25 22:13:32 | 練習日誌
 山響の東京・大阪公演の直後ですが、山形Q。もう次回定期が3週間後なので、休んでいる暇はありません。

 さらに、ここ1〜2年、山響の支援拡大のための営業活動に室内楽が使われることが多くなってきています。当然、わが山形Qにもお鉢が回ってくることがあり、今月末も、スポンサー企業のパーティーに駆り出されています。

 そして、どんな時も手を抜かないのが山形Q流。パーティーと聞けば、「練習なしでできるものをやろう」と思うのが普通ですが、我々クァルテット馬鹿は一味違う。「何を弾いても良いなら、本当に弾きたいもの、クァルテットのためになるものを弾かせてもらおう」と。


 ということで、誰が頼んだわけでもないのに、モーツァルト「ハイドンセット特集」。その準備に、今日のリハーサルを費やしました。そして、それが「楽しい…」と感じてしまうところが重症です。

 ご存知、モーツァルトの「ハイドンセット」は、本当に名曲ぞろいです。「狩」「不協和音」はもちろんですが、それ以外のナンバーも、実に完成度が高くて、しかも面白い。弾くごとに新しい発見があり、より深い味わいがあります。

 そして、モーツァルトのあらゆるジャンルに言えることですが、最高のエクセサイズになる。これは、極限までの「無駄のなさ」からくるものでしょう。


 よいタイミングで、「ああ…クァルテットは素晴らしい」という気持ちの原点に還ることできた気がします。仕事を「リフレッシュ」に利用できるようになることも、「暇なし」の職人に求められるスキルです。

 さらに精進しましょう。

チラシを貼らせていただいたり、置かせてもらう活動をしています。
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山形Q 練習日誌64-vol.9(中島記)

2017-06-17 19:22:55 | 練習日誌
「芸術家だって?きみたちは楽師だ!それ以上の何者でもない!きみたちはそれでも芸術と呼ぶのか?それは手仕事だ、器用さだ、それで金は稼げるだろうが、それだけのことだ!きみたちが芸術家か!ぼくが芸術家なんだ、ぼくが!ぼくはシューベルトだ、全世界がその名を知っていてその名を呼ぶフランツ・シューベルトだ!きみたちには全く理解できない大きい美しいものを作った男だ!芸術という言葉が語られるとすれば、それはぼくについてであって、きみたち虫けらについてではない!」

 謙虚で温厚で、誰からも愛されるような、音楽史上稀に見る「良い人」であったシューベルトですが、一度だけ「マジ切れ」したことがありました。その時の台詞です。オーケストラの連中が、シューベルトの音楽にあれこれと調子に乗って注文をつけたからでしょう。

…恐ろしい。怖すぎる。まさに私のような貧乏楽師は、縮みあがる他はない。ごめんなさいもうしません。そもそもシューベルトと張り合う気ないのです。


 ということで今日の練習はハイドンもそこそこに、シューベルト。

 シューベルトの初期の弦楽四重奏は、家族で楽しく演奏するために作曲されたものだということは有名な話です。なので、お父さんのチェロがいまいちなのでチェロパートが簡単になっているとか、芸術以外の要素に左右されているところもあります。

 そこで見方によっては、「ロザムンデ」や「死と乙女」よりも芸術性が低いという評価にもなるのでしょう。

 しかし「弾いて楽しむ」という用途の元に作曲されたものは芸術性が低いというなら、ハイドンの作品はすべてそうではないでしょうか。そもそも「楽しむため」という目的が、芸術にそぐわないと思うところから、芸術の衰退が始まったのではないでしょうか。ありがたいけど、無くてもぜんぜん困らない、博物館の奥に眠る国宝のようなもの。


 今回のシューベルトとハイドンも、まさに、弾いて楽しまなければいけません。


 あと、ひと月弱。頑張りましょう。

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寒河江市庁舎50周年記念コンサート

2017-06-16 20:22:46 | 演奏活動
 山形県のだいたい中央に位置する「寒河江市」。月山をのぞむ、さくらんぼの名産地です。


 今日は山響のスクールコンサートの後、山形市からこの寒河江市の市役所へ。それも議事堂。

 寒河江市役所の庁舎50周年を祝うイベントに、山響から山形Qが派遣されての依頼演奏会でした。この庁舎は、黒川紀章が設計した由緒ある建築だそうで、ただの市役所とは違う、趣ある建造物なのです。私も今回、初めて知りました。


 ということで、日頃、議会に使われているこの部屋が、今夜はコンサートホールに早変わり。いつもの傍聴席まで、議員の方や市民の方々で満席の中、演奏させてもらいました。

 ハイドン「ひばり」で幕開け。絨毯が敷き詰められた、いわゆる議事堂ですが、意外にも響きが良い。天井が高いわけでもないのに不思議です。黒川紀章の力でしょうか?気持ちよく演奏しました。

 その後は日本民謡や映画音楽、時代劇のテーマなど、山形Qらしく「和もの」をふんだんに、聴いて頂きました。


 日頃、スクールコンサートでよく訪れる寒河江市。寒河江の子供達は、熱心に聴いてくれるので昔から印象が良いのですが、地域性なのでしょう。市民の方々も、実に雰囲気が温かい。良いコンサートになったような気がします。


 市長をはじめ、関係各位に深く感謝します。
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山形Q 練習日誌64-vol.8(中島記)

2017-06-11 23:25:16 | 練習日誌
 本日のリハーサルは、今週金曜日の依頼演奏会の準備から。

 寒河江市役所の開庁50周年記念演奏会です。プログラムはハイドン「ひばり」など。


 我が山形Qは長きにわたってハイドン全曲演奏シリーズを手がけているわけですが、今まで演奏回数が多いのはこの「ひばり」か「日の出」そして「皇帝」ぐらいです。やはり副題がついた有名な曲でないと、依頼演奏会では扱いづらい。

 クラシックに馴染みがない人たちに「こんにちは!今日は名曲『作品77-2』を聴いていただきます☆」とは、主催者にもなかなか言いにくいのが実情なのです。曲は良くても、とっつきにくい感じが前面に出てしまう。ハイドンも、もう少しこまめにキャッチーなタイトルをつけてくれると良かった。ショパンだって「子犬のワルツ」とか「革命」とか、やはり副題がある方が親しまれる。

 ということで「ひばり」。もちろんさすがの名曲ですが、それもこれだけ演奏回数を重ねてきたからわかる部分も多い。私たちもさらに頑張って、弦楽四重奏ファンを広げ、いろんな名曲をもっと各所で弾いていかなければと思うのでした。


 その他、おなじみの東北民謡や映画音楽などをひと通りまとめてから、通常のリハーサル。定期なので心置きなく、ハイドン「作品77−2」を。

 ハイドンの音楽の、この健康的な明るさは、どこからくるのでしょう。

「だれでも一見して、私がお人よしであると分かる」

と、ハイドン自身が言っています。良い人なのです。自分をより大きく見せようともしない。

「友人たちは私に才能があるとよく世辞を言うが、モーツァルトは私をはるかに超えていた」

などと堂々と言っています。なんと精神的に安定した人なのでしょう。キャッチーな副題をつけるような世知辛さとは無縁のお方なのです。


 山形Qのハイドンシリーズも、終わりが見えてきましたが、触れれば触れるほど、作品から伝わってくるハイドンの人柄に、こちらの心が温かくなります。そういう気持ちで演奏したいと思います。

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山形Q 練習日誌64-vol.7(中島記)

2017-06-07 23:15:40 | 練習日誌
 山形は「べに花」の季節。暑くなるし、忙しくなる時期でもありますが、この花のように生き生きと過ごしたいものです。


 ということで山響スクールコンサートの谷間の今日も、元気にリハーサルなのです。

 
 その昔、ある人が新婚生活をこのように語りました。

「妻が女中と料理について相談しているのを聞いたり、経師屋や左官に仕事を指図したり、鍋や皿を買ったりするのは、何と楽しいことでしょう…そして、夕方家でゆっくりと幸福に過ごせて、しかも一人ではないということが、私にとっていかに素晴らしく気分のよいことであるか。言葉ではうまく言い表せませんが、私はあまりにも幸福すぎて、どうしたらそれに対して十分な感謝の気持ちを表すことができるのか、わからないくらいなのです。」

…もちろん私ではありません。女中とかいないし。

 これは、メンデルスゾーンの言葉です。彼が28歳、結婚して半年の頃、友人に宛てた手紙です。純粋に「幸せいっぱい」なのと、それを友達にそのまんま伝える彼の純情さが眩しい。…どこまでも心が清潔な人なのです。彼の音楽と同じです。


 今日の練習もそのメンデルスゾーン中心。今回演奏する「第5番」はまさに、上の手紙を書いた頃に作曲されたものです。

 「新婚うきうき」の気持ちで演奏しなければいけないのです。

 新婚が遠い昔になった人も、まだまだこれからの人も、記憶と想像力と空想力をフル回転させて音づくりに活かしたいところ。

…いろいろな意味で、まだまだ険しい道のりなのでした。素晴らしい曲ですが、とにかく難しい。練習あるのみ。

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