立憲民主党 山としひろ「パワフル日記」

立憲民主党 衆議院富山1区公認内定者
44歳 
人にやさしい政治

なぜ議員が「先生」と呼ばれるのか

2012年09月03日 | Weblog

 初当選以来ずっと理解できないこと。それは、なぜ議員が「先生」と呼ばれるのか。

 ネットで、「先生」の意味を検索してみました(『大辞泉』)。

 確かに、言葉の意味においては、議員に対して「先生」という呼称を使うことが間違いではないのかもしれません。しかし、これはむしろ意識の問題です。いつも「先生」と呼ばれたり、同僚などとの間で呼び合ったりしているのには、少なからぬ違和感を覚えます。

 実はこの問題、名古屋市会本会議の一般質問で取り上げられたことがあります。参考までに会議録の関連部分を以下、掲載します。


【名古屋市会本会議】 2010年9月14日

     社民党 とみた勝ぞう議員 一般質問

 

◆(とみた勝ぞう君) お許しをいただきましたので、質問をいたします。目をちょっと治療していますので、読み間違えるかもしれません。お許しをいただきたいと思います。
 最初に、議員を先生と呼ばないことです。私は、初当選以来言い続け、実践してきた命題です。しかし、議員にも行政にも浸透しませんでした。でも、いつのころからか、本会議や委員会で、議員が、委員がという呼称が定着してきたのはせめてもの救いであります。もう一歩進めて、市職員が議員との日常会話の中で議員を先生と呼ばないを実践してほしいと思うものであります。この問題は、先日、市会議長にも申し入れをしたところであります。
 なぜ私がこの問題にこだわるのか。職員、市民、議員、マスコミの意識改革だからであります。先生とは、師弟関係にある人の間で使われる尊敬語であります。しかし、ある大手新聞の議員を評したコラム欄に、「先生と呼んで灰吹き捨てさせる」という川柳もある。先生とおだてて嫌な仕事をさせる意味らしく、先生の呼称は必ずしも相手を尊敬しているとは限らないとあります。言い得て妙であります。
 市職員が対議員に使う場合には、尊敬語ではなくよいしょ語とおだて語、そして、名称を忘れても使える代名詞としての先生。マスコミは、ただ代名詞または慣用句としての先生。市民は、議員に何か頼むときは、丁重に先生とよいしょ語、何もないときは名前の呼び捨てです。我々市議自体も、議員同士を呼ぶのにお互いに先生。お互いのステータスの確認なのかもしれません。しかし、軽佻浮薄な私にとって、そんな会話や職員からの先生呼ばわりで議員を偉いんだと錯覚し、市民意識とのずれが生じそうであります。
 そこで、この際、議員、市民、職員の意識改革のために、職員が議員に対して先生と呼ばないこと、議員または◯◯さんと呼ぶことを推進すべきだと考えますが、総務局長の前向きの答弁を求めます。

 

◎総務局長(入倉憲二君) 議員を先生と呼ばないことの推進についてお尋ねをいただきました。
 とみた議員が議員になられましたときに、先生と呼ぶなと、呼んだら罰金とおっしゃいまして、非常に困惑したというのが懐かしい思い出で、遠い昔のことのように感じます。
 私のこれまでの役所生活を振り返りました経験でございますが、多くの議員の皆様とは、日々の市政の課題、それから、時には名古屋の行く末という大きな問題について、委員会の場などで議論をさせていただきました。そういう機会に恵まれたことは、私にとっては本当によかったと思っております。
 そうしたときに、多くの議員の皆様から市政の歩むべき方向性や実施すべき施策、事業のヒントをいただきました。それは私にとっては、職員として仕事をする上で生かしてまいりました。非常にありがたかったと思います。
 そうした中で、私も議員の皆様を先生とお呼びすることはたびたびございます。これは考えてみますと、一般職員という立場から申し上げますと、議員の皆様はやっぱり選挙で選ばれた市民の代表であります。そういう立場と一般職員の立場は決定的に違いますので、そうした気持ちを率直に表現ということで、自然に先生という呼び名になると思っております。
 また、私にとってはいろいろ--もう既に引退された、亡くなられた議員の皆様もみえますが、やはりいろいろ教えていただいた先生という意味もございます。
 ただいま議員から、先生と呼ばないよう職員に徹底すべきとの御指摘をいただきました。議員がおっしゃいますように、本会議や委員会の場におきましては、議員、委員という呼称が定着しているわけでございますが、すべての場面において徹底する、推進するということはなかなか難しいことかなと私は思っております。御理解賜りたいと存じます。


◆(とみた勝ぞう君) それぞれ答弁をいただきましたが、今の先生の話ですが、先日、シンポジウムがあったときに、たまたま、パネラーが、全く関係ないんですが、今どき議員を先生と呼ぶべきではない、時代錯誤だということを言っておりました。やはり私もそう思います。これはここで意見、そういうことがあったということだけ報告をしておきたい。そういう時代だということであります。