昭和30年代のプロ野球、後楽園球場での巨人・阪神戦。試合はワンサイドですでに勝負の興味はなく、8回表には、もう帰りの客が通路に並んでいる。 と、そのとき阪神の打者がショートゴロを打つと、帰りかけた客が足をとめて拍手が起こる。巨人の名遊撃手・広岡達朗のプレーが観られるからだ。 同じことが8回裏にもあって、今度は阪神の牛若丸こと吉田義男の華麗なゴロ捌きが観られるからだ。一般に難しい打球を処理することをファインプレーというが、広岡・吉田の両プレーヤーには、平凡なゴロを捕って1塁へ送球する、その動作だけで拍手が沸いた。ファインだった。今のプロ野球に、凡ゴロを捌くだけでも拍手のとれる内野手はいるのだろうか。 テレビに5,6人のお笑い芸人が映り、中の1人が、さほど面白くもない冗談を言うと、ほかのみんなが大声で笑い手を叩く。拍手するほどの面白さをテレビの前の人達はたぶん感じてはいないだろうから、やはり週刊誌の書くとおり、「出演者だけ笑っている」のがテレビの現状なのだろうか。 4人の中年男性が私の顔を覗き込んでいる。「僕がわかりますか?」と訊かれ、知らぬ顔だから首を左右に振ると、つぎは「僕の顔が見えますか?」になって、頷くと、「よし!よかった!」というような声があって、拍手のような音がした。瞬時の記憶であるが、時間が経って、いろいろな情報が耳に入ってきて、それらをあわせて考えてみると、「わかりますか?」は、私が生還して麻酔から覚めたときの一幕だったとわかる。4人の男性の拍手は、私の生還への祝音であっただろうし、それを実現したことの達成感、満足感、1人の人間の生命を救ったことの喜びもあったろうと、想像する。 そのお力に感謝し、拍手するべきは、こちらなのに。