大木昌の雑記帳

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スポーツ界の“体罰”という名の暴力(1)-“体罰”で成績は上がらない-

2013-02-03 07:04:07 | 社会
スポーツ界の“体罰”という暴力(1)-“体罰”で成績は上がらない-


大阪の桜宮高校のバスケット部監督による“体罰”が原因と思われる高校生の自殺が大きな話題となったと思ったら,
今度は,高校駅伝の強豪,愛知県豊川工業高校の陸上部の監督による“体罰”が問題になりました。

そして,1月31日には京都の網野高校レスリング部でも体罰が行われていることが明るみに出ました。

このような状況を考えると,多くの高校(恐らく中学,大学でも)の運動部でも“体罰”が行われていたと思われます。

さらに,女子柔道界における”体罰”という暴力の問題が明るみにでたことは,社会的に大きな反響を起こしました。

それは,女子柔道のナショナルチームの選手15人は,強化合宿中に,園田隆二監督をはじめとする指導部による暴力,
「死ね」といった暴言やパワーハラスメントに抗議し,日本オリンピック委員会(JOC)へ告発した,というものです。

本来,柔道選手にたいする指導者の問題ですから全日本柔道連盟(全柔連)に告発文書を提出すべきなのに,
JOCへ提出したという点に,この問題の根深さがあります。

つまり,JOCへ告発した柔道選手達は,連盟の体質を知っているので,連盟に提出しても問題の解決につながらないと判断したためでした。

実際,園田監督の暴力行為については,昨年のロンドン・オリンピック直後の9月に選手から全柔連に出されていましたが,
全柔連は内々に済ませ,隠蔽してしまったのです。

指導者を告発すれば,自分たちがオリンピックの代表からはずされるかもしれないという危険を冒しても,
告発せざるをえなかったのです。それほど事態は深刻なのです。

ナショナル・チームに入るほどの選手なら,それまで相当きつい練習に耐えてきたはずです。

その選手が,自らの選手生命を賭けてまで,抗議に及んだのは,それりの覚悟と事態の悪質さがあったからです。

あるコメンテーターが,いざとなると女性の方が男性よりも ”腹が据わっている”と言っていましたが,これは,なかなか的を射たコメントです。

桜宮高校の場合も,豊川工業高校の場合も,そして柔道界でも,指導者による暴力が,一部の学校やスポーツ界で日常化していたことが分かります。

のちに,社会人の女子レスリングの指導でも“体罰”問題も浮上しました。

現在,マスコミで問題になっている事例は,実際に起こっていることの,ほんの一部にすぎないでしょう。

ただし,そこには,アマチュアスポーツという共通性はあるものの,高校という教育現場での暴力と,女子柔道でおこったような,
教育現場以外の場所で,主として社会人アスリートの選手指導とでは暴力の意味が異なります。

まず,アマチュア・スポーツである教育現場と社会人に共通する問題点から考えてみましょう。

日本には,スポーツにおいて“体罰”まで加えて“指導”するのは指導者が,“熱血”的であるとか,
“熱心”だからであること考える風潮があります。

しかし,本当の一流の選手は,暴力や恐怖によっては決して育たないのです。

プロ野球であれプロ・サッカーであれ,プロスポーツ界をみれば分かるように,一流の選手やチームを育てるのに暴力は用いていません。

ワールドカップで優勝した女子サッカー,「なでしこジャパン」にしても,監督による“体罰”と恐怖でチームを強化した,
と言う話は聞いたことがありません。

もし,暴力と恐怖でチームが強くなり選手の技量が上がるなら,成績が直接に収入につながるプロの世界でも,
暴力的“指導”が行われても不思議ではありません。しかし,そんなプロのチームはありません。

今回問題になった監督は,暴力を用いることに,何の問題も感じていなかったどころか,
「愛のムチ」という美名のもとに,むしろ必要でさえあると考えていようです。

私自身もかつて運動部に所属していました。当時は先輩に,練習の態度が悪いとか,ひどい場合には,
理由も分からず殴られたり棒で叩かれたりした経験があります。

しかし,それによって私の技術が向上したとか,より積極的に練習をするようになったわけではありません。

そのいやな経験は何十年経った今でも心の傷として残っています。

これは,かつての日本の軍隊で行われた,”新兵いじめ”という暴力行為を思い起こさせました。

暴力や恐怖は,人間の尊厳や自尊心を傷つけます。たとえそれによって,チームが強くなったり個人の技術が向上したとしても,
それは一時的なものです。

今まで登場した,超一流のアスリートで,体罰という暴力で指導されたから技量が上達した例はありません。

これは,スポーツだけではありません。私は,30年以上も大学で教育に携わってきましたが,学生は叱ったり強制したりすることでは成長しません。

そうではなくて,褒めることで本人の自信がわき,積極性が生まれ,長い目で見てその方がはるかに成長することは確信をもって言えます。

私は,スポーツ指導における暴力を“体罰”という言葉で表現するのは本質的に間違っていると思います。

“体罰”と言う言葉からは,何か悪いことをしたために,教育的,指導的見地から体に加える“罰”というニュアンスが伝わってきます。

しかし,今回問題となった高校の運動部員にせよ,社会人の柔道選手にせよ,何も悪いことをしているわけではありません。

この問題は,“いじめ”の問題と似たところがあります。

“いじめ”とは,あからさまな暴力であるのに,あたかも子ども同士がじゃれ合っているかのように,
事態を軽く扱おうとする社会的な風潮があります。

しかし実態は,子どもたちを“死に追いやる”ほどの苦痛を与える,身体的また言葉による暴力なのです。

大津の中学生の“いじめ”による自殺事件に関して,第三者調査委員会の報告書も,“いじめ”と自殺との明確な因果関係を認めています。

スポーツにおいて,“体罰”という暴力を用いて成績を向上させようとする風潮が一般化しているのは,世界でも日本だけです。

この点を含めて次回は,なぜ,日本のスポーツ界では暴力が当たり前になっているのかを考えてみたいと思います。

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