山形弦楽四重奏団 ブログ

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山形Q 練習日誌64-vol.9(中島記)

2017-06-17 19:22:55 | 練習日誌
「芸術家だって?きみたちは楽師だ!それ以上の何者でもない!きみたちはそれでも芸術と呼ぶのか?それは手仕事だ、器用さだ、それで金は稼げるだろうが、それだけのことだ!きみたちが芸術家か!ぼくが芸術家なんだ、ぼくが!ぼくはシューベルトだ、全世界がその名を知っていてその名を呼ぶフランツ・シューベルトだ!きみたちには全く理解できない大きい美しいものを作った男だ!芸術という言葉が語られるとすれば、それはぼくについてであって、きみたち虫けらについてではない!」

 謙虚で温厚で、誰からも愛されるような、音楽史上稀に見る「良い人」であったシューベルトですが、一度だけ「マジ切れ」したことがありました。その時の台詞です。オーケストラの連中が、シューベルトの音楽にあれこれと調子に乗って注文をつけたからでしょう。

…恐ろしい。怖すぎる。まさに私のような貧乏楽師は、縮みあがる他はない。ごめんなさいもうしません。そもそもシューベルトと張り合う気ないのです。


 ということで今日の練習はハイドンもそこそこに、シューベルト。

 シューベルトの初期の弦楽四重奏は、家族で楽しく演奏するために作曲されたものだということは有名な話です。なので、お父さんのチェロがいまいちなのでチェロパートが簡単になっているとか、芸術以外の要素に左右されているところもあります。

 そこで見方によっては、「ロザムンデ」や「死と乙女」よりも芸術性が低いという評価にもなるのでしょう。

 しかし「弾いて楽しむ」という用途の元に作曲されたものは芸術性が低いというなら、ハイドンの作品はすべてそうではないでしょうか。そもそも「楽しむため」という目的が、芸術にそぐわないと思うところから、芸術の衰退が始まったのではないでしょうか。ありがたいけど、無くてもぜんぜん困らない、博物館の奥に眠る国宝のようなもの。


 今回のシューベルトとハイドンも、まさに、弾いて楽しまなければいけません。


 あと、ひと月弱。頑張りましょう。

チラシを貼らせていただいたり、置かせてもらう活動をしています。
 ただいま13箇所
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