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依存症

2017-04-29 18:23:27 | 日記
脳梗塞で入院したときはまだ60歳で、酒量も30,40歳代の頃と変わらなかった。少ない日でも、サントリーホワイトのボトルを3分の1は呑んでいた。まさかとは思うのだが、アルコールの禁断症状が出るのではないかと不安だった。脳梗塞の方は右脚が動かないだけで、他の部分に不安はなく、きちんと話すこともできたし、手指も大丈夫だった。何かを考えることもできた。25歳まで住んでいた世田谷の家の近所にいたホンモノのアル中男のことを、思い出していた。その男は朝から酒臭かった。麻雀を打つと途中で手が震え、それが焼酎を1杯呑むとピタリと止まった。私はアル中度テストというのを雑誌で読んで試したことがあって、結果はアル中予備軍の中に入っていた。今回の入院は半月ほどかかるらしい。最初の2,3日はともかく、5日、1週間とアルコールが切れると手が震えたり、舌がまわらなくなったりするのではないか。幸いにしてそれは無かった。私はまだアルコール依存症にはなっていなかった。3日目あたりで、それがわかってほっとした。

現在の私は、家族依存症である。アルコールであれ薬物であれ、依存症の基本は、甘えである。酒のことで言えば、明日から禁酒しようと決心し、明日になれば、いや禁酒するのは難しいからまずは節酒だと、少しだけ呑む。少しだけが2杯、3杯となり、やはり禁酒は来月の1日からにしようとなる。すなわち甘えである。私は家族に甘えている。朝起きて洗面所へ行くときに、「痛い!痛い!」と言う。繰り返して言う。実際に腰痛は辛いのだが、もし家人も娘もいなければ、私はたぶん、黙って洗面所へ歩くだろう。話が逆である。人がいるときこそ、静かにするのが本当のはずだ。親しき仲にも礼儀は要るのだ。しかし、明日の朝も私の「痛い!痛い!」は口をついて出るだろう。家族依存症は死ぬまでなおらないかもしれない。

長いお付き合い

2017-04-29 18:02:50 | 日記
長いお付き合い、という言葉がある。「A君とは、小学校以来の長い付き合いだ」「あの酒場へは、もう30年近く通っているからなぁ。ママさんとも長いお付き合いだ」といったように用いられる。

昭和39年から12年間余り、大船に近い公団住宅に住んだ。2人の子供たちもそこで育った。子供の母親たちと家人が親しくなった。いわゆるママ友である。家人はそのママ友の何人かと現在でも時々食事に行ったりしている。電話の往復もよくある。団地が出来た年から50年が経っている。長い友情である。私も団地麻雀をよく打った。しかし、そのときの仲間とはそれっきりである。もしどこかで出会ってもわからないだろう。顔もよく憶えていない。それにくらべると、主婦の友情というのは永続性があるようだ。

私の付き合いは、酒、ギャンブルが第一ページの第一行になってしまうのだが、自慢できるものもある。山口瞳と松本清張である。このお二人の作品はよく読んだし、いま80歳を超えてからも読んでいるし、ドラマ化されたものをテレビで楽しんでもいる。前にも書いたと思うが、山口作品は再々々読であって、江分利満氏との初対面は28歳のときだから、付き合いは長い。清張作品も長さで言えばやはり50年来の友である。

病気との付き合いも長い。これについては何度も書いているので詳細は省略するが、腰痛だけでも15年以上になる。最近は、腰痛と闘う のではなく、付き合っているという方がピッタリするような気がしている。悪女との付き合いである。別れてくれと言ってもダメだ。「一緒にいたい」と言いながらついてくる。悪女はシツコい。

マッサージ

2017-04-29 11:40:34 | 日記
山口瞳先生は10歳のときから按摩にかかっていたそうだ。私の肩凝りは20歳前後からではなかったか。よく銭湯の流しの世話になった。流しというのは銭湯にいて背中を流してくれたあとで、そのタオルを肩の上にのせて、10分間ほど肩をもむ商売である。入浴料が15円、流しの代金も15円だった。ラーメン1杯が50円の時代だったから、凡その計算はおわかりだと思う。

次が旅行先の宿である。これはアタリとハズレがあるのを皆さんご経験されていると思う。もりとんアタリは少ない。最近(といっても20年以上前になるが)の宿にはマッサージ器を備えているのが多い。100円玉を入れると、椅子についている球が動き出す仕掛けだが、下手な按摩よりマシな場合もある。

60歳に近くなった頃、家人が、藤沢に,上手い人をみつけ、料金も60分間3千円と安かった。半盲の人だったが力が強く、話好きだったから、家人と2人で月に2回は通った。もし脊柱管狭窄症にならなかったら、現在でも藤沢行きは続いていただろうと思う。

2年前から重田名人に頼っている。名人の治療は指圧であるが、これをマッサージ呼ぶ。病院の整形外科のドクターが私の腰を診察して、マッサージ療法を指示する。名人の説明によるとマッサージにはマッサージ(さする、撫でる)、按摩(もむ)、指圧(押す)の3つがあって、私はその中の指圧をうけていることになる。重田さんのことを名人と書くのは、今まで出会った施術師の中で最も優れた技術を持っているからだ。名人の治療が終わると数十分かの間は腰痛が消える。ゼロになる。眠くなる。この眠りがずっと続いて、そのままになるのも悪くないような気がして来る。

銭の色

2017-04-29 11:02:38 | 日記
JRA(日本中央競馬会)にカネノイロという名の馬がいる。馬主がどういう意味でつけた名なのかはわからないが、なんとなく、銭には色があると言っている気がする。普通、金には色がないと言う。労働で得た100万円も宝くじで当てた100万円も、同じ100万円だというようなことだろう。

サラリー以外に収入があった。その1つはボーナスである。細かく言えば、月賦の支払いを済ませた後にボーナス袋に残ったマネーである。もう1つが麻雀で稼いだ金である。そういう金で馬券を買った。それならば外れても家計に響かないといった意味もあるが、大事なのは、そういう資金(元手)の方が当たる確率が高いことを、20歳の頃からの経験で確信するようになっていた。

たとえば3人の仲間と昼頃から競馬場へ行ったとする。そして、最初のレースで3万円儲けたとする。ここで、「よし、食堂へ行ってビールを呑もう」と3人にご馳走したとする。「今日は調子いいぞ、最終レースまでに30万はイケるかも」と考えたとする。こういう場合、以後のレースは全敗することになるだろうと思う。経験から言って、それはほぼ間違いがない。大勝ちして友人に奢るのはよい。しかし、それは競馬場を離れた後でなければならぬ。最初に得た3万円は、他人からもらった金である。それを、たとえ数本のビール代であっても、別の他人に返してしまってはダメなのだ。他人の金を大事に使ってこそ、最終的に勝利が待っているものなのだ。銭に色はあるのだ。

株のマネーゲームができる時期がある。証券会社の腕のよい担当者が当ててくれる。近いところで言えば昨年来のソフトバンク株がそうだった。私にはそれ以外に収入がない。家人に借りることはできない。借りたとしても、その金では馬券は買えない。買っても間違いなく外れるだろう。マネーゲームの金ならいい。前述の麻雀の利益金と同じ性質である。同じ銭の色である。

私は金に色をつけて使っている。ささやかな老人のギャンブルだが、そこのところは区別している。そういう習慣が続いている。