兄代わりだった3人の叔父(父の弟)たちは、すべて大正生まれだった。3人とも23年、32年、28年と短い生涯だった。いちばん上の叔父はミッドウェー海戦での直接の戦死だったが、2番目、3番目の叔父も、間接的には戦争による死だったと思っている。大正生まれで、開戦時に最も年少であった人は19歳である。そのことだけを考えてみても、戦争による死者は大正人がとても多かったことが想像できる。
随筆同好会では多くの大正人に出会った。中でも、2人の女性と親しくなった。S子さんは山口瞳さんの直筆を手に入れてくださり、我が家の表札用にプレゼントしてくれた。E子さんには家庭医学というか陰陽学のようなものを教わって、私は夕食後に果物を食べるのをやめた。男性では海兵の出身で復員してからは松倉海事の社長になるT氏に海軍のことを多く教わった。T氏はあの吉田満さんが書いた『戦艦大和』の中で、戦争と友情と結婚の物語として紹介されている。
山口瞳さんは大正15年の生まれである。山口さんは私が最も敬愛する人物であって、山口さんの著書からどれだけ多くのものを学んだかは測るに余る。 入院中にクセになった、その続きで毎朝ベッドの中で山口さんの『男性自身』シリーズを読んでいる。晴れの日は朝日の光で読めるが、今は雨期。明るいライトをつけるかどうか、家人の寝息を計ったりしている。
随筆同好会では多くの大正人に出会った。中でも、2人の女性と親しくなった。S子さんは山口瞳さんの直筆を手に入れてくださり、我が家の表札用にプレゼントしてくれた。E子さんには家庭医学というか陰陽学のようなものを教わって、私は夕食後に果物を食べるのをやめた。男性では海兵の出身で復員してからは松倉海事の社長になるT氏に海軍のことを多く教わった。T氏はあの吉田満さんが書いた『戦艦大和』の中で、戦争と友情と結婚の物語として紹介されている。
山口瞳さんは大正15年の生まれである。山口さんは私が最も敬愛する人物であって、山口さんの著書からどれだけ多くのものを学んだかは測るに余る。 入院中にクセになった、その続きで毎朝ベッドの中で山口さんの『男性自身』シリーズを読んでいる。晴れの日は朝日の光で読めるが、今は雨期。明るいライトをつけるかどうか、家人の寝息を計ったりしている。