野球放送に解説者がつくようになったのは昭和30年頃か。小西得郎氏(プロ野球が2リーグに分裂した昭和25年のセの優勝チーム松竹ロビンスの監督)が、その道の先駆者となった。 「何と申しましょうか」というセリフが流行語になった。それ以前は解説者など全く必要のない名アナウンサー(志村正順氏、飯田次男氏など)がいた。 私は現在でも、このレベルの解説なら不要と思うことがある(「1点リードされていますから、まず先頭バッターを出塁させたいですね」なんていう解説者が要るか)。 テレビのニュースショーのコメンテーター達も一種の解説業かと思うが、あれも無駄な存在であることが多い。 「いやぁ、たしかに殺人は犯罪ですから、よくないことですが(犯人にも同情すべき点はある、といった前置き)」なんてコメントをきくと、がっかりというより哀しくなる。 しかも、その横に居並ぶ解答者達も「そのとおり。私も同意見」と大仰にうなずいてみせたりするのだ。 私は(特にテレビでは)解説者(コメンテーター)の粗製濫造が番組のレベルを落としていると思っている。 もちろん(たとえば原発関係など)専門家の解説を必要とする場面はあるから、それはその時々で優秀な人をよべばいい。 私のことでいえば、将棋番組で、あれは解説者は不可欠のものだ。