自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

堂々川の砂留

2014-11-03 20:06:29 | Weblog
友人を尋ねたら珍しい果実をお土産にくれた。
その名は「キワーノ」と書いた名札で判明した。


生食洋でゴウヤに似た外観、中身も似たようなもの
だが味が違う、甘みがありぷりぷりの食感


さて本日紹介するのは堂々川の上流域の砂留の概要である。
中流域と上流域には各8基の砂留が判明している。
いずれも江戸時代に築造されているが
中流域の8基は2006年国の有形文化財に登録されている。
同じ江戸期の築造なのに上流域の8基はただの砂留で福山地方に沢山ある砂留と同じ扱い。
つまり木々や草に覆われて姿が確認できにくい。
上流域の8基は2つの池の周りにある。
淀ケ池の周りに4基
脱線して淀が池周辺を見ると


夕方の淀が池

どうだんつつじが赤色を増す


池の周囲の砂留らしきもの


ヘヘリ峠砂留らしきもの
ピンボケは証拠として乗せたかっただけ故御免の世界

淀が池西砂留の残骸と見間違う石

淀が池東砂留
この砂留はホタル同好会が2年続けて整備した


以上3つの不確定な砂留と最近道路拡張工事をしている西側に獅子渡り谷砂留があるらしい。
何時か探険して調査して見たい。

残り4基の砂留は大原池の周囲にあるらしい。


大原池の堤防


この堤防が1673年決壊して国分寺を土石流で流し63人の犠牲者を出した。
この堤防が聞くところによると少し水もれしだしているらしい。
今年度調査、来年度改修が期待される。


夕闇が迫る水面は綺麗に見える


この場に大原池内中山砂留があると推定


この奥が大原池内侍ガ谷砂留と推定


大原池池内駒ガ爪砂留と推定




どのあたりか検討がついていない大原池尻砂留
以上4基が大原池内にあると福山藩の砂留を調査指導したコンサルタント会社の
重役さんに聞いたことがある。
平成7、8年頃舟で砂留を探したもんだと懐かしそうに話された。

2日の日曜日雨がやんだ夕方前、下御領生産森林組合の清掃作業で
内容不備を確認するために四季の森へ行ったが最後


清掃委託証拠


思いついた余分な仕事で1時間以上ロスした話でした。
おちを「キワーノ」で締めたかったが落ちずにロスをしてしまった。