「今日担当のA子と言います。よろしくお願いいたします」、手術を終えて何日目だったか、朝の看護婦さんの交代時間に若いナースの声がICUに清々しく響き、さらにA子さんは「さびしかったら、よんでください。お話にうかがいますから」とつけくわえた。 それは私が3週間の入院中に聞いたものの中で最も価値ある言葉だった。A子さんの顔と声からうける印象は、躾の良さだった。私は、ぜひ話に来てほしいと言いたかったが、頭の混濁も治っていたので、まさかそこまでは甘えられなかった。 しかし、少しの時間が経って、彼女の方からベッドを覗きに来てくれて、いま欲しいものはなにかと訊き、「水です」と答えると、あと1日か2日の我慢だと笑った。 その日の午後は家人と2人の娘が見舞いに来た(長女は毎日のように通ってくれていたが、家人と次女は長女のように時間が自由にならなかった)。決められた60分の見舞い時間が過ぎて、3人が立ち上がったとき、私が車は1台かと訊き、次女が自分の車だと頷くのを見て、急に不安になった。なんとも恥ずかしい話だが、瞬間的に、私は、3人が事故に遭ったらと考えたのだ。後から考えれば、病気で気弱になっていたのだと思う。そしてもう1ツ、A子さんの、寂しかったら話に来ますよという言葉が、その気弱に拍車をかけていたのだと思う。
昨夏、もし私が死んでいたら、家人は「原因はお酒でしょう」と友人・知人に説明したと思う。大動脈瘤は血液の病気であり、アルコールと無関係ではないかもしれぬが、1滴の酒も口にしない人がきおの病気になることも、もちろんあるだろう。 それに私はサケダイスキ(という名の馬がJRAにいる)であはるが、大酒豪ではない。この世には酒で早死にした人はたしかにいる(立原正秋、水原弘、梶山季之、芹沢博文)が、立原が言う、「起きている間はずっと呑んでいる」のとは私は程遠い。 家人の頭にあるのは一種のイメージで、たしかに私も、若い頃は大酒を呑んだこともあった。題名は忘れたが、落語に「あるにダメ男がいて、そのでは、よくないことがあるとすべて彼のせいになる」という話がある。が、家人の酒犯人説はそれに似ていて、たとえば私の乗った日嘔気が富士山に衝突して乗客乗員がすべて死亡しても、やっぱりお酒の呑みすぎとなるのだろう。 家人の頭が悪いと言っているのではない。そうではなくて、酒というものを誤解している人がこの世には少なくないと言いたいのだ。酒とは何か?の答えは、人それぞれだろうが、私の場合は、人生である。私には生涯の友が何人かいるが、もし私が下戸だったら、その人達との友情は生まれていないから、この一事だけでも、人生と言えるだろう。 この文を家人は読まないだろうが、私が死んだとき、家人は棺の中に1本のスコッチウィスキーを入れてくれるだろう。、それでいい。
昨夏、もし私が死んでいたら、家人は「原因はお酒でしょう」と友人・知人に説明したと思う。大動脈瘤は血液の病気であり、アルコールと無関係ではないかもしれぬが、1滴の酒も口にしない人がきおの病気になることも、もちろんあるだろう。 それに私はサケダイスキ(という名の馬がJRAにいる)であはるが、大酒豪ではない。この世には酒で早死にした人はたしかにいる(立原正秋、水原弘、梶山季之、芹沢博文)が、立原が言う、「起きている間はずっと呑んでいる」のとは私は程遠い。 家人の頭にあるのは一種のイメージで、たしかに私も、若い頃は大酒を呑んだこともあった。題名は忘れたが、落語に「あるにダメ男がいて、そのでは、よくないことがあるとすべて彼のせいになる」という話がある。が、家人の酒犯人説はそれに似ていて、たとえば私の乗った日嘔気が富士山に衝突して乗客乗員がすべて死亡しても、やっぱりお酒の呑みすぎとなるのだろう。 家人の頭が悪いと言っているのではない。そうではなくて、酒というものを誤解している人がこの世には少なくないと言いたいのだ。酒とは何か?の答えは、人それぞれだろうが、私の場合は、人生である。私には生涯の友が何人かいるが、もし私が下戸だったら、その人達との友情は生まれていないから、この一事だけでも、人生と言えるだろう。 この文を家人は読まないだろうが、私が死んだとき、家人は棺の中に1本のスコッチウィスキーを入れてくれるだろう。、それでいい。