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10月16日

2011-10-16 20:15:47 | 日記
夏用の掛布団を2枚使っていて、それが朝になると1枚になっている。1枚は夜中に自分でとっているわけで、10月中旬にしては暑い。  政治番組ではTPPのことが中心話題になっているが、これは1日延ばしというか、鳩山内閣以来、棚ざらしになっていた話らしい。 週刊誌が、民主党に人材なし(政権担当能力なし)と書くのもわかる。 競馬は秋華賞で、先月の紫苑ステークスで儲けさせてもらったデルマドゥルガーからアナ狙いのバラ券流ししたが、いいところなし。   家人が、大学いもの簡単な作り方を友人から教わってきて、1日おきに作っている。長女が生まれる3か月前頃から家人が、やたらとリンゴとサツマイモを食べていたのを思い出す。  3時頃に次女が来て、その1時間後に長女が青森出張から帰ってきた。世の中不景気であるが、我が家の3人官女が揃うと景気のいい(築地市場のセリのように)声が飛び交う。  長女がみやげにもらってきた青森リンゴの芳香が食卓に漂う。まだナイフをいれていないのに…。こういうのをブランド(銘品)というのだろう。そこへ家人が餃子を作り始めて、にらのにおいが入ってきた。 半袖シャツに短パン、もうすぐ本格的な秋になると、天気予報士のお姉さんが言っていたけれど。

2011-10-16 20:08:57 | 日記
学校で、近所で、職場で、何かのサークルで、そのほかの場所で知り合った人間を20年、30年あるいはそれ以外の長い付き合いがある。1枚の恋文(今ならメールか)から愛が芽生える。 誰かの紹介えお見合いをして、それがすぐに恋に発展し~といったことごとの、すべての共通分母は、気が合ったということだろう。年齢も、育った環境も違うのに気が合うというのがおもしろく、そういう仲間のいることが、どれだけ人生を楽しくしてくれているか。 私は(脊柱管狭窄という)病気を抱えていて、多くのことが腰痛に邪魔される。 家人は元気であって、風邪をひくこともない。ありがたいことだ。もし私が元気であっても、家人が病気であれば、家の中は間違いなく陰気になるだろう。 空気が読めない人のことをKYというそうだが、たしかに場の雰囲気を壊してしまう人がいる。もちろん、私もそういう罪を犯して、自分では気が付かないということが何度も何度もあるだろう。  大震災の不幸は、地震・津波に原発事故が加わったことだと言われるが、もう1ツの不幸は不景気であることだ。 ○○バブルであろうと好景気であれば、とにかく国にも地方にも金があるから、復興のおプランは立てやすく、少なくとも今よりは被災地の方々に元気や勇気をもっていただくことができたと思う。大袈裟にいうと、この世は『気』で動いている気がする。

クイズ

2011-10-16 20:02:11 | 日記
戦後間もなくクイズという知的遊戯が流行り始めた。きっかけは、ラジオの『話の泉』ではなかったか。 クイズは、ただの頓智比べであるなぞなぞと違って、知識と、ある種のカンも必要で、大人から子供まで楽しめるから、現在でも(主としてテレビで)人気である。   アメリカでは3と4、日本では14と10、この数字は何か?。 昭和32年か33年か、バイト先の更衣室で聴いたラジオの懸賞クイズの問題で、私はすぐに総務のお姉さんのところへ行って、はがきを1枚もらい、解答(プロ野球選手の永久欠番、アメリカはベーブ・ルース(3)、ルー・ゲーリック(4)、日本は沢村栄治(14)、藤村富美男(10))を書いて送った。 数日経って、賞金の1,000円が送られてきた。バイト料が1日500円だったから、今の物差しで換算すれば1万5千円ほどだろうか。私が不労所得をおもしろがる第一歩ともなった。 今でも時々クイズの夢を見ることがあるが、そこで不思議なことが起こる。 夢の中のクイズで、私は出題者と回答者を兼ねているわけだが、その正答がわからないことがある。クイズというのは出題者が正答を知っていなければ成り立たないのに、出題者の私が答えを知らないのだ。 ま、夢というものは、それをみること自体が不思議ではあるのだけれど。

男女の年齢差

2011-10-16 19:51:58 | 日記
加藤茶さんが30ほど年下の女性と、三浦皇成騎手がひとまわり年上のほしのあきさんと、それぞれ結婚したことが話題になっている。 誰と誰が(年齢差がいくつであろうと)結婚しようと、どうでもいいことだが、家人は、三浦騎手が45歳になったときに奥さんが還暦というのは気の毒だと言っていて、それもそうだと思ったりする。 私が年齢差のある女性と交遊があったのは同好会でのことが多く、たとえば私が45歳のとき、会のメンバーには大学を出て2年目の女性もいたし、70歳に近い老女もいた。ちょっとした食事会あるいは忘年会などでは、25歳と75歳の間に座って酒を呑むこともあり、話題を選ぶのに気をつかうこともあった。しかし、それは同好会という、日々の生活とは何の関係もない同士でのことであって、それが同じ屋根の下に住む関係だったらと思うと、疲れる気がする。 別のことで言うと、私と娘の年齢差は30ほどであって、お互いに(年齢差ある故為で)、このことを話してもわからないだろうと決めてしまって、話題にしないということもあるはずだ。しかし、親子だからそのことで疲れるということはない。 一方、私が自分の娘と似た年齢の女性と暮らしたとすれば、この話題はどうだろうかと考えることが重なって疲れるのではないだろうか。いや、この辺にしておこう。何はともあれ、私とは無縁の世界の話なのだから。