パーティーという語にはいくつかの意味があるようで、先日、民主党と維新の会が一緒になって民進党ができたとき、その結成式の入口にはデモクラティックパーティーと大書してあった。ここで私が言うパーティーとは酒宴である。3,4人の酒宴も100人に近いものもある。そして、そのすべてのパーティーには女性が必要ということを言いたいのだ。もちろん男ばかりで酒を呑むことはある。しかし、それが1軒、2軒となると、3軒目には必ず女のいる酒場に足が向くものだ。最後の1杯だけでも、女性の顔を見ながら呑みたくなるのである。 上司の家へ遊びに行って、酒をごちそうになるときも、上司夫人が明るく元気で、「お久しぶりね、あら、また少し太ったんじゃないの?」と声をかけてくださるのと、ただビール壜とグラスをピーナッツの皿だけをテーブルに置いて奥の部屋へ消えてしまうのでは、パーティーの雰囲気は全く異なる。
最近は、女子会というのが流行っていて、これは全くの男抜きである。男なんかいない方がさっぱりして気持ちがいい、呑むとグチグチ言う男が多い…といったようなことを1人が言うと、ほかの仲間たちも賛同する。私はその通りだと思う。女性だけの方が、むさくるしいこともないし、たばこ臭くもない。すなわち、きれいな、さっぱりしたパーティーになる。私は「女を腐らせると男になる」という津川雅彦さんの名言に大賛成である。
最近は、女子会というのが流行っていて、これは全くの男抜きである。男なんかいない方がさっぱりして気持ちがいい、呑むとグチグチ言う男が多い…といったようなことを1人が言うと、ほかの仲間たちも賛同する。私はその通りだと思う。女性だけの方が、むさくるしいこともないし、たばこ臭くもない。すなわち、きれいな、さっぱりしたパーティーになる。私は「女を腐らせると男になる」という津川雅彦さんの名言に大賛成である。